第115話 これは現実なんだろうか?

 



 ちゅんちゅんちゅん


 どこからともなく聞こえてくる、小鳥のさえずり。そんな優しい音に俺の意識は次第にハッキリとしていく。


 うーん、もう朝かぁ。

 まだ重たいまぶたをゆっくり開けていくと、そこに清々しい朝日が入り込んで寝ぼけた体を起こしてくれる。


「んー!」


 少し情けないような声を出しながら腕を伸ばし、上半身を起こしてみた所で、俺は異変に気付く。


 あれ? 妙に静かだな? 

 こんなに朝日が眩しいという事はそんな朝早いって訳じゃないと思う。しかもいつも朝練してる奴らにとってそれは起きる合図ではなく、練習開始の合図。だから寝てるってのも考えづらい。


 ゆっくり部屋を見渡してみると、やはり真ん中に敷かれている2組の布団はもぬけの殻。という事は……


 あいつらここに来てまで、マジで朝練行ったのか? バカだけどそういうスポーツに対するストイックさは感心するよ。でもまぁ……騒々しく起こされなかったのは最高だ。


 さてと、とりあえず今の時間は……5時半? 意外と早いな? 桐生院先輩は……まだ寝てるっぽいか? そいえば昨日6時に目覚ましセットしとくよって言ってたっけ?


 そんな訳で、時刻は5時半。

 素晴らしい目覚めのおかげで、眠気はほぼほぼ無くなってしまった。これじゃあ二度寝は無理だろう。それじゃあ何をするべきか? 景色を眺めてボーっとするのも良いけど、なんかもったいない気はする。朝、大自然、時間が余ってる。旅館……ときたら? 朝からリフレッシュも良いんじゃない?




 という訳で、1階に来ました。まぁ勘の良い方なら分かるかもしれないけどね? 昨日既に2回も入ってるんですが、よくよく考えたら朝の露天風呂って入った事ないんですよ? だったら堪能するべきでしょう。


 朝ご飯の匂いかな? 

 食欲を誘ういい匂いが廊下を漂う中、俺は大浴場の入口へと近付いて行く。

 さて? ここを曲がれば……って!


 それは驚きよりも、むしろ嬉しさの方が勝ったのかもしれない。何を隠そう、大浴場の入り口の前に居たのは……


「あっ! ツッキー」


 振りをした恋じゃない、本物の恋。


「れっ、恋? おはよう」

「おはよっ!」


 なんでここに? てか、やっぱ浴衣姿……最高だなっ! にしてもその手に持ってるお風呂道具らしき物と、ここに居るって事は……


「恋も朝風呂?」

「あっ、うん。そのつもりだったんだけど……」


 だった?


 そう言うと恋はゆっくりと下の方に向けて指を指す。その先を目で追っていくと、恋の言いたい事はすぐに理解できた。


「姫方の湯大浴場、掃除中か……」

「そうなの」


 こりゃタイミングが悪いとしか言いよう無いなぁ……


「へへっ、まっ仕方ないよね?」

「いやぁ、確かにそうだろうけど……」


 朝のお風呂ってサッパリすると思うぞ? 出来れば恋にも堪能して欲しいんだけどなぁ。あれ? しかももしこのタイミングで一緒にお風呂入ったら、露天風呂で話し出来たんじゃ? ……あぁ! なんてタイミングの悪さっ!


「ツッキーどしたの? どこか痛むの?」


 恋が心配する位、俺は悔しさを前面に出してたんだろう。それに気付き、なんとか誤魔化そうと思ってた時だった、


「あれ? 恋ちゃんに月城君? おはよう」


 後ろから聞こえてきた声が耳に入り、そのまま俺はそっちを振り返った。


「あっ、真白さん! おはようございます」


 そこに立っていたのは、真白さん。でも、今日はいつもと違う。昨日まで見せていた従業員の服装ではなく……半袖短パン。そのラフすぎる格好に、これから何をしようとしてるのかは何となく分かった。


「おはようございます」

「2人共朝早いねー。それで? もしかしてここに居るって事は……お風呂入りに来ちゃった?」

「えっと……はい」


 真白さんはこの状況を見てすぐに分かったんだろう。なんとも申し訳なさそうな顔をしながら俺達に話をする。まぁおそらくその掃除をするのが真白さんなんだろう。


「なんかごめんねぇ」

「いえいえ、全然大丈夫です」

「でも、折角なら朝風呂も堪能していって欲しいんだよね?」


 まぁそれには俺も同感です。……いやっ、下心とかないよ? いやちょっとはあるけどさ?


「私のタイミング悪かっただけですから……」

「でもなぁ、2人で露天風呂入りながらお話したかったんじゃない?」


「えっ!」

「へっ?」


 はっ! 真白さんどうしてそれを!? そうなんです、どうせなら2人で露天風呂入りながら話とかしたいんです……あっ、なに本音言ってんだよ。


「そっ、それは……」


 ん? 否定しない? もしかして恋も……?


「そうだなぁ……あっ、ちょっと待って?」


 そう言うと、真白さんは急ぎ足で姫方の湯の中へと入って行ってしまう。そんな真白さんを俺達はただ見てるだけ。

 待ってって……あっ、行っちゃった。なんだろう、何かいい案でもあるのかな? あっ、まさか一緒に掃除して、女湯の方を解放してくれてるとか?


「真白ちゃん行っちゃったぁ。なんか迷惑掛けてる気がするよぉ」

「そんな事ないだろ?」


「だって……それにツッキーもごめんね? なんか変に付き合わせちゃって」

「俺の事は良いんだよ。どうせなら一緒にサッパリしたいしね?」

「いっ、一緒に!?」


 ん? はっ! 違う違う! そういう一緒って意味じゃないよ? 混浴って意味じゃないよ? 朝風呂入ってお互いサッパリって意味で!


「あっ、そういう意味じゃぁ……」

「お待たせ―!」


 俺の必死な釈明も、勢いよく戻って来た真白さんによって見事にかき消される。


「まっ、真白さん? 私やっぱり……」

「あぁ、その事なんだけどね?」


 なんか俺誤解されたまんまなんですけど?


「2人共一緒に殿方の湯に入っちゃいなよ」


 ……ん? 今なんて? 殿方の湯へ? 一緒に? 2人で……


「えぇ?」

「えぇぇ!?」


「まっ、真白さん? 今なんて言ったんでしょうか?」

「ふっ、ふっ、2人で一緒に!?」


 聞き間違いじゃないよな? 確かに2人で殿方の湯って……


「ありゃ? やっぱり恥ずかしい? でもさ? 君達滅茶苦茶仲良いから有りなのかなぁって。それだったらお互いお風呂も堪能できるし?」


 はい確定。本気で言ってるんですか? ……いや。真白さんは至って正常な思考の持ち主のはず。からかってるとか、そういうのは考えにくいんだけど。真白さん?


「いっ、いや。それにしたって、もし仮に入ったとしても他に男の人入ってくる可能性もあるじゃないですか?」

「大丈夫だよ? 殿方の方にも清掃中のパネル置くから」


 えっ? そんな事して大丈夫なんですか?


「でも、それだと両方のお風呂に入れなくなりますけど……」

「そこも大丈夫。透也君に確認したし、OKも貰えたから」


 まっ、マジ? てかもしかして姫方の湯に行ったのって、透也さんに確認しに行ってくれてたんですか!?


「えっ? 透也さんってもしかして……」

「そだよ? 今姫方の湯の掃除中。今日は私と透也君が当番なんだよ」


 マジ? いや、嬉しいんですけど……なんでそこまで? っていやいや、大事なのは恋の返事じゃねぇかっ! 心なしかさっきから黙ってるし。


「なっ、なるほど! でっ、でも俺は良くても恋は嫌なんじゃぁ……」


 男と一緒に混浴なんて普通は嫌じゃないか? そりゃぁ恋との仲は……良いと思う。ぶっちゃけ俺は超絶ウェルカムなんですけど。


「そっかぁ、恋ちゃんどうかな? やっぱり恥ずかしいかな?」

「……わっ、私は……」


 ほらぁ、めっちゃ動揺してる。嫌がってる証拠じゃない? 真白さんの提案だから安易に断れないって状態だと思うんですけど。


「私は……」


 やっぱ、清掃中のパネル置いてもらって、恋だけ入ってもらう……


「私は……私も大丈夫です!」


 ……えぇぇ? マジで言ってんのか? 恋?


「なんだぁ。じゃあさっそく準備しましょ? 月城君も良いよね? じゃあ恋ちゃん行きましょ? 準備出来たら私出てくるから待っててね?」


 っておいー! 展開が早い! ちょっと、もはや殿方の湯の扉開けないで下さいっ!? ちょっ、恋? 本当に良いのか? バスタオル巻いてるとはいえ……色々見られるぞ?


「れっ、恋?」

「うん?」


「ほっ、本当に良いのか? 混浴だぞ?」

「……平気だよ? だって、ツッキーだもん」


 ツッキーだも……ん?


「はいはい、その続きは中でゆっくりね? それじゃあ月城君はちょっと待ってね?」


 そう言い残した真白さんと一緒に、恋も殿方の湯へと入っていく。

 いやいや、本当に良いのか? だって真顔じゃなかった? てかむしろ引きつってなかった?


 そんな俺の叫びは無情にも閉められた扉の前に弾かれてしまう。そしてその場に立ち尽くす俺は、何とも言えない心境の内に居た。




 ……待て待て。いや? 良いのよ、嬉しいのよ? てか超ラッキータイムじゃん? 去年はさ、恋の姿見れたけど湯気邪魔で距離も遠かったし? 昨日に至ってはその姿すら見れなかったし? けど、本当の恋の気持ちはどうなんだ? 明らかに真顔っぽかった。真白さんのご厚意を無下にできないって無理をしてる感じに見えるんだけど……


「お待たせ、月城君? 待たせてごめんね?」


 そんな中、笑顔全開で出てくる真白さん。今日に限って言えば、心情的に俺と真逆なんだよなぁ。


「いっ、いえ。でも本当に良いんですか?」

「良いの良いの」


「でもやっぱり恋は……」

「大丈夫」


 いやぁ、真白さんから見たらそうかもしれないけどさ?


「まぁ、月城君?」

「はっ、はい」

「ごゆっくりお楽しみ下さい?」


 何か意味ありげな、そんな事を呟くと、真白さんはそそくさと姫方の湯へと入っていく。

 楽しむ? 本当に楽しめるんだろうか? そんな雰囲気じゃない気がするんですけど……まぁ、折角のご厚意だし、行きますか?


 何とも言えない気持ちのまま、俺は扉に手を掛ける。多分恋は大浴場に居るだろうし、あんまり見ないようにすれば、幾分かはマシかな? よし、それでいこう。まぁ出来ればガッツリ……


 目の前が一気に明るくなる。朝日に照らされた脱衣室は、電気が付いている時よりも明るく、やけにハッキリと見えた。それも少なからず影響してると思う。それ位の衝撃が俺を襲ったんだから。


 それは、そこには居ないと思っていた人物。もはや大浴場に居ると思っていた人物。けど、その人は目の前に、脱衣室の真ん中で……こっちを? いや俺の方を見ていた。 


 なん……で? なんでそこに立ってるの?


 目が見開き、脳がその人物を何度も何度も認識しようとする。けど、どう見たって目の前に居るのは……恋だった。


 細く、色白な足。膝からバスタオルが巻かれてるけど上に行くにつれて、徐々にあらわになってくる。普段じゃ全然気付かない位の……魅力的な体のラインに、心臓の鼓動が激しくなるのは当然だった。その上からでも分かる大きさ、細い腕に鎖骨。


 それは、この上なく眩しくて……

 それは、まさしく心の中で……

 望んでたものなのかもしれない……

 だってさ? 俺、無意識の内に口に出してたんだよ……


「綺麗だ……」



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