【第2章】AD運営開始 編

【007話】AD始めてみました


 緊迫感のある怒声が室内を包んでいた――



「ちょっと待てイチル。少し冷静になれ、本当にこれでいいのか?!」


 男の顔は本気そのものだった。

 イチルの腕を掴み奥の個室へと引っ張ったマティスは、常に冷静さを求められる自分自身の立場も忘れ、執拗に何度も繰り返した。


「ちゃんと考えろ。11億ルクスもの金を、どこの誰とも知らん奴のために使うなんて正気か。悪いことは言わん、白紙に戻せ!」


「だから何度も説明したろ。時代は逃げから受け、俺はダンジョンをする側から、ダンジョンをする側に回ると決めたんだ」


 呆れ果て天をあおいだマティスは、それでも大事な、かつ旧知の仲であるイチルを殴るわけにもいかず、固めた拳を緩め、深呼吸を繰り返しながら、ただ滾々こんこんと言い聞かすしかなかった。


「こっちこそ何度も言うが、ADアトラクションダンジョンはお前が考えるほど甘い世界じゃない。場所、費用、中身、人、規模、そしてランクに至るまで、緻密に綿密に計画し、ようやく実現できるものなんだぞ。それだけやっても数パーセントしか形にならないような過酷な世界なんだ、わかってんのか?!」


「なら俺にピッタリだな、マティスは俺の性格くらいよく知ってるだろ」


「よーく知ってるさ。。誰よりもスリルを愛し、多少の無茶はいとわない、正真正銘のクレイジー野郎だよ!」


「俺ってそんな印象なの……?」


「少なくとも俺はそうだね。しかも、だ。聞けば前に聞いたゴミ物件を、しかもってお前……。どうかしてるを通り越して狂ってるよ」


「俺の金をどう使おうと俺の勝手だ。それに俺自らダンジョンをどうこうってわけじゃない。実際に運営するのはフレアだ」


 ドンッと勢いよくテーブルを叩いたマティスは、「それこそ舐めるのもいい加減にしろ」と我を忘れて激昂しイチルに顔を寄せた。

 この男は本当にナイスガイだなとしみじみ頷くイチルに対し、紅潮した鼻先をぐいぐいと押し付けたマティスは、「お前が許しても、俺が絶対に許さんからな」と頑として譲ろうとしなかった。


「しかし貸主にはもう払うと伝えてしまったからな。話がこじれる前に終わらせたい(既にこじれてるけどね……)」


「出さんと言ったら出さん。それによく考えてもみろ。お前らアライバルの仕事には莫大な金がかかる。ダンジョン内の拠点確保や移動設備の開発。特に専用魔道具の製作には恐ろしい費用と時間がかかるだろ。世界はお前たち本物のアライバルを必要とし、今この瞬間もどこかでお前の登場を待ちわびてる。とすれば、その金はお前を望む者たちのために使われるべきじゃないのか。だからこそ俺たちは、お前らのしてきた非合法的な金品授受にも目を瞑ってきた。……よく聞け、その金は、俺ら庶民を含む平穏を求める弱者たちの期待の裏返しでもあるんだぞ、そのことを忘れないでくれ!」


 こりゃまいったねと頭を掻いたイチルは、いつからアライバルという職業が、公明正大で、それほど人々の尊敬を受けるものに成り果てたのかと首を振った。


「マティスはそう言うが、むしろ俺のようなやからは欲深いだけの悪人だと思われているさ。撤退や逃亡を理由に貴族や王族から金品を巻き上げ、自分だけ安全にダンジョン内を動き回っている。しかも核となるダンジョンの主に挑戦することなく、美味しいとこだけをむしり取っているとね」


 しかしマティスは、バシンとテーブルを叩いた。


「世間はまるでわかっちゃいない。俺は実際に、お前たちの仕事を長年この目で見続けてきた。冒険者にも様々な奴がいる。腕力に優れた者、魔力に優れた者、一撃に秀でた者など種類は様々だ。しかしその誰もが、目的の場所に到達できなければ力を発揮することすら叶わない。……だからこそお前らアライバルは、あらゆる手段を駆使し、力を温存させたまま、彼らを目的の地まで送り届けるんだ。誰よりも率先してダンジョンを開拓し、攻略までの道筋を最大限に高める努力を惜しまず、日々精励を繰り返す。中にはただの運び屋と馬鹿にした者もいるだろう、しかしそんな奴らには言わしておけばいい。お前たちアライバルは偉大だよ、俺の誇りだ」


「嬉しいこと言ってくれるが、そりゃ違うよ。しょせん俺たちはダンジョン攻略を諦めた運び屋の負け犬さ」


 言葉を付け足したイチルは、今すぐ金を頼むと依頼した。


「なぜそこまでその子に肩入れする。何よりそれだけの金を使ってしまえば、もうアライバルに戻れなくなるぞ。今は少しでも出費を抑え、次に繋げるフェーズのはずだろうが!」


「それはそれ、これはこれさ。俺が何に投資しようが俺の勝手だ。それに――」


 イチルは指を一つ立て、名残惜しさの欠片もなく言った。


「俺はもうアライバルには戻らない。この世界での俺は、生まれながらに《エターナルダンジョンのアライバル》だった。だからこそ、終焉とともにその使命も終えるのさ。そしてこれからがやっと俺の人生。止めてくれるなよ」


 ポンと肩を叩くが、マティスはイチルの腕を掴まえ、目に涙を浮かべながら「辞めるな、お前はまだ辞めちゃいけない」と、徹底して反論をやめなかった。


「悪いな、しかし勘違いはしてくれんなよ。俺がこれからしようとしていることは、未来への投資だ。わざわざドブに捨てようってわけじゃない。……俺はあの子に賭けたのさ」


 恐る恐る個室に入ってきた別の担当者が、「あのぅ」と二人に声を掛けた。

 運ばれてきた手付け金を勝手に受け取ったイチルは、金を一つにまとめながら、マティスに質問を投げかけた。


「マティスはさ、絶対に死ぬとわかっていても、強大な相手に立ち向かっていくことはできるかい?」


「無理だ。……俺には家族もいる。命は惜しいよ」


「ダンジョンにも色んな奴がいたよ。絶対の自信を滲ませる奴や、おどおどしている奴。金に目が眩んだ奴もいれば、何を考えているかわからない奴もいた。しかし、事『 死 』を前にした時に見せる反応は二つしかなかった。勇気と自信を振り絞り立ち向かうか、逃げるかのたった二つさ」


「望んで入ったんだ、全員が前者に決まってる。そうでなきゃ冒険者など成立しない」


「しかし実のところ、ほとんどは後者だった。俺はラストデザートに立った者に、必ずこう声を掛けていた。《その階段を降りれば、キミは五秒後に死ぬ》とね。ほとんどは怖気づいて、態度を急変させたよ」


「何が言いたいんだよ!」


 イチルは少し間を開け、初めて少しだけシリアスな表情をして言った。


「同調圧力もなく、つるまず、たった一人……。必ず死ぬとわかっていても、全ての力を尽くして前へ進むことができるってのは、もはや一つのだ。それが自殺志願でもなく、諦めでもなく、やけっぱちでもなく、ただ一つの希望を掴むためだったとしたら、……誰かが手を差し伸べてやらなきゃならない。そんな無謀な誰かの手を取り、導いてやるのが俺たちアライバルだろう?」


 金を受け取り礼を言ったイチルは、それをそのままマティスにボンと手渡した。

 その上で、細かい話はそっちで頼むと依頼した。


「ハァッ?! 自分でやるんじゃないのかよ!」

「俺は面倒事から逃げるのが仕事なんだ。じゃあ後は頼んだ!」


 待てと手を伸ばしたマティスの肩をポンポンと叩き、イチルは逃げるようにドス=エルドラドの換金所を後にした。


 ひとまず借金の件は方が付いた。

 しかしイチルは、これからどう進めて行くべきかを迷っていた。

 行動には先立つものが必要である。がなければ、人は動くことができない。当然、それはフレアも例外ではない。


 先の会話の中からは、『父親のダンジョンを守る』という明確な目的さえあれど、『ランドをどうしたい』という目標はまるでうかがえなかった。何よりもダンジョンはフレアの父親の理想でしかなく、フレアのそれではない。だからこそ、指針のない者はすぐに足を止めてしまいかねない。


 急ぎ足でラビーランドへと戻ったイチルは、さんざっぱら破壊された施設の全貌を一つ一つ細かに見て回った。すると最後に覗いた穴の底で、もぞもぞと作業しているフレアの姿を発見した。


「そんなところで何をしてる?」


「……別に」


「素っ気ないな。オーナー様が見にきてやったんだぞ。挨拶の一つもしろよ」


「うるさい。まだここが犬男のものじゃないことくらい、私も知ってるんだから!」


「確かに厳密には月末から俺のものだな。しかしそれが嫌ならさっさと金を返すことだ。できないのなら、愛想くらいは良くしてほしいものだ。……なんなら別を雇か?」


「うぐぐ、汚い犬の大人め」


「んなことはどーでもいい。ひとまずこれからについて決めておくことがある。小屋で待ってるからな、すぐ戻ってこい。すぐだぞ」


 数十分後、心底不服そうに戻ってきたフレアを座らせたイチルは、少しだけ真面目な顔をした。


「まず始めに言っておく。俺は金も出すし、口も出す。しかし運営に直接手を出すことはない。簡単に言うと、これからフレアは、俺の手を借りずこの施設を運営していくことになる」


 ポカーンとイチルの言葉を聞いていたフレアは、しばし頭の中で言葉を咀嚼そしゃくしてから、ホッと胸を撫で下ろした。しかしその安堵は間違っているとクク豆を弾いてフレアの額に当てたイチルは、最も重要な部分を指摘した。


「当然だがを敷く。父親が戻ってくるまで何事もなく誤魔化せると思ったかバカモン」


 ハッと現実に引き戻されたフレアは、イチルのペースに飲まれていたことに気付き、フンとそっぽを向いた。


「しかし俺も鬼じゃない。すぐ金を回収できるとは思っていない、が、それほど気が長い方でもない。ダラダラいつまでも事が進まないのだとしたら、即刻ここを取り潰して売り払う。嫌なら必死で動くこと。わかったな?」


 ムッとして横目で睨んでいるうちはまだ序の口。すぐにその余裕もなくなると、イチルは紙ペラ一枚をフレアの前に置いた。そしてこれから自分たちが進むべき道を示してみせろと命令した。


「これからダンジョンをどうしていくのか。フレアの理想を俺に示せ。お前がここをどうしたいのか。具体的に表現してみろ」


 暴力的な話でもされると想像していたのだろうか。フレアは困惑しながら、紙とペンを手に取った。

 しかし一向にペン先は動かなかった。

 五分、十分と時間だけが進み、イチルが嫌らしく「早くしろよ」と催促した。

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