031.最期の言葉
乗っていた車は20分もたたずして四葉中央病院のロータリーに滑り込んだ。本棟を無視して入院病棟の前に止まった車から僕と新井さんはすぐに飛び出して病院の中に入る。ここでも病院の人には言っていたらしく、僕たちは見舞い受付のカウンターなど目もくれずにエレベーターへ一直線。どんどんと病室が近づくにつれて胸が痛くなる。
どうしてだろう、いつもなら一緒に話すのは楽しかったのに……。どうして今はこんな気持ちなのかわからない。
「五十嵐くん、気持ちはわかるがさっき言った通り彼女の前では笑顔でいてやってくれ……」
「……はい」
そうだ、遥は今までいくら苦しくても僕たちの太陽をしてくれていた……そんな彼女のために僕ができるのは……曇天を作り出すことじゃない。
必死に揺れる心を抑えながらも入院用ベッドを運べるサイズのでかいエレベーターで4階まで上がり、相も変わらず無機質で冷たい廊下を急ぐ。エレベーターがあるところから左手に進んで4番目の部屋が目的地だが……すでにドアはあけられていて、中には数人の男女と医師、そして看護師さんが鮨詰め状態になっていた。
「これは……」
「ちょっと聞いてきます」
手前の4人……恵介たちをかき分けて、新井さんはベッドの横にいる医師のところまで行き、一言二言話すとまたこちらに帰ってきた。恵介たちも僕に気づいたようだが、そこまで広くない部屋に8人近くと機器が入っているから今は身動きが取れずこっちに来れないようだった。
「今はちょっと安定してるっぽいですね。ただ、今夜あたりが山場らしいです」
「……そうですか」
「あと10分くらいすれば診療も終わるみたいですからちょっと待ってましょうか」
「はい……」
その10分の間に飲みものを買っておいたり1階まで戻って受付で名前を書いてきたりして、時間をつぶしていたらついに医師団が引っ込んで行った。新井さんもそっちについていくらしく「またあとで来ますから」と言って去ってしまった。最後に残された僕らは個室においてある机を囲んで座って静かにしているしかなかった。
「……とりあえず、五十嵐君が間に合ってよかったわね」
「ああ。一番居なくちゃいけないのはお前だからな」
「…………お茶買ってくる」
「それなら私も行こう。一人で5本持つのは無理だろう」
暗い雰囲気に耐えられないといった感じの西岡君がお茶を買いに行き、会長もそっちに行ってしまう。部屋からまた2人が外に行き、3人になったところで、ようやく峰岸さんが話し始めてくれた。
「遥と会ったのは、確か中3になる前の春休みだったわね。アンドロメダシンの施術を仙台で受けて恵介とこっちに来て……寮があったんだけどそこの同室が遥だったの。その頃は、私は前にも言った通りだいぶネガティブな考え方ばっかりしてたわ」
しかし、その時の遥は違ったらしい。ずっと知らなかった世界に飛び出すことができて、テレビでしか見れなかったいろんなものを見てずっとはしゃいでいたのだとか。楽しそうで、明るくて……でも危なっかしい。そんな彼女を見ていたら自分の考えなんてどうでもよくなったとか。
「危なっかしいからって最初の方はちゃんと注意してたんだけど最近は一緒になって無茶しちゃうんだけどね」
「まああいつが周りに与える影響力は異常だからな。それこそ売れっ子のアイドルと同等くらいにはな」
「でも、やっぱりこうなることはわかってたわ……アンドロメダシンの効果は無限じゃない」
なにかを悟ったというような峰岸さんは、点滴に心電図の装置と酸素マスクがされた遥の方を向いて遠い目をしている。まるでそれは、もしかしたらそこに横になっているのは自分だったかもしれない、そんなことを思っているようだった。かかっている病気は違えど、同じアンドロメダシンの施術を受けた者として、そして一人の人間として。
「とりあえず、俺たちにできることは今はないだろ。流石にここを離れるわけにはいかないが、少しは落ち着かんとやってられねーぞ」
「そうね……交代でお昼ご飯とかは食べてきましょっか」
「だな。こんなくらい雰囲気じゃずっと曇天のままだ」
”今度はこっちが太陽になる番”……そのはずなのになかなか太陽は昇らない。そのことがさらに僕を不安にさせるのだった。
〇 〇 〇
それから、僕たちは交代でお昼ご飯を食べに行ったりして再び遥が目覚めるのを待った。一分でもいいから、たった一秒でもいいから長くこの世界に居てもらうために。そしてまた笑顔で話し合うために。そんな祈りと願いを込めながら病室の中で時間を過ごしていった。
それが日が傾きかけても、空が赤色に染まっても、月が顔を出し始めても、空に星が見えるようになっても続いた。
誰が話すでもなく、かといって音を立てないわけでもなく。室内に鳴り響くのは心電図の音と誰かが読む小説のページをめくる音だけだ。
そして気づけば時計は0時を回り……ついに遥の容態があやしくなってきてしまったのだ……。
繰り返し聞こえる心拍数の音、それにいち早く気づいたのは3個目の分厚い小説に手を出していた西岡君だった。2回目のイレギュラーな音で横で少し船をこぎ始めた会長をつついて起こすと、足早に病室を去ってしまう。
さらに、西岡君が言いたかったことを察した会長はすぐに仮眠をとっていた峰岸さんと恵介を揺さぶって起こす。そして彼らの意識が完全に戻りかけたときに西岡君が後ろに医師陣を引き連れて戻ってきた。
「ひとまず見てみましょう。ここに来るまでに何回くらいありました?」
「さ、3回くらい……」
「なるほど。多少乱れたくらいの可能性もありますが……むしろそうであってくれ……」
ここに来た時に「今日の夜が山場」と説明してくれた医師がそう呟きながら診察を始めた。再び広いようで狭い個室はまたしても通勤ラッシュの電車の中レベルの人口密度になってしまった。
「大丈夫、じゃないわよね……」
「あれだな。俺たちは覚悟が足りなかったかもな。心の奥ではずっとわかってたさ、”いつかは、誰かはこうなってしまう”って。でも、今までの生活が楽しすぎて、無意識にそれを考えるのを塞いでたんだろ」
今にも泣きだしそうな峰岸さんを見ながら、恵介は誰に言うでもなくそんなことをつぶやく。確かに、この1年はとても楽しかった。信じたくないことも、苦しいこともあったけど、それも自分たちなら何とかなると思った。それくらい楽しかったし、変わらないと思った。
じゃあ、僕はみんなに何をしてあげることができたんだろう。遥みたいにみんなの太陽でいるでもなく、恵介みたいにムードメーカーでもなく、峰岸さんみたいにしっかり者じゃなくて、会長みたいにまとめ役じゃなくて、西岡君みたいに縁の下の力持ちでもない。
じゃあ、僕はみんなに……遥に何をしてあげられたんだろう。
ただただ一緒にご飯を食べて、一緒に帰って、一緒に勉強して、出かけて、みんなでバカやって、笑って、楽しんで……。
さらに時計の針は進み、ついに5時過ぎを指し示したころ。
「……う」
「遥!?」
地平線の奥から少しづつ白い光が見えるほんの前に遥がかすかにだが意識を取り戻した。今までも1時間に1回ほど心電図に異常があったものの、すぐに収まっていたが……それももう戻りそうになかった。
「もう一度呼んでくる!」
またしても、一番早く反応した西岡君は今まで聞いたことのないくらいはっきりとした声を出すと、今度は走って病室を出て行ってしまう。その間に、僕たちはベッドの周りへとどんどんと集まっていく。どうやら遥はうっすらとは僕たちの姿は見えるようで、力なく左右に首を振ると、少しだけ微笑みながら「来てたんだね」と話してくれた。
「遥、とりあえず今担当医の人がくるから待ってて!」
「おい、気持ちはわかるが落ち着け」
「だって!」
「そ……だよ、いつも……みたい、に」
再びパニックになってしまった峰岸さんをなんとかなだめようとする恵介。それがなんとなくわかるのであろう遥が小さい声でまた宥める。そんなことをしていれば同じ階で待機していたという医師団が再びここに現れた。慌てて僕たちもベッドのスペースを譲るが……1分程度でなされたことは点滴を外して、そして酸素マスクを取る、というものだけだった。
つまり……これは……。
「皆さん、ベッドの横にいてやってください……」
「そんな……!」
「もう、これ以上為す術はないです……これ以上延命処置をしても苦しいだけなんです……」
最期のその一言は僕たちを暗闇のどん底へ突き落すには十分すぎる一言だった。
だってそれは、今ここで一人の人間の人生が終わってしまうということだから……。
だってそれは、僕の目の前から一人の人間がいなくなるってことだから……。
だってそれは、もう一人の人間と会えなくなるってことだから……。
「……行くぞ」
「恵介……」
まだわからないか? 新井さんも言ってただろ、今まで俺たちの太陽でいてくれたからこそ、最後の最期で恩返しだ。こんな返し方、本当は嫌だけどな」
再び思考が止まろうとしていた僕に恵介はそう声をかけてきた。どこからか、自然と何かがこみあげてくる……でも、それは絶対に我慢しなくちゃいけない”モノ”なんだろう……。
だって……僕は。
自分の中から溢れそうになる感情を抑えながら、一歩、そしてまた一歩遥が横たわるベッドの近くまで歩いていく。壁も、ベッドの色も、カーテンも真っ白なように、僕の頭の中も……そして視界も真っ白になってくる。
――その白で、黒を塗りつぶせたらいいのに。
「遥……」
「俺たちができるのは見守ってやることくらいだ……」
僕の隣に恵介が立ち、向かい側に峰岸さんと会長、そして西岡君が同じく遥を見守る。今までついていた数々の機器をすべて外された遥の姿を見たのはいつぶりだろう……その姿を思い出してからもう一度彼女を見ても、あまり大差はないようにみえた。
また、すぐに僕たちに気づいて何か面白い話をしてくれるんじゃないかと……まだ思ってしまう。いや、それしかありえないって思えるんだ――
そして、朝日が病室にそそぎこんだ午前6時頃に、また少しだけ遥の口が動いた。
『ボク、は幸せ者だった、みたいだね。だって……』
『こうやって……分が、好き……に、見送って、もらえ……』
それはとてもとても小さく、そしてか細い声。だけど、ほぼ無音だった部屋の中には確かにその言葉は響き――
その日、僕の目の前から一人の人間がこの世を去っていった。
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