17話 手段(前編)

まだ日陰に朝靄がほんのり残る湖のほとり。

ポツンと建った一軒家の扉が開いた。

眩しい朝の日射しに思わず足を止めるリル。

その後ろで、出て来ようとしていた久居がつっかえている。

「いいお天気だねー」

眩しげに目を細めたリルの明るい声に、久居がいつもの落ち着いた調子で応える。

「そうですね」

「出発日和ってやつだね!」

くるりと後ろを振り返ったリルに、久居は柔らかく微笑んで返した。

「そうですね」

一見穏やかな様子の久居だが、内心はそう穏やかではなかった。

昨夜編み出したばかりの技が、果たして実戦でどの程度通用するのか。

次の敵は、鬼とはまた違う種なのか。

菰野様の凍結解除まで、あとどのくらいこんな事を続ければいいのか。

カロッサ様には『敵の体の一部、髪とかを持ってきてくれたら、相手について少し詳しく調べられるわ』と言われている。

どうやらカロッサ様は、まじないのようなものを行えるようだ。

しかし、それで調べた結果、動くのはまた自分達なのではないだろうか……。


久居の懸念は山ほどあったが、今は指示された事を順にこなしていく他の手段が無かった。


「わぁーっ。くーちゃんおっきーぃ!」

湖畔には、移動のために体を大きくした空竜が待機していた。

ちょっとした丘ほどはありそうな巨体の、ふわふわの腹毛の中に、リルが「ふあふあ〜っ」と飛び込んで全身埋まっている。


それを、ちょっと迷惑そうな顔をした空竜が、仕方ないなといった様子でリルの首根っこを嘴で咥える。

空竜にぐいと引き摺り出されたリルは、そのままポイッと空竜の背に放られて、いつの間にか背まで登っていた久居にふわりとキャッチされた。

地上からは、カロッサが空竜を見上げて手を振っている。今は羽も触角も隠してあった。

「気を付けてねーー!」

無理しないでね! と続けようとして、カロッサは言葉を飲み込んだ。

無理をしないで済むはずがない。そんな場所に送り出そうとしているのに。

分かっていて旅立たせるのに、そんな事を言ってしまいそうな自分が、あまりにも浅はかで、情けなくなる。

親友の子を、大切な人達の子を、危険な目になんて遭わせたくはない。

それなのに、カロッサには現状こうする他の手段が無かった。

(どうかせめて、無事に……)

カロッサはできる限りの祈りを捧げる。

悔しい事に、今のカロッサには彼らがここに戻って、自分と再開するビジョンがまだ見えていない。

おそらく、彼らが動く事で変わってしまう部分なのだろう。

それが良い方向への変化であることだけを祈りつつ、飛び立つ彼らを見送る。

「いってきまーすっ!」

元気に手を振るリル。

久居は、どこか苦しげなカロッサへ「行ってまいります」と真摯に礼をした。


久居としては、カロッサが自分を……。リルならともかく、どこの誰かもわからないような自分までも、少なからず大事に扱ってくれる事がどこか不思議だった。

けれど、カロッサは今確かに、自分達を本当に心配しているように、久居には見えた。

菰野様のためはもちろんの事、彼女のためにも、久居は必ず無事に戻ろうと心に誓う。


空竜が、バサリと、柔らかな翼を大きく羽ばたかせる。

空色の竜は、その大きさにそぐわない軽やかさで、空高くへ舞い上がった。



ーーこうして、リル達は二度目の旅に出る。



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カロッサの家からいくつかの国境を跨いで、ざっと千二百キロほど南西にある、とある町。

一日も歩けば大きな港町へ出る事ができるそこは、落ち着いた山裾にあっても、寂れた雰囲気は感じられないようだった。

そこからのびる街道は、日中であればそれなりの交通量があったのだろうが、今はしんと静まり返っている。

夜の闇を、雲の合間から細い月が頼りなく照らしていた。


そんな暗い夜に、明かりも持たず、フードを目深にかぶったまま歩いている不自然な人影が一つ。


全身を闇色の長いローブで覆っていたが、よく見ると黒髪を長く細く編んだようなものが、フードから胸元へ、そのさらに下まで下がっていた。

早足気味にスタスタと歩いていたその足が、ピタリと止まる。

直後、地面が揺らめいて、そこから小柄なローブの人影が音もなく姿を現した。

「サラ、二つとも手に入れたのか?」

身長差があるため、小柄な方が黒髪ローブを見上げる。

月明かりに、派手な赤色の髪と生意気そうなつり目の少年の顔が照らし出された。

少年の問いに、サラと呼ばれた黒髪のローブの頭がほんの少し頷いた。

(……ラスは?)

と、視線で問われた気がして、バツが悪そうに少年が答える。

「思わぬ邪魔が入った。人間も言う事聞かねぇしな」

(……役立たず)

「なんか言ったか?」

(言ってない)

「……」

あくまで無言のサラに、ラスと呼ばれた少年がつっけんどんに言う。

「それは俺が持って帰るから、お前はもう帰れよ」

伏し目がちだった黒髪ローブの、見た目十八歳ほどだろうか、少女とも女性とも言い難いそんな彼女が、一瞬キョトンとした顔をする。

(どうして? ラスは父さんには会いたくないんじゃないの?)

「俺達の他に、環を狙ってる奴がいる。お前よりは俺の方が動けるだろ」

言われて、サラが考え込む。

(父さんに、私が届けたかったけど……、ありがとうって、言って欲しかったけど……。渡せなかったらもっと嫌だし。手ぶらになったら、私は、もうまっすぐ父さんのとこに帰っていいよね? すぐ父さんに会えるって事だよね?)

しばらく考えていた様子のサラが、コクリと頷いて、革袋を一つ赤毛の少年に手渡すと、そのまま走り出す。

纏っていたローブが、風になびいたような動きの後、不自然に蠢き、四方に広がったかと思うと漆黒の翼に姿を変える。

「おい! 迂闊に飛ぶなよ!」

背中にかけられたラスの声に、分かってる。と心の中で答えながら、周囲に人の気配が無い事をもう一度確認して、サラは地を蹴り飛び立った。

「飛ぶなっつってんだろ……」

その場に一人残された少年が、心底嫌そうにため息をつく。

(どいつもこいつも、俺の話をちったぁ真面目に聞けよ……)


少年は、自分の小さな手をしばし見つめて、ローブのフードを深く被り直した。

力はそれなりにあるはずだ。しかし、背が足りない。

声も無理して低めに出してるが、やはり貫禄が足りない。


身体の時間が、二十八歳……人の見た目でいえば十四歳ほどで止められている。

実年齢は四十九歳になったが、周りからは子ども以外に見えないだろう。

悔しいが、ラスにはこの姿で生きる他の手段がなかった。


(これがあれば、本当に変わるのか……?)

懐にしまった革袋に触れると、中でカチャンと金属が触れ合う音がした。


この辺りには、他に環を狙っている者がいるはずだ。

そうでなければ、こう都合よく環が守護者の手を離れてあちこち移動するはずがない。

人なら話は早いが、それ以外だと面倒なことになる。

革袋の中身を思うと、地下に入るわけにもいかないしな……。と、何気なく見つめた地面がゆらりと揺らめいた。

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