23 ノコギリの名は

 翌日、マサキとネージュは二本目のノコギリをレーヴィルから受け取った。

 そして店舗スペースと居住スペースを分ける木の壁を作るために兎人族の森アントルメティエに訪れて竹のような茶色の木と睨めっこしていた。

 マサキは左手にノコギリを持っていて右手はネージュの左手と繋いでいる。そしてネージュの右手にもノコギリがある状態だ。

 手を離せと言いたくなる二人の状況だが二人は家の中以外では握った手を離すことができない体になっていた。

 もしも離してしまうと恐怖や不安などの負の感情が爆発してしまい平常心を保てなくなってしまうかもしれないのだ。


「記念すべき一本目の伐採なんだが、大事なことを忘れてた……」


「なんですか? 大事なことって?」


 伐採を目前として大事なこととはなんなのだろうか?

 不思議そうに小首を傾げるネージュはマサキの次に出される言葉に集中する。


「名前だよ。名前。俺たちが手に持ってるノコギリの名前を決めてなかった」


「そ、それが大事なことですか?」


「おう。そうだよ。めちゃくちゃ大事だろ。物には愛着。名前をつけてあげると本来の性能よりも発揮することだってあるんだぞ」


「そ、そういうものなんですか……」


 ネージュは呆れた様子で話を聞いていた。

 人間不信になる前のマサキは勤務していた居酒屋の調理器具に密かに名前を付けていたほどだ。


「包丁には武蔵。フライパンには弁慶。鍋には蕪村。レードルには芭蕉。って感じで名付けてたぞ。まあ偉人の名前を付けただけなんだけどな。あとは調理中に必殺技みたいな名前を心の中で叫んでたりとかもしたっけ。今では黒歴史級の思い出だけどな……」


「そ、そうなんですね。よくわかりませんが、私たちのノコギリの名前はどうするんですか?」


「俺は決まってるぞ。今回は偉人じゃない。かっこいい名前にした!」


 早くノコギリの名前を言いたいのだろうか。マサキの口元はニヤニヤとしている。


「なんですか?」


稲妻エクレア。稲妻って書いてエクレアって読むのよ。もちろんこっちの言葉じゃないけどな。どう? どう? かっこいいだろ。このギザギザが稲妻みたいに見えてピンと来たんだよね」


 宝物でも自慢しているかのような無邪気な笑顔でマサキは答えた。

 マサキのノコギリの名前を聞いたネージュは、確かにかっこいいと、一瞬だけ思った。その後すぐに自分のノコギリの名前を考え始める。


「エクレア……かっこいいですね。私のノコギリの名前はどうしましょう……」


 右手に持つノコギリをじーっと見ながら頭を悩ませるネージュ。


(かっこよくて可愛くてすごくて強そうな名前がいいですね。う〜ん。どうしましょう。こういうのってなんとかとうとか剣とかって最後に付けるのが普通ですよね。でもノコギリだからちょっと違いますよね。何かいい名前……とう……とぶ……とん……とんとん……ぴょん……ぴょんぴょん……)


「あ! マサキさん。決めました。私のノコギリの名前」


 口角を上げてニヤニヤとするネージュ。先ほどのマサキのようにノコギリの名前を早く言いたくてたまらないといった表情だ。


「お、なんか良さそうな名前思い付いたみたいだね。教えて教えて」


「私のノコギリの名前は『ぴょんぴょん丸』です! どうですか? どうですか? マサキさんとは違い可愛さとカッコよさそして強さが合わさった最高な名前だと思いませんか?」


 これ以上にない名前だと胸を弾ませて、繋いでいる手をぶんぶんと振り回すネージュ。

 マサキは手を振られるがまま。そしてあははと愛想笑いをした。


「ぴょんぴょん丸……ね。う、うん。いい名前だね……あはは」


「ですよねですよねですよね。いきなり思い浮かんだんですよ。ぴょんぴょん丸! うふふっ。ぴょんぴょん丸!」


 上機嫌なネージュは何度も自分のノコギリの名前を呼ぶ。愛着が湧きすぎてしまったのだ。

 そんなネージュを見ながらマサキは思考する。


(確か、兎人族の森ここにある偽物のニンジンの葉っぱの『そっくりニンジン』って三千年前の兎人族とじんぞくが考えたんだよな……ネーミングセンスが無いとは思ってたけどまさかここまで酷いとは……それに不動産の『ブラックハウジング』とか名前そのまんまだし、役所の『冒険者ギルド』とかその時の名残りで冒険者ギルドのままとか言ってたよな。そんでだ。道具屋に至っては『道具屋』。看板欠けて名前すら読めない状態だったぞ。兎人族ってネーミングセンス皆無なのか?)


 兎人族が付けるネーミングセンスの無さにマサキは先祖代々、遺伝子からのものかもしれないと思考した。

 遺伝子レベルの話になるとこれはもうどうしようもない事だ。


「いや、でもネージュとかレーヴィルとか名前に至ってはいい名前ばっかりだな。それに里とか森の名前もいい名前だよな。どっちなんだ? 極端なのか?」


 物につける名前は壊滅的でも兎人に付ける名前や里や森の名前は良い名前ばかりでマサキは困惑し始めた。

 兎人族の国キュイジーヌ兎人族の森アントルメティエ兎人族の里ガルドマンジェ兎人族の洞窟ロティスール。確かに『ぴょんぴょん丸』とは比べものにならないほどしっかりした名前である。


(この世界でも名前は親が付けるもんだよな。大切な我が子に名前をつけるときだけ思考が変わるのかもしれないな……里や森の名前も重要なものだから会議とかで名付けてるのかもしれない)


 自分なりに納得する答えを見つけて、うんうんと頷くマサキ。

 そんなマサキを不思議そうに見つめるネージュは自分のノコギリの名前『ぴょんぴょん丸』に感動しているのだと勘違いをした。


「まあいいや。さぁ、名前も付けたところで記念すべき一本目の伐採始めようか!」


「そうですね。私のぴょんぴょん丸の活躍見ててくださいね」


「お、おう……期待してるよ……そ、それじゃネージュがこの木を伐採してくれ。俺は倒れないように抑えとく」


「は、はい。わかりました」


 ネージュは『ぴょんぴょん丸』の切れ味を知りたくてうずうずしていた。

 それと同時に記念すべき一本目の木だ。緊張感もひしひしと伝わる。


 ネージュは片手でも持てる軽いノコギリを高さ三メートルほどの竹のような木の根元部分に刃を当てた。手を繋いでいる影響で少しだけ腰を低くしている体勢だ。

 マサキは木が倒れてきて下敷きにならないようにノコギリを持っている左手で木を抑えている。

 刃も斜めになっておりとても切りずらそうな体勢だが道具屋のレーヴィルが言っていた切れ味を信じるしかない。


「では切りますよ……ギーコーギーコーギーコー」


 ギコギコと言いながら木を伐採するネージュ。


「す、すごいです。パンを切るみたいでスッと切れますよ!」


 パンのように軽く切れる感覚にネージュは驚いていた。片手しか使えない状況。さらに切りずらい体勢。しかし、それを凌駕するほどのノコギリの切れ味。

 気持ちいい。もっと切りたい。そんな風に思ってしまうほどやみつきになる切れ味だった。


 そしてあっと言う間に高さ三メートルほどの竹のような木は倒れた。記念すべき一本目の伐採が無事に終わったのだ。


「き、気持ちいです。ぴょんぴょん丸……ここまでの切れ味でしたとは……」


「お、俺も! 俺も切りたい!」


 ネージュの気持ちよさそうにしている表情を見てマサキもノコギリを使いたいとうずうずし始めた。

 そして一番近くにあった竹のような茶色の木に移動してネージュと同じように根元にノコギリの刃を当てる。

 ネージュはマサキが木を抑えていたように抑えた。二本目を伐採する準備が整ったのだ。


 マサキの利き手は右手だ。右手はネージュの左手と繋がれている。男だからとはいえ利き手では無い左手でノコギリを切るのは大変だろう。しかしそんな思考はこのノコギリの前では無意味。

 丈夫な木もパンのようにスッと切れてしまうのだから。


「うぉ、マジだ。これは気持ちいい」


「ですよね。ですよね」


 ノコギリの気持ちよさを知ってしまった二人はお互いに目を合わせた。そして頷き動き出す。

 右や左など進行方向は言わない。しかしお互いがお互いどちらに進むのか口に出さなくてもわかっているようだ。

 まさに阿吽の呼吸。このまま二人は進行を妨げる竹のような茶色の木を次々に切り倒して行った。


 二人の姿は、百もの魔物を両の手で持つ剣を使い一太刀で斬り倒していく勇者のように見えた。

 そんな勇者様は運動不足のためか体力がない。八本ほど切り倒したあとでバテてしまった。


「はぁ……はぁ……少しはしゃぎすぎた。はぁ……疲れた……ふー」


「で、でも……はぁ……ここでバテて、よ、良かったですよ……はぁ……はぁ……」


「そう、だね……はぁ……」


 二人がバテて良かったと言っている理由は伐採した木を持ち帰る時間が原因だ。

 たくさん伐採して明日にでも持ち帰れば良いのだが兎人族の森アントルメティエではそうはいかない。

 神様の魔法の影響で森の中は毎日リセットされる。なので伐採しておいた木は一日経つとリセットされ消えてしまい元あった場所もしくは別の場所に生え変わる。

 三メートルほどの高さの木を持って帰るのは手を繋ぐ二人にとっては過酷。なので切りすぎても一日に持って帰れる量は限られているのだ。


「でも今日は、稲妻エクレアの切れ味を試したかったからこれでもう満足だ。残りの時間をたっぷり使って持って帰ろうか。さすがに森を出たらリセットってことはないよな?」


「それはさすがにないですね。ニンジンの収穫の時に一度家に帰ったことがあります。その後、再び兎人族の森アントルメティエに戻ってきたとき、抜いてあったそっくりニンジンはそのままでしたので」


「お、それは有力な情報。じゃあ安心して今日は運搬作業ができるわ」


 二人は腰に掛けてあるノコギリを入れる袋に刀を鞘に収めるかのようにノコギリを収めた。そして一本目に伐採した木の場所にまで戻り手を繋ぎながら二人で持ち上げて運んだ。


 手を繋がなければ行動できない不便な二人。しかし二人は手を繋ぐことに対して不便だとは一切思っていない。むしろ手を繋いでいるからこそここまでのことができているのだと思っているくらいだ。

 手を繋いでいなかったら二人は外を歩くことすらできない。だから横を一緒に歩くパートナーに依存し感謝している。


「当然だけどノコギリとは違って結構重いな。ネージュ大丈夫か?」


「うぅ……お、重いです。う、腕が折れちゃいますよ」


 ネージュの雪のように白く細長い腕では三メートルほどの木を持ち運ぶのは厳しい。本当に折れてしまいそうで怖い。

 なので八割ほどマサキが持ち二割をネージュが持つ作戦へと変えた。この割合ならネージュでも持てる。

 しかしマサキもマサキで筋力はない。ひょろひょろな青年だ。


「こ、根性。これくらいスープの入った寸胴とか二十合分の白米が入った炊飯ジャーと比べればマシだ」


 マサキはひょろひょろな体のせいで社畜時代に上司や先輩にパワハラを受けていたことを思い出す。

 二人で持ち運ぶものを一人で持ち運ばされる虐めのようなことを受けて笑い者にされていたことがあったのだ。

 その時と比べればどうってことない。むしろその時のことを思い出し、怒りが込み上がった。そしてその怒りは力へと変わっていったのは感謝に値するのかもしれない。


「俺たちの筋力じゃ二本持つのは無理だ。一本持つのがギリギリ。そんで引きずりながら持つしかない……」


「そうですね。持てなかったらどうしようかなって思ってました」


「そん時は物を運ぶ台車みたいなのをなんとかして手に入れるしかないよな……」


「それもそうですね。私たちの体力も考えて一日何本くらい運べそうですかね?」


「俺の予想だと五本……いや、四本が限界かも……」


 兎人族の森アントルメティエから自宅まで何度も休憩を挟みながら木を運ぶ二人。

 竹のような茶色の木を運ぶ際、引きずって運んでいる影響で地面に太めの一本線が入る。


 木を家に運び終えると再び兎人族の森アントルメティエへと向かう。それの繰り返し。それがこれから毎日のように続くのだ。


 マサキの予想通り一日で持ち運べた木の本数は四本だった。

 同時にマサキとネージュが一日に持ち運べる木の本数の限界は四本だとこの日知ったのだった。

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