ファンタジア

秋野 柊

第1話 出会い

「――さて、貴方は今、右足から歩きましたか?それとも左足から歩きましたか?」


 それは僕が、下駄箱で上履きから下靴に履き替え、うつむきながら歩き出した瞬間のことだった。

 ふと顔を上げると、目の前には見たこともない女の子が立っていた。その子の肌は雪のように真っ白で、髪は真っ黒のボブ、更には童顔でかなりかわいらしい顔立ちをしていた。


 しかし、その子は僕の学校の制服を着ておらず、その代わりに紺のロングコートを着て、黒くて小さなハットを被り、細身のブーツを履いていた。

 どう見てもこの学校の生徒ではない。


「はい?」

 僕はきょとんとしながらも聞き返した。


 しかし、その女の子はにやにやしながらこちらをじっと見つめているだけだ。

 その様子で、もしかしたらこの子は僕に話しかけたのではないのかもしれない、もしくは人違いをしているのかもしれない、という僕の予想は裏切られた。


 この子は間違いなくこの僕に話しかけている。

「あの・・・何でしょうか?」

 僕はもう一度聞き返した。もしかして、やばい子だろうか。

「だーかーらー。あなたは今、右足から歩きましたか?それとも左足から歩きましたか?って聞いたんすよ」


 その女の子は急に軽い口調になり、からかうような調子で言った。

 僕はその女の子の態度が苛ついたのと、この場に全く相応しくないその格好とに、これは関わらない方がいいなと判断する。こいつはきっとやばい子だ。


 なので、無視して歩き去ることにした。

 すると、女の子は焦った様子で僕の肩を掴んで引き止めた。


「ちょちょ、ちょっとお待ちなさいな」

「何ですか?」

 僕はつっけんどんに応えた。近くで見ると更にその女の子のかわいらしさが目に入る。しかし、その魅力に負けるわけにはいかない。こいつはやばい子だ。後で後悔するパターンだこれ。


「少しだけ、あっしの話に付き合いなさい」

「いや、無理ですよ。ちょっ、やめて、セーターの袖だけ伸ばさないでぇっ。その前にあなたは誰なんですかっ?」

「あー。まー。それは後で説明するから」

 その女の子はそんなことはどうでもいいというような口ぶりで、僕の質問を受け流した。


「それよりも。貴方様はあっしの話を聞きたいとは思わないんですか?」

 それよりもというか、君が誰なのかというのが僕にとっては一番大事なのだけど。

 僕はそんな気持ちを抱きながらも、とりあえず相手に合わせておくことにした。やはりこの子の顔が僕の好みだからとか、そういうのは全く関係ない、とはもちろん言わない。


「いや、怪しすぎて何とも」

 するとその女の子は、僕の言葉に何度も大袈裟に頷いてみせる。

「わかるっす。そりゃよくわかるっす。明らかに場違いな格好をしているのは自分でもよくわかっているっす」

「あ、それはわかってるんですか」

「もちろん。これ、そもそもうちの会社の制服なんすよ。あっしの趣味とは関係ないんす。つまり、仕方がないんす」


 その子の言葉に僕は少し安心した。どうやら少しはまともな感性を持っているようだ。

 しかし制服といえども、そんな格好を恥ずかしげもなく、堂々と着こなしているあたりはやはり怪しい。


「それ、どこの会社の制服なんですか?」

「あー。それも後で説明するっす。その前に私の話を聞きなさいな。というか答えなさいな」

 女の子は面倒くさそうに手をひらひらさせて言う。早く自分の話を進めたいようだ。

「答えるって、何を?」


 仕方なく僕も応じることにした。変な勧誘なら断ればいいだけだ。嫌だ、と堂々と言える性格で良かった。これでも僕はクラスでもそれなりにいい位置にいるのだ、と信じている。


「あなたは今、どっちの足から歩き出したかってことっすよ」

 やっと本題に入れたからか、女の子は大きく息を吐いた。

「え、それがなにか関係あるんですか?」

「いいからいいから」

 女の子はおもしろがるように先を急かした。

「そういわれても・・・。たぶん、右足だったかな。そんなこといちいち覚えてないですよ」

 僕は戸惑いながら答えた。


「まあ、そうっすよね。ちなみにあなたは左足から歩き出しましたよ」

 ふふん、と鼻を鳴らして女の子は僕に伝えた。

「知っているなら聞かなくても良かったんじゃ・・・」

 僕が言いよどむと、その女の子は僕の目を真っ直ぐに見つめて言う

「いやいや。これは大事なことなんすよ。あなたが気軽に、無意識に行ったことが、これからの未来にものすごく大きな影響をもたらしたはずなんすから」

「おぉ・・・。胡散臭さがぷんぷんするなあ。どういうことですか?」

 思わず僕は問いかけてしまった。


「あなたはバタフライ効果ってご存知でしょうか?」

 急な話の転換に、僕は理解するのに少し間を置く羽目になった。

「何だか、聞いたことがあるような、ないような」

「ふうむ。学がないのも考えものっすね」

 女の子は顔を少し傾けて、自分の唇に人差し指をあてながらそんなことを言った。


「こ、この・・・」

 僕は文句を言おうとしたが、女の子はそれを遮るように話し始める。

「ちょ~簡単に説明すると、なんてことない小さな事象が、後に大きな事象になってしまうというカオス理論の一つっすよ」

 女の子は人差し指を立てながらそんなことを説明し始めた。


「つまり、さっきあなたが、もし右足で歩き出していれば、この世界の未来は大きく変わったはずなんすよ」

 そこまで話したところで、その女の子は自分の人差し指を僕に向けた。


「まさか。そんなことで未来が変わるわけないでしょう。というか変わるも何も未来は決まっているはずだし・・・。見えないだけで」

「そうそう。その軽はずみな考えが、無知への輝かしい第一歩になるんすよ。おめでとう、ぱちぱち」

 女の子はそう言うと、両手の人差し指だけで音のない拍手をする。

「なっ・・・この・・・」


「――見てみたくないですか?その変わったはずの未来」


 また僕の言葉を遮って、その女の子はそんなことを言った。僕はその意外な言葉に、思わず毒気を抜かれてしまう。


「え、見られるんですか?」

「それがあっしの仕事なんで」

「え?どんな仕事?」

 僕が訳もわからず聞くと、女の子はわざとらしい溜め息をついた。

 僕はそれをみて、自分の理解が悪いのかと思いかけたが、すぐにそんなことはないと思い直した。


「ふう。簡単に言ってあげましょうかね。あっしの仕事は、バタフライ効果によって生まれた平行世界、つまりはパラレルワールドを案内することなんす」

「はあ・・・」

 僕が力なく言葉を漏らすと、女の子は「あ、」と言って片手を小さく上げた。


「でも、案内するだけですよ。あっしは一人の人生につき一回だけ違う世界を案内することができるんす。かっこよくいうなら、選択を誤った愚かな輩に未来にあったはずの一つの可能性をみせる輝かしい仕事っすね」

「は、はあ・・・」

「ちなみに私が社長っす。というか社員は私だけなので」

 その女の子はそう言うと、誇らしげに胸を張った。


 ということは、その制服は思い切りあんたの趣味じゃねえか。と僕は思っても言わない。


「ところで、何で僕なんですか」

 僕は誰もが当たり前に抱くはずの疑問を投げ掛けた。

「たまたまっす。あなたの運が良かったんすよ。あ、でもあなたが起こせたはずのバタフライ効果はなかなか規模が大きかったってのも選考理由にあるっす」

「はあ・・・」

 僕は納得できたような、できないような、妙な気持ちになる。


 そもそもこんな意味のわからない子とまともに相手をしている自分が不思議だった。この子の言っていることが冗談だと思っているせいだろうか。

 でも、この子が嘘を吐いていないこともどこかで信じていた。この子の言葉には妙な説得力がある。


 そして、どこか昔からの知り合いのような感じもする。会ったことはないはずだけれど。


「ま、つってもほかの理由もありますけどね。でもそれは、あっしの個人的な理由なんで言いませんよ」

 そんなことを考えている僕の横で、その女の子は小さく呟いた。

「うーん、あなたの話だけじゃ何とも言えないですよ。僕、小市民ですから」

 僕はとりあえず、こういうやりとりでの決まり文句を口にした。


「ふむ。でしょうなあ。では論より証拠。さっさと行こうじゃありやせんか」

 女の子はそう言うと、コートの内ポケットからライターを取り出した。そのライターはやけにごつくて大きく、装飾も派手で、まるで骨董品のようだった。この子が持つにはどう見ても不釣合いだ。


「いきますよー」

 女の子は両手でスイッチを入れる。

 がちり、と重そうな音を立ててそのライターからは辺り一帯を焼き尽くすほどの火柱が出た、と思いきや、出たのは火ではなく大量のダークブルーの煙だった。煙はもくもくと漂っていたが、しばらくすると一箇所に集まり始め、女の子の足元に留まった。


「おお・・・。なんつーファンタジー・・・」

「ふふふ、これでちょっとは信じたでしょう?」

 女の子は得意気な顔をして、またライターを内ポケットにしまった。

「うーん。でもまだ実感としてはイマイチ・・・」

「それはあなたがこの状況を理解しようとするからっすよ。何事も経験。だからあなたは開き直って、バカみたいな顔してすげーすげー言っていればいいんす」

 女の子はけろりとした表情で僕に毒づいた。


「おお・・・。あんた、さっきから何言っても怒られないと思ってるだろ?小学生にしかみえないから大目にみてたけどな!そろそろ僕の堪忍袋もオーバーだからな!」

 僕はついに辛抱たまらずタメ口で言い返した。すると、女の子はまた自分の顔の横で手をひらひらとさせる。


「はいはい。それもまた今度で」

「なっ・・・」

 僕は思わずその子に殴りかかる。なんてことはもちろんできなかった。何か言い返そうとしたが、その子のあまりにも酷い反応に何も言葉が出てこなかった。


 だが、女の子はそんな僕になんてお構いなしといった様子だ。むしろこのやりとりを楽しんでいる感じすら受ける。

「あ、でも一つだけ注意です。お客さんの中にはその変えられたはずの世界をみて、あのときこうしていれば良かったって後悔する人もいます。でもどれだけ後悔しても手遅れなので、そこはご了承お願い致しますね」

「え?わ、わかりました」

 急に業務的な口調になったので、僕は少し面食らい思わず敬語に戻る。


 そして同時に、本当に大丈夫だろうかと不安になってくる。

「結構。じゃ、この海の中に飛び込んでくださいな」

 女の子は「海」と呼んだ煙の塊を指差した。


「・・・こ、これは、なかなかの勇気がいるな」

 僕はごくりと喉を鳴らした。海というからには、沈むということだろう。今度は急に怖くなってきた。

「息は大丈夫なの?酸素ボンベとかないの?」

「あるわけないじゃないっすか。まあ、死ぬわけじゃないんで。鏡の中のアリスな気分で行きやしょー」

 女の子は励ますつもりなんてまるでないような口調で、僕を励ました。とんだウサギもいたもんだぜちくしょう。


「あ、その前に。あなたは、年齢的にはお姉さん・・・でいいんですよね?」

 僕は腹を決める前に、さっきから気になっていることを思い切って尋ねてみた。


「そっすね。あなたよりはかなり年上っすよ。なので、私から見たら貴方の方が見た目も中身もよっぽどガキです。あ、だからって敬語は使わなくていいっすよ。あっし敬語を使われるのは苦手なんで」


「望むところだバカ野郎っ。僕もちょうどやめようと思っていたところだ」

 僕の堪忍袋はついにオーバーした。

「そいつは結構」

 女の子は全く気にする素振りもなく応える。


「ところで。お姉さん、名前は?」

 僕はぶっきらぼうに尋ねながら、覚悟を決めて飛び込む準備をする。よし。いち、にの、さんで行こう。


「あ、こりゃ失敬」

 いち。

「あっしの名前は――」


 にの――

「――胡桃っす」


 そう言うのと同時に、胡桃と名乗った女の子は僕の背中を蹴り押した。

 僕は突然のことでその場に踏ん張ることもできずに、胡桃に対する殺意と共にそのまま深い海に沈んでいった。



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