自分だけを残業にしてくる女上司と同棲することになった
横糸圭
第1話 今日も今日とて残業
「阿賀くん、ちょっといいかしら」
定時の10分前。俺は上司に呼び出される。
「ここの文、変えてくれるかしら? これではダメね」
「ダメ、ですか……」
「……ダメ、というわけではないけど。とりあえずやり直してもらえるかしら」
「……はい」
今日も残業だな、と頭の中で諦めた。
入社して3年。俺が定時で帰れていたのは最初の3か月くらいではないだろうか。
「なんだ
「……なんだよ小林。お前も手伝ってくれるのか?」
「ああ、いや勘弁勘弁。俺はまーちゃんの手料理が待ってるもんでね」
俺に話しかけた男は、軽薄の
「お前もずいぶん好かれてるよなあ、あの人に」
「好かれてる? むしろ嫌われてるだろ。毎日毎日残業だぞ?」
「それが好かれてるって話なんだけどなぁ……」
「お前、彼女に言い残したことは?」
「殺すな。殺そうとするな童貞」
「殺す‼」
俺が小林の首を目がけて伸ばした手は、だがしかし簡単に
「じゃあお疲れ様でーす。じゃあな、寿彦」
「ああ、お疲れ」
小林に続いて他の同僚もぞくぞくと「お疲れ様です」といって帰っていく。
そして取り残されたのは俺と、上司の山口さんだけになった。
「…………」
シーンと静まる職場。ここにいるのは俺と山口さんだけ。そりゃ会話が弾むわけもない。
憎き上司のデスクをちらりと見る。
するとすごい勢いでキーボードを叩く上司が見えた。
耳にかかったショートヘア―。厚く塗られたピンク寄りの口紅。そしてどかーんと存在感が抜群のお胸。
美人だ。
しかも仕事も高いレベルでこなす。おかげでうちの課は社内でも大きな発言権を持っているし、彼女は30にも満たない若さで俺の上司になっている。
「……はぁ、気合を入れ直すか」
はっきり言って一緒に働いている上司が美人じゃなかったら、もうとっくの昔に帰ってるか退職している。
俺が理不尽な残業に耐えているのは上司が優秀で美人であることと、その美人が一緒に残ってくれているからに過ぎない。はい、俺はバカです。
「……どうしたの、阿賀くん?」
「いえ、なんでもないです」
バカなことばかり考えていたら山口さんに心配されてしまった。
うーん、やっぱり悪い人じゃなさそうなんだけどなぁ……いや、でも残業は許さん。
「どこか分からないところでもあるの?」
しかし山口さんはこちらにコツコツと歩いてくると、俺のパソコンの画面を見た。
うわっ、近っ‼
匂い、匂いがやばい。エロい。匂いがエロい。
デカい。目の前がデカい。メロンが2つもある。
「たとえば、こういうところだったら2つの魅力をそれぞれ押し出していくんじゃなくて、1つを大きく出すような文にするの。1ついい魅力があって、ついでにこんな魅力もありますよっていう流れが一番興味を惹かれるから……って阿賀くん、聞いてる?」
「キイテマス」
聞いてなかったぁぁあああ‼ あぶねえ、あとちょっとで目の前のデカブツに俺のあいつもデカブツになるところだった。
……なんて頭の悪い発想をしているんだ俺は。
「……とりあえず直してくれる? ここだけ直したら帰っていいから」
「はい、承知しました」
もう3年だ。3年も経ったのに、いまだにこうして近づかれると鼓動が早くなる。
これが童貞という職業がもつ固有スキルなのだろうか。そうだ、そうに違いない。
……そんなわけがあるものか‼ 俺だってやるときはやるんだ!
「じゃああとちょっと頑張ってね。ここで見ててあげるから」
――あの、先輩。頼むので自分のデスクに戻ってください。
はい、生意気言ってすんませんした。
そしてこの日が後で考えると最後の残業日だった。
俺が家に帰ると、俺の家が燃えていた。
社畜の俺に最初に訪れた発想は「明日の仕事に行けない」だった。
急いで山口さんに電話をかける。
「あ、課長ですか⁉ え、遅くにすみません、実はうちが火事になったみたいで…………いえ、自分は大丈夫なのですが……はい、それで明日の仕事は行けそうにもなくて」
一通り俺が起きていることを報告すると、山口さんは少し考える間をおいてからポツリと言った。
『じゃあ…………うちに来る?』
同棲生活の始まりだった。
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