20話 食事(前編)

昼を回った頃、リルと久居の二人は村にもう一度向かった。


お腹がペコペコというリルに、久居は特製の兵糧丸をいくつか食べさせたりもしたが、二人とも動ける状態ではある。

暑さは先ほどより幾分か落ち着いていたが、村全体を覆う陽炎は、その異常な気温の痕跡を残していた。


久居は、村に入ったあたりから、一人、また一人と倒れている人々に、一人ずつ生死の確認をしている。

「その人も……死んでるの?」

炎を目に見えないくらい薄く纏ったリルが、震える声で尋ねる。

久居は静かに頷いた。

「……もう、助からないの?」

リルの目に涙が溜まってゆく。

久居はリルを落ち着かせるため声をかけたかったが、熱気がまだ強く、喋るのも躊躇われた。

(長居はできませんね……)

家の中、奥の方ならまだ息のある人を見つけられる可能性はあるだろうか。

久居はわずかに頭を過った考えを却下する。

異変からここまで、時間をかけすぎてしまった。

外から人が来ないとも限らない以上、人様の家に入り込んでいるところを見られても厄介だ。


久居は近くの民家をチラと見てから、足元の遺体に視線を戻す。

夏に数時間放置されたにしては、腐る気配もない。気温が高すぎるせいだろうか。


リルと久居は村の中を手早く見て回った。

中心部ほど気温が高い、おそらくこの辺りで何かの術を使ったのだろう。

村の中央付近で立ち止まり、周囲を見渡すが、手がかりになるような物は見つからない。

久居は熱すぎる空気を吸わないよう、濡らした首巻きで口元を覆っていたが、それももう乾きかけている。


リルは、生まれて初めて見ることになった死体と、その数の多さ、無差別さに、纏った炎を揺らめかせていた。

今にも膝から崩れてしまいそうなリルの姿に、久居は捜索の継続を断念する。


残念だが、敵の痕跡を何ひとつ見つけられないまま、二人は村を離れざるをえなかった。


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楽に息ができるあたりまで戻ったあたりで、リルの前を歩く久居が、後ろのリルに炎を引っ込めて良いと伝える。

久居の背から嗚咽が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。


久居が振り返り、両手を広げる。

リルは真っ直ぐその胸に飛び込み、声を上げて泣き出した。

「リル……」

久居はリルをヒョイと抱きかかえて、木陰に移動する。

何と声をかけるべきなのか。まだ久居も考えていた。


リルへは、村へ向かう前にこの事を予測として伝えていたし、修行時代はクザンの仕事もあり、死者の魂を相手にする事が多かった。

それでも、リルはまだ、心の準備ができていなかったようだ。

(いえ……準備ができている私の方が、おかしいのかも知れませんね)

堪えきれずに涙を溢すリルを胸に抱きながら、久居は小さく自嘲する。


久居も、こんなに大量の死体を一度に目にしたのは生まれて初めてだった。

けれど、リルほど動揺を感じることはなかった。

若い世代の多い活気のある村で、四十軒ほどの民家と店が集まっていた。

おおよそ百五十人ほど住んでいただろうか。

小さな子も沢山いた。

生まれてまだひと月にもならないくらいの赤子を抱いたまま倒れたのであろう、親子の姿もあった。

窓越しに、リルに焼き菓子を分けてくれた初老の男性の遺体も見たが、幸いにもリルは気付いてなかったようなので、そのまま通り過ぎた。

(私は、人でなしなのでしょうね……)


今までも、そう多くはないが、菰野を守るため人を斬ることもあった。

深い傷を負わせた事もある。

そのうちのどれだけが亡くなったのか、久居は把握していない。

後処理は、葵や譲原皇が担当していたので、久居の担当は撃退までだった。

(……あの頃は、とにかく菰野様をお守りする事で精一杯で、他の事を考えている余裕は無いと思っていましたが……)

久居は自身の手を見つめる。

(そうではなく、ただ私が人として欠けていただけなのでは……)

ふいに、顔を上げてきたリルと目が合う。

その薄茶色の瞳が、ほんの少し戸惑い揺れた。

(私は、今、どんな顔をしていたでしょうか……)


「久居……」

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、久居が首巻きの端で拭き取ってやると、またリルの大きな瞳に涙が溢れた。

「ごっ、ごめんねっ、久居だって、つ、辛いよね、ボクばっかり……。泣いてる、場合じゃないって、分かってるんだけど、っその……」

ぽろぽろぽろぽろと、面白いくらいに溢れてこぼれ落ちるリルの涙に、久居はなぜだか自分の心のくすみも流れていくような気がした。

「リル……」

久居の手の甲に、温かな雫がいくつも降り注ぐ。

その僅かな温かさに、久居は慰められていた。

「……私の分も、泣いてくださってありがとうございます」

「え?……」

泣き笑いのような表情で、どこか痛そうに微笑んだ久居を、リルがきょとんと見上げる。

「……ありがとうございます……」

もう一度言われて、リルは困惑する。

リルには、お礼を言われた理由はよく分からなかった。

それでも、何か少しでも、久居の役に立ったのなら、それは嬉しいことだと思う。

リルは、久居の心の内側が見たくて、じっと久居を見つめる。

ぽたりと久居の顎から落ちたのは、涙ではなく汗だ。

熱気で汗ばんだ肌に、光を反射しない黒髪が、ところどころ張り付いている。

久居はあまり自分の事を話さない。

特に、痛い事……、辛い事や悲しい事は、リルには見せない。

(今は無理でも、いつか……ボクがもっと頼れるような大人になったら、久居は辛い事も、ボクに話してくれるのかな……?)


気付けば自然と、リルの涙は止まっていた。

久居は、リルの帽子を外してその髪を優しく撫でている。

リルは、変わらないその手の大きさと、そっと撫でるリズムに、ゆっくり深呼吸をした。

こんなところに座り込んで、泣いている場合じゃない。と、久居はきっと言わない。

だからこそ、リルは自分で、立ち上がらなくてはいけないと思う。

けれど、もう少し。

もう、ほんの少しだけ、久居の腕の中に居たかった。


久居は、腕の中で落ち着きを取り戻しつつある小さな少年の、そのあたたかさ、柔らかさに心癒されながら、今は見えなくなった村の方向を眺めた。

「しかし、あんなに大勢の魂を……。しかも急死に近い状態では、彷徨ってしまう者も多そうですね……」

ポツリと呟いた久居の言葉に、リルもつられて村の方向を見る。

少年は、ちょっと考えて答えた。

「そうだよね……。お父さんもお手伝いに来るかなぁ?」

「いえ、クザン様はあちらの地域でお忙しいでしょうから……」

「そっかぁ、残念」

リルとの会話で久居は気付いた。

人の視点から相手の目的を探っても、大量虐殺の理由など見えてこなかったが、相手は鬼なのだ。

こんな事をすれば、彷徨う魂を送るため、余計な仕事が増えるだろう。

もちろん、鬼の全てが魂に関わる仕事をしているわけではないだろうが、それでも、この所業の目的が、死より先にあるのではないかと思うには十分だった。

目的は、こことは別の場所にあるのかも知れない。


「リル、動けますか? 街に行ってみましょう。情報を集める必要がありそうです」


久居の言葉に、まだ目尻に涙を残したリルが大きく頷く。

その拍子に、残っていた涙の飛沫が、軽やかに宙を舞った。

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