家で杖はつかない

雨宮まみさんの「40歳がくる!」(大和書房)を、買おうか買うまいか……正確に言えば手元に置くか置かないか、ずっと迷っている。


https://www.daiwashobo.co.jp/book/b10038837.html


雨宮さんが亡くなってから、彼女が書いたものは読み返せずにいる。本棚の一区画を占める著書の数々は、手放そうと思ったことはないが、ずっと動いていないままだ。


書店で見かける「40歳がくる!」を、何度手に取ったかしれない。本を開いては、未公開原稿の部分を読んで、また元の場所に戻す。本屋さん、本当にごめんなさい。本を家に迎える勇気が出ないのだ。


勢いと、老いへの覚悟から、「40歳がくる!」を拝借して気軽に「50歳がくる!」を始めてみたものの、本当に50歳を迎える前に、本物の「40歳がくる!」の中身の重たさを目の前にして、筆(キーボードを打つ手)が止まってしまう。そんなことを何度も繰り返している。


いっそのこと改題してしまって新しい気持ちで書くことも考え、ChatGPTやClaudeなどAIにすがって「50歳がくる!」に近いタイトルを聞いてみたものの、彼ら(彼女ら?)が学習している「50歳」にまつわるワーディングは恐ろしいほど残酷なまでに「老化」にフォーカスしていて、どうもしっくりこない。


そんな中でだらだらと検索をしていたら、「論語」でいう「知命」(天が自分に与えた使命を悟る)ではない異名を発見した。


▼ 家に杖つく (読み)いえにつえつく

https://kotobank.jp/word/%E5%AE%B6%E3%81%AB%E6%9D%96%E3%81%A4%E3%81%8F-430627


このページにある通り、かつては50歳になると家の中で杖をつくことを許されたことから来る言葉だそうだ。


平均寿命が今よりもずっと短く栄養状態もよくない時代であれば、50歳というのはもう歩くことに差し障りが出てくる年齢なのだ。全くぴんとこない。むしろ一般的には運動不足を解消すべくウォーキングやランニングを推奨されているくらいだろう。


「知命」と「家に杖つく」が人生100年時代の折り返し地点を指す言葉だなんて、思われもしなかった時代が確かにある。年齢観が確実に変わってきている。


「50歳がくる!」は、50歳の誕生日までは、なんとか続けてみようと思う。40歳を超えても意外と人生が面白かったように、きっと50歳を過ぎても面白いことは起きると思っている。

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