56話 白い世界(中編)

扉を開いたままのラスに促され、クオンが遠慮がちに小屋に入る。

狭い小屋の中には、横たわった久居と、その枕元に菰野が座っていた。

見知らぬ少年の姿に、クオンは足を止める。


「さっさと入れよ」

ラスに後ろから言われ、クオンがびくりと肩を揺らした。

「言い方」

サラが、いつもの半眼を鋭く細め、ラスを睨んで文句を言う。


クオンは、先日城で大暴れしていた鬼の気配が無い事にホッとしつつも、久居の側にいる少年に何と言って近寄れば良いものか迷っていた。


不意に、小屋の外に気配が増える。

クオンとサラが振り返れば、白い半袖シャツの袖を肩まで捲り上げ、所々擦り切れのある頑丈そうなズボンを履いた、ラフな格好の一本角の男が小屋へとズンズン歩いてくる。

「お前らこんなとこで何してんだ?」

筋骨隆々としたクザンの存在感に思わず後退るクオン。

サラは、父を守るように警戒姿勢をとった。

「おいおい、揉めてる場合じゃねぇって、お前久居の父親なんだろ?」

クオンとそう変わらない背丈の鬼は、サラを気にもしない様子で、ガシッと力強くクオンの肩を掴むと、サラを間に挟んだままグイグイ押して久居の横まで連れて行く。

「力を分けてやってくれよ。もう死にそうなんだ」

その言葉に、クオンの戸惑い揺れて彷徨う瞳が、久居だけを映した。

クザンが肩を上から押せば、クオンはそのまま久居の傍に膝を付き、両手をかざす。

久居には、もうほとんど何も残っていなかった。

肉体的な損傷はないためか、一見眠っているだけのようにも見えるが、息は浅く、数も少ない。

いつ止まってしまっても、おかしくない状態だった。


クオンはかざした手をそのまま久居の上に下ろそうとして……掛け布団が邪魔になったのか、ちらと布団の端に視線をやる。

途端、察した菰野が横から布団を剥いだ。

「ぁ……」

お礼を言おうとしたのか、クオンがおずおずと菰野を見る。

「お気になさらず、どうぞ続けてください」

菰野にふわりと微笑まれて、なぜかクオンは心の奥がじんわり温かくなった。

久居の胸に置かれたクオンの両手から、久居へと力が注ぎ込まれる。

しばらく全員が黙ってそれを見ていた。

菰野には力の流れを見ることは出来なかったが、皆の様子から、そこで何かが行われている事は理解できた。


そこへ、少し遅れてリルと空竜が帰ってくる。

開かれた扉からは「ただいまぁ。久居は……?」と、幼いながらに疲れの滲んだ声。

それを合図に、久居を見ていたそれぞれはバラバラに動き出した。


クザンが菰野の肩にポンと手を置く。

「お前もちょっとは休んどけ。今なら大丈夫だ。よく頑張ったな」

「……はい。ありがとうございます」

言われて、菰野が安堵の表情を見せる。

「悪ぃが安心するのはまだ早いぞ? 久居の親父が力尽きたら、またお前の出番だからな、今のうちに食べて寝とけ」

「はい」


クオンが、何か問いたげにそんな二人の方を見るが、顔までは見上げ切れないのか、二人の手元あたりで視線を彷徨わせている。


菰野がそれに気付いて、クザンに小さく尋ねた。

「彼と話をしても……?」

「ああ。大丈夫だろ。会話程度ならそんな心配いらねぇよ」

菰野はクザンに教えをいただいた礼を伝え、一礼してクオンに向き直った。

その背にクザンが「お前も休めよ」と声をかけて、部屋の隅に移動する。

そこへ、後ろから久居を覗いていたリルがちょこちょこと駆け寄った。

「おとーさんっ」

「おう、おかえり」

「ただいまーじゃなくて、久居は大丈夫なの?」

「あー……今んとこはな。抜けてく分より、注がれてる分が多けりゃいいんだがな……」

「そっか……」

クザンは壁に背を預けると、腕組みをして目を閉じた。

「おとーさん寝るの?」

「ん。今のうちに寝とかねぇとな」

「ふーん。ボクに出来る事ってない?」

「そうだなぁ……お前もよく食べて寝ろ」

クザンは少しだけ考えるような素振りをしてから言った。

「……はーい」

少ししょんぼりと答えたリルの頭を、クザンの大きな手がわしわしと撫でる。

髪はぐちゃぐちゃになってしまうものの、父の手の平に包まれるこの感じが、リルは嫌いではなかった。

「えへへ……」

「やっぱ、子供ってのは、親からすりゃいくつになっても可愛く見えんだろうなぁ……」

「?」

「いや、お前はまだまだ、誰から見たって可愛いよ」

檜皮色の瞳が優しく細められる。

リルは、また小さく照れ笑いを零した。


ぐうぅ。とリルは小さくお腹を鳴らして「お腹空いちゃった」と零す。

久居が無事だと聞いてホッとしたら、途端にお腹がぺこぺこだった事に気付いてしまった。

「調理場にリリーが鍋置いてってるから、食っとけ」

「はーい」

と答えて小屋を後にしながらも、リルは、ぼさぼさにされてしまった頭を久居に整えてもらえない事や、食事の支度を久居にして貰えない事が、酷く寂しく思えていた。

くしゃくしゃの頭を自分で撫でながら、ひんやりと冷たい夜の空気の中で、同じく冷え切ってしまった鍋を手に取る。

(久居……、早く元気になってね……)

月明かりを見上げて、リルは心から祈った。


小屋では、菰野がクオンに挨拶をしていた。

「申し遅れました。私は菰野と申します。久居には幼い頃から随分と世話になっております」

「あ、う、え……。こ、こちら、こそ……??」

クオンがあわあわと、冷や汗でいっぱいになりながら答える。


会話程度は大丈夫だと言う事だったが、まさか挨拶ひとつでここまで困らせてしまうとは菰野も思わなかったし、おそらくクザンもそうだろう。


菰野は、集中を削いでしまわぬよう、一度会話を切り上げるべきかとも思ったが、クオンは辿々しくも言葉を紡いできた。

「あ、あの……、久居の、傍にいて下さって……、ありがとうございます……」

言われた菰野が、今度は大輪の花を背負って優雅に微笑んだ。

「いえ、久居がそばに居てくれて、助けられたのは私の方です」

「そ………………、そう、ですか……」

クオンが、なぜか頬を染めて俯いた。


ドキドキする心臓の音を聞き取ったリルが、鍋を手にしたまま小屋へ戻ってくる。

何か、久居に変化があったのかと心配したのだが、クオンと菰野を見て納得する。

菰野の、皇子力のようなものは凄いと、リルも常々感じていた。

(コモノサマににっこりされると、ドキってするよねー。ドキドキするんだけど、なんか、なんでも許される感じっていうか、すっごく安心するやつ。ボク好きだなー……)

などと思いつつ、小屋の空いている場所に座り込むと、鍋を膝の上に乗せて蓋を開ける。

のろのろとスプーンを構えると、

「……お前、それそのまま食う気じゃないだろうな」

とリルの後ろからラスが低く言った。

「お、お外が寒かったから、中で食べようかなと思って……」

思わず場違いな言い訳をしてみるリルだが、その手には小分けにするための皿を持っていない。

「皆の分入ってんだろ、汚ねぇ食い方すんじゃねぇよ」

「う……。はーい……」


鍋には、リリーの作ったらしいシチューのようなものが、まだたっぷり入っていた。

リルは、鍋を温め直す事も、取り分けるのも、そのどちらもが面倒で、そのまま食べようとしていた。

久居がいれば、そういった事は全部お任せ出来たのだが……。


「寄越せよ」

ラスはリルから鍋を奪い取ると、そのまま出て行った。


「……ボクのご飯……」

リルは、シチューの匂いで既にやる気満々になってしまっていたお腹が、悲しげな音を立てるのを、そっと撫でて慰めた。


久居の方を見れば、菰野がクザンと久居の関係についてクオンに説明していた。

コクコクと頷きながら聞いているクオンを、その横からサラがじっと見ている。


「あ、サラもお腹空いてない? 一緒に食べる?」

リルの言葉に、菰野が「僕も一緒にいいかい?」と尋ねた。

「うん! みんなで食べようねっ」

リルがニコッと笑う。

皆の分の食器も持ってくるべきだったなぁと、リルがこっそり反省しながら立ち上がる。

そこへ、ラスが鍋と人数分の器とスプーンを抱えて帰ってきた。

「飯がまだのやつは、食っとけよ」

と独り言のように呟いて、小屋の隅の小さな机に盆ごと置いて行く。


リルが「お腹ペコペコー」と鍋に手を伸ばすと「熱いぞ、気を付けろよ」とぶっきらぼうにラスが言った。

一度は反対の壁際に戻ったラスだったが、リルがもたもたと器に注ごうとしているのを見ていられなくなったのか、

「ああもう、こぼれてんじゃねーか、貸せよ」とお玉を奪い取る。

サラが半眼のままボソリと「口煩い」とラスに聞こえる音量で言った。


菰野は、そんなやり取りを温かく見守っている。

いつから寝ていないのか、菰野の目の下には、くっきりとクマが浮かんでいたが、彼はただ穏やかに座っていた。


「ほら、熱いぞ」

ずいっと目の前に器を差し出され、リルは「ありがとー」と受け取る。

そして、リルは思った。

(この赤い人、名前なんだったっけ……)

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