第10話 電車で登校した日②
昼休みになると、いつものように
「あれ、今日は裏門で見掛けなかったから、休んだのかと思ったよ」
「自分で何を言ってるか分かってるの?」
「仰る通り桐生さんを一目見たくて、毎日タイミングを見計らって登校しております」
正直な奴だ。先に言われると、罵声を浴びせる気にもならない。
「いつもパンばっかり食べてるから、たまにはお弁当をと思ったけど必要なさそうね」
「それは、俺のために弁当を用意してくれたってこと?」
「私が二つとも食べるから、気にしなくていいわよ」
広瀬君は慌てた様子で体を俺の方へ向けると、顔の前で
「男子の食欲を甘く見ないでほしい。どうか、どうか一つ分けてもらえれば俺の胃袋も喜ぶと思うので」
「言っとくけど、私が作ったんじゃないからね。いつもお弁当を作ってくれてるメイドにお願いして、二つ用意してもらっただけだから」
そう言って俺はトートバッグの中から、見た目も大きさも全く同じ二つの弁当を取り出すと、その内一つを広瀬君へ渡した。男子には量が少ないと思うが、既にパンを食べているのだから充分すぎるだろう。
広瀬君は弁当箱の蓋を開けて、ホクホク顔で弁当に箸を付ける。食欲が云々と言うよりも、意中の人に弁当を貰ったことが嬉しいのは、俺も男子高校生だったからよく分かる。
「どういう風の吹き回し…いや、どんなご好意で弁当なんか用意してくれたのかな?」
彼はおかずをゴクッと飲み込んでから、そう言った。口の中に食べ物を入れたまま喋らないくらいの品位はあるようだ。
「私の問題に真剣に答えてくれるから、お礼のつもりよ。でも、事情が変わったから、今回は従えそうにないけど」
「こっそり助けてくれた人を確かめるってことか。まあ、そうなるよな」
「知らない方が幸せなこともあるけど、それじゃ同じ過ちを繰り返すから」
「それって、俺に言ってる?」
「まさか。自分に言ってるのよ」
やはり量が少なかったのか広瀬君はすぐに食べ終わり、頭を下げながら弁当箱を返してくれた。
学校が終わってから、いつものように俺は鈴花に車で迎えに来てもらうと、そこから未亜の父親の会社へ直接向かった。
前回と違うのは、会社へは入らずに近くの喫茶店で、秘書の斉藤さんと待ち合わせをしたことだ。どうせ父親とは会えないから、斉藤さんを呼び出した方が話しが早い。
鈴花を車で待たせて店内で席に着いていた俺の所へ、後から斉藤さんがやって来て向かい側へ座る。俺が注文したアイスコーヒーが、殆ど減っていないのを見てクスッと笑った。
俺が天に召されるまでにコーヒーを飲み干してみたかったのに、どうにも未亜の味覚が受け付けなかった。ガムシロップをドバドバ注ぎ込めば飲めるんだろうけど、俺は甘いコーヒーを飲みたい訳じゃない。
店員が注文を聞きに来て、斉藤さんもアイスコーヒーを注文する。彼女も俺が大人ぶってコーヒーを注文したと思っているようだが、母親のように子供扱いして交換したりはしない。
「それで今日は何を、お父様に伝えればいいのかしら?」
「その前に、名刺を頂けますか?」
俺は斉藤さんの前に、愛想良く両方の
「あら、私とビジネスでもしたいの?」
「この間、斉藤さんの電話番号を教えてもらった時に、わざわざメモに書いてくれましたよね。名刺を渡せば済むことなのに、どうしてそんなことするのかなって思ったんですよ。私に見られたくないことでも書いてあるのかなって疑っちゃいますよね。それに私のこと、近くで見たら綺麗だって言ってくれたじゃないですか。それじゃ、遠くからは見たことあるのかなって」
さすがに斉藤さんは動揺することもなく、ニコッと笑った。ウエイトレスがアイスコーヒーを持って来たので、彼女はそれを口にして暫くの間は沈黙が続く。
「さすがに社長のお嬢さんだけあって、頭が切れるわね。いいわ、隠し通すようなことでもないし」
そう言って懐から名刺入れを取り出すと、中から一枚取り出して俺の掌の上に乗せてくれた。何の変哲もない普通の名刺なので、裏表を確認したが隠すようなことは何もない。そう思ったのだが、よく見ると斉藤さんの肩書きが私設秘書になっているのに気が付いた。
「私設秘書ってことは、直接お父様に雇われてるってことですか?」
「そうよ。私は会社の従業員じゃないわ。会社の仕事も勿論するけど、飽くまでも社長が個人的に雇っている秘書だから」
「どうして、わざわざそんなことするんですか?」
「社長のプライベートなことに、会社の従業員を使えないからよ。大企業の経営者ともなると敵も多いから、人に言えないようなことも裏ではやってるわ」
「私が起こした事故の後始末とか?」
「そうね。お嬢さんを助けようとして亡くなった男子高校生の両親と示談交渉をしたり、お嬢さんを騙して売春をさせようとした女子高生を他校へ転校させたりとかね」
俺が聞いている話しと、ちょっと違うなと思った。確か未亜は、小松崎に援助交際を持ち掛けられたと言っていた筈だ。未亜が嘘をつく理由がないから、本人はそう思っていたけれど他者から見ると違っていたという認識のズレだろうか。
「どうやって日向さんを転校させたんですか?札束で頬を叩いたとか?」
「当たらずとも遠からずね。あの子は父親が株で失敗して生活が困窮してたから、自ら望んで売春をしてたのよ。元々、両親には強い反発があったみたいだから、親元を離れて自活する資金と当面の生活費を提供する代わりに、二度とお嬢さんの前に現れないって念書を書いてもらったわ」
「念書って、どれくらい効果があるんですか?」
「約束を破られても、こちらが裁判でも起こさない限り何の役にも立たないわね」
「だから、お父様も心配してるんですね」
「お父様が心配してるのは、お嬢さんがバカな友達を信じて後戻りが出来なくなったことよ。世の中は善人ばかりじゃないってことが、まるで分かってないものね」
その言い方が、ちょっと嫌味っぽいので俺はムッとして
「どうして、バカだって言い切るんですか?」
と言い返した。
「今迄隠してたけど、お嬢さんは聡明だから見せても良さそうね」
そう言って斉藤さんは、クラッチバッグの中からスマホを取り出した。
「ちょっと待ってて、会社のサーバーにアクセスしてるから。日向さんからビデオメッセージを預かってるのよ」
「メッセージですか?」
「二度と会えないなら、最後に謝りたいって言われてね。でも、真に受けないでほしいわね。口では何とでも言えるから」
会社のサーバーに保存してある、ビデオのデータをダウンロードしているらしい。ダウンロードが終わると、斉藤さんはビデオを再生した状態でスマホを俺の前に置いた。
そこには、カメラ目線で話す少女の姿が映っていた。俺は初めて見るが、この人が日向なのだろう。
『未亜ちゃん、嘘ついてごめんね。小松崎先生に無理矢理、援交やらされてるって泣きついたけど、本当は自分からやりたいってお願いしてたの。そのことで未亜ちゃんが苦しんでたって秘書の人から聞いて、自分がどれだけ酷いことをしたのか気が付いたの。でも、これだけは信じて。妹が親戚に引き取られて離れ離れになりそうだったから、どうしてもお金が必要だったの』
なるほど。未亜が売春をしないから、その分を日向にやらせていると、小松崎から脅迫されたといったところか。
小松崎の脅しだけなら、断固として拒否できたのかもしれない。でも、友達だと思っていた日向が苦しんでいる姿は耐えられなかったのだろう。小松崎と日向はグルだったから、未亜と斉藤さんの認識が違う訳だ。
父親には敵も多いと言っていたから、娘の存在を知っていて大金を出す
未亜は父親が世間体を優先すると信じていたから、自分さえ居なくなればと自暴自棄になるのも分からないではない。
ビデオの再生が終わらない内に、斉藤さんがスマホを手に取ってバッグの中へ仕舞った。
「その子は小松崎から、お嬢さんの紹介料を前払いで受け取ってるのよ。言ってることに何の信憑性もないわね。この期に及んで自分がしたことを正当化しようとしてるから、バカだと言ったのよ。私の目の前でお嬢さんの連絡先を消去させたけど、別の人から入手する可能性もあるわ。まだ高校生だから今回だけは念書で済ませたけど、二度目はないから悲惨な結末を見たくなかったら、お嬢さんは関わらないことね」
さすがに未亜の父親が、個人的に雇っている秘書だけのことはある。日向が約束を破ることなど意に介していないらしい。俺は日向のことを知らないから単純に格好いいと思ったのだが、未亜は騙されていたことにやり切れない気持ちで一杯のようだ。
薄っぺらい人間関係しか構築できない未亜が、自分を犠牲にしてでも何とかしてあげようとしたのだ。また未亜の感情が高ぶって、ポロポロと涙が零れて来た。
「ああっ、ごめんね。言い方がキツかった?」
やり手の秘書も美少女の涙には弱いらしい。機嫌を取ろうとしているのか、ウエイトレスを呼び止めてプリンを追加注文した。
「うぢどメイドどばずながっでどぅんでずが…」
「えっ、何?」
斉藤さんがポケットティッシュを渡してくれたので、俺はズズッと鼻をかんだ。
「うちのメイドとは…グスッ…繋がってるんですか?」
「以前、会社に来た時に会ったことはあるけど、もう何年も前の話しよ。あの子は社長の部下だった人の娘さんだから、信用しても大丈夫よ」
「そうでずが…」
別に鈴花のことを疑ってはいない。ただ、未亜を心配する余り、情報を提供したりしていないかと思っただけだ。実際、父親に対してはそんなことをしている。
ウエイトレスがプリンを持って来たので、斉藤さんはニッコリ微笑んで掌でどうぞと合図する。
やっぱり未亜の味覚には甘い物が合っているのか、それを食べ始めると涙が引いて来る。ここ数日は、未亜の感情に振り回されてばかりだ。
「お人形さんみたいな見た目で頭が切れると思ったら、今度は大泣きしてグズグズになってるし。それで、プリンで泣き止むなんて本当にギャップ萌えね」
俺がプリンを食べる様子を、斉藤さんはニコニコしながら見詰めていた。
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