第19話 キス
その夜、俺はまた、一階で寝っ転がったままの笠原の元に足を運んだ。
まだ俺の事を睨んでいたが、昼間と違いある程度落ち着いた様だった。
「まともに喋れるようになったか? んじゃ、ガムテープ外すぞ。ついでに水やるよ」
そう言ってあぐらをかき、笠原の口のガムテープを外す。
「てめぇ、絶対後悔させてやる……」
それが笠原の第一声だった。
「そうかい。喉乾いたろ。水やるよ」
そう言って笠原を座らせ、その口にコップの水を近づける。しかし、水をじっと見たまま笠原は動こうとしない。
「毒でも疑ってんのか? 一般家庭の家にそんなもんあるわけねぇだろ。さっさと飲め」
そう言って無理矢理コップを近づかせると、渋々と言った感じで水を飲んだ。
「で、早速話を聞きたいんだけど、あんた、何でこの家に両親がいないって知ってたわけ?」
飲み終わったタイミングで、単刀直入に質問をする。
しかし、笠原は俺の質問に対して答えず、そっぽを向いてしまう。
「一応俺はお前の生殺与奪権を握ってるんだが?」
「ふん……」
脅してみたものの鼻で笑われてしまった。そんな事やる気がないというのが声からも丸わかりだったからだろう。
「お前、なんで澪のこと好きなわけ?」
こういうのはとにかく相手に口を開かせることが大事と聞いたことがある。だから、笠原が執着している澪のことを話題にしてみた。
すると、反応は劇的であり、笠原は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「お前にあの子の何がわかる! 澪たんは……澪たんは俺の全てだ!」
「おいおい、落ち着けって」
この部屋はピアノを置いているからも一応防音がされている。だが、こんな夜中に叫ばれるのはよろしくない。
もう一度、笠原を落ち着かせる。
「ったく……、そんな好きならせめて身なりくらい整えてから告白すればよかったのに」
「ありのままの俺を受け入れてくれないと意味ないだろうが」
「……そうか」
清潔にすることとありのままの自分はまた話が違うような気もするが、それを否定して発狂されても困る。
しかし、会話になったのはありがたい。
「そんなお前が好きな澪のためにもこっちは情報が欲しいんだ。外に安全な場所があるなら澪の為にもなる。頼む、教えてくれ」
そう言って俺は頭を下げる。
「……くっくっくっ」
突然、笠原はおかしくて仕方がないと言わんばかりに押し殺した笑いをする。
「何がおかしい」
「何がおかしいって、そりゃおかしいだろうよ! 安全な場所? くっくっくっ、お前がそれを聞くのか?」
「何だ? 何を言って……」
そこまで言った時だった。
ズシン、ズシンという地鳴りの音が聞こえてくる。この地鳴りの音に、俺は心当たりがあった。
「オーク……」
忘れもしない。加藤の家を棍棒で破壊し、家主の加藤を殺し食べた豚の化け物。
その足音が少しずつ大きくなっている。
「こんな時に……」
「くっくっくっ……」
暑くもないというのに汗を流す俺と違い、笠原は平然とした顔でまた気味の悪い笑い声を繰り返す。
「だから何がおかしいってんだ! あれが来たらお前も俺も、お前が好きな澪も死ぬんだぞ!」
「くっくっくっく、死ぬのはてめぇだけだよ。ばーか」
「は?」
(何言ってんだ、こいつ? 気でも狂ったか?)
あの化け物が、人類の敵が生きている人間を無視するとはとても思えない。オークがまだこの家に来るかどうかは分からないが、笠原の口振りはまるでオークがここに来ると確信しているようだった。
そして、笠原は次に、衝撃の言葉を述べる。
「てめぇ、
「!?」
「まさか、お前も……」
しかし、次の言葉を発する事はできなかった。
何故なら、すぐそこの、玄関の前の門が破壊される音が響き渡り、同時に壊された門がこの家の玄関にぶつかる音がしたからだ。
「ご到着みたいだな。まっ、せいぜい足掻けよ。どうせ無理だがな?」
ガサガサガサという何かが庭を走る音がする。闇夜の月明かりにかすかに照らされたその姿は、紛う事なきゴブリンだった。
笠原は何か知っている。だが問い詰める時間はないようだ。
玄関前までやってきたオークが、太い何かでドアに叩きつける音が響いてきたからだ。それと同時に、外から窓ガラスに硬い何かを叩きつける音が響き、ヒビが入る。
「くそっ!」
そう毒吐いた俺は笠原を置いて、リビングを出る。そして階段前にタンスを出して、急いで二階に上がる。
二階につき、二人がいる部屋にたどり着くのと同時に、一階から破砕音がし、建物全体が揺れる。
「二人とも、無事か!?」
「何? 何が起きてるの!?」
「あの、これは一体……?」
「話している時間はない! とにかくここから逃げるぞ!」
困惑する双子の姉妹を無視し、俺は二人の手を引いて窓に向かう。
そして窓を開け、一階に飛び降りようと下を見た時、絶望した。
「な、何だこの数……」
庭にはゴブリン数十匹にホブゴブリンまでが陣取っていた。奴らは窓を開けた音に気付いたのか、上を見上げ俺と目が合うとこちらを指差して石を投げつけてくる。
慌てて俺は窓を閉めるが、窓ガラスにカンカンと石が当たる音がする。
「ねぇ! 何が起こってるの!?」
「和彦さん、痛いです!」
後ろから話しかけてくる凛と澪を無視して考え込む。
(何故だ! 何故こうなった!? こんな事になるなら笠原が来た時に家を出るべきだったのか? いや行くとこなんて他にない! くそ! それともドアの前で騒いでる時に殺しとくべきだったのか? いや……)
そんな覚悟、俺にはない。俺は単なる会社員だ。戦地を練り歩いた傭兵でもなければ自衛隊でもない。ゴブリンならともかく、人間を殺す覚悟なんてできているわけがなかった。
詰んだ。逃げ場がない。前も後ろもゴブリンとホブゴブリンだらけ。さらに階下にはオークまでいる。
凛と澪がいるというのに、俺は思わず悪態をついてしまう。
「くそっ、くそ!」
「ねぇ……、何が起きてるの?」
ハッとした。目の前に映し出されるのは月明かりに照らされた二人の姉妹の不安そうな顔。
「すまない、俺のせいだ」
俺の判断ミスだ。笠原を撃退せず、さっさと家を出ていればまだ道はあっただろうに。
悔やんでも悔やみきれない。
悔しくて涙が出る。
「くそ……、二人とも、すまない」
思わず謝罪の言葉が出た時だった。澪が突然俺の顔を両手で掴み、そして……。
「むぐっ……」
キスをされた。
わからない。何も分からない。頭が真っ白になって考えていた事全てが吹き飛んでしまった。
ただ分かるのは唇に当たる柔らかな感触と、ほんのり香る甘い味。
体の力が抜け、彼女たちを掴んでいた手がだらりと落ちる。
どれくらい時間が経ったのだろう。ゴブリン達がまだこの部屋に来ていないのだから一分もしていないはずだ。
澪の唇が俺から離れていく。二人の間には銀色に光る糸。それが今起こったことが夢ではないという確かな証拠だった。
俺はキスをした。年下の、それもとびきり可愛い女の子と。
俺から離れた澪は、ほんのり顔を赤くしながら聞いてくる。
「落ち着いた?」
「あ、ああ、ごめん、ありがとう」
訳もわからずそう答えた。今ならきっと銀行の暗証番号を聞かれても素直に答えてしまうだろう。
未だに高鳴る鼓動と、真っ白な頭で俺はしどろもどろになる。
そんな俺に澪は笑顔を向け、もう一度聞いた。
「何があったの?」
「あ、ああ、ええっと……」
すごいざっくりとだが、俺は答えた。何故かわからないが笠原がこの魔物達を呼び寄せたこと。そうなる前に逃げ出すべきだったこと。そして、俺が殺されるであろうこと。
「……そう」
静かに俺の話を聞いていた澪はただそれだけ呟く。
「じゃあ話は簡単ね。私があいつにあんたとお姉を助けてくれるようにお願いしてくるわ」
「ま、待て!」
歩いてドアの方に向かおうとする澪の手を掴む。
「何?」
「いや、お前、今何しようとしてるのか分かってるのか?」
「ええ、分かってるわ。本当は嫌だけど、すっごく嫌だけど、貴方とお姉を助けてくれるようにお願いしてくるわ」
「駄目だ! 分かってない、お前は何も……。そんなこと頼みに行ったらあいつが何をするか」
「でも他に方法がないじゃない!」
「いや、でも……」
返答に困ってしまう。
(考えろ、考えるんだ!)
一階からはタンスを破壊する音が響き、ドタドタの二階にゴブリン達が走ってくる音がする。
「時間切れみたい。……和彦、あの時は助けてくれて「だめだ!」」
別れの言葉を言おうとした澪を引き留め、俺は部屋のドアの前にタンスを置いて道を塞ぐ。
横の部屋からはガチャガチャと室内にゴブリン達が侵入する音がする。そして、この部屋のドアも開けられようとするが、俺がタンスごと必死に食い止める。
「ちょっと! 無理しないで!」
「和彦さん!」
「嫌だ! それは嫌なんだよ! あんな奴に負けたくないんだ!」
俺は叫ぶ。後ろからはどんどんと扉をこじ開けようとする音と、ゴブリン達の耳障りな叫び声が聞こえてくる。
「ギャーギャー!」
「くそっ! 何か方法はないか、何か!」
俺は周りを見渡す。目の前には不安そうに見つめる凛と澪。室内にはベッドと必要最低限の衣服のみ。それ以外は全て俺の
俺は
しかし、お金持ちとはいえ、一般家庭の白雪家にこの状況を打破できるような魔法のようなアイテムはなかった。
「和彦さん!」
「和彦、やっぱり私が……」
澪が前に出ようとしてくれるが、もう無理だ。俺がタンスでゴブリン達を引き留めた時点で、もう説得はあり得ない。
後ろの感触からして今ドアを押してるのはゴブリン達だが、ホブゴブリンがくればこんなドアすぐに破られる。
そして、俺は即座に無惨に食い散らかされ、凛と澪は凌辱を受けるだろう。
(俺はここで死ぬのか……?)
体は必死にドアを押さえながら、心は現実逃避をし始める。
頭の片隅では何故か今までの記憶がフラッシュバックする。これが走馬灯というやつなのだろう。
そこでふと、一つの記憶、いや、夢を鮮明に思い出す。
真っ白い何もない空間で、横になって寝ている夢。
稲妻が走る。単なる直感。だが、俺はその直感を信じて叫ぶ。
「二人とも! 手を伸ばせ!」
……。
…………。
………………。
爆発するような激しい音と共に双子の姉妹の部屋のドアがぶち開けられる。
だが、ゴブリン達がみたのは隠れようがないほど何もない空っぽの部屋だった。
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