第7話 先んじて水を治めよ

 「ここは基本に立ち返り、農業を発展させるべきかと」


 知識人、駒井高白斎の一言に私はハッとした。

これまで評議の中で議論されていたことは商業や鉱業など、

いかにして収入を増やすかということ。

 

 しかし、甲斐国の実態はというと気候や土壌に恵まれず

飢饉のときには食べるものも事欠く状態なのだ。


 (確かに食料供給が安定しなければ国は豊かにならない)


 居並ぶ重臣も私と同じようにハッとしたことだろう。


 「ですが、甲斐は平地が少なく土壌も悪い。

これ以上農業を発展させるのは・・・」


 甲斐国でも特に山地が多い郡内(現在の山梨県東部)の領主、

小山田信有は難色を示したが駒井高白斎は諦めない。


 「耕地を増やせないのなら、耕地の質を上げて収穫量を増やすべきかと」


 高白斎は自信満々に述べているが具体案が見えてこない。

重臣たちは高白斎を疑いの目で見始める。


 (あの老いぼれは具体案を持っておらぬな)


 そして、遂には板垣信方が発言の許可を得ると・・・


 「高白斎に問いたい。具体案を持っておられるのか」


 と高白斎に詰め寄る。

すると、高白斎爺は「それを考えるためにここへ集っているのです」と、

はぐらかす。


 やはり、方法は簡単に思いつくものではない。


 皆がここに座り始めて一刻(2時間)が過ぎた。

その多くが座り疲れている。

 そんな中、最後の扉をこじ開けたのは私の信頼する弟、武田信繁だったのだ。


 「古代中国の春秋時代から“水を治める者は国を治める”と

言われております。甲斐国では毎年のように洪水が発生し、

人家も田畑の作物も全てかっさらってしまいます。もし、これを治水によって

防げれば食料の安定供給を果たせるほか、人家への被害も防ぐことができると思いますが、いかがでしょうか」


 我が弟、信繁の説明が完璧だったのもあり、場内からは感嘆の声が上がった。


 「確かに、甲斐国には一番必要なことですな!」


 両職の甘利虎泰が賛同の声を上げると、続くように多くの重臣が賛同する。

後は私の最終決定を待つのみとなった。


 (治水が叶えばこれ以上良いものはない。だが、釜無・笛吹の両川を

制御するには相当な時間と労力がかかるぞ・・・)


 私は考える。

治水を甲斐国内の主要河川(釜無川・笛吹川など)に施すには

下手すれば一生かかるかもしれない。

 なぜなら、一か所だけに堤防を作っても他のところから溢れてしまう。

それを防ぐには河川全体を堤防で包み込む必要があるからだ。


 だが、ここまで来たら行くしかない。これが重臣の総意なのだから。


 (それでも最後に確認する必要があるな)


 私は居並ぶ重臣に問うことにした。一生をかける覚悟があるのかどうかを。


 「皆の者、この治水工事は大変だ。一生かかるかもしれない。

私は覚悟を決めた。皆にもその覚悟はあるか」


 私のこの言葉に皆が頷く。

では、やろうではないか。甲斐国を豊かにして見せようではないか。


 「よし、皆の覚悟はしかと伝わった。では、計画通り大規模治水工事に取り掛かる。甲斐を豊かにしてみせるのだ!」


 「オー!!」


 別にこれから戦場に行くわけではない。

だが、武田家は一つになった。

 これはある意味、水との戦いなのかもしれない。


 こうして、武田家の治水プロジェクトが始まったわけだが、

まずどこの場所から手を付けるか。


 これは当主である私に一任されることとなった。


 (父上、これが私の第一歩です)


 そんなことを想いながら、私もまた美しい富士の山を見つめるのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る