3話 冷たい瞳 温かい手(中編)

リルの耳がぴょこっと跳ねる。

待ち人の登場に、小さな少年は破顔した。

「お待たせしました」

落ち着いたその声に、大岩にもたれて日向ぼっこをしていたらしい少年が、ブンブンと小さな手を精一杯振る。

「遅かったねー、心配したよー」

そう言うリルに、久居は頭を下げると非礼を詫びた。

「すみません。菰野様に警戒されてしまいまして……」

「え」

久居は、ここまでに何度振り返られたか、またその度に隠れたかを説明する。

菰野は、久居の様子から、おそらく自分に気付かれないよう後をつけているのだろうと踏んだらしく、酷く後ろを気にしながら山を登ってきたらしい。


おそらくどこまで付いて来るのかが心配だったのだろう。

それは、この山の気……正確には結界石による、久居への身体的影響を配慮してのことだと、久居にも分かっていた。


実際、久居も一度は死にかけた。

あの時、同じように少女を探していたこの少年に出会わなければ、久居はこの山で力尽きていた可能性があった。


「菰野様は何かおっしゃっていましたか?」

「えっとー、久居に何か気付かれたとは言ってたけど……。

 ここまで来れるとは思ってないみたいだったよ」

にっこり笑って、リルが答える。

「そうですか、それは何よりですね」

その笑顔に、久居も微笑みで応える。


リルはフリーよりも可聴域が広い。

なので、フリーの可聴域の外で、なおかつリルからだけは向こうの声が聞こえるあたりに、二人はいつも待機していた。


「結界の事といい、お世話になり通しですね……」

久居が、精一杯の感謝を込めて、小さな少年に礼を述べる。

「ありがとうございます、リル……」

その言葉の端が、恥ずかしそうにほんの少しだけ小さくなる。

「久居もやっと、ボクの名前普通に呼んでくれるようになったね」

嬉しそうにそう言って、リルは両手を胸の前で合わせた。

言われた久居は、赤くなりつつある自身の顔を、手で覆っている。

「まだ……何というか、違和感が……」

「そんなに恥ずかしいの?」

「呼び捨てというのは弟以来なもので……」

弟という単語にリルが反応する。

「え、久居って弟がいるの? 何歳?」

「それより、こう頻繁に村を離れて大丈夫なのですか?」

リルは久居を見る。

久居は穏やかに微笑みを浮かべたままの、何ともなさそうな顔をしていた。

リルは話を逸らされたような気がしたが、それは久居にとって聞かれたくないことだったのかも知れない。と思ことにした。

「リルの村には寺子屋のような……読み書きを教えてくれるような場所はないのですか?」

「……学校? あるよ」

それだけを答えて、リルは小さく俯く。

「見たところ、リルは十かそこらのようですが……その学校とは、毎日通うところではないのですか?」

久居の言葉は、責めるようなものではなかった。

ただ優しく、こちらを心配するその声に、リルは正直に答える。

「うーん、学校はね、毎日あるんだけど……。ボクが行くと他の人の迷惑になっちゃうから……」

リルの反応に、久居は話題を変えた方が良いだろうかと考えを巡らせる。

「あ、ボクね、これでも十四歳なんだよ」

その発言には久居も正直驚いた。

実は、少年の姿はその半分くらい、七つか八つほどに見えていたからだ。

小さめに見積もっては失礼だろうと、大きめに口にしたのだが、まだ足りなかったらしい。

「そ、そうだったのですか、すみません」

「ううん。ボクは他の人たちより見た目の成長が遅いから……」

そう言って、リルは頭頂部より少し後頭部寄りの、つむじから生えている小さなツノを指先で示す。

歪みない綺麗な円錐の形をしたそれは、親指の第一関節まで程の大きさではあったが、確かにそこから生えていた。

「村の人たちは、大人も子どもも皆、触角が生えてるんだけどね」

そう言って指先で撫でられたツノは、とても硬そうに見えた。

「お父さんが、その……妖精じゃないから、ボクにはツノが生えてるの……」

「リル……」

久居は、悲し気に遠くを見つめるリルに、何と声をかけたものかと躊躇う。

しばらくの沈黙。


「妖精ってね、必ず男女の双子で生まれるんだよ」

リルがまた口を開き、久居は言葉を飲み込んだ。

「男の子は父親そっくりで、女の子は母親そっくりなの」

久居は”まさか”と思う……。

「でも、フリーはお母さんそっくりじゃなくて、ボクなんてちっともお父さんに似てなくて……」

震える言葉は、少しずつ涙に滲んでゆく。

村のどこへ行っても、この少年は異端だった。

妖精の姿をした姉ですら、村にとっては正しい妖精の姿でなく、それでも、姉はいつもリルを心ない言葉から守ってくれたのだと、少年は言った。


「村の皆は、ボクのこと……気持ち悪いって……」

震えているのは言葉だけでなく、膝の上で強く握り締められた少年の小さな拳の上に、涙の雫はポタリと落ちた。

久居は、震える肩をそっと抱き寄せる。

胸元に抱えた頭は、やはりまだとても小さかった。

「すみません……。辛い話をさせてしまいましたね……」

言われて、リルは驚いたように久居の顔を見る。

こんな自分に触れようとする人がいるなんて、とても信じられなかった。

久居はこちらを気遣うように、心配そうな顔でリルを見つめ返している。


彼は、辛い話をさせてしまったと言った。

そう、ボクは辛かった話を、うっかり、彼にしてしまった。

久居が優しくて……、いつも、どんな話でも聞いてくれて。

だからきっと、この話も、聞いてくれると思った。


……こんなことを、誰かに話したのは、生まれて初めてだった。


今までずっと、生まれてからずっと、母と姉と自分の三人だけで暮らしていたから。

母も姉も、自分を大切にしてくれるから。

だからこそ、こんな話はできるはずも無かった。


リルは、久居の胸にそっと頬を寄せてみる。

「リル……?」

久居は優しく薄茶色の髪を撫でた。

そこに、ツノが生えていても。

少年の耳が自分と違う形をしていても。


「ありがとう……久居」


久居はポロポロと涙を零す少年の髪を、背を、慰めるようにゆっくりと撫でる。


「ボクの話を聞いてくれて……」


リルは、人に話を聞いてもらうことの幸せを噛み締める。

その耳には、楽しそうに会話をするフリーと菰野の声が届いている。

普段の、村で必死に気を張るフリーではなく、家でリルにお姉さん風を吹かせるフリーでもなく、肩の力を抜いて、くだらないことでただ楽しそうに菰野様と笑い合うフリーは、リルの知らない人のようだった。

(フリーも、こんな気持ちなのかな……)

リルと違い、フリーには妖精の友達も幾人かいたけれど、それでもこんな風に、何でも話せる相手ではなかったのかも知れない。


ハッとリルは気付く。

「ごめんっ。ボクの話してたら、フリー達の話聞けないよねっ」

慌てる少年に、久居は優しく告げる。

「いいんですよ、菰野様の安全さえ確認できれば。何かあれば知らせていただけますね?」

「うん。変な音がしたら絶対気付くよっ」

リルが、ぎゅっと両手を握って言う。

「それなら安心です」

久居は微笑んで、リルに言った。

「……リルの話を、もっと聞かせていただけますか?」

リルは、一瞬驚いたような顔をして、それから嬉しそうに笑った。

「うんっ」

目尻に残る涙の粒が、少年の薄茶色と一緒に日差しにキラキラと舞う。


「何話そうかなー、何か聞きたいことある?」

ほんの少し照れ臭そうなリルに、久居が尋ねる。

「それでは……、妖精の寿命というのは、どのくらいなのですか?」

「えーと、長生きの人だと九十歳を超える人もいるくらい……だよ」


(やはり!!)

久居は確信する。

人間の間では、妖精は非常に長命な種族なのだとされていた。

けれどそれは、人間がその代替わりに気付いていなかっただけなのだと。


「ボクはもっと長生きするかもって、お母さんが言ってたよー」

「それは、リルの父君が長命な種族だと言うことですか?」

「うん、お父さんはすごーーく長生きするんだってー」

久居は、鬼という存在に思いを馳せる。

昔話に出てくる鬼は、そのほとんどが筋骨隆々とした大男の姿で描かれていたが、目の前の少年は、それとはかけ離れた、線の細い儚げな印象だった。


「なるほど、それでリルは実年齢より幼く見えるのですね」

「うんうん」

「……と言うことは? フリーさんはリルと同い年には見えないと言うことで……?」

久居はやっと気付く。

自分の勘違いに。

「フリーはちゃんと十四歳くらいに見えるよー。背もボクよりこのくらい高くてー……」

久居は、菰野がリルと同じくらいの見た目の妖精と会っているのだと思っていた。

しかし、そうではなかった。

菰野が頻繁に逢瀬を重ねている相手は、ほとんど同い年の少女だったのだと、久居はようやく気が付いた。

(……菰野様……!?)

こうして、久居はまた、新たな心配の種を抱え込んだ。

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