第十章 ⑦
「——さて、宴もたけなわではございますが......」
「誤用が酷いね。何一つ場面が合ってないじゃん」
くすくすと、楽しそうに笑う悠姫。しかし、そんな言葉にいちいち返答している余裕は俺にはなかった。こんなつまらないボケでも入れていないと、俺の涙腺が保てないのだ。
場所は紫水家の玄関前。闇に染まり、静寂に包まれた住宅街では時という時を感じにくいが、確実に刻一刻と、悠姫との別れが近づいていた。最早、俺の中には後悔も未練もない。しかしながら、心にぽっかりと大きな穴が空いたような感覚が俺を襲った。
「もう、詩遠。そんな顔しちゃだめだよ」
悠姫は背伸びをしながら、温かな手で俺の目じりに少しだけはみ出た涙の珠を拭ってくれる。どうやら、どれだけ防ごうとしても、表には感情が漏れ出てしまうようだ。しかし、そんな悠姫の行為は逆効果だった。余計に、涙腺が緩くなってしまう。
「......悠姫、最期に一つだけ、いいか?」
「なあに?」
「俺、悠姫と逢えて本当に良かった。改めて、ありがとう。.........向こうでも、俺や紫水が逝くまでくたばるんじゃねえぞ?
そして、全員集まったら、また三人でバカをしような」
震える口角を無理やり上げ、涙を殺した。最期くらい、笑って送り出してあげたい。
「うん、いつまでも待ってるよ。できれば、うーんと後の方がいいかな」
「悠姫............」
「あ、それとさ、私からも、一つだけ約束してくれるかな」
俺は首肯し、言葉を促す。
すると、それを察した悠姫は、数秒間の溜めの後、言葉を紡いだ。
儚げなその表情は、何処かで見たことがあった。それは、過去の記憶とぼんやりと重なるものがあって。黒くて長い髪を有したその少女は、白く光る月明りに照らされながら、あの時も確かにこう言った。
「『蘭ちゃんと、ちゃんと仲良くやるんだよ?』」
苦い記憶が、フラッシュバックするように思い出す。しかも、思い出したのはその言葉と情景だけではなく、自分の意気地のない感情であったりだとか、無責任な発言であったりだとか、古傷が痛むそんなものまでもを芋づる式に思い出した。
今なら、あの時の悠姫の言葉の意図も分かった気がした。しかし、だからこそ、俺の胸は鷲掴みにされたかのように痛む。
俺は、震える声で、病室で苦しそうに微笑む少女と、
玄関先で儚げに笑う少女に向かって、こう答えた。
「ああ、もちろんだ」
と。
顔は多量の涙で濡れてしまっていたが、そんなことを気にしている暇はなかった。次々と溢れ出てくるそれを必死に手で拭い、何とか視覚を確保する。
すると悠姫は、家の方向へと身を翻す傍ら、心底嬉しそうな顔をしながら、こう言った。
「ありがとう、約束してくれて。.........詩遠は、私が誇る世界で一番の彼氏だよ」
と。
第十章 終
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