54話 仕掛け(4/4)

翌朝、久居は目を覚まさなかった。


クザンは、久居に翳していた手をグッと握ると、そのまま床を殴り付けた。

「くそっ!! 俺だって居ただろ!? 一人で無茶ばっかすんじゃねぇよ!!」


殴られた床板は、派手に割れて砕けた。

隣で見ていた菰野が黙ってそれを避ける。


部屋の端では、壁に背を預けていたラスが

「すぐ物に当たんのやめろよな、大人気ない」と呟いた。


リルはまだ帰っていない。

つまり、ヒバナもまだだった。


「久居……」

菰野の口から僅かに零れた声に、クザンが振り返る。


「あ゛ー……つまり、だな」

クザンがバリバリと頭を掻きながら、言葉を選びつつ、菰野に向き直る。

菰野はサッとその場に座した。

「こいつは、何かをこっそり仕掛けてたらしい。それが何で、どんな仕掛けかまでは分かんねぇが、おおかたあの天使のためにやったんだろうよ。とすれば、おそらく仕掛けは今頃天界だ」

クザンの前でピンと背筋を伸ばし正座をしている菰野が、真剣な顔で頷く。

「俺達が天界にすぐ行こうっつーのは、まず無理だ」

クザンが眉間のシワをさらに深くする。


菰野はここで、この話の終わりを察した。

叫び出したい衝動をぐっと堪えたのか、菰野が息を止めたのに、ラスは気付いた。


クザンは、背後の久居を親指で指し、その顔を眺めながら続ける。

「こいつは今も、その仕掛けに、どんどん力を持ってかれてる。こいつが先にそれを切りゃよかったんだが、見ての通り、こいつはもう意識を取り戻せない状態まで力を失ってる」

クザンが菰野に視線を戻す。

菰野は「はい」と、その先を聞く覚悟がある旨の相槌を打った。


「もう後は……、その仕掛けが止まるのが先か、こいつが力尽きて死ぬのが先かっつー話だ」

ため息混じりにクザンが告げる。

「……分かりました」

菰野が、ひとつ瞬きをして、両手を床に付き深く頭を下げる。

「ご教授いただき、感謝します」


ラスは黙って部屋を出た。

クザンも、いつまでも頭を上げる気配のない菰野の頭をぐしゃぐしゃと撫でると「出来る限りの事はする」と伝えて立ち上がる。


「私に、できる事はあるでしょうか」

背にかかった声に、クザンは足を止め振り返る。

そこには、栗色の瞳を不安に染め、縋り付くような眼差しの菰野が居た。


菰野は普段、クザンに対して、歳に似合わず落ち着いた姿を見せていた。

しかし、今の菰野はいつもと違った。

まるで捨てられた子犬のようだと、クザンは思う。

(こんな顔、久居が見たら飛んで帰って来んじゃねーか?)

クザンは菰野の前にしゃがみ込むと、ぐしゃぐしゃとその柔らかな栗色の髪をかき混ぜて、人懐こい笑顔を見せる。

「そばで声をかけてやれ。久居が諦めたら終わりだ。

 お前が一番、久居を引っ張れるだろ?」

クザンに言われて、菰野は背を伸ばすと「はい!」と力を込めて答えた。


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「どこ行く気だ?」

小屋を出てきたクザンに声をかけられて、膝まで地に潜ったラスは、顔だけで振り返った。


「……関係ねーだろ」

半眼で答えるラスに、クザンが「早く帰って来いよ」と苦笑しながら言う。

「俺にとっちゃ向こうが家なんだよっ」

と、拗ねたように吠えるラスが「期待すんなよな」と言い残して地に消える。


残されたクザンは一人、空を仰ぐ。

(あと、俺にできる事はなんだろうな……)

クザンの内にはまだ苛立ちと疑問が残っている。

あの時、俺にまだ力が残っていたら、久居は相談してくれただろうか。

何でも一人で抱え込む奴だからな。

それでも、何も言わなかったかも知んねーな……。


それ以前に、そんなことを相談している時間その物が無かったのだろう。


だとしても、戻ってから言ってくれればよかったのに。

そしたら昨日は一日体を休ませておくなり、備えられる事がまだあったはずだ。

自分の手が空いているうちに、と、ラスと一緒に久居に厳しく稽古をつけてやった事が、今更悔やまれる。


はぁ。とクザンはため息を吐いて、頭を振った。

こんなこと考えててもしゃーねーな。


親父に頼れるほどの時間は無さそうだ。

火端なら何かいい案を出せるかも知れねーが、今不用意に呼んじまうと、リルを置いて来かねない。


「……じーさんとカロッサでも探してみるか」

クザンは呟くと、地中に潜った。


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大神殿の大広間には、大きな結界が張られていた。

暑さを避けるためのものらしく、外は息をするのも辛いほどの温度だったが、結界内はずっと涼しく感じられた。

それでも、じっとしているだけで汗が止まらない。


レイは結界の端の方、荷物の積まれている側に荷物と同じように座って、中央に集まった研究者達が、ああだこうだと対策を練っている……というか責任を擦り付け合っているのを、憔悴しきった顔で眺めていた。

これからの事を考えようにも、もうレイの頭は疲れ切っていた。

心と身体への疲労が積み重なり、座り込んだ体は鉛のように重く感じる。


苛々と怒鳴り合う研究者達の中心に、義兄の姿はあった。

聞こえてくる会話から、どうやらこの暑さは、回収した四環の『陽』が放っている熱が原因らしいと分かる。

レイにとって『陽』は、久居が器用に料理や空調に使っていた、そんなイメージしかなかった。

しかし、地下から何重もの結界を重ねた上で、この広すぎる大神殿を包み込んでもなお広がり続けている熱というのは、やはり神器と言われるだけの物なのだと思う。


(確かに、あの久居でも、調節が難しいって言ってたな……)

レイは、久居の姿をぼんやり思い浮かべながら、汗をかいてぐっしょりと濡れた髪が肩に張り付くのを払う。

(ああ、二人のように一つに纏めてしまえばスッキリするかも知れないな……)

レイはすっかり見慣れていたリルと久居の後ろ姿を思い浮かべながら、ゴソゴソと道具入れから紐を取り出し、髪を束ねようとした。


ピリッと、首の後ろに張り付いていた何かが剥がれるような感触がして、レイは手を止める。

それは、小さく小さく書かれた、レイに宛てられた手紙だった。

髪の上から皮膚に貼られていたそれは、さらに術で認識しにくくされていた。


差出人の名はなかったが、レイにも気付かれずにこんな事が出来るのは、レイの知る限り一人しかいなかった。


(……久居……?)


レイは、早鐘を打とうとする心臓を、深い呼吸で必死に静める。

じわりと汗のにじむ掌の中、小さな紙切れをもう一度眺めて、中身を全て頭に叩き込む。

指示に従い、小さな紙片の四隅を慎重に重ね合わせると、それは灰になって崩れ去った。


濡れた髪を一つに纏めて、ギュッと結ぶ。

大広間から繋がる、地下階層への階段を見据える。

疲れ切って淀んでいたレイの青い瞳には、今、希望の光が戻っていた。

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