第33話 モンスターへの転生
「ああ……魔王様。子種を授けてくださいまして、ありがとうございます」
「気にするな。俺と同化しているララーシャの願いでもある」
そう告げる男の声は、ライトのものだった。
「確かに、魔王様からはお姉さまの匂いとぬくもりを感じます。ふふっ。妙な気分ですね。それではこの子は、ある意味お姉さまと私の子ということになるのでしょうか」
そう答えるルルの声は弾んでいる。
「お前がそう思いたいなら、そういうことにしておけ」
「はい。きっと私たちはこの子を立派なエルフ王に育ててみせますわ」
その幸せそうな声を聴いて、いたたまれなくなった僕はドアを蹴破って部屋にはいる。
ベッドの上には、裸のルルとライトがいた。
「何をしているんだ」
「何って、見ればわかるでしょう。魔王様にお情けをもらったのですわ」
そう答えるルルの口調には、嘲りが感じられた。
「そ、そんな……君は僕の婚約者で……僕は君を愛していて……」
「何を言っているのやら。婚約などとっくに解消していますし、そもそも私はあなたを愛してなどいませんわ」
冷たく言い放つルルの拒絶に、僕の心が壊れていく。
「うう……うわああああああ!」
我を忘れてライトに殴り掛かるが、あっさりとかわされてしまう。
その時、学園のあちこちから叫び声が聞こえてきた。
「きゃあああああああ!」
「そ、その姿は!誰か、助けてくれ!」
その叫び声を聞いたライトは、ニヤリと笑った。
「くくく……始まったようだな。王子はお前に任せる。好きにしろ」
「かしこまりました」
ライトは窓から夜の闇に消えていく。親愛の表情で彼を見送るルルを見て、僕の心は絶望に沈んだ。
「なぜだ!なぜ君がライトと!」
「決まっているではありませんか」
ルルはからかうように笑う。
「エルフの将来のためを考えたら、魔王様に身を捧げるほうが為になるからです」
ルルの姿が変わっていく。白い肌が黒く染まり、背中から蝙蝠のような羽が生えてくる。
そして口元からは、二本の鋭い牙が生えてきた。
「そ、その姿は……」
「私は魔王様に魂を捧げ、『ヴァンパイア』という魔物に転生しました。これであなたとの縁もきれましたね」
バサバサと空を飛びながら絶縁を告げられる。しかし、僕は全力で首を振った。
「嫌だ。君だけは絶対に渡したくない}
「どこまでも愚かな王子ですね。私はもはやモンスターになったのですよ。それでもまだ愛しているとおっしゃるのですか?」
ルルの表情に哀れみが浮かぶが、僕は全力で頷いた。
「かまわない。僕は君を愛している」
そうだ。たとえモンスターに堕ちようが関係ない。僕の愛する人は、ルルただ一人だ。
僕の返答を聞いたルルは、ふふっと小悪魔のように笑った。
「では、私の僕となってくださいませ」
蠱惑的な笑みを浮かべながら、ルルの赤い唇が僕に近づいてくる。
「魔王様の復讐対象は人間そのものです。あなたが彼の復讐から逃れるためには、人間としての立場をすべて捨てなければなりません」
優しく僕の耳元でそうささやく。
「あなたが人間でなくなれば、私と結ばれることもできるでしょう。主従という強い絆で」
ルルの牙が僕の首筋に吸い込まれていく。僕は首元から入ってくる闇の力に、その身を委ねるのだった。
王子のベッドの脇で、私は目覚める。
「はっ?もう朝なの?」
王子の看病をしていて寝過ごしてしまったみたいだ。締め切ったカーテンは部屋を薄暗くしている
が、小鳥がチュンチュンと鳴いている声が聞こえる。
「コーリン、カーテンは開けないでくれ」
部屋を明るくしようと窓に駆け寄った私に、おだやかな声がかけられた。
振り返ると、輝くような笑みを浮かべた王子が立っている。
「王子、もう起きて大丈夫なのですか?」
「ああ。君のポーションはよく効いたよ。おかげで全快したみたいだ」
王子は右腕をブンブンと振り回してガッツポーズをとる。あれ?あの右腕はライトに切られたんじゃなかったかしら。
疑問に思っていると、いきなり王子に抱きすくめられた。
「お、王子?」
「ありがとう。君の薬のおかげで腕が生えてきたよ。さすがは『賢者』だ」
そ、そうか。私の気持ちをこめたポーションはそこまで効果を発揮したのね。
それにしても冷たい体。それにまだ顔色が悪いような。
「王子、無理をしてはだめです。お休みになってください」
「大丈夫だ。ああ……それにしても、君はなんていい匂いがするんだ。思うさま蹂躙したい」
そのまま王子は私にのしかかり、ベッドに押し倒した。
「お、王子?」
「今すぐ君を吸いたい。いいだろう?」
大胆なことを耳元でささやく王子に、思わず身をすくませたとき、厳しい声がかかった。
「ハウス!お下がりなさい!」
声をかけてきたのは、王子のメイドであるルルである。彼女はまるでご主人様のように王子を叱っていた。
「こ、これはすいません」
王子は叱られた子犬のように、私から離れていく。なんて無粋なメイドなんだろう。せっかく彼と結ばれる所だったのに。
「奴隷の分際ででしゃばらないで!あなたこそお下がりなさい」
「……これは申し訳ありませんでした」
ルルは余裕たっぷりな笑顔を浮かべて、部屋から出て行った。
「はあ……仕方ない。夜のパーティまで待つか」
王子は残念そうにつぶやく。
「夜のパーティ?そ、そうですね。この続きは今夜にでもじっくりと……」
今日の夜は大切な日になりそう。ちゃんと身を清めて準備しておかないとね。
「王子、朝食にいきましょう」
私は王子の手をとって、食堂に向かうのだった。
廊下に出ると、私は違和感をもつ。
なぜか魔法学園の窓がすべて閉じられていて、日の光が入らないようにされていた。
変ね。雨も降ってないのに雨戸まで閉められているなんて。
「薄暗いですね。メイドたちは何を怠けているのでしょうか。朝なのだから、窓を開けるべきなのに」
「僕が命令したんだ。窓を開けていると、魔王ライトにこちらの動きを探られてしまうだろう?」
そうか。考えてみれば今は戦争の真っただ中だったわね。王子も少しは指揮官としての自覚が出てきたのかしら。
私たちは学園内の食堂につく。奇妙なことに、やけに生徒たちが少なかった。
「みんな。どうしたのかしら」
「まだ寝ているのだろう。みんな疲れているみたいだしね」
王子はそういいながら席につく。なぜか漠然とした不安を感じながら、私もその隣に座った。
「お待たせしました。今日のメニューは赤マムシの刺し身にフェニックスの生卵です。トマトジュースを添えてご賞味ください」
なぜか顔色が悪いメイドたちが、珍妙な料理を運んできた。
真っ赤な毒々しいヘビがとぐろをまいて私をにらんでいて、叫び声をあげようになった。
「赤マムシって……あんた、馬鹿にしてんの?コックを呼んできなさい」
怒鳴りつけようとする私を、王子が宥める。
「まあまあ。これは今日の夜に備えた特別な料理なんだ。君の血を増やす……げふんげふん。じゃなくて、精力をつけてもらわないと」
「せ、精力ですか?」
王子にそう言われてしまい、私の頬が熱くなるのを感じる。
「わ、わかりました。それじゃ、頑張って食べます」
私は嫌悪感を抑えながら必死に食べる。食べ終えた後は、なぜか体が火照って鼻血が出そうになった。
「今日の授業は夜のパーティに備えてお休みだ。君にはぜひそのための準備をしてもらいたい」
「夜のパーティ?」
はて、そんなの予定にあったかしら。それに魔王ライトが攻めてきている以上、生徒たちを訓練して鍛え上げるべきじゃないかしら。
「うん。君の言う事はもっともだ。だが、貴族の生徒たちを戦いに駆り立てるために、あることが必要なんだ」
「あること?」
首をかしげる私に、王子は丁寧に説明してくれた。
「僕たちは協力して魔王に立ち向かわないといけない。そのためには今後も君に僕のパートナーになってもらわう必要がある」
「はい。私ができることならなんでも協力します」
忠誠を誓う私に、王子はかぶりを振った。
「だけど、騎士たちの態度をみただろう。君は公的には魔法学園のいち教師にすぎない。貴族の生徒たちに命令を下しても従わない可能性がある」
確かに。騎士たちは私に対して生意気な態度を取り、命令に従おうとしなかった。それも私には公的な地位がなかったせいだわ。
上下関係になれている騎士でもそうだったのだから、貴族の生徒たちに命令しても簡単には従わないだろう。
「だから夜のパーティで、君に僕のパートナーとしての立場を与えたい。具体的には、僕とケッコンして欲しいんだ」
「け、結婚ですか?」
王子の言葉に、私の心臓はドキッとなる。
「ああ、もちろん正式なものは王都ですることになるが、貴族の生徒たちに証人になってもらい、略式にケッコン式をあげれば父上も認めざるを得ないだろう」
ああ、やっと私の実力が認められたんだわ。これで私は王妃になって、この国を思うさま操れる。
有頂天になる私を、王子は物欲しそうな目でみつめていた。
「ケッコン式が終わったら、僕は君を離しはしない。ずっと一緒にいて、最後まで君の体を貪ってあげる」
「いやだ。王子のえっち。まだ朝ですわよ」
恥ずかしくなって、王子の体をポカポカと叩く。そんな私たちを、食堂のメイドや生徒たちは目をぎらつかせながら見ていた。
私は夜の結婚式を楽しみに待つ。
結婚式は学園の教会で行われることになり、その準備に生徒たちが駆り出されることになった。
「ほら、きびきび動きなさい」
「そこの飾りつけは黒のリボンでしょ。あと、十字架は逆さにして」
教会の窓が黒い布で覆われていき、ろうそくが大量に用意されていく。
そう命令しているのはなぜかエルフ奴隷であるメイドたちで、主人のはずの貴族の生徒たちは唯々諾々と従っていた。
「あんたたち、何様のつもり?」
見ていて不快になって怒鳴りつけようが、生徒たちから抑えられる。
「まあまあ。私たちは自分の手でコーリン様をお祝いしたいんです」
そ、そう?なかなか殊勝なことじゃない。
いい気分になった私は、黙って準備が進むのを見守る。教会は明るく神聖な雰囲気から、どんどんシックな暗い雰囲気へと変わっていった。
ま、まあ、ちょっと変わっているけど、これはこれで大人っぽくていいんじゃないかしら。
黒で統一された結婚式なんて珍しいしね。
そう思っていると、メイドたちに告げられる。
「コーリンさま。今夜のメインディッシュ……じゃなくて主役として特別なお風呂を用意しました」
そういって大浴場に連れていかれる。なぜか湯が真っ黒に染まっていた。
「なにこれ?」
「はい。闇湯というものです。この湯につかると体についている聖水成分が落ち……じゃなくて、油成分が含まれており、肌をつるつるにするのです」
そういえば、原油をつかったお風呂がどこかの地方にあるって聞いたことがあるわ。気が利いているじゃない。
私はおそるおそる入ってみる。体温より少し高めに温められていて、とても気持ち良かった。
「いいじゃない。気に入ったわ」
「どういたしまして。はあはあ……本当に美味しそう」
なぜかメイドたちが変な目で私を見ている。私の美貌は女をも魅了するのかしらね。
「それでは、ご用意ができたのでこちらへどうぞ」
メイドたちによって、真っ黒いウェディングドレスが着せられる。
私は高鳴る胸を押さえながら、結婚式の始まりを待つのだった。
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