06 二人の過去

 冷たい雨の降りしきる夜、冥華町郊外にある住宅街の一角で、数発の銃声がとどろいた。


 とある一軒家の玄関前に一人の男が倒れており、その横に寄り添うようにして二人の子どもが膝を突き、泣き崩れていた。


 倒れた男と子どもたちの前にはもう一人レインコート姿の男が立っており、彼の手には煙の立ち上る拳銃が握られていた。その男は倒れた男を見下すように眺め、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、肩を震わせて笑った。


「くっくっ……最初から裏切るつもりでいたこの俺を側近なんかに置くとは……曹治郎、お前の他人を見る目は完全に腐っちまったらしいな。お陰様で見てみろよ。たった数発の銃弾だけで、お前が長年かけて築き上げてきたものが全て俺のものになった。お前は所詮、俺の手の上で踊らされていた手駒に過ぎなかったのさ。ここまで組をデカくしてくれて感謝するぜ。おかげでこっちも奪いようがあるってもんだ――謝礼として、地獄行きの切符をプレゼントしてやるよ」


 ――この日、長雨組初代組長であった長雨曹治郎は、彼の側近であった白雨重久の裏切りによって殺された。



 白雨が下劣な笑い声を上げて立ち去っていく中、曹治郎は裏切った側近に対して何を言い返すこともなく、沈黙したままうつろな目を空に向けていた。


 しかし、一番可哀想なのは、既に逝ってしまった父親の傍らに取り残された子どもたちの方だった。


 彼の息子である憑魔が、耳元で何度「お父さん!」と叫んでも、父親の目に光は戻らなかった。隣で泣き崩れていた篠介も同じことをしたが、結果は変わらない。二人を心から愛し育ててくれた父親は、二人の目の前で死んだのだ。


「親父っ! 俺たち長雨組を冥華町で一番にするんじゃなかったのかよ! 俺たちにそう約束したじゃねぇかよっ!」


 そう泣き叫ぶ篠介。彼の苗字は「村雨」。――そう、篠介は長雨家の血縁ではない。まだ彼が幼い頃、本当の両親によって捨てられた彼を、憑魔の父である曹治郎が引き取り、憑魔と共に息子同然のように可愛がったのだ。曹治郎の息子である憑魔と、養子である篠介は幼い頃から一緒で、同じ時を同じ屋根の下で過ごした。二人の間には何時しか強い絆が結ばれ、共に自分を愛情持って育ててくれた父親を尊敬するようになったのだった。


 そして長雨家には、二人の他にもまだもう一人兄弟がいる。


 開きっ放しになった玄関の扉の前に、憑魔と篠介の二人よりも更に幼い男の子が立っていた。その子はパジャマ姿で玄関前に立っており、枕を抱えたまま、眠い目を擦りながら雨の中で座り込む二人の姿を見ていた。


「……お兄ちゃん、どうしたの? さっきの音は何?」


 その子は、長雨一家の中で最も年少の子であり、憑魔の弟であった。兄である憑魔が慌てて少年の元へ駆け寄り、正面から強く抱きしめて、耳元でささやくように言った。


「見るんじゃないまとい……絶対に見ちゃ駄目だ……」


 憑魔の両手にべっとりと付いた父親の真っ赤な血が、抱きしめた子の着ているパジャマを赤く染めてゆく。纏と呼ばれた少年は、自分を抱いたまま震えている兄を見て、小さく首を傾げた。


「……お兄ちゃん? お父さん、もう帰って来たんでしょ…… お土産、持って来てくれたんでしょ。……ねぇ、お兄ちゃん、そうでしょ……ねぇ……」


 纏の声は、やがて徐々にかすれていき、最後は声にならないすすり泣きとなって、兄である憑魔の胸に頭をうずめ、彼の胸元を涙で濡らした。


【2005/6/20】


 どんよりとした曇天の下、父親の棺が霊柩車に乗せられ、火葬場へ向かって出発するところを、憑魔と篠介、纏の三人は並んで見送った。憑魔は両手に持った位牌いはいが、酷く重くなっていくように感じた。


「……なぁマッキー」


 この時、篠介が唐突に憑魔に声をかけた。


「……何だよシノ」


「俺さ、将来医者になりたいとかふざけたこと言ってたけど……辞めるよ。大学行くのも、辞める」


「は? お前いきなり何言ってんだよ」


 憑魔は驚いて篠介の方に顔を向けると、彼は目に一杯の涙を抱え込みながら、それでもきっと前を見据えていた。その瞳の内には、たぎった怒りの感情が、ちらちらと揺れる小さな炎になって燃えていた。


「俺、親父の後を継いで極道の頂点目指す。親父の叶えられなかった夢を、俺が果たしてやる。……そして、親父を裏切ったクソ野郎共を、一人残らずぶっ潰してやる!」


 篠介は震える手で持っていた父の遺影を握りしめる。そのあまりの力の強さに、遺影を収めていた額縁のガラスに大きなひびが入った。


「だから、いつか……いつか必ず、この俺が天下取ってやっから、見てろよマッキー……」


 ――こうして、この悲劇から六年経ったある日、二十四歳となった篠介は、父親の約束を果たすべく、若くして極道の世界へ飛び入った。


 そして、大学卒業を間近に控えていた憑魔は、ある日、道端で突然出会ってしまった悪魔の少女に、魂を売り渡すことになった。

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