02 悪魔を腰に差す男

「はぁ……おいシノ、援護が遅いぞ」


 コートの男がそう注意すると、加勢に現れたもう一人の仲間――ネクタイを付けず、白シャツの上に青の強い紺のストライプスーツを羽織った男が、軽い口調で言葉を返してきた。


「いや~~わりぃわりぃ、玄関からここまでこんなに距離があるなんて思わなくてさ」


 「シノ」と呼ばれた男は、オールバックの茶髪を片手で撫で付けながら、他人事のように笑う。


「だからきちんと下見をしておくよう言っただろ。道具は持って来てるな?」


 男の問い掛けに、シノは「モチのロン」と目配せしてゲートを潜る。途端にけたたましい警告音が鳴り響くが、彼はそんなのお構い無しに、肩に背負っていたパンパンに膨れているダッフルバッグをコートの男の前に投げた。


 コートの男は床を滑ってきたバッグを足で受け止め、ジッパーを開く。


 バッグの中には、拳銃やマシンガン、散弾銃、そして各種弾薬の入った箱や弾倉が、まるで玩具箱のようにぎっしり詰め込まれていた。


 二人はせっせとそれらの銃を取り出して、弾込めや薬室の確認、動作確認を始めた。カチャカチャと金属の擦れ合う小気味良い音が、広いエントランスホール内に響き渡る。


「いよいよこれから『カチコミ』とやらをしに行くのか? マスター」


 不意に、背後から少女の声がした。


 振り返ると、小さなカウンターテーブルの上に、ついさっきまで連れていた少女が腰を下ろし、愉快そうに体を左右に揺らして両脚をぶらつかせていた。コートの男は、ついさっきまで持っていた金色こんじきのリヴォルバーをカウンターの上に置いてそのままだったことを思い出す。


「いいや、もう始まってるさ。じきに手下共がうようよ湧いてくるだろうよ」


「おぉ、いよいよ楽しい虫退治の始まりというわけか!……だがマスターよ、うたげを始める前に、この我に馬鹿でひ弱な小娘役を演じさせておいて、お礼の一つもないのか?」


 不満を示すように少女は頰をぷぅと膨らませてそう尋ねてくる。コートの男は「やれやれ」と溜め息をついて、それから彼女の機嫌を取るようにこう答えた。


「あぁ、さっきの『イナイ、イナイ、バァ』は見事だったよ。演技も中々だ」


「ふん、あんな茶番、我にかかれば造作もないことよ」


 褒められた少女は平らな胸を張ってかっかと笑い、カウンターからひょいと飛び降りた。


「……だがここからが本番だ。お前にはもっと働いてもらうからな」


「それ相応の代償をマスターが払う覚悟があるというなら、我も喜んで手を貸してやろうぞ」


「ちっ、偉そうに言いやがって。言っとくが、今回はは使わないからな。あんなの無くったって軽く捻ってやるさ」


「ふふふ……粋がるのも今のうちだマスター。直ぐにでも我の力が必要になる時が来るはずだぞ」


 少女からそう言われて、コートの男は罰が悪そうに舌打ちしながら「いいから早く来い」と彼女に向かって片方の手を伸ばした。


「承知だ、マスター」


 少女は男の側に駆け寄り、彼が差し伸べた手を両手でぎゅっと握りしめる。


 ――刹那、少女の体は黒い煙となって、ミルクを流したようにどろりと空中に溶け出した。その煙は周囲をのように漂い、やがてきゅっと収縮して男の手の中に集まってゆく。


 そして次の瞬間、収縮した煙は金色こんじきのボディーを持つリヴォルバーへと姿を変え、彼の手の中に納まっていた。


 その様子を側で見ていたシノが、まるで出し物マジックでも見たかのように「ほほぅ」と愉快な声を上げて手を叩く。


「お前さんの相棒はスゲェな。変幻自在で、どんな武器にでも変形して手の中に収まっちまう。まるでランプの魔人みたいだぜ。……でもよ、何でまたリヴォルバーなんだ? オートマチックとかマシンガンの方が制圧に有利だってのに。……まさかお前、ジャムにビビってんのか?」


 コートの男はシノの言葉を受け流しながら、金色に輝く銃のシリンダーを開いて、素早い手付きで六つの薬室チャンバーに弾を押し込む。


「お前みたいに数撃ちゃ当たるみたいなゴリ押しがどうも苦手でね。それに、オートマチックは構造が複雑で、こいつが具現化までに時間がかかるし、その分より多くの魔力を消費してしまう。払う代償を少なくする為にも、構造的にシンプルなリヴォルバーが一番経済的なんだ。……それに、スマートに一発ずつで決めた方がクールだろ?」


 コートの男はそう言って六発入ったシリンダーを指で弾き、ルーレットのように回転させて閉じると、肩に吊るしたホルスターに差し込んだ。


「ちぇっ、何だよ格好付けやがって。そんなつまらねぇプライドが後々裏目に出ても知らねぇぞ」


「ほら、そのうるさい口を閉じて、ホール前に出て構えろ。……新手が来るぞ」


 コートの男は立ち上がり様に二丁の短機関銃ウージーをシノに投げてよこす。


 入り口前のエレベーターからチャイムが鳴り、開いた扉の奥から湧き出るようにして武装した黒服の男たちが次々と姿を表した。シノは両手に持った銃の安全弁を乱暴に外し、狩りを前に牙を剥き出す狼の如く吠える。


「大勢が出張ってお出迎えかい? 上等上等! おいマッキー! 背中は任せたぜ」


「背中に付くのはお前の方だシノ。黙って俺の後について来い」


 「マッキー」と呼ばれたコートの男がそう言葉を返し、ポンプアクションの散弾銃ハイスタンダードを縦に構えてシノの背中にぴたりと付ける。シノは甲高い笑い声を上げ、二丁の短機関銃ウージーを相手に向かってぶっ放した。


「ふははははっ! 言ったな? ならどっちが先に上に着くか、勝負しようぜ相棒!」



 ――今日、ネオンの煌めく幻想的な夜の街の下で、「マッキー」こと長雨ながめ憑魔ひょうまと、「シノ」こと村雨むらさめ篠介しのすけは、巨大暴力団組織「白雨はくう組」の本部にカチコミをかけた。


 たった二人と、一人の小娘を連れて。


 対する相手は総勢百名以上。無謀であることも、勝ち目が無いことも、憑魔には分かっていた。でも彼にとって、このカチコミは絶対に果たさなければならない使命であると同時に、長年抱き続けてきた叶わぬ夢でもあったのだ。


 「絶対に無理だ」「犬死間違い無し」「やるだけ無駄」「そんなに死にたいのか?」「死にたけりゃ勝手にしろよ」――


 冷淡に突き放すような自虐の言葉ばかりが頭を過り、いつまで経っても悲願は実行に移せず、過ぎてゆく日々を無難に消化するだけの毎日が続いていた。



「――その夢、我が叶えてやっても良いぞ?」


 しかしそんなある日、それまで手の届かぬ夢だと思われていた彼の悲願を、いともあっさり汲み取ってしまうように、その少女は言った。


 夕暮れ時、夕食をとるサラリーマンや学生たちの話し声で賑わうファミレスの店内。


 人のたむろする騒がしい空間から少し離れた、店の片隅に位置するボックス席で、「パンケーキを奢ってくれたお礼に、あんたの願いを一つ叶えてやる」と、唐突にその少女は言い出した。


「………は?」


「だ・か・ら! その夢、我が叶えてやろうって言っておるのだ!」


 その少女は、美しく艶やかな金髪を腰まで下げ、つぶらな赤い瞳をこちらに向けたまま、テーブルの前に置かれた三枚重ねのパンケーキにぎこちない手付きでナイフを入れ、切り取った一片を小さな口に思い切り頬張った。


 憑魔は、てっきり彼女が冗談でそう言ったのだと思った。飯を食わせて、気を良くしてそんなことを言い出したのではないかと、そう思った。


「どんな願いでもいいのか?」


「ふふん、我を誰だと思っておる? あの魔界最強の魔王にして最高の執行人、イヴリス・メテオラの娘、ウニカ・メテオラであるぞ。我が付いていれば、マスターの夢を叶えることなんて朝飯前なのだ!」


 口の中をパンケーキで一杯にしながら、少女はもごもごとそう言った。


「口にものを入れながら喋るな」


「ふぎゅっ!」


 憑魔はそんな少女の頭をパシリと打つ。


 ――彼女の名前はウニカ・メテオラ。後に、憑魔を数々の災難から救うこととなる「守り神」であり、同時に数々の災難を彼の元に呼び寄せることにもなった「疫病神」でもある。


 しかしその正体は、紙でも仏でもなく、偶然が重なった故に憑魔に取り憑いてしまった迷惑極まりない「悪魔」であるらしい。


「〜〜〜っ……と、とにかく、マスターの叶えたい望みを言ってみよ!」


 叩かれた頭を押さえて涙目になりながらもそう迫ってくるウニカ。


 憑魔は考えた。


 果たしてこの金髪幼女の前で自分の願いを口にしたところで、願いがかなえられるかどうかは分からない。……けれども彼には、絶対にいつか叶えたいと強く願っていることが一つだけあった。その願いは、とても他人に話して聞かせられるような穏やかなものではなく、下手すれば自分の命を犠牲にしかねない、非常に危険な望みだった。


 でも、もし本当に叶えられるというのなら――


 これまでずっと抱き続けてきた望みを実現できるというのなら――


(……なら俺は、例え悪魔だろうと何だろうと、喜んで取引してやるさ)


 憑魔は決意を新たにし、長年ずっと心の奥に秘め続けていた自分の願いを、少女に向かって口にしたのだった。


「――俺の親父を殺した白雨組の奴らを、一人残らず、皆殺しにしてやりたい」

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