乙女ゲームの世界に転生したら、負け組ヒロインになってしまった
睦月 はる
第1話 カナリア
私の名前はカナリア・ガーシュウィン。
今日から上級学校の一年生!
上級学校は、十五歳になった王侯貴族は義務で通う事になっているの。
貴族では下層に位置する男爵家の出身で、ずっと田舎の領地で暮らしていたんだ。
進学を期に家族で王都に引っ越して来たんだけど、着いて早々迷子になるし、人攫いには遭遇するし、前途多難!
しかも都会の同年代の子達は、私よりもずっと大人びてて、洗練されていて上品なの。私悪目立ちしてない⁇
え~ん!私みたいな田舎娘がやっていけるのか不安だよ~!
な~んてな!
不安な訳あるかっての!
カナリアは誰もいないのを良い事に、校門の前で勇ましく仁王立ちしていた。
この世界は『初恋は突然に』と言う、名前はダサイが大ヒットした乙女ゲームの世界だ。
攻略対象者は、王太子、公爵令息、宰相令息、伯爵令息、天才教師、全員攻略すると出現する隣国皇太子。
そして、全員のルートで障害となる悪役令嬢もいる。
カナリアは、前世でこの乙女ゲームをやりにやりこんで、全ルートのハッピーエンド・バットエンド・ハーレムエンドを攻略した。
転生までのいきさつは。
冷蔵庫の奥に眠っていた、賞味期限が劇的に切れていたオイスターソースを使い腹を壊し、病院に運ばれ、やたらカタカナばっかりの、初めて名前を聞いた菌が繁殖してるとかで即入院。聞いた事も無い合併症を発症して死亡。
やっべ。改めて思い出すと、別の意味で泣けてくる。
せっかく好きな乙女ゲームの世界に転生したのだ、マヌケな前世の死因を打ち消し、吹き飛ばせる恋がしたい。いやする!
「私に死角はないわ!全攻略対象者のイベント発生起因・セリフ、悪役令嬢の堪忍袋ぶち切れポイント、都合よく囁かれるモブの独り言調の説明まで、ぜーーーんぶ覚えているのよ!あはははは!勝った!はい勝ちまーーーした!舐プだわ!ごめんあそばせチートですぅぅぅぅ!」
さすがにリアルでハーレムは不味いだろうから、攻略対象者を選択する人攫いイベントで遭遇した王太子に絞るか。
他の攻略対象者には、枕を涙で濡らしてもらおう。
やれやれモテる女はつらいぜ☆
こうしてカナリア・ガーシュウィンは、意気揚々と学園の門を潜った。
「どう言う事よ…」
カナリアの目の前には、攻略対象者の愛情値を確認する画面のバックに描かれていた中庭で、仲良く語り合う悪役令嬢と、攻略対象者達の姿があった。
「ちょっと何で、私とイベントを発生させた王太子がいるのよ。あんた、我儘な悪役令嬢に辟易して、婚約解消したいんじゃなかったの?もしかして、悪役令嬢が膝に乗せてる白毛玉、精霊王の卵?最後の断罪イベントで、身分差をひっくり返して結ばれる為の『この子は精霊の加護があるから例外で結婚可能!』ってやる時に欠かせないアレ?お前はヒロインに、野犬に襲われて所を助けて貰って出会うんだろ!何してんのよ!なーーに美女の膝の上でぬくぬくしてんのよ!」
どうして攻略対象者達は、嫌われ者の悪役令嬢を、愛しくてたまらないって目で見てんのよ。
その目は私に向けるものでしょ?
ふと悪役令嬢がこちらを見た。
まるで厄介で面倒な人物を見つけてしまった。でも大人の対応をしないとね…、と言わんばかりの視線。
愛しい女の視線を追って、攻略対象者達も私を見やった。
困惑、嫌悪、軽蔑、不安、顰蹙。
決して良い感情は窺えない瞳。
王太子、公爵令息、宰相令息、伯爵令息、天才教師。
学園でも指折りの貴公子達が目の前に揃っている。
それもそうだそう。だって私は乙女ゲームのヒロイン、カナリアなのだから。
しかしどういう訳か、カナリアに愛を囁く筈の攻略対象者達は、険しい視線を向けている。
麗しい攻略対象者達に囲まれ、本来なら彼らに忌み嫌われ避けられている筈の悪役令嬢、ベルナデーテローズ・フォンテーヌ公爵令嬢は、ずっと自分達を見つめたままのカナリアに不安を感じたのか、怯えた様に身を竦めた。
「ポンポン、ポポーン!」
悪役令嬢の膝の上で、白毛玉が励ます様に鳴いた。
何だよその、タヌキの鳴き声に無理やりオノマトペあてて、言語化したみたいな鳴き声は。お前そんな鳴き声だっけ?ああ、心を許した人間にだけ人語に聞こえるんだった。だからゲームでは普通に聞き取れて…って、それ私のポジションだよね⁈
「ありがとう、アルバトロス」
名前いかつっ!アルバトロスってわざと?天然?大人しくデフォルトネームのモコにしておけよ!
白毛玉は美女に撫でられてご満悦だ。気のせいか、こちらを見て鼻で笑われた気がする。
王太子、公爵令息、宰相令息、伯爵令息、天才教師も、厳しい視線を投げかけて来る。
私達の愛する人に手を出したら許さないと。
悪役令嬢は戸惑いながら、カナリアと剣呑な雰囲気を醸し出す攻略対象者達に、視線を行ったり来たりさせている。
何これ、何これ…。おかしい。絶対おかしい…!
私は混乱と衝動のままに、その場から逃げ出していた。
整理しよう。
本来なら攻略対象者達からちやほやされて『あ~ん、素敵な男性から何故か言い寄られて困っちゃう~!私どうしたらいいの~?』状態の筈なのに、一向にその気配が無いどころか、悪役令嬢ベルナデーテローズがヒロイン気取りに持て囃される始末だ。
こんなのは可笑しい。シナリオと違う。
「せっかく乙女ゲームの世界に転生したのに…、そう転生…」
カナリアはその事実に気が付くと、愕然と膝から崩れ落ちた。
「まさか。ゲームの世界とリアルの区別がつかなくて、身分も立場も空気も読めなくて、悪役令嬢と攻略対象者達がすっかりデキ上がってるのに、ヒロインだからイケメンと結ばれて当然でしょ?と、ヒロインらしからぬ暴走を繰り返し、ハッピーエンドどころか、断罪転落エンドを迎える悪役ヒロインに、この私がなったと言うの…?」
乙女ゲームの世界に転生するのが定番(?)となっていた前世。その転生した世界では悪役令嬢が幸せになるのも、また定番だった。
因みに、高確率でヒロインは逆に破滅している。
「何それ…。じゃあ私が『悪役』で、悪役令嬢が『ヒロイン』?何それ信じらんない…!」
『ヒロイン』とは、乙女の理想と夢が擬人化した姿だ。
実際には複数の男性と恋なんて、しかも同時進行なんて、大顰蹙をかって叩かれるが、乙女ゲーム世界ではヒロインと言うアバターを使って、一時の夢を見る事が許される。
危険な場面に遭遇しても、白馬に乗った王子様が必ず助けてくれるし、最初は素っ気なかったり、敵意剥き出しな彼も、最後には心を開いて愛を囁いてくれる。
それが当然なのだ、ヒロインにとって。だってヒロインだから。
では今の状態のカナリアはどうだ。
下層身分のヒロインが、上流貴族の貴公子に愛されて成立するシナリオは崩れ、『本来の身分と環境』に見合ったシナリオが進んでいる。
ここでカナリアが『私がヒロインだから!』と出しゃばって王太子達に近付いたら、良くても自主退学と言う名の追放処分。
しかしこの貴族社会において、上級学校卒業は義務で必然。最大の瑕疵となってカナリアも家族も貴族社会から爪弾きにされるだろう。
それは死刑も同然だった。
「何なのよ…。これじゃ、死んだ意味も、生まれ変わった意味もないじゃない…。悪役令嬢はただの令嬢で、王子様と結ばれて、私は…」
今、分かった。
何故転生ヒロインが異常なまでに、どう見ても相思相愛の悪役令嬢と攻略対象者に、突っかかって行ったのか。
ヒロインは、攻略対象者と結ばれないといけない。でないと存在の意味が無い。
それならモブの方が存在の意味がある。
でもヒロインはモブにはなれない。
私って、一体なんなの…?
パーーーン!
校舎裏 ビンタ響く 頬の音 カナリア心の俳句。
話があると呼び出され、十中八九王太子達への態度のイチャモンだろうなと思っていたら。いきなり肉体言語の洗礼をお見舞いされた。
「あんた、たかが男爵令嬢如きが、殿下や他の高貴な方々に馴れ馴れしく擦り寄って何様のつもり?あまりにも浅まし過ぎて、道化師が潜り込んで来たかと思ったわ」
くすくすと笑い声が響く。
あの一件以来、攻略対象者達は遠くから眺めるだけにして、一切接触はしていない。それまでは、愛情値を上げようと、媚を大安売りしていた。
未練はたらたらだ。王太子の腕の中に収まる悪役令嬢が、憎らしくてしょうがない。そこは私の居場所だと叫んで、引っぺがして詰ってやりたい。
でもそんな事をすれば、断罪イベントを待たずして、速攻で人生終了のお知らせである。
悪意の視線に攻略対象者達も、周囲の人間も気付いているだろう。抑えなければと思うのに、自分の存在意義を脅かす存在を前に、冷静でいられる程お人好しじゃない。
なまじ、各攻略対象者達のイベントを発生させ、接点を持っていた事も痛い。
こうやって詰め寄られるし、自分の中で期待の芽も顔を出している。
「あんた達こそ、一人に複数人が寄ってたかって詰め寄って卑怯とか思わないわけ?暴力まで振るって野蛮なうえ、卑怯にコソコソこんな所で…」
言葉は最後まで紡げなかった。
最初のものよりも強力なビンタを喰らい、地面に派手に倒れ込む。
「何すんのよ!」
「田舎娘は礼儀と言うものを知らないようね。馬や牛と育ったからかしら?鞭で打つ代わりに、こうやって体に直接教えてあげるのよ!」
立ち上がろうとすると肩を押されて、地面に尻もちを着く。また立ち上がろうとすれば、また肩を押されて尻もちを着く。
「やだ、子豚ちゃんが立てなくて困ってるわ~」
「子豚ちゃん、あんよがお下手ですね~」
「子豚ちゃんゴハン食べまちゅか~?」
家畜扱いを受け吐かれる暴言。投げつけられた飴玉が地味に痛い。
前の私だったら、王太子達が颯爽と登場して、この暴力令嬢達から救い出してくれると信じていただろう。
しかし今の時間帯、王太子達は悪役令嬢と優雅にお茶をしばいている頃だ。絶対に校舎裏に何て来やしない。
ヒーローの助けが無いヒロインなんて、惨めなだけだ。
いっそ、脳内お花畑ヒロインのままであったら「平等を謳う上級学校生が、身分差別なんていけないと思います!私はみんなとお友達になりたいんです!」とか言えたのだが、そんな建前と絶対王政縦社会の厳しさを意識した身としては、口ごたえは出来ても本格的な抵抗は理性が働いて体が動かない。
暫くして、ひとしきり暴力と暴言を吐いて満足したのか、ビンタ女達は笑いながら校舎裏から去って行った。
「いった~…。うわっ制服泥まみれじゃん、お嬢様達と違って、貧乏男爵令嬢は替えの制服なんて持ってないのよ!」
破れが無い事が救いだけど、これはない。マジでない。
文句を言いながら立ち上がると、視点が変わったせいかあるモノが視界に入った。
「……『隠し』キャラって、そんな物理的に隠れてるもんなの?」
整った美しい顔立ち、長く艶やかな黒髪。切れ長の浅葱色の瞳。鍛え抜かれ引き締まった肉体美。型は他と同じでも、一人だけ特別な渋い朱色の制服。
ルートヴィッヒ・フォン・ドラコーン。
ゲームの正規ルートを全員攻略すると開放される隠しキャラ、隣国の皇太子が、草むらの陰で寝そべり、決まりが悪そうにこちらを見上げてそこにいた。
あの場所なら、こちらの様子も茂みから窺えたし、声もばっちり聞こえていただろう。
なのに、カナリアに見つかるまで、知らぬ存ぜぬでスルーをきめこんでいた。
「隣国の王子様なんて、悪役令嬢に救いの手を差し伸べて、溺愛ルートを爆走する典型みたいなもんよね」
天敵のヒロインを助ける理由が無い。
物理的に隠れていたせいか、ゲームの設定が生きているのか、今の今まで全く接点が無かったが、カナリアの噂は愛する悪役令嬢様を筆頭に、攻略対象者達から聞き及んでいるだろう。
しかし、大国の王子様が地べたに寝そべって、いじめの現場を盗み聞きとは…。
頬の汚れを、ぐっと拳で拭う。
「ふっ…、面白れぇ男」
唖然としている皇太子を放置して、カナリアは泥まみれの制服を翻して立ち去った。
ルートヴィッヒは暇を持て余していた。
留学と言う名の厄介払いをされ、隣国までやって来た。
兄王に後継者が生まれるまでは、ルートヴィッヒが皇太子として席を埋めるが、いつかは邪魔になる。
その日まで勢力を拡大し、未来の皇太子、ひいては皇帝陛下へ弓を引かない様にと、単身で祖国から追い出された。
ルートヴィッヒ自身、帝位なんぞ興味が無かったが、ありもしない造反の意を年がら年中疑われるのにすっかり飽き飽きしていた。
留学の提案にこれ幸いと、王宮からとんずらして来たのだった。
あとの日々は怠慢である。
ルートヴィッヒがここにいるだけで役目が終わるのだから、何かする必要など無いだろう。
「あんた、たかが男爵令嬢如きが、殿下や他の高貴な方々に馴れ馴れしく擦り寄って何様のつもり?あまりにも浅まし過ぎて、道化師が潜り込んで来たかと思ったわ」
人目に付くのが嫌で、避けて避けてを繰り返していたら、いつの間にか校舎裏まで来ていた。そのまま留まっていたら、うたた寝までしていた。
それを覚ました甲高い声に、文字通りに飛び起きた。
「俺とした事が…。皇太子が外で雑魚寝とか、格好つかねえだろ…」
ルートヴィッヒが自戒している間も、甲高い声は止まない。それ所か剣呑な雰囲気が益々濃くなっている。
そっと様子を窺うと、一人の女に複数の女が寄ってたかって甚振っている様だった。
実に品の無い。…地べたに這い蹲って、盗み見している俺が言えた事では無いが…。
甚振られている女には見覚えがあった。
入学当初、上位遺族の男に媚びを売っていた女だ。
美人と言うより可愛らしい顔立ち、濃い茶色の髪、水色の瞳、子兎の様に守ってやりたくなる雰囲気に、男共の視線を当初は釘付けにしたが、王太子達への振る舞いで顰蹙を買い、今では皆呆れて相手にしなくなっている。
特に公爵令嬢で王太子の婚約者、ベルナデーテローズ・フォンテーヌ嬢に張り合う様なマネをして、彼女の信奉者共にほぼ殺意を向けられている。
俺は友人として王太子から話を聞き、面倒そうなので遠くから眺めるだけであったが。
名前さえも覚えていなかった。
(子兎って言うより、野良犬だな)
転ばされ詰られ、抗議の声を上げる間も無くまた転がされ。でも挫けるかと強い意志を瞳に宿し…。
(いやあれは『お前ら今に見ておけよ。絶対に復讐してやるからな。月の無い夜は背後に気を付けろよ』って怨念の籠った目だ…)
間違っても、不屈の精神などと綺麗なものに例えられない。
男に靡く様な女には見えないが、女同士の前だと本性が出るのだろうか。
泥を払いながら立ち上がる様子は、益荒男の出で立ちだ。
何なんだコイツと、呆れ半分感心半分で眺めていたら、女がこちらに気付いてしまった。
不味いと思っても目が離せない。
子供の頃、騎士達の御前試合を観戦した時の様な、不思議な高揚感があった。
女は驚いた様子ではあるが、何故助けなかったと癇癪を起こすでも無く、ぶつぶつと独り言を呟くと、漢らしく拳で頬の汚れを拭い、ふっと笑った。
「ふっ…、面白れぇ男」
「………!」
唖然とするルートヴィッヒに気にも留めず、女の皮を被った益荒男は、まるでマントを翻すが如く、泥まみれの制服を靡かせて立ち去って行った。
「…あいつ、何物だ?歴戦の勇者か何かか?」
胸の奥底から、温かなものが沸き起こって来る。
母国を離れ何を成すでも無く、朝起きて、夜が来たら眠って、ああまた朝が来てしまったと嘆いて、心がある事すら忘れかけていたのに。
「面白いなんて、人生で初めて言われぜ」
皇太子を面白いと言う女も、あいつくらいだろう。
ルートヴィッヒは気が付いたら女の後を追っていた。名前も知らない勇ましい女の。
名前は直ぐに分かった。
カナリア・ガーシュウィン。恐れ多くも高貴な方々に集る、田舎の鵞鳥娘だと。
ルートヴィッヒはあれを鵞鳥と呼ぶ連中の見る目の無さを、人生で一番の声を上げて笑い飛ばした。
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