ここは北関東? いいえ、異世界です
「これ、やっちゃったかなぁ……」
困惑した表情を浮かべるユノウ。その視線の先には、仰向けに倒れている辰巳の姿があった。
二人がいたのは森の中。シイやカシ、ブナやナラといった様々な樹木が生い茂り、葉や枝の間からは日光が差し込んでいた。
一見すると日本の山奥となんら変わりのない風景であったが、試しに魔法を使ってみたところ、普通に使えたので、ユノウは自分が元いた世界に戻って来られたのだと確信していた。
ただ、自分が今いる場所が、その世界のどこであるのかまではわかっていない。
「……とりあえず起こそう。お兄さん、お兄さん大丈夫。お兄さん、お兄さん」
ユノウは辰巳の体をゆさゆさと揺すりながら、「この人はこっちの世界の人間で、自分が戻ってきた衝撃で倒れているだけだ」という淡い期待を抱いていた。
「……ん……んぅ……ん!?」
辰巳はゆっくりと目を開けると、驚いた様子で左右に首を振った。
「え、ここ、どこ?」
辰巳の反応を見て、ユノウの期待は露と消えた。同時に、自分がすべき行動が頭に浮かんだ。
「すいませんっしたぁーー!」
地面に額を擦りつけるような勢いで土下座をするユノウ。これは、「謝る際は、なんの言い訳もせず、相手が思っている以上の謝罪をするのが一番効果的」という、テレビのニュースやワイドショーを見て考えた独自の謝罪術に基づく行動であった。
「は? いや、ちょっと全然状況がわからないんだけど」
状況を把握する間もなく、唐突に見ず知らずの人に謝られたことで、辰巳は余計に混乱した。
「ですよね」
少し焦りすぎかなと思ったユノウは、自分を落ち着かせるために数秒ほど間をあけた。
「……じゃあ、順に説明しますので、落ち着いて聞いてください。まず、あたしは妖精のユノウです。そして、ここはお兄さんがいた世界とは別の世界、簡単に言ってしまえば異世界です」
「よ、妖精? 異世界?」
辰巳は「こいつは何を言っているんだ?」という表情でユノウのことを見た。
「はい。……信じられないとは思いますけど、本当なんです。実は、上野公園でこっちの世界に戻るための儀式をやっていたんですけど、どうやら、それにお兄さんを巻き込んじゃったみたいなんですよね……」
ユノウは、申し訳ないという気持ちをしっかりと表情にも表していた。
「……そうだよ、俺上野公園にいたんだよ。で、なんか変なことしているなぁっと思って見てたら、コロコロコロってなんか石みたいな物が転がってきて……気づいたら、異世界?」
辰巳は改めて周囲を見渡す。
周りに生えている木々や、時折聞こえてくる鳥の鳴き声、そしてニットとデニムに身を包んだ自称妖精のユノウと、近くにある情報からは、ここが異世界だと確信できるようなものは何も見つからなかった。
「とりあえず、上野公園じゃない場所に連れて来られたってことはわかる。けど、ここ本当に異世界なの? 全然異世界っぽい感じがしないんだけど……。栃木や群馬あたりの山の中ってことはないの?」
辰巳は内心で、「もしかして、これドッキリか」と考え始めていた。
話題の天才紙切り芸人として、近頃テレビやラジオなどへの出演が増え始めており、ドッキリを仕掛けられたとしてもおかしくはない。
ただ、酔っていたならまだしも、
「間違いなく異世界です。その証拠に、簡単な魔法をお見せましょう」
ユノウは右手の人差し指を立てると、指先に青い火を灯した。
「すげぇ! なんかガスのCMみたい。……けど、それ本物?」
辰巳は驚きと疑いが入り混じった眼差しでユノウの右手をまじまじと見ると、火に向かって手を伸ばした。
「アチッ! 本物の火だ……」
「どうです、これで信じましたか?」
「うーん……あ、もしかしてVR?」
辰巳はハッとした様子でゴーグルの有無を確認したが、当然何もついておらず、否が応でもここが異世界であることを認めざるを得なかった。
「マジかよ……ネットも繋がらないし、これGPSもないな……。えぇ……本当に連れて来られることってあるの……」
スマートフォンを見ながら戸惑いの表情を浮かべる辰巳。一方で、異世界を題材にしたライトノベルや漫画が好きだったこともあり、異世界というものについてそれなりの知識があった。
それゆえ、この信じがたい状況をなんとか受け入れることができた。
「はぁ……。で、俺は元の世界に戻れるの?」
「たぶん、戻る方法はあると思うんです。実際、あたし自身向こうの世界に飛ばされていますから」
「その時のことって何か覚えていないの?」
「うーん……気がついたら、幕末の横浜にいたんですよねぇ」
「幕末……」
異世界の次は幕末と、辰巳は驚きを通り越して呆れてしまった。
「あの時は本当に苦労しましたよ。奇跡的に言葉はわかったんですけど、魔法はほとんど使えませんでしたから。ただ、催眠術みたいなことはできたんで、それで出自やらなんやらをうまく誤魔化しながら暮らしていました。料理屋の女中に始まって、電話の交換手、寄席の
自分のいた世界に戻って来られたという安心感と、これまで誰にも話せなかった鬱憤が重なったのか、ユノウは堰を切ったように地球での生活を話し始めた。
初めのうちは我慢して聞いていた辰巳であったが、二〇分話してようやく明治が終わるという状況に、堪らず白旗を挙げる。
「ストップストップ。もういい、もう充分わかったから」
「そうですか? まだ浅草十二階に登ったことや、ハチ公に会いに行ったことなんかを話していないんですけど……」
まだまだ話し足りないユノウは、歴史的に有名なものを提示して、辰巳の興味を惹こうとした。
「それよりもだ。元の世界に帰る方法について、何か思いつくことはないの?」
残念ながら辰巳の興味を惹くことはできず、返答に困る質問を投げ返されてしまった。
「……そういえば、お名前をうかがっていませんでしたね」
ユノウはわかりやすく話題を変えた。
「……俺は、紙切り芸人の二木家辰巳」
名前を聞いた瞬間、ユノウは手をパチンと叩いた。
「あ、やっぱり辰巳さんだった。最初に顔を見た時から、そうじゃないかなぁって思っていたんですよ」
「俺のこと知ってるの?」
「もちろんですよ。あたしは明治の頃から寄席に通ってる、生粋の演芸好きですから」
その言葉を聞いて、辰巳の機嫌が一気に良くなる。
「……へぇ、そうなんだ」
照れ臭そうに頭を掻く辰巳。芸人にとって、自分の顔と名前を憶えてもらえることは、何よりも嬉しいことだった。
「今さらですけど、普段から着物なんですね」
高座の時とは違い、辰巳は茶色を基調とした落ち着いた色合いの着物に身を包んでいた。ちなみに、高座着は唐草模様の風呂敷に包んで持ち歩いている。
「そうそう、和のものが好きでさ、洋服はそんなに着ないんだよね。着始めた頃は面倒なことも多かったけど、慣れれば結構快適だよ」
ようやく辰巳の顔に笑みが浮かんだのだが、それは長くは続かなかった。
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