11話 猫と少女(前編)

街の中を、少女は赤いスカートに白の前掛けをひるがえしながら、木靴で駆けていた。

その足元には真っ白な猫が、相棒のように付き従う。

淡い金色の髪は片側の高い位置で括られていて、赤いリボンと一緒に彼女が走る後をなびいた。

一人と一匹からひと区画ほど離れたあたりを、揃いの深緑色のコートと帽子を身につけた男達が追っていた。


「あ、あの子だねー」

リル達は広い街の隅に達つ背の高い建物の屋根から、それを眺めていた。

久居には人々は砂粒ほどの大きさにしか見えないが、視力に優れたリルにはそれぞれの表情までよく見えているらしい。

「見つかりましたか」

久居は、そんなリルがうっかり落ちないよう、背中をしっかり掴んでいる。

「えっと、絵と同じような腕輪をつけててー」

少女の左手首には、あの絵と模様こそ違うが、確かに同じ形の腕輪がついている。

「白い猫と一緒でー」

白猫は、透き通るような青い瞳で、まるで少女を守るように、その小さな背に少女を庇うようにしていた。

「悪い人に追われてるんだよね」

細い路地裏で息を潜め、男達が通り過ぎるのを待っていた少女は、最後の一人に気付かれてしまい、また走り出す。

「うん、間違いないっ」

リルが、やったとばかりにぐっと手を握りしめる。

「……追われて……いるのですか?」

久居は、その言葉に引っかかりを感じた。

「うん」

「今現在?」

「うん!」

元気に頷くリルが首を持ちあげる前に、久居が動き出す。

「助けに行きますよ!」

ひらりと身軽に屋根から舞い降りる久居を、リルが慌てて追う。

「待ってー、ボクもーっ」

久居は、リルの指していた辺りを目指し、街へと駆け出した。


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狭い路地を駆ける少女の行手に、コートの男が二人、姿を見せる。

振り返れば、後ろからも三人、四人とコートの男達が集まり、合わせて八人となった男達は、じりじりと少女を包囲していった。


トン、と肩が壁に触れ、少女はこれ以上後がないことを知る。

包囲網から一歩踏み込んできた男へ、白猫が全身の毛を逆立てて威嚇する。


少女は、左手首につけた腕輪を、右手でしっかりと握りしめていた。

この路地の狭さでは、こちらも痛い目には遭うかも知れない。

それでも、少女はそれを使おうとしていた。


少女の脳裏に母の最後の言葉が蘇る。

立ち上がれなくなった母は、血に濡れながらも、震える指で少女を撫でて言った。

『クリス……。この腕輪は決して、邪な人に渡さないで……』

母は、涙をこぼしながらも、微笑んで私に託した。

『クリスなら……きっと出来るわ』


母のためにも、死んでいった皆のためにも、少女はそれを守り抜かなければならなかった。

(絶対守ってみせる!)

怪我を覚悟で、少女は腕輪を握る手に力を込める。

(私にはもう、これしか残ってないもの!!)


「そこまでです!」


薄暗い路地裏に、凛と響いた青年の声。

コートの男達は一斉にそちらを振り返った。


そこには、ここらでは見ない服を着た、黒髪の青年が立っていた。

冬でもないのに長い首巻きを巻いたその青年は、黒い瞳で真っ直ぐ男達を見据えている。

「大勢で、一人の少女を取り囲むなんて感心しませんね」

久居は落ち着いた様子でそう告げる。

リルからは人数を聞かずに来てしまったが、これだけの人数ならどうとでもなるだろう。

相手が人ならば。と内心で付け足す久居に、コートの男達のうちの一人が叫んだ。

「何だお前は!」

「あなた方に名乗る名はありません」

久居は、リルが追いついたことを確認すると、会話を続けることを放棄する。

「や、やっと追いついた……」と、リルは息を整えつつ、路地の入り口からぴょこっと顔を出した。

「リルは女の子をお願いします」

久居が口の中で囁く程度の声で告げる。

「うんっ」

リルの耳はそれを聞き漏らしたりはしない。


「邪魔するなら容赦しねぇぞ」

男の一人が、コートの下のタイをゆるめる。

「ええ、どうぞご遠慮なく」

久居がさらりと答える。

「かかれっ!!」

男の号令と共に、八人の男達は一斉に久居へ向かった。


久居は、最初に飛びかかって来た男を躱し、背に鋭く肘を入れると、そのままの勢いで次の男を蹴り飛ばし、足がつくと同時に次の男の顎を下から上へ殴り上げた。


(何……この人……)

突然の乱入に、少女も目を丸くして久居を見ている。

久居に視線が集まる中を、こっそりこっそりリルが通り抜ける。

が、一人だけ、それに気付いた男がいた。

「大丈夫?」

声をかけられて、少女は初めてリルを見た。

歳の頃十歳かそこらに見える子が、少女へ人懐こそうな笑顔を見せている。

「怪我はない?」

「あ、う、うん。大丈……」

思わず答えかけた少女が、少年の青い帽子のその後ろでコートの男が腕を振り上げた事に気付く。

危ない、と叫ぼうと息を吸った時には、その男は横から蹴りを食らって吹き飛んだ。

「そっか、よかった」

少年は、少女から視線を外すことなくニコッと笑った。

リルの後ろには、いつの間にか久居が立っている。

「ええと……あなた達は?」

少女の質問に、久居が内心ギクリとする。

「ボクはリルだよー。こっちは久居ー」

リルはそんな久居の心を知ってか知らずか、平然と答えた。

「ど、どうして、助けてくれたの……?」

警戒を滲ませて少女が問う。

少女は手首の腕輪から、片時も手を離そうとしない。

「君が悪者に襲われてたからだよー」

リルの言葉に、久居が内心慌てる。

「悪者って……なんで……」

少女の警戒が色濃くなる。

ジリっと半歩後退る少女に、リルは変わらぬ調子で返した。

「あれ? 君の方が悪者だった?」

思うもよらない言葉に、少女は驚きを浮かべつつも答える。

「ううん……」

「じゃあやっぱり、向こうが悪者だよね」

「う、うん……」

「君みたいに可愛い子が、悪者のはずないもんね」

リルは、ふわりと微笑む。

陽を浴びて柔らかく輝く薄茶色の髪が、優しい色で笑顔を彩った。


突然の言葉と真っ直ぐな笑みに、どこか圧倒されて、少女が顔を赤くする。

『可愛い』だなんて、そんな事、言われたのはいつぶりなのか。

少女にはとても思い出せそうになかった。

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