雪虫舞う街で、
@mikei
第1話 テレビ塔の下で、
「ほら、見て、ゆきむし。」
(あっ)
僕は、その声を聞いた瞬間、はっと我に帰り目が醒めた。
その声が薄れていた僕の意識を現実に引き戻したのだ。
我に帰った僕は、最初その声があまりにもはっきりと聞こえた気がしたので、誰かが僕に直接話し掛けたのかと思い、すぐに辺りを見回した。
しかし、僕の座っているベンチの周りには誰もおらず、辺りはしんと静まり返っていた。
相変わらず、多くの雪虫がふわふわと漂っているだけだった。
ここに座ってからどれくらいの時間が経ったのだろうか。頭上にそびえ立つテレビ塔のライトアップは既に消えており、デジタル表示の時計だけが漆黒の夜空にくっきりと輝いていた。
時刻は十時三十分だった。
(三十分もここに居たのか・・・。)
その日、僕は夕方から取引先の会社で打ち合わせをしていたのだが、話が長引いてしまい、そこを出たのが九時半を過ぎていた。
まだ仕事は残っていたが、連日の残業続きだったこともあり、会社に戻って仕事をする気になれず、そのまま帰宅することにした。
僕の住んでいるアパートは路面電車沿いだったので通勤はいつも市電を使っていた。
ここから市電に乗るには、西四丁目電停が一番近い。
僕は、取引先の会社が入っているビルを出ると携帯電話で会社に直接帰宅することを告げてから、西に向かって歩き始めた。
十二月初めの札幌は、まだ雪は降っていなかったが季節は既に冬であり、頬に当たる風は東京のそれとは比べものにならない冷たさだった。
肩をすぼめながら北一条通りをしばらく歩き、ちょうど創成川通りに差し掛かった時、左手にビルの谷間から突如としてライトアップされたテレビ塔の姿が眼に飛び込んできた。
赤や青のライトで飾り付けられたテレビ塔は黒い空を背景にとてもきらびやかに輝いていた。
僕は、その華やかさに誘われる様にテレビ塔へ向かって歩いていた。
この辺りは、札幌の都心部ではあるが人通りの多い札幌駅前通りから少し離れており、この時間帯は人影もまばらだった。
テレビ塔の真下まで来た僕は、太い鉄骨で出来た巨大で勇壮なその姿を見上げながらそこを通り抜け、西側に広がる大通公園に差し掛かった。
と、その時、ふと雪虫が飛んでいるのに気が付き立ち止まった。
テレビ塔の照明と周りの街路灯で明るくなっている公園内をたくさんの雪虫がふわふわと漂っていた。
(雪虫だ。懐かしいなあ。以前にも、こうして雪虫を見た様な気が・・。)
十年前に一年間ほど札幌に住んでいた事がある僕にとって、雪虫を見るのは本当に久しぶりの事だった。
初雪が降る少し前に、その到来を人々に知らせるかのように、まるで粉雪の様なその姿を数日の間だけ現す。その後、雪虫がいなくなると初雪になると言う。
不思議な虫だ。
正式な名前や、なぜ雪の様な姿をして、どうして初雪の前だけ現れるのか、詳しい事はわからないが、札幌に住んでいた当時、誰かから聞いた様な覚えがある。
凛とした寒さのなか、ゆっくりと漂う雪虫を見ているうちに、いつの間にか、まわりが真っ暗になり、雪虫だけが白くぼんやりと光り僕を取り囲んでいるような感覚になってきた。
それは何か、現実とは違うとても幻想的な別世界の様に見えてきた。
僕は驚きとともに立ちすくんでいると、急に軽いめまいを覚え、その場に立っていられなくなり、近くのベンチに座り込んだ。
これまで経験したことの無い感覚で意識が遠のいていった。
それと同時に、頭のなかに白い霧の様なものが立ち込めてくるのを感じた。
そして、(夢と同じだ。)と思った。
僕は一年程前から同じ夢を時々見ることがあった。
その夢の中では、視界は濃い霧に遮られており、周りの様子ははっきりとわからないが、少し先に微かに人影を見ることが出来た。
顔は霧のせいではっきりわからないが、そのシルエットから女性であることは間違いない様だ。
その女性は、僕をじっと見つめている。夢はいつもそこで終わった。
なぜこのような夢を見るのか、その女性は誰なのか、これまで一度も深く考えた事はなかった。正直、ほとんど気に留めていなかった。
意識の中の霧はどんどん濃くなり、夢と同じ景色になってきた。
(あの女性が現れるのか?)
霧の中を凝視していると、ぼんやりと人影が現れて、徐々にこちらに近づいてきた。
(やはり、夢と同じだ。)
今、自分は夢を見ているのか、目が覚めているのかも良くわからなくなっていた。
と、その時、
「ほら、見て、ゆきむし。」
はっきりと女性の声が聞こえた。
とても優しく、そして美しい声だった。
体はかなり冷えきっていたが、僕は直ぐにここを立ち去る気にはならなかった。
その声を聞いたことで、何か遠い昔に忘れていたものを思い出した様な気がした。
それが何かはわからないが、今ここから立ち去ったらその糸口が切れてしまうのではないかと思ったのだ。
(ゆきむし・・・。)
その言葉がはっきりと頭の中に残っていた。
十年振りに雪虫を見たことで意識が遠のき、そしてあの夢と一緒になった。
と言うことは、あの女性と雪虫には何か関係があるのか。
これまで、実在などしない夢の中だけの人物だと思っていたが、こうして声を聞くと、かつて会ったことがある人ではないか、という思いが沸いてきた。
しかし、僕の記憶の中にその女性はいない。
この矛盾が僕の頭を混乱させた。
僕は改めて夢の中の女性の姿を思い出そうとした。以前会っていたのなら、きっと思い出せるはずだ。
顔立ちや髪型など記憶を辿ろうとした時、
(うっ。)
急に頭の中を激痛が走った。
(どうしたんだろう。こんな頭痛は初めてだ。)
痛みは暫くすると治まった。
再び夢の中の女性について考えると、
(ううっ。)
またしても激しい頭痛に襲われた。
(どういう事なんだ。なぜ頭が痛くなるんだ。)
不思議と夢の中の女性について考えると激しい頭痛に襲われた。
仕方なく一旦考えるのを止めて、ベンチに深く座り直した。
広場には帰宅途中らしき中年のサラリーマンが一人歩いていた。
こんな寒いなかに一人でベンチに座っている僕をいぶかしげに一瞥してから、小走りに地下街の入口へ消えていった。
誰も居なくなった広場をぼんやりと見ていると、急に寒さが堪えられなくなってきた。
仕方なく、僕は電停に向かうことにした。
このまま外を歩いて行くのはとても寒く耐えられそうもなかったので、先ほどのサラリーマンが入っていった入口を降りて、地下街へ向かった。
やはり、冬の寒い時期は皆、地下街を歩くことが多くなるのか、地上と比べると人通りはかなり多かった。
僕は人波に合わせて大通りからすすきの方面に向かって歩いた。
地下街は、クリスマスに向けた飾り付けが各店で施され、軽快な音楽も流れており、とても賑やかな雰囲気だった。
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