◆5-3
「グ、が、糞ッ――」
突然の大寒波は、魔としても予想外だったのだろう。牢の壁が半分以上凍って砕け落ちるだけでなく、流動していた本体も凍り付き、動かなくなる。逆に牢の中にいるお陰で、ヤズロー達には被害が少なく済んだのだろう。
「冬の魔女まで、いるのかよ、面倒臭ぇ……!」
思わずぼやく魔の隙を、逃すヤズローではない。凍り付いた魔の片腕を掴み、具足に霜が降りていくのも覚悟の上で組み合う。そして、己に与えられた武器を解放する、新たな古代神紋語を叫んだ。
「――
「は――」
その瞬間、執事服をひき破いてヤズローの身体から、数多の銀槍が飛び出した。それはまるで鞭のようにしなり、回転を加えて、凍った魔の体を抉り、突き刺す。肋の骨が、魔を包み込んで、逆に檻に閉じ込めるかのように。
「そこまで、かよ……!」
「内臓を、蜘蛛に食われたついでにな」
元々、ヤズローの四肢は、旧王都の魔操師に作らせた特別製だ。魔操師らしい偏執的なその女は、ヤズローの体に足りないところが出る度に、武装へと換装していった。結果、もう彼の体の半分は、血も通わぬが自在に動く武器そのもの。彼自身も望んだからこそ、振るう事に躊躇いも無い。
凍り付いた水銀の体へぎちぎちと絡みつき、食い荒らした銀槍は、魔の体を完全に拘束した。その槍は全て、ヤズローの皮膚を突き破って飛び出している。痛みは勿論あるし、滴る血も少なくないが、腕を緩めることもしない。
「く、そが、間違いなくあの蜘蛛女に締め上げられるじゃねぇか……!」
だが、魔は滅びない。凍った所は確かに砕け散ったが、壁や床の水銀がみしみしと蠢き、足りない分を埋めて、元の形を取ろうとする。やはり肉体を砕いただけでは、魔の息の根を止めることは出来ないのだ。
「ならせめて、お前を一緒に持っていくか!」
そう言いながら、魔は苛立たし気に、崩れかけた片腕でヤズローの頭を鷲掴んだ。ぎちりと凍ったままの腕が顔を傷つけるが、それで逆にこの魔にも余裕が無くなったことが知れた。魔の魂が揺らいだ――即ち、今が好機。
「俺の代わりに精々、あの女の慰み物になってやれよ……!」
苛立ちと共に、己の腕でヤズローの頭を握り潰さんばかりに掴んでくる魔に、低い声で一層冷静に返した。
「貴様に、シアン・ドゥ・シャッス男爵家の家訓を教えてやる」
「はあ?」
「自分に出来ないことは、人に頼れ、だ」
両腕は凍り付き、ぼろぼろの身体で、顔まで拘束されたまま、ヤズローはべろりと呪いの紋が刻まれた舌を出す。嘲るためではない――その上に乗っている、小さな銀蜘蛛を見せる為だ。
「――先生、お願いいたします」
そして、その蜘蛛から伸びる糸の先に居る者に、合図を伝える為だ。
×××
雪の積もった道を必死に歩きながら、神官ウィルトンは己が奉じる神へと祈りを捧げた。
「神は神に。竜は竜に。魔は魔に。人は人に」
白い息が、夜闇に散る。寒さだけでなく震える喉を叱咤して、祝詞を捧げる。人の世界に交じり合おうとする魔の誘惑を排する、秩序神からの縛鎖を望むために。
「無知蒙昧なる我等を導く、しるべと灯を分け与え給え。惑いを払い、己を律す為、我等を守りたまえ」
八柱の神の中、随一の厳しき神、秩序神タムリィ。愚かで哀れな只人に、世界を形作る為の法と秩序を与えしもの。それは厳格であるが故、一瞬でも神への敬意を失えば、裁かれるのは神官の方だ。言葉を誤るのが恐ろしくて、いつもいつも、吃ってしまう。
「――今ひとたび、かの方の声をお伝えする、傲慢を赦し給え」
だが、今は畏れに身を竦めるわけにはいかない。自分の浅慮と未熟により、うら若き生徒達が、自分が守るべき相手が、命の危機に晒されているのだから!
銀色の蜘蛛を通じて、男爵令嬢の従者から伝えられた危機。慌てて街の神殿を飛び出してきたが、とても現場までは間に合わないと踏み、この手段に相成った。使い魔の口を通じて祈りを届けるなど初の経験だが、やるしかない。
掌に載せた小さな蜘蛛を見つめ、ウィルトンははっきりと叫んだ。
「秩序神タムリィの名に於いて! 水銀の魔よ、体と、言葉と、魂を禁ずる!!」
×××
その場に響いた祝詞と共に、魔の檻の壁が、天井が、ぴしりと罅割れた。
凍り付いた水銀の隙間から差し込んでくる光――否、光で象られた剣。幾本もの刃が、何の勢いも慈悲も無く、音もなく――牢全体と、魔の本体を、針鼠のように貫いた。
「ッ、ガぁ――!!?」
それは秩序神による、魔の存在否定の奇跡。強力ではあるが、それを顕現できるか否かは神官の裁量にかかっている。今のウィルトンの力では、とても真魔そのものを滅するまではいかない筈だった。しかし今、完全に心の隙を突かれた魔は、逃げるようにその身をよろけさせ、そのこと自体が屈辱であると言うように顔を歪めた。
そして光の剣により、魔の構築する水銀に皹が入っていき、氷竜の息吹から立ち直りかけていた壁を縫い留め、砕いていく。山羊目の魔の牢は、完全に崩壊を始めた。
「神官まで、来たのかよ……!」
悪罵を放つ相手の体に蹴りを入れて、ヤズローが身を離す。体から飛び出した銀槍はずるずると戻っていき、痛みを訴える体に息を吐きながら、言葉を続けた。
「さぁ、如何する? 耳の速い蜘蛛はすぐ、お前のところへ行くだろうな?」
「冗談じゃねぇ、あの女の恨みを買って堪るか……!」
これ以上この場にいる利は無いと悟った魔の身体は崩れ落ち、床の隙間へと吸い込まれていく。壁面を覆っていた鈍色の水もどんどん溶けて、何処かへ流れて――気づいた時には、冷え切った廊下に全員が立っていた。
魔の牢は完全に消え、どうやって逃げ果せたのかと思ったが――廊下の天井に備え付けてあったはずの結界の要石、白水晶がばらばらになって廊下に落ちていた。魔が暴れ、更に先刻の大寒波が止めになったのだろう。
「――どうやら、追い払えたようね。はあ……!」
漸く拘束から解放されて、魔の気配が完全になくなったと判断したラヴィリエが、ぺたんと冷たい床に腰を下ろした。彼女自身、魔に隙を見せぬようずっと気を張っていたのだ。素早く駆け寄った傷だらけの従者に、少し眉を下げて労いの言葉をかける。
「お嬢様!」
「どうなるかと思ったわ、ありがとうヤズロー」
「はい、いいえ、お嬢様。遅参、誠に申し訳ございません。お嬢様に傷を負わせてしまった処分は如何様にも――」
「それよりも先に手当てを! 紫花、貴女もですわ!」
「ガニーだって真っ青じゃないカ、無理すんなヨ……痛てテ、流石慈悲なき氷竜様だネ……」
グラナートが叱責しつつ気力だけで立ち上がろうとするが、彼女の顔色も青白いを通り越して土気色だ。紫花は意識だけでも取り戻したようだが、右半身に霜が降りたように真っ白になっており、こちらも動けないらしい。
「私は大したこと無いわ、紫花の方が重傷よ。ヤズローも、疲れているところ申し訳ないけれど、急いでウィルトン先生を連れてきてくれる?」
「今学院内に入られたようです、すぐにお連れ致します。暫しお待ちを」
主の命令を聞くため、ヤズローは躊躇わず廊下の鎧戸を蹴り開け、雪が降る外に飛び出していった。恐らくこの窓から、ウィルトンを担ぎ上げて帰って来るに違いない。
置いていかれた三人は、揃って床に蹲り、まずは息を整える。あの水銀はただでさえ瘴気を発していたのだ、開け放たれた窓から届く冷たい空気が、逆に有難い。
「少しだけ、お待ちなさいな。運ぶための従者を、呼びますから……」
「あらまあ、ありがとうグラニィ。でも無理をしては駄目よ? 私は自力で歩けるもの」
「一番瘴気を吸ったのは貴女でしょう、痩せ我慢をするんじゃありませんの」
「ガニーにだけは言われたくないよナ……。アー、寒いヨォ。何か眠たくなってきタ」
「お待ちなさい! その眠りは死女神様の招きです! 瞼を開けなさいな!」
「三人でくっつきましょう! 少しでも寒さをしのぐのよ!」
ずりずりと床を膝で這いずる、とても貴族の子女達の動きとは思えない有様だったが。それでも三人揃って、動けない紫花を挟んで床に寝転がり、互いのぬくもりに息を吐けば――漸く艱難を乗り越えたのだという自覚と安堵が出来て、誰からともなく、自然と唇を綻ばせたのだった。
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