第16話 魔女修行が始まる ―前編―

 そろそろ秋が近づいてきたある日の夕方。ヒカリは仕事を終えて会社を出た。


「おーい! ヒカリ!」


 会社の方からエドの声が聞こえたので、振り返るとエドがこちらに向かって歩いてきていた。ひとまずエドのもとへ向かった。


「どこか行くのか?」


 エドはヒカリに質問した。


「ちょっと本屋に行くつもり! ……というのも、この前、外国人のお客さんが来たんだけど、自分が全然英語話せないからすっごく困っちゃってさ! やっぱり、受付の仕事をするなら、少しくらい英語を話せるようになった方がいいでしょ? だから、参考書を買いに行こうと思って!」


 ヒカリは苦笑いしながら言った。


「なるほど、それは偉いな!」


 エドは腕を組みながら言った。


「それじゃ、行ってくるね!」


 ヒカリはそう言って駐輪場に向かおうとした。


「いやいや、ヒカリ。大事なことを忘れてねえか?」


 エドの声が聞こえたので、ヒカリは再びエドの方を振り返った。


「大事なこと? 私はここの受付員なんだから、どんなお客さんでも対応できるように、日々努力するのが当たり前。そんな私に、大事なことが他にあるわけ…………」


 ヒカリは話の途中で急に固まる。


「あーーーーー!」


 ヒカリは急に叫ぶ。


「そうだよ! 私、魔女になるためにここに来たんだよ! そりゃ、魔女になるためには、仕事も大事なことで……。って、仕事しかしてきてないじゃん! このままじゃ、魔女試験に受かりっこないよ…………」


 ヒカリはいつの間にか、仕事ばかりの日々を過ごしていたことに気づき、嘆いたあげく落ち込んでしまう。


「おいおい。仕事も魔法も一緒にやってしまったら、どっちも中途半端になってしまうだろ? だから、まずは仕事を覚えてもらいたくて、あえて魔法は教えてこなかった」


 エドは真剣な表情でそう言った。


「そうだったの?」


 ヒカリはエドの発言に食いつくように言う。


「……まぁ。そう考えたのも途中からで、最初の頃は普通に仕事が忙しすぎて、魔法を教える余裕がなかったんだけどな……」


 エドは苦笑いを浮かべながらそう言った。たしかに思い返せば、エドも最初は魔法を教えるつもりだったはず。でも、その後エドなりにいろいろ考えて仕事を優先にしたのだろう。『あえて魔法は教えてこなかった』という発言の信ぴょう性が少しだけ下がったが、きっと、エドにとっても手探りでやっている部分もあると思うので、ヒカリは納得することができた。


「そんで、そろそろ仕事も覚えてきたかなって思ったから、これから本格的な魔女修行を始めていこうと思う! いいよな?」


 エドは再び真剣な表情でそう言った。


「うん!」


 ヒカリもやっと魔女修行できると思って嬉しくなった。


「まず、魔女修行を始める前に渡すものがある」


 エドはそう言うと、一瞬でROSEの社員が持っているローブ姿になった。その後、魔法で同じローブと帽子を取り出し、ヒカリに手渡した。


「うわー! これ、みんな持ってるやつだ! ROSEのマークも入ってる! 私も貰えるの?」


 ヒカリは興奮しながら質問した。


「そりゃ、社員だからな」


 エドは落ち着いた様子で答えた。


「着てみていい?」


 ヒカリの嬉しい気持ちのパラメータがどんどん上がっていく。


「おう。ってか、むしろ着て欲しいんだけどな」


 エドはそう言った。


「ふふふ! 嬉しいな! 嬉しいな! みんなと一緒で嬉しいな!」


 ヒカリは嬉しくてリズミカルに歌いながらローブを着る。


「なんだよ、その歌!」


 エドはヒカリの歌が面白かったのか笑っていた。


「どう? 似合ってる?」


 ヒカリは帽子とローブ姿に着替え終わり、エドの顔を見ながら、自分のローブ姿が似合ってるかどうかを質問する。


「まぁ、……に、似合ってるんじゃねえか」


 エドは視線をそらしながらもそう言った。


「よかったー! ふふふ!」


 ヒカリはまだ嬉しさの余韻に浸っていた。


「ゴホン! とりあえず話をしていくと、そのローブはただのローブじゃない。とにかく丈夫にできていて、様々な魔法や物理攻撃を防いでくれる優れものだ。……そして、そのローブを着ていると、普通の人間には見えなくなる」


 エドは咳払いをした後、説明を始めた。


「そうなんだ!」


 ヒカリはその話に驚いてローブを見るが、見ても意味がないことに気づき、周りを見渡したが誰もいなかったので、本当に普通の人間から見えないのかを確認できなかった。


「普通の人間には、魔法を使っているところは見せないように! 魔法を使う時は、このローブを着ること! それが魔法界の基本ルールだ!」


 エドは腕を組んだままそう言った。


「わかった!」


 ヒカリはそう言った後、一つ気になったことがあった。


「…………あのさ! 魔法使いがいるってことも内緒なの? 私、友達には、魔法使いのこと言っちゃってるんだけどさ!」


 魔法使いがいることや魔法使いになるということは、親友のフミに話していたので、すごく心配になった。


「魔法使いの存在は、別に普通の人間に話しても構わない。どうせ、なかなか信じてもらえないだろうから、魔法使いは気にもしていないんだ。例えば、人間が魔法使いを目撃したとして、その人が他人に話しても信じる人はごくわずかだろ?」


 エドはそう言った。


「たしかに……」


 ひとまず、魔法使いの話をしても問題ないことがわかり安心した。


「とはいっても、むやみやたらに目撃されるのくらいは防ごうってことで、魔法を使う姿は隠しているんだ。……ただ、緊急事態の時は、ローブを着ていても人間に見えるように可視化したりもするし。命がかかってる時に、魔法使いだのなんだの言ってられないしな」


 エドは真剣な表情でそう言う。


「だから、火事の時にはマリーさんが見えたんだ」


 ヒカリは今まで魔法使いを見た時というのが、たしかに緊急事態だったと思い出し納得する。


「ちなみに、普通の人間のヒカリとシホが、ローブを着た魔法使いが見える条件というのも、説明しとかないといけないな。……その条件は、『魔女玉を身につけていること』もしくは、『ローブを着ていること』の二つだ。大事なことだから、よく覚えておけよ」


 エドはそう言った。


「そうなんだ」


 ヒカリはすごく大事なことだったので、しっかり覚えておこうと思った。


「それじゃ、魔女修行を始めていくぞ!」


 エドが元気にそう言った。


「うん!」


 ヒカリも元気に返事をする。


「まずは、空を飛ぶ魔法だな!」


 エドはそう言った。


「えっ? いきなり空を飛ぶ魔法なの?」


 ヒカリは、空を飛ぶ魔法の難易度が高いのではないかと思って驚いた。


「ん? そんなに驚くことか?」


 エドは首を傾げていた。


「なんとなく空を飛ぶのは難易度高そうだから、最初はもっと簡単そうな魔法からかと……」


 ヒカリはもちろん自分の発言に自信があるわけではなく、なんとなくそういうものではないかと思って伝える。


「空を飛ぶ魔法は、直に触れているものに魔法をかけるわけだから、どちらかというと簡単な魔法なんだ」


 エドは冷静にそう言った。


「へぇー、そうなんだ!」


 ヒカリは空を飛ぶ魔法の方が簡単だという理由を聞いて、意外と納得できるものだったので、すぐに受け入れられた。


「ということで、空を飛ぶ魔法の修行を始めるぞ! まずは、俺がやってみせる」


 エドはそう言うと、ポンっと魔法でほうきを取り出しまたがった。


「どんな魔法でも手順は同じだ。まずは、胸の中心に精神を集中する。まぁ、魔女見習いだと、首に付けている魔女玉に自分の精神を集中すればいい。そして、使いたい魔法のイメージを思い浮かべる。そしたら、魔法が発動する。こんなもんだ」


 エドが精神を集中すると胸のあたりがうっすら光っていた。そして、魔法のイメージを思い浮かべると言った後、エドの体がゆっくりと宙に浮き上がった。


「すごーい!」


 ヒカリはエドの魔法に感動した。


「やってみろ!」


 エドは空を飛ぶのをやめ、地面に着地しながら言った。


「よーし! ……でも、ほうき持ってないからどうしよう」


 ヒカリはエドに問いかけた。


「別に、ほうきじゃなくてもいいよ。ぶっちゃけ、なんでもいいわけだから……。そうだな……原付バイクでもいいんじゃねえか?」


 エドは悩んだ末に閃いたように言った。


「……えっ! 原付バイクでも空を飛べるの?」


 ヒカリはまさかの原付バイクだったので驚いてしまう。


「なんでも飛べるよ。魔法だし」


 エドは冷静に言った。


「世の中の人間の常識が崩れていくよー!」


 ヒカリは頭を抱えながらそう言った。


「ん? まぁ、たしかに大抵の魔法使いは、ほうきに乗って空を飛んでるし、軽くて飛びやすいからというのもある。……そうだな! ほうきにするか! ほらよ!」


 エドはそう言うと、持っていたほうきをヒカリに渡した。


「使っていいの?」


 ヒカリはエドに問いかける。


「それやるよ! 俺はもう一本持ってるから! そのほうきはすごく飛びやすいし、かなり速度も出るからいいぞ!」


 エドは笑顔でそう言った。


「そうなの? ありがとう!」


 ヒカリはエドからいいほうきを貰えたので嬉しかった。


「じゃ、とにかく実践だな! やってみろ!」


 エドは真剣な表情になりそう言った。


「よーし! やるぞー!」


 ヒカリはほうきにまたがりながら元気よく言った。


「えっと……。魔女玉に精神を集中して……。空を飛ぶイメージを思い浮かべる……。ぐぐぐぐぐ…………。むむむむむ…………。」


 ヒカリはエドの説明通りにやってみたが、全く体が浮き上がらない。


「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐ……。……はぁーー! あっ! 今ちょっと浮いてたかも!」

「浮いてねえよ!」


 なんとなく一瞬浮き上がったような気もしたが、全く浮き上がっていなかったようだ。


「ふぅー。……そりゃ、簡単には使えるようにならないか」


 ヒカリは呼吸を整えながらそう言った。自分のぼやきに対して、エドから何も反応がないので見てみると、真剣な表情を浮かべながら見守ってくれていた。エドの期待にも応えたいから、とにかく何度でも挑戦しようと思った。


「…………。くっ! …………。はっ! …………。はぁーっ! …………」


 だが宙に浮かばない。それから、何度も挑戦し続けた。せめて魔法が少しでも使えたと思えるくらいの成果が欲しい。今のままでは何も得られていないから。とにかく繰り返そう。




 空を飛ぶ魔法の修行を始めてから二時間ほど経ったが、まだ一度も宙に浮かぶことはなかった。それでもまだ諦めたくない。本気で魔女になりたいからこそ、余力が残っているうちは簡単に引き下がれない。


 そして、再び空を飛ぶ魔法に挑戦しようとした時、ずっと何も言わずに見守ってくれていたエドの存在にヒカリは気づいた。


「長い時間ごめんね。でも私、もう少しやりたいからさ、先に帰ってても大丈夫だよ!」


 ヒカリは申し訳ない気持ちだった。しかし、エドから返事は返ってこなかった。


「エド……?」


 ヒカリはエドが心配になった。

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