歩く食客ヴァイスン

 食客に迎え入れられ、ナロス伯爵家との和やかな晩餐を行うヴァイスン。

 このヴァイスンと言う名前、偽名である。

 様々な記憶を持っていない彼だが、それは彼個人がどういった人間であるかと云う記憶にのみに作用している。

 彼の思い出せる記憶の中で、このライヒ共和連邦でも通用するであろう名前からピックアップした物がヴァイスンで、何故ヴァイスンであるかと問われれば、特段に理由がない。

 何か良さげな名前がないかと思ったときに自然と浮かび上がった名前であった。

 晩餐にはナロス伯爵とその妻息子達にウェンドゥが参加し、ナロス伯爵がヴァイスンを紹介、ウェンドゥが事のあらましを説明するなか恙なく終える。

 明くる日、ヴァイスンは使用人に声を掛け、朝も早い時間からフィリンゲン=ナロスの都市を巡り歩いたのだった。


 歩く。

 ナロス伯爵にはどの程度の期間修行に明け暮れていたのかをはぐらかしたヴァイスンだが、実際にはちゃんとどの程度の期間黒い森に籠もっていたのかは把握をしている。

 それなのにどうしてそれを伝えなかったか?

 答えは単純、元はこの世界の住民でないことが原因である。

 ヴァイスンが何故この世界に来ることになったのかを嘘偽りなく語るには、神が既に居ないことを伝えなければならない。

 それによってどういった事態が今後起こりうるのか、また神の存在が消滅した経緯も説明する必要が出てくる。

 あまりにも絶望的で非現実的な事柄の為、ヴァイスンはこれを隠すことにし、自らの義の心で今ここで活動をしていることにしたのだ。

 そんなヴァイスンだが、今は歩き続けていた。

 歩き意識を巡らせ発動する魔法。

 魔法の発動には様々なやり方が存在するが、基本は意識を魔素に感応させて魔力を精製、その魔力を消費して事象を発動させることを魔法と呼ぶ。

 呪文を唱えたり、身振り手振りを交えての魔法発動は、この意識を魔素に感応させ魔力となった不可思議な力にイメージを明確に感応させる為の行為であった。

 ヴァイスンは歩いていた。

 ヴァイスンにとって歩くと云うことは魔法の発動である。

 内なる宇宙から引き出した魔素を使用して、一個人では到底出せない出力の魔法を行使しているのだ。

 今ヴァイスンが行使しているのは、この土地を守護する為の魔法陣の形成だ。

 ヴァイスンは都市の外周を練り歩く。

 意識を練り、魔法を練り、練り歩く。

 幾重にも重ねられた様々な流れが、断続的な行為が、複雑精緻な魔法陣を描く。

 彼の歩いた足跡は、見えない跡となり刻まれていく。

 彼が歩き描いた陣の内側は、ヴァイスンの行使した魔法の影響下に置かれた。

 魔法を行使するのは意思。意思こそが魔法。

 魔法の影響下に納めると云うことは、ヴァイスンの意思の影響下に納めると云うこと。

 この地は祝福された、創造神によりこの世界を託された名もなき存在によって。

 ヴァイスンの意思の元、この地の運命はこの地に住まう者達にとって好転を向かえる。

 一日を掛け幾度も都市外周を回り、歩いたヴァイスンは、日の陰りを確認するとナロス伯爵邸へと戻っていく。


「伯爵様、申し訳ありません。

 私どもでは後を追うこと叶いませんでした」

 ナロス伯爵家お抱えの領軍に所属し、ヴァイスンの護衛を命じられていた者の代表がナロス伯爵に報告を上げていた。

「それ程早く動いていたのか?」

「いえ、早い遅いの問題ではありません。

 気がついたときには、そこから居なくなっていたのです」

「早すぎて目で追えない程か」

 ギシと音を立てながら、座っている椅子の背もたれに体重を預ける伯爵。

「解った、今後も出来得る限りで良い、側に居る様に。

 何解ったことがあれば報告を」

「解りました」

 軍人らしく規律に準じた行動を行いつつも、そこはかとなく自身の不甲斐なさを耐えている様なヴァイスンの護衛担当者は部屋を辞した。

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