第37話 シロルの不始末2

 学校を出て、しばらく歩いた時だった。

 後五分ほど歩けば駅と言う所まで来たのだが、


『に……、にい……』

「ん?。今、何か聞こえたような……」


 脳内をピリピリとした感覚と共に、薄っすらと声のようなものが聞こえた。

 それは徐々に近づくように、鮮明に、大きく聞こえ始める。


『──兄さん!』


 ひときわ大きな声が響き、突然傍らの塀から白い影が飛びかかって来た。


「シ、シロ……ッ!?」


 咄嗟に出かかった言葉を飲み込み、俺は飛び出したその影を捕まえた。

 突然のその影と声の正体は、シロルだったのだ。


『……来るにゃ、アイツが、アイツが来るにゃ!!』


 余程怖いことがあったのか、彼の体は俺の腕の中で小刻みに震えている。

 事情を聞きたいが、もしかしたら相澤が跡をつけて来ているかもしれない。

 そうじゃなくても、話しているところを誰かに見られたら、猫と会話をするヤバイ男子高校生のレッテルを貼られる……。


 こんな時こそ、新魔法──。


「……コーリング!」


 俺は小さく、魔法名を唱えた。

 新魔法『コーリング』魔力を用いた通話の一種だ。

 受信機、即ち魔法の鈴を持っている特定した人物に、意思を伝える魔法らしい。


『落ち着けシロル。どうした、ゾーオか!?』

『違うにゃ! もっとにゃ、もっともっと恐ろしいものが来るにゃ。 兄さんかくまってにゃ!!』


 酷く怯えた声を出し、俺の体を這い上がって隠れるように背中にしがみつく。


 シロルの身に、いったい何が……。


「──あら日輪君、どうしてこんな所にいるのかしら?」


 そんな、そんな事があるはずがない。あっていいわけが……。


 見知った声が聞こえ、俺は本能的に一歩、二歩と後退る。

 背筋冷え、唇は乾き、自然と足が震えた──。


「ひ、姫乃先輩!?」


 ショックだ、今日は顔を会わせなくて済むと思ったのに……。

 もしかして、シロルが怯えているのはこの人が原因なのか?

 ゾーオより恐ろしい存在と聞き、納得は出来る。

 できるけど、でもなんで姫乃先輩とシロルが?


「こんな時間にここに居るってことは……。まさか貴方、部活をサボったりなんてしてないわよね?」

「ち、違いますよ! キャプテン命令で部活が終了したんです!!」

「それって三年の?」


 姫乃先輩の問いかけに、俺はコクコクと頭を上下させ肯定してみせた。

 説教の巻き添えは御免だ、怒られたい人が勝手に怒られてくれ。


「ふーん……」


 返事をしながら、姫乃先輩は周囲をキョロキョロと見渡す。

 

 疑われている感じはしないけど……。

 これも日頃の行いの成果か。


「ねぇ日輪君、そんな事よりこの辺で首輪をしている、真っ白な猫を見なかったかしら?」

「し、白猫ですか……? えっと、どうして白猫をお探しで」


 間違いない、シロルはこの人に追われている。

 どうする、かくまっているのがバレれば、俺もただでは済まないぞ。

 でも、なんだかんだシロルには恩もあるし、状況次第では助けたい気持ちもあるが……。


「質問を質問で返すのは頂けないわね。まぁ、私が尋ねてる側だし、今回は大目に見てあげるわ」


 訪ねてる側なのに、何故そんなに偉そうなんだ? なんて事は口が裂けても言わない。

 この人にツッコミを入れるのは、勇敢でも勇猛でもない。

 ただ無謀なだけだ。


「少し、ちょん切ろうかと思って」

「──何を‼」


 想像以上の恐ろしい回答に、俺はつい無謀にも全力でツッコミを入れてしまった。

 

 姫乃先輩は途端に、汚いものでも見るかのような目で俺を見つめる。


「何をって、それはセクハラかしら?」


 無謀の末、ちょん切る部分に察しがついた……。

 なんて言ってる場合じゃない。


「ちょ、ちょっと待ってください。順を追って説明をお願いします!!」


 背中に居るシロルの震えが尋常ではない。


 女の人から見たらどうかは知らないが、男から見たらそこは易々やすやすとちょん切っていい部分ではない。

 正直なところ俺まで、動揺を隠せないでいた。


「順を追ってってほどの事でもないのだけどね。私、猫を飼っているの」


 姫乃先輩は、手に持っているキャリーバックを見せてきた。

 その中からは、ニャーニャーと可愛いらしい声が聞こえている。


 さっきから遠くで猫の声がすると思ったら、そこだったか。


「それでね、私の愛猫あいびょうに乗っかって、腰を振ってる不届き者が居たの。やる事やったらすぐに逃げて……。言うまでも無いと思うけど、それがその白猫ってわけ」

「よ、よりにもよって……」


 俺は手で顔を覆った。

 フォローも出来ない取り返しのつかない事態に、返す言葉も見当たらない。


「だから、その無責任な猫を掴まえたいのよ」

「あっ。で、でも、首輪をしているって言ってましたよね? 飼い猫に勝手はまずいですよ」

「心配しなくても大丈夫、もちろん飼い主に御挨拶にいかせてもらうから。私の父はこの辺りでは少ない獣医だから、猫でも犬でも顔を見ればよっぽどどこの家の子か分かるのよ」


 こ、これは詰んでないか?

 シロルが何処の獣医に掛かってるか知らないけど、この人が本気になれば何処の猫かぐらい調べがつくだろう。

 それに父親が獣医なら、マジでちょん切りもありえるんじゃないか?


「あの日からうちの子、その猫をたいそう気に入ったみたいで泣き止まないのよ。昼夜を問わず、窓の外に向かってにゃーにゃー泣いてるのを見るのが辛くて……」

「姫乃先輩が探してる猫って、こいつですか?」


 俺はグルっと半周回り、姫乃先輩に背を向けた。


『う、裏切者にゃぁぁぁぁぁぁ!?』


 あんな話を聞かされたら、裏切りもする。

 どう考えても10:0でお前が悪い、これ以上匿えるか!!


「あら、そんな所に居たの?」


 俺の背中から、シロルが引っ剥がされた。

 振り返り見てみると、姫乃先輩は慣れた手付きで片手でうなじを、もう片手で体を抱え、キャリーバックに放り込む。


 すると先程まで聞いた悲しそうな鳴き声は止み、猫なで声に変わった。


「ふふっ、良かったわねアネモネ。後はちょん切りだけかしら」


 姫乃先輩が飼ってる猫の名前は、アネモネって言うのか。

 それよりちょん切りも、彼女が言うと冗談に聞こえないな。

 冗談……だよね?


「余計な時間を浪費しなくて助かったわ、日輪君。ありがとう」

「い、いえ。その……お手柔らかにしてやって下さい」


 俺のお願いに、姫乃先輩は「ふふふっ」っと不敵な笑みを浮かべ去っていく。


「でもまぁ、大丈夫。あの人はあ~見えて、知り合いの中では常識人だ。ちょん切るってのも冗談で、本気でしたりするはずない……。多分」


 この後、あの人はどうする気なんだ? っとか。

 相澤になんて説明しよう、っとか。

 覚えたての魔法。一番最初に使うとき、毎回ろくなことに使ってなくね? っとか思うことは沢山ある。

 でもまずは、


「とりあえず、拝んどこ……」


 俺は両手を合わせ、彼の無事を第一に祈ることにしたのだった。

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