風の精霊の愛し子は王子に見染められ人の心を知る

冬野月子

序章

序章

いつもは静かな森に、小さなざわめきが広がっていた。


『人間?』

『人間だね』

『男の子だよ』

『血の臭いがするよ』

『怪我をしているんだよ』

『死んじゃう?』

『死んじゃうかなあ』

『人間は弱いからね』


森の梢がさわさわと触れ合うように。

枝が小さく揺れる間から、いくつもの小さな光の玉が飛び出してきた。

くるくると回りながら光の玉が向かう先、大きな樹の幹の傍に一人の少年が倒れていた。


どこからか転げ落ちたのだろうか、身体中が土で汚れ、上等な服の所々が破れている。

手足や顔にある傷口は赤く滲み、小刻みに荒くつく呼吸から熱があるように思われた。



『どうする?』

『助ける?』

『どうやって?』

『私たちじゃ運べないね』

『出来ないね』

『放っておく?』


『…あれ、この子』

ふわり、と小さな光が一つ、少年のすぐ側に近づいた。


『この子は火の加護が付いているよ』

『火の加護?』

『そういえば髪が赤いね』

『加護付きじゃ助けないと』

『サラマンダーを呼ぶ?』

『私たちの声じゃ届かないよ』


ふわふわと光が少年の周りを飛び交う。


『どうしよう』

『どうしよう』



「……どうしたの?」

ふいに森の中から鈴を転がしたような声が響いた。


『アリア』

『アリアだ』

『ねえアリア、人間がいるの』


「人間?」


木々の間から一人の少女が現れた。

大きな藍色の瞳が小さな光たちが飛び交う先へと視線を移した。


「…どうして人間の子がこんな所にいるの?」


『わかんない』

『怪我してるの』

『死んじゃうの』


「死んじゃう?」

少女は少年の側に歩み寄った。

小さな白い手がそっと少年の額に触れる。


「熱がある…」


『助けてあげて』

『アリア、歌を歌って』

『歌ってアリア』


「…でもシルフに怒られちゃう」


小さな光たちが困った表情の少女の周りをくるくると回る。


『この子は火の加護が付いてるの』

『助けてあげようよ』

『サラマンダーを呼んであげて』


「火の加護?」

光の言葉に、少女は少年の顔をじっと見つめた。


怪我と熱で苦しそうに歪んだ顔の、額には大きな汗粒が浮かんでいる。


『死んじゃうよ』

『アリア、歌って』

『アリア』

『アリア』


覚悟を決めたように、少女は大きく息を吸った。





身体が熱かった。

どこなのか分からないほど、いくつもの強い痛みを感じる。


———確か馬車に乗っていたはずなのに。

おぼろな意識の中で思い出したのは、馬が嘶く声と激しい振動。

そして身体が回る感覚。


……僕は死ぬんだろうか。


そんな考えがよぎった瞬間、ふいに爽やかな風が吹き抜け———身体の痛みが和らいだ気がした。




鳥の声———?



風と思ったそれが、声だと気づいた。


身体の熱と痛みを洗い流すような、涼やかで美しい歌声。


力を振り絞り、少年はうっすらと目を開いた。




金色の光が歌っていた。


それは今まで見た事のないほどに美しい女性だった。


身体よりも長く伸びた金色の髪に、宝石のように輝く金色の瞳。

白い肌が淡い光を纏っている。

宙に向かって開かれた、艶やかに紅く染まった唇から紡がれる歌声は、どんな楽器よりも美しく優しい音色だった。



ああ…これは…精霊———?


心地好い歌声に身を委ねていると、ふいに視界一面に赤い光が広がり、少年の意識はそこで途切れた。

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