六話
ドアが三回鳴った。
私は、扉の向こうで待つ男、グラウへ入る様に促した。
外は、すっかり陽も落ちて夜の闇に包まれている。
しかし、夜とは言っても時間は六の鐘半(おおよそ二十時頃)が鳴って直ぐくらいであったので、表通りは街灯の灯りに照らされ、人通りも夕食時を外れ少し落ち着いたが、まだ盛んである。
私たちは、その人通りに紛れ出発する手筈となっていた。
私は、少し前にグラウが持ってきた質素なフード付きの外套を羽織り、腰に下げた刀は布の袋で覆い、肩から担いだ。
横に並ぶサクラ様は、特に変わりなく、最初から着ている白いローブを纏い、その特徴的な瑠璃色の髪の毛を隠す様にフードですっぽり頭を覆っている。
「少し早いが、出発する」
グラウは、一言だけ私たちに告げると、背を向けて部屋を出ていった。
相変わらず不愛想な男だ。
だが、今はこの男が何であれ、彼に頼るしかない。
私は気を失っていたので判らないが、サクラ様の言ではかなりの手練れとの事だ。
かの有名なギルド、
私は懐に忍ばせた、空の瓶を握ると、サクラ様へ声をかけてグラウの後を追い、部屋の扉をくぐった。
――サクラ様と階下へ降りると、グラウは、宿の店主と思しき老人と二、三会話し、料金を渡して外へ向かっているところだった。
私たちは、老人の見送りの挨拶を背中に、彼に続いて宿の外へ出る。
グラウは、宿の前に係留していた、私たちが乗ってきた二頭の馬に鞍や頭絡を着けて、準備をしているところだった。
彼は、少し息の上がったサクラ様を見やると、色々な荷物が詰め込まれているだろう鞄を背中に背負い、目の前の馬に跨った。
それが出発の合図だと察した。
私はもう一頭の馬へサクラ様を乗せ、自分も続いた。
「行くぞ」
グラウは馬へ合図を送りゆっくりと発進した。私たちもそれに倣う。
そして、街中なので、ゆっくりとした速度であるが、表通りに設置された、ガラスの箱に大き目のろうそくを設置した街灯の明かりに照らされながら、やや数の減ってきた人流を縫って、私たちはララバードの宿場町を後にした。
「このまま街道を西へ進み、スタンの王都方面へ向かう」
宿場町から少し行ったところで、グラウは馬を並べ、私とサクラ様へ地図を見せると、自分たちがたどる予定の道程を指でなぞった。
月明かりで、存外と周囲は明るいが、それでも、手元を含め周囲は薄暗く心もとない。
そのため、先程町で見た街灯を少し小さくしたような、携帯できる照明を準備していた。
私は、一緒にのぞき込むサクラ様に不便無いよう、それで地図を照らしてグラウの指し示す道筋を確認した。
地図には、リーアからフレイス王国へつながる街道及びスタン周辺の地理が記されている。
スタンは、リーアと同じく連邦の中でも王国派閥に属していた。
また、国家建立の歴史的に、もともとはひとつの国であった記録が残っており、古くから友好的な関係を続けていた。
そして今私たちが使っている街道、通称『
当初は、その名の通り、スタンの特産品である小麦の輸送を主としていたが、今では多岐に渡る品々が行き交い、貿易の動脈とも言える道となっていた。
その後、リーアが鉄や石炭を王国と取引し始めたことを切っ掛けに、この街道は延長される事となる。
ララバードからリーアは、森や山を抜ける為、木々に囲まれどちらかと言えば急峻な道のりだが、スタンに入ってからは、特産品である小麦を栽培する畑が広がり、比較的平たんな道が続いていた。
「それから、依頼主の指示に従い、瑠璃姫の縁戚にあたるヤン伯爵領へ入る」
ヤン=スヴァルリッチ伯爵。
非常に計算高く、特に外交の手腕は近隣諸国にも高く評価されており、スタン王の懐刀とも呼ばれる人物である。
リーアは
いわゆる政略結婚というやつだ。
とは言ったものの、前述した国同士の背景もあって、ヤン伯爵とボタン様は幼少より面識もあり、前々からやんごとなき関係であるとの噂もあったりしたから、
そんな、ヤン伯爵の名を聞いた時、サクラ様の表情が少し和らいだ気がした。
ボタン様は、親戚の中でもサクラ様と昔から仲が良い。
外に嫁がれて最近は若干疎遠になっていたとは聞くが、色々と状況のはっきりしない今、彼女の存在がどれだけサクラ様の助けとなる事か。
私たちは、グラウの説明に無言でうなずくと、青白く照らされた街道を進むのだった。
***
「奴らの足取りは、掴めているのか?ウェイン」
窓の無い、少し手狭に感じる書斎に鎮座した、実用的で、頑丈そうな机の上に置かれた燭台の光のみで、はっきりと顔は分からないが、恐らく壮年期も中盤くらいに差し掛かったであろう男は、しわがれた声で目の前の赤毛の青年に言った。
青年、ウェインは無言で頷く。
――灰白の銃士。
噂が独り歩きしただけで、実在しないと言われていた男。
いくつか符号が合っただけで、確証を得たわけではない、だが間違いないと彼の勘がそう告げていた。
すっと通った鼻筋、薄い唇、涼し気な目元を持つ、所謂美形、である彼は先の戦闘で受けた傷を撫でると、醜く口元を歪める。
「楽しそうでなによりだが、仕事はしっかりしてもらいたいものだね」
「・・・これは失礼」
壮年の男の少し困ったような苦言に、ウェインは鷹揚な返事を返した。
すると、男は、嘆息し続けた。
「
男はゆっくり立ち上がると、背後に並ぶ巨大な本棚に敷き詰められた、紫色の一冊を取り出し、机の上に置いた。
表紙に書かれている文字は、一般的に使用されている公用語の面影はあるものの、別の言語であり内容は分からない。
だが、ウェインは、書かれた内容こそ判らないもののそれに見覚えがあった。
「魔導書、か」
「御明察の通り。これには、『
壮年の男は魔導書の表紙を撫でた。
するとそこに書かれた文字が金色にぼんやりと光る。まるで、息を吹き返したかの様に。
「今度は、確実に頼むよ」
男の念押しに片眉を上げてシニカルに返答し、魔導書へ手をかけたウェイン。
と、その手を、男は唐突に掴んだ。
ウェインは、彼の突然の行動に訝しげな視線を向けた。と、同時に彼は、その目を見開いた。
顔と共に上げた視線の先には、壮年の男の、鮮血の如き赤い瞳が不穏な輝きを放っていた。
その瞳孔は、猫の様に縦に割れ、異様さをより強調している。
幾つもの修羅場をくぐり抜けてきたと自負しているウェインの本能が、凄まじい早さで警鐘を鳴らしていた。
――コレは、危険だ、と。
ウェインは、からからに乾いたのどを鳴らして生唾を飲み込む。
今すぐ遁走すべきと告げる思考と、それだけは決してすべきではないと否定する感情が、同時に去来し、金縛りにあったかの様に全身を硬直させる。
しかし、壮年の男は、そんなウェインの葛藤をあざ笑うかのように、愉快そうな声を一つ小さく呟くと、彼の肩を軽く叩き、扉の奥に消えていった。
ウェインは、静かに息を吐くと、天井を仰ぎ見、ゆっくりと体を弛緩させた――。
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