幕間 -とある平凡な村の一家-
「おかあさん、お体大丈夫?」
「ごほっ、ごほっ……大丈夫、よ……今日もお父さんが薬草を取りに行ってくれていますからね……」
「でも、全然良くなってない……」
「大丈夫。ごほっ、これから良くなるのよ。心配かけてごめんね。サーラ」
「ううん……」
アーゼルフの南には村があった。ちっぽけではあるが人の力の支配の及ぶ最前線であった。この村の先には広大な森林が広がっており、その深みに飲み込まれた人間は戻ってこない。そこには明確な意志を持ち魔力を持つに至った獣、すなわち魔獣が跋扈し、その深淵には邪悪な魔女が住んでいるという。かつては開拓の計画もあったが、先代の領主の死とともに頓挫し、それとともに村も衰退の一途を辿り始めている。
その村に生まれたのがサーラであった。母親譲りの亜麻色の短い髪に快活そうな幼い顔立ち。歳は10歳そこそこといったところだ。
父親は猟師をしており、母親は畑仕事に精を出す、のが日常であった。しかし、数日前から母親の咳が止まらなくなり、今では炊事場に立つことすらもできなくなっていた。危険を冒して森に入る父親の獲物も今では効くかもわからない薬草となっている。
サーラは母親のベッドの前に座り込み考える。このままではきっといけない。病気なら医者に見てもらって薬を飲まないといけないということは知識としてサーラは知っていた。そんなものは壁に囲まれた大きい街の中にしかなくて、村の中では手に入らないということも。
「おーい、今戻ったぞー」
聞き慣れた優しい声にサーラが頭を上げるとガタつく戸がゆっくりと開けられた。入ってきたのは長い鉄砲を担いだ体格のいい男だった。サーラの父親である。
「今日もたくさん取ってきた」
そう言う父の手には草が満載のカゴがあった。薬草だと言うけれど本当はどうなのか。サーラは疑問を抱かずにはいられなかった。少なくとも彼女の母親の具合は全然良くなっていないのだ。
「……おかえりなさい」
「ごほっ……おかえりなさい。怪我は……ない?」
「おいおい、大丈夫だって。自分の心配しろよ」
「そうね、ごめんなさい。でも……最近深いところまで入っているんでしょう? 森の奥には血色の瞳の魔女だっているだろうし……」
「なーに、出てきたら仕留めてやるさ。そうすれば医者だって呼べる」
魔女狩り、それがこの村に住むにとって最も現実的な大金の入手方法だった。一般的な人間の力を超える魔女たちは秩序を脅かす存在として、討伐した者に報奨金が出されている。森の奥に住む魔女の話は有名で、ここにいるものなら誰だって知っている。かつては賞金を狙った者が村を賑やかしたほどだった。無論、誰一人として成功することはなかったが。
「私、外で薬草すり潰してるから」
サーラは立ち上がると父親からカゴを受け取り、逃げるように家から出た。
草をそのまま食べさせるわけにもいかず、いつもはこれをすり潰して水に溶いたものを飲んでもらっている。それを作るのはサーラの役目だった。
彼女は魔女の話が嫌いだった。誰も彼もが魔女のことを悪く言う。そのことが理解できなかった。魔女は魔法が使える人。それは単純に凄い人だとサーラは思っていた。以前村を訪れた外国の商人からは馬の代わりに勝手に車輪が回る馬車の話を聞いたことがあった。それは魔法で動いて、今までの馬車より速くて遠くまで行けるのだという。それだけではなく他の国には他にも色々な便利なものがあって、それも魔法のおかげで作ることができるのだとか。それなのに、魔法を使えるというだけで皆が魔女を悪人と決めつけるのをサーラは理解できなかった。
血色の瞳の魔女、村の人たちが忌み嫌うように魔女を呼ぶのを何度もサーラは耳にしていたが彼女はその呼び名もたまらなく嫌だった。王女様のティアラには同じような真っ赤な宝石が付いているという。それと何が違うのか彼女にわからなかった。
「どうしてなんだろ……魔女様はいい人かもしれないのに。ううん、そうに決まってる」
だから、魔女様に会えればお母さんの病気なんてすぐに直してもらえるのに。こんな、効くかわからない薬草を使って、吐き気がするくらい不味いスープを作っている場合ではない。魔女様に会うのだ。森の奥、素敵な館に住んでいるに違いない。そこまでたどり着けば、きっとお母さんは治る。
そう希望を持ちかけたが、それもすぐに現実という壁に押しとどめられてしまう。目的地もわからないまま森を彷徨うことがどんなに無謀かサーラにはわかってしまっていた。どこまでも無限に続くようにも見える深い森は迷宮より迷いやすく、日の光もすぐに届かなくなってしまう。そして夜になれば人間は更に暗い獣の胃の中に収められるだろう。小さな子供の内に教えられることだ。
それにサーラにはまだ確信が無かった。かつて森の奥にいたというのが事実にしても、今もまだ魔女が住んでいるとは限らない。彼女にとって魔女とはまだ夢のような微かな希望でしかない。
サーラはまだ子供とはいえ、実在する獣の危険と幻のような魔女の救い、2つを比較してみれば足も動かなくなってしまう。
「私、ダメな子だ……」
結局、父親の取ってくる薬草の効用は信じられないが、かといって自分で何かできるわけでもない。その父親に対する裏切りのような感情と、それでも何もできない無力さがとても重い罪のような気がした。
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