12話 交差する視線(3/3)

そこには熱気と煙が立ち込めていた。

瓦礫と化していた家屋は、焦げ溶けて、まだあちこちに火が燻っている。


久居は満身創痍で倒れていたが、まだ意識は残っていた。

(リル……)

肺は焼かれてしまったのか、酷く息苦しい。

(こちらに来ては……いけません……よ……)


ローブの少年は、そんな久居のそばまで来ると、蹴りを入れた。

蹴られた体がびくりと跳ねるのを見て「まだ息があるのか」と呟く。

果たして人間が、こんなに頑丈なものだろうか。と、ローブの少年がほんの少しの疑問を感じようとしていた時、人の声がした。

「なっ……なんだ、これは……」

灯りを手に、様子を見にきた野次馬のようだ。


手短に殺すつもりが、随分と時間をかけてしまったと、少年は気付く。

見回せば、あちこちの家々から、既にたくさんの人が窓を開け、戸を開け、外に出ようとしている。

「命拾いしたな」

ローブの少年は小さく舌打ちを残すと、久居が捕らえていた男を連れて去った。


(何故……退いたのでしょうか……)

久居は、右腕を支えになんとか体を起こそうとする。

あの少年の勝ちは間違いなかった。あの鬼は、こちらを殺す気だったのに、何故トドメを刺さずに去ったのだろうか。

いつでも殺せると思える実力差だった、という理由もあるだろうが、どうやら、彼らは街中で騒ぎになると困る立場にあるようだ。


「お……、おい」

傷だらけの久居に、最初に声をかけてきた野次馬男が、こわごわ声をかける。

「一体何が……。っ大丈夫か?」

灯りを掲げた男が、久居の酷い姿に息を呑む。

「……はい、大丈夫です。ありがとうございます……」

掠れた声で何とか返事を返しつつ、久居は自分の体の状態を確かめる。

受け身を取れない状態での、最後の蹴りで、肋骨も折れたようだ。

折れた骨は、内側へと曲がっている。

(内臓を破る前に……早く治癒しなくては……)


そこへリルの声がした。

「久居っ!!」

喜びの雫をポロポロ零しながら、リルは久居へ飛び付いた。

「無事だったんだね!?」

ぎゅっとしがみ付かれて、久居は一瞬、死がそこまで迫った気がした。

が、久居はそれを告げることすらままならない。

声も出せず、冷や汗にまみれる久居を、リルが不思議そうに見た。

駆け付けたクリスも、久居の生存に、ホッと胸を撫で下ろす。

(よかった……生きててくれて……)

その姿は、とても無事には見えなかったが、それでも生きていてくれて、クリスは本当に嬉しかった。

「と……、とりあえず移動しましょうか……」

(こんなに人が居ては治癒術も使えませんし……)

呼吸のままならない久居の、声になりきれない掠れた言葉も、リルには聞き取れた。

「肩を……貸していただけますか?」

「うんっ」

リルが指先で嬉し涙を拭き取りながら、久居へ肩を差し出す。

思ったよりもずっしりと、その体重を預けられて、リルが気付く。

「久居、もしかして足折れてる?」

小声で問うと「すみません、重いですか……」と息も絶え絶えな中、返事が来る。

「ううん、全然! 大丈夫だよっ」

リルは、久居の力になれた事が、嬉しくて仕方なかった。

「えへへ、お役立ちー」とにこにこで呟いている。

まだ小柄で幼い体つきのリルだったが、鬼の血の成せる技なのか、単純な腕力だけなら久居よりも上だった。

右腕の力のみでリルの肩にしがみつく久居が、自身より小柄な背に体を預け切れずにずり落ちる。

リルは、その体をよいしょと支えた。

(あれ? というか治癒しないのかな?)

クリスが、そんな二人を覗き込む。

「……大丈夫?」

「うん、平気ー」

重くもなんともない顔で答えながら、リルは気付いた。

(あ、クリスがいるからか……)

「クリス、お願いがあるんだけどいいかな?」

「何?」

「水を汲んできてもらってもいい?」

「なんだ、そのくらい。いいわよ」

リルの頼みを、クリスは快諾する。

「じゃあ、ここで待っててね」

駆け出すクリスに『俺様も行くぜ』と牛乳が付き添う。

「うん、ありがとー。気をつけてねー」

とリルは声をかけると、周りに人の音がないことを確認しながら、久居を壁際におろした。

久居は左腕も動かないらしく、溶けかけの右手だけで何とか座り込むと、すぐに胸へと手を当てた。

リルは、久居が治癒を始めたことにホッとしながら、クリスの去った方向を見る。

(クリス、いい子なのになぁ……。なんであんな目に遭ってるんだろう)

「うーん……夜遅いし、ボクも付いて行った方がいいかなぁ?」

心配そうなリルに、ようやく声が出るようになった久居が答える。

「いえ、大丈夫でしょう。彼女も、運だけで一人生き延びていたわけではないようですし」

まだ不明な点は山積みだったが、分かってきた事もある。

「流石に今夜は彼らも、もう来ないでしょうから」

「そっか」

リルは久居の言葉を素直に信じたようで、ほっとした顔になる。


久居は治癒を続けながら、今日までに分かった事を整理する。

此処での騒ぎを避ける彼らの拠点が此処であり、そこに腕輪がある事。

これはまず間違いないだろう。

そうでなければ、此処に家もなく、知り合いも居ないというクリスがこの街に居続ける理由がない。

「クリスが戻って来そうになったら、言うからね」

リルの言葉に、久居が礼を述べつつ尋ねる。

「……リル。クリスさんは、あの敵の事を、何か仰っていましたか?」

小さな背がびくりと揺れたのに、久居は気付いた。

「……うん……。人間じゃないのが居るって言ってた……」

リルの瞳には、その時のクリスの顔が、まだくっきりと残っていた。

「鬼……だったんだよね?」

リルは、久居を振り返る。

「はい。角などは隠していましたが、鬼火を操っていましたので、おそらく……」

久居の答えに、リルはまた久居に背を向けた。その表情は、暗く沈んでいる。

「……クリスは……、その鬼の事、すごく嫌いみたいだった……」

(ボクが鬼だって知ったら……、クリスは、ボクの事……嫌いになっちゃうのかな……)

普段の、明るいクリスの微笑みと、あの鬼に向けた険しい表情が、リルの中でぐるぐると巡る。


「そうですか……」

久居は、確信を強める。

そんな危険な相手がいると知ってなお、一人で腕輪の奪還を試みるという事は、やはり彼女には、対抗手段になりうるだけの、何らかの力があると思って間違いないだろう。


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屋敷の裏庭では、両腕と足を縛られたコートの男が、それを重くもなさそうに小脇に抱えてきたフードの少年によって、地へ転がされたところだった。

少年は、無表情のままその手を振り上げる。

「ま、待て!!」

焦りを浮かべる男へ、少年はその手を振り下ろした。

「俺は何も喋ってな……!!」

ヒュッと風切り音が聞こえた時には、男を縛っていた縄は切られていた。

「あ……」

言葉を失う男に、少年はなるべく低い声で告げる。

「分かってる。二度とこんなヘマするな」

「あ、ああ!」

コートの男は、どこか怯えた様子で逃げるように駆け去った。


ローブの少年は先程のことを思い返す。

二人の会話は、ハッキリ聞こえていた。

あの時、コートの男は、黒髪の青年にすっかりのまれていた。

こんな小物の口、あの青年なら簡単に割れただろう。

何故、すぐそうしなかったのか。

あの青年はこう言っていた。

『私が一人になったのは、これから貴方に対して行う事を、あの二人に見られたくなかったからです』

それがもし本当だとしても、あんなに離れる必要があるだろうか。


少年は、あの青年が張った障壁をもう一度思い浮かべる。

確かに、あれと似た術式をどこかでみたような気がする。

けれど、それがどうしても思い出せない。


(……あの男は、一体何者なんだ……)


少年は、フードの下で赤い瞳を伏せると、苦々しく眉をしかめた。

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