第68話 一次医療機関における、身体診察の重要性
初期・後期研修医として6年間、九田記念病院でER当直も含め、たくさんの患者さんを診察し、その後診療所で約10年間仕事を行なった。
研修医の時には、師匠など、上級の先生から、病歴聴取、身体診察の重要性を伺っていたが、その言葉のありがたさを実感したのは診療所に来てからだった。九田記念病院では、多少身体診察がルーズでも、各種検査でそれを補うことができる。心雑音聴取がいい加減でも、心エコーをオーダーすれば、弁膜症の診断ができる。神経診察をしっかりしなくても、CTもMRIも撮れるのである。
しかし、診療所に来てからは、そういうわけには行かなくなった。使えるのはわずかな院内項目の緊急検査、エコーの機械はあるが、自分自身の腕がない(もちろん、診療所に入職してから、エコーの研修会に参加して、トレーニングは受けたが)。
レントゲンは取れるが、レントゲン室に置いているアンチョコ本では、特殊な撮影法の撮影条件や体位等は載っていない。CTは何世代前のものか、という機械で、以前に書いたように、1列(管球と検出器のセットが)のもの(今、急性期病院で使われているCTは、320列のものが当たり前にある)で、以前記載したように、1回撮影を行なうと、管球を冷やすのに30分近くかかる機械である。
その中で、ミスを少なく、適切な診断を行なうためには、しっかり病歴を確認することと、身体診察をきっちりと行なって、適切に検査前確率を上げることが必要であった。例えば、めまいの患者さんが来ても、中枢性のめまいとして、すぐに転送が必要なのか、末梢性めまいとして対応するのか、それは大きな違いである。そんなわけで、身体診察については、研修医時代よりも数段レベルアップしているのではないか、と勝手に思っている。
検査に頼れなかったら、頼りになるのは、自分の身に着けた技だけである。ドイツ語では医学はArtzと書くが、やはりartと関連するのであろう。ある意味、今私たちが診断に使っている身体診察所見、それらは数百年の医学の歴史を乗り越えて今に残っているものである。時に、ちょっとした特徴的な身体所見が、思わぬ診断を教えてくれることもしばしばである。
私が今、行なっている身体診察のほとんどは、医学生時代にOSCEの課題として与えられたものである。そういう意味では、医学部での授業をしっかり受けておくことは大切だと、卒業してもうすぐ20年になろうとするが、改めて思う次第である。
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