大河小説シリーズ 沖縄戦~戦後78年目の真実~

長尾景虎

第1話 大河小説シリーズ 沖縄戦~戦後78年目の真実~

小説 戦後78年最大のドキュメント

  大河小説 沖縄戦 

~沖縄決戦の戦闘の真実!あの沖縄戦はいかにしてなったか?<上杉史観>~

 <降伏か?本土決戦か?沖縄戦をたたかったひとたち!>


              ~耐え難きを耐え忍び難きを忍び~


                  裕仁 ひろひと しょうわてんのう

                ~昭和の象徴・昭和天皇の人生!

                 わが心の昭和史~

                 total-produced&PRESENTED&written by

             NAGAO Kagetora長尾 景虎

         this novel is a dramatic interpretation

         of events and characters based on public

         sources and an in complete historical record.

         some scenes and events are presented as

         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ



     ーwith history the final judge of our deeds, let us go

      forth to lead the land we love asking his blessing and

      his help, but knowing that here on earth god’s work must

      truly be our own. ー   JFK


  ”歴史をわれわれの究極の審判とみなし、神の恵みと助けをもとめながらも、

  この地上では神のみざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ  愛する祖国を導き、前進していこうではないか”

                     ジョン・F・ケネデイ

                      1917~1963


 

          あらすじ


  昭和天皇は1901年に生まれた。明治天皇が裕仁と名付けた。そんな明治天皇も死に、乃木希典は後追い自殺を……裕仁は嫡男として皇太子に。しかし、病弱だった大正天皇はすぐに死んでしまう。時代は昭和へ。日露、日清戦争で勝った日本帝国は野望をもち中国などを侵略していく。時代は黒闇の戦争へ……

 昭和天皇は軍部のパペット(あやつり人形)と化して太平洋戦争を黙認する。しかし、日本に勝ち目はない。やがて原爆投下で日本は敗戦。天皇は「人間宣言」をして巡幸してまわる。やがてそんな天皇は八十七歳で崩御……時代は平成へと移る。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊……冷戦終結…時代は新たな一ページを刻む。

 昭和天皇はいう。

「戦争がさけられないのならばせめて治療法のない兵器は使わないでください」

2014年8月21日に2億円もの費用をかけて『昭和天皇実録』と称する裕仁の87年余の全生涯の研究実録書数十巻(60冊1万2000ページ)が平成天皇皇后に上程された。

この物語『大型時代小説 沖縄戦記』は半分実話と半分はフィクションです。人物名・名称・団体名・軍隊名等は一部フィクションが混ざっています。改めてご理解ください。                                    

 かつて、『侵略戦争と罪と罰』というような〝かつての日本軍・日本兵は全部、悪であり、ナチスと同じだった〟〝侵略・虐殺〟、というような自虐史観があったと思う。

 まあ、確かに、ある程度の虐殺行為も侵略行為も強姦などもあっただろうが、すべて日本軍だけが極悪だった……などはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によるアメリカからの洗脳でしかない。

 では、日本軍だけが悪で、連合軍の、都市無差別爆撃や広島長崎への原爆投下は悪ではないのか?

 確かに、数十年前はみんな騙されていた。ひたすら、日本軍・日本だけの〝悪・戦争犯罪〟だけを言及したのである。だが、もうそのペテンは通用しない。

 と、同時に、韓国や中国の、「(かつての侵略戦争の)謝罪をしろ! 賠償金を払え!」というのも違うのではないか? と思うのだ。

 韓国には1965年の日韓請求権交渉・国交正常化交渉で、日本は国家としての謝罪もおわっているし、その当時、5億ドル(1860億円・現在の価値7700億円)の賠償金も韓国政府に払っている。慰安婦・徴用工の賠償金も「韓国政府」がその金で払うのが本来正しい。

 また、中国へも国家的謝罪も日本はおわっており、賠償金代わりに中国へのODA(政府開発援助)で、5兆円も払っている。もう、おわっているのだ(北朝鮮はまだ独裁国家なので、払えない)。

また、かつての戦争(太平洋戦争・大東亜戦争)でも物凄い欧米人達のアジア人・日本人差別があったことは否定しようがない。欧米人は日本人をイエロー・モンキー(黄色い猿)イエロージャップ(黄色い日本人野郎)と呼んでいた。

東京や大阪などの無差別大空襲や、広島・長崎の原爆投下もその差別からのものである。

原爆で30万人が死に、大空襲でも数万人が死んだが、〝黄色い猿〟と思っていたからこそ躊躇なく攻撃できたのである。しかも、被害者は非戦闘員で、子供や老人や女性だらけ。

前にアメリカの外交筋の馬鹿が、「ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃を知っていた……なんてふざけるな!」とか激怒していたが、「お前ら原爆を落としただろう!」と言いたい。

米大統領が真珠湾攻撃を知っていたことはもう常識レベルの歴史の事実だ。それでも外交官か!欧米での日本人捕虜の虐待は『アーロン収容所』という本に詳しい。

映画『グレムリン』というのがあるが、あの小さくてうるさくて水で凶暴化するギズモーグレムリンは、「日本人」がモデルだとか。そうまで馬鹿にしているのである。

だが、日本軍は〝差別主義者〟の欧米兵士に勝った! とまでは言わない。

けしてあの戦争は『正義の戦争』ではないからだ。ある程度の虐殺も、ある程度の侵略も、ある程度の強姦もあったのだ。日本国のために戦い、戦死なされた英霊たちには失礼だが、過去の日本兵や日本人を英雄やヒロインにしたところで、何も変わらない。

我々は現実を見よう。〝アジア人差別〟〝黒人差別〟はなくならない。

だが、憎しみあっても意味がない。それに最近の日本人だって外国人差別をしているではないか。アメリカ兵は原爆で大虐殺をしてもまったく裁かれない。

ベトナム戦争時でもアメリカ兵は酷いことをやったが、何も裁かれない。

だが、日本だけが過去に〝自虐的〟になって、何でも、「謝罪しよう」「賠償金を払おう」というだけでは何一つ解決しない。

 過去の謝罪も賠償金もおわっている。(北朝鮮へは独裁政権が崩壊してから)

まずは、現実をしっかりと見よう。現実に立脚して戦略を練ろうではないか。



 

おわり

『人物表』大河小説 沖縄戦

長尾 景虎*この小説の執筆者。小説家

金城直希(宮城直希)……(主人公)沖縄出身で学徒兵

鮫島大佐(長尾景虎)……沖縄の戦争での主人公のライバル

比嘉吉茂……金城の同輩。沖縄出身の学徒兵

金城栄……金城直希の妹

宮城優子……金城の恋人

比嘉篤子……比嘉の妹

宮城ジェーン(写真)…宮城の死んだ妻(スコットランド出身)

比嘉ふみ……比嘉の母親

曽野沼子……沖縄戦のガマで子供出産

宮城研三……金城や比嘉の恩師・知識人。結子の父親

喜屋武久彌……認知症の平和狂

砂川中尉……兵士

玉那覇……兵士

牛島満大将……沖縄部隊総大将

 他




  小説パート第一部 大河小説 沖縄戦小説物語

       


  1 沖縄の日々




沖縄の代表的建造物・首里城が令和の世になり、全焼した。沖縄の皆さんに心からお悔やみを申し上げます。頑張っていきましょう。

話を少し過去に戻す。沖縄での決戦、米軍とのはじめての地上戦『沖縄決戦』の物語をここから展開したい。

***


「またゴーヤーチャンプルーね?」

物語は西暦1944年(昭和19年)3月1日晴れの沖縄県首里の近くの住宅から始まる。

主人公の名は金城(きんじょう)直(なお)希(き)で眉目秀麗な色男で、十八歳である。

背は高い方ではないがきりりとした眉をした痩せた体に、短い髪型で、ウチナンチュー(沖縄人)らしく、浅黒い肌である。このひとこそこの物語の主人公である。

父親はすでに先の支那事変で戦死している。リビングというか仏壇には父親の遺影がある。

母の名は、こう、といい、病弱で、ほぼ寝たきり状態である。

直希には三歳年下の妹がいる。

名を金城栄(さかえ)という。十五歳。

美人な方であると思われる。兄に比べて少しおっとりしている性格で当時は当然ながらもんぺに袴姿で、沖縄風に髪を上で櫛結いしている。家事全般があまり得意ではないが、母親の、こう、が、病気である以上、おさんどんは栄がやらざる得ない。

栄は洗濯は好きだが、料理や裁縫が苦手で、いつも同じような沖縄料理ばかりつくる。

だから、直希は冒頭のセリフを吐いたわけだ(笑)。

一家の収入は父親の戦災保険と琉球大学生である金城直希の僅かな勤労奉仕とバイト代だけであるが、極貧というほどでもない。

けっこう敷地にこぎれいな畑をつくり、晴耕雨読とまではいかないが(沖縄県は台風以外ではあまり雨が少ない)なんとか食糧に困ることはない。

親戚には酪農をやっている人種もいる。

だが、時代は戦時下の食糧難の一大事の暴風雨の最中、である。

栄は高校生だったが、挺身隊(ていしんたい)と呼ばれる皇国日本帝国の為の勤労奉仕までせねばならない。

一家は早朝の朝ご飯の時間帯である。

「お兄ちゃん、文句言うんだったら兄ちゃんが朝飯つくりー!」

「ぼくは文句をいってるんじゃないさ-。でも、ゴーヤーチャンプルーは此れで一週間毎日じゃないさー、もっと料理のレパートリーを増やさないといけない訳さー、じゃないと栄はちゃんとしたところに嫁にいけんよぉ?」

「余計なお世話よ、兄ちゃん。それよりお母さんに御粥食べさせてやって。親戚のおばあにパイナップルも頂いたから、それも…」

「でーれー。」直希は言った。「でもぉ、お兄ちゃんも琉球大学生でね、今度、親友が“学徒出陣”で行くわけさー」

「え?ああ、比嘉吉茂兄ちゃん?そういえば赤紙がきたって…」

「ああ、今日の朝に出陣式が比嘉の家の前である訳さー」

「あの比嘉の兄ちゃん、左脚が悪いのに学徒出陣とかで、赤紙かぁ」

「ああ、次はぼくだなあ。学徒出陣だもの。すぐに赤紙がくるさーぼくのところにも」

「兄ちゃんもちばりゃんとねえ。日の丸と天皇陛下の為に戦わんといかんもんねえ」

母は咳をしながら「これ栄、食べながら喋っちゃ駄目さー、行儀悪りいよう」と叱る。

「そうだぞ、栄」

兄の直希は冗談交じりに栄を叱る。むくれる栄。母と兄はそれがおかしくて笑う。

直希の親友の比嘉吉茂は同じ琉球大学生で十九歳、ある。

ふたりはあわただしく朝食を済ませると、近所の比嘉吉茂の家に急いだ。

もう「万歳! 万歳!」とやっている。

「比嘉吉茂くんの御武運と御出征を祈り、ばんざーい! 万歳―!」

辺りのひとやおっさんやおばあたちが日の丸を振る。…立派になった!アメ公をやっつけるんだぞ! …まさに狂気の出陣である。

比嘉吉茂は金城直希よりは一歳年上だが、同じ琉球大学生だった。

生まれつき左脚が悪い体質だったが、痩身でこちらも眉目秀麗で、黒縁眼鏡が印象的な男である。軍服をきちんと着て、周囲に礼をしている。

「おう! 比嘉! 遅れたで、すまんちゃ!」

直希と栄は走り込んでセーフだった。

「金城! 栄ちゃん! 俺もいよいよお国の役にたてるさー」

「比嘉、出征地は決まってんのが?」

比嘉吉茂は「決まった! どうも沖縄本島らしいんだわ。だけど、どうも少年ゲリラ部隊(遊撃隊)の副訓練官らしんだが」

「ゲリラ―?なんねそれ?」

「遊撃隊さー、長州藩の高杉晋作の“奇兵隊”みたいなもんさー」

「ああ、奇兵隊(笑)よく百年も前の話ばするっとねえ比嘉(笑)さすが日本史歴史学専攻さーねえ?(笑)」

金城直希は冗談を言った。比嘉も笑う。栄は頬を赤らめながら“千人針”を渡した。

「ありがとう、栄ちゃん。」

比嘉は白い歯をみせて笑った。

「俺の心配は親と幼い妹の篤子のことだよ」

「そうか。なんくるないさー。あっちゃん(篤子)、対馬丸で今度疎開するんだろう?それにのう、比嘉……実はなあ、俺も“赤紙”なんだ。比嘉」

篤子とは、比嘉吉茂の可愛がっている小学生低学年の可愛い顔の妹である。

「あんちゃん!」

「篤子―! あんちゃん行ってくるサー」

 比嘉少尉は妹の頭をぽんぽんとした。

今度、1944年3月22日沖縄からの疎開船『対馬丸』で児童ら1400人を載せて港を出る。沖縄直希は隠しておいた赤紙をはじめて比嘉にみせた。「え?おい!大丈夫かあー?金城?」

「ぼくも学徒出陣! 兵隊さまよ! 死んだおやじの仇をとる! 七生報國さ(七回生まれ変わっても日本國を守る)!」

「え? お兄ちゃん? え? そんなあ」栄は驚くより呆れた。なんて勝手な兄だろう。

「金城。比嘉。」

その男の声でやっとふたりは恩師の宮城研三(みやぎけんぞう)(琉球大学教授五十三歳)の存在に気付いた。「あ! 先生!」

「あ! じゃない」まるでタレントの武田鉄矢さんみたいなおじさんの風体のひとである。

これで琉球大学の名物教授というからおそれいる。汚れた背広姿だ。

この宮城教授の師匠的な人物が『沖縄民俗学の父・伊波(いは) 普猷(ふしゅう)(1876~1947)』である。

当時、戦争末期にどういう活動をしていたか調べたがあまりわからなかった。運悪く明確な歴史文献に出会わなかった。だが、1947年には死亡しているひとである。

当時は相当のおじいさんだったことだろう。

「君たちねえ、死んじゃいかんよ。生きねばねえ。人間生きてなんぼさー」

「それは…そうですが先生、あまり大声ではいわないほうが…」

「そうですよ。非国民扱いを受けますよ」

金城と比嘉はひそひそ声でいった。

「だまらっしゃい! 命(ぬち)どぅ宝(たから)じゃぞ。」先生は訊く耳をもたない。

ふたりの教え子がおそれるのは近所の“反戦のおじい”こと喜屋武久彌(きゃんひさや)おじいみたいになることである。

もう耄碌で、今でいう認知症(能軟化)で、ボケていて、とにかく「戦争反対」。

平和な時代なら、それもいいかも知れない。

戦争世代からみれば「勇気のある気骨もの」に見えるだろう。

だが、このおじい、発言が戦争の最中で、ある。

白髪の長い髪と髭で、なんとなくジャーナリストの徳富蘇峰みたいな風体だ。もう八十数歳のおじいさん、である。ボケていて、近所を徘徊し、「戦争反対! 戦争反対! はんたーい!」とクレイジーに叫ぶ。ボケていると知っている人間ならいいが、時代は戦争末期である。

「なんだとこの非国民!」

「非国民! 非国民!」

群衆は非国民喜屋武久彌おじい、に投石したり、罵声を浴びせかける。

金城直希や比嘉たちは「このひとは痴呆症(能軟化)なんです! 病気なんです!」と庇うが、庇いきれるものではない。

非国民! と投石の流れ石が額に当たって流血した金城直希を介抱したのが、宮城先生の一人娘の綺麗な御嬢さん、宮城優子(十七歳)、であった。

まさかふたりに愛や恋心が芽生えるとは当の本人たちも思わない。

だが、朱に交われば赤くなる、である。最近は喜屋武久彌老人は徘徊が酷くなり、行方不明状態である。

「金城さん、兵隊さんだってねえ? だいじょうぶ?」

「なんくるないさー(心配ない)! ぼくはお国の為に戦う! 鬼畜米英さー! 天狗どもは糞食らえさー!」

「……勝てると思う?」

「……」

「うちのお父さんも言うじゃない?“命どぅ宝”って。死んだらおわりじゃない?」

「ならどうしろと?」金城は教授のひとり娘・宮城優子に食ってかかった。

意味がない。どうせ答えはない。只、死なないで帰ってきて程度だ。

だが、その愛情が『犬死』をためらわせた。

「金城君には生きて戻ってきて欲しいの」

「しかし…」金城は大学の校舎で泣いた。只々、宮城優子が愛しかった。

宮城優子の母親はジェーンという。

スコットランド人である。つまり、優子はハーフな訳だ。

スコットランド人の母親と日本人の父親のハーフ(混血)。宮城ジェーンは日本からスコットランドに疎開していた。差別や阻害が酷い為だ。沖縄でさえ……。

比嘉吉茂の母親は比嘉ふみ、という。

金城直希の“もうひとりの母親的”存在、である。

確かにそうだったのかも知れない。比嘉ふみ、は優しい心が澄んだとてもいいひとである。

金城直希に、“大本営が1944年3月22日、沖縄県首里に沖縄守備軍(第32師団)が出来る”と教えてくれたのもこの比嘉のおかあ、比嘉ふみ、であった。

ちなみに金城直希は大卒というか学歴があるために一兵卒というより“少尉”である。比嘉吉茂のほうは少年ゲリラ隊の指導とともにきたるべき沖縄決戦では、少年兵(護郷隊)らとともにゲリラ戦だ。直希は多分、沖縄守護軍(第32師団)配属、と思っていたら本当にそうなった。意外、ではあるまい。沖縄出身者が故郷の沖縄を守る。上等じゃないか!

(以下文、映画『激動昭和史 沖縄決戦』より引用)

 1942年(昭和19年)米軍が大軍勢を率いてダガルガナルを攻撃。日本軍は銃を撃ち尽くし、食糧もなく、熱病や飢餓で玉砕。米軍は島づたいでやってきた。

ペルルゥ島、ニューギニア島、ルソン島、フィリピン島、パラオ、そして沖縄へ。1944年7月7日、サイパン島玉砕。日本軍は米軍の侵攻は何処からか? と恐れていた。硫黄島から本土へ? ニューギニア島から中国本土へ? それとも島づたいに沖縄へ? 大本営の軍議は踊った。小田原評定もいいとこである。沖縄は、第32師団軍がおさえていた。司令官は渡辺中将。本土を守るために沖縄を“不沈空母”とするため。沖縄決戦で、本土決戦を遅らせる為の駐軍だった。

7月に第32師団軍は完成だったが、遅れた。そんな中、“サイパン玉砕”を知る。渡辺中将は悲痛極まりない様子で、沖縄各地の学校や公民館で「沖縄決戦」のことを「抗戦すべし」と訴えてまわった。県民を激励していくごとに沖縄人たちの不安は高まる。軍とは名ばかりの第32師団軍はわずかな兵と弾薬のみ。頭があっても手足がない。渡辺「全県民一丸となって沖縄玉砕の覚悟を!」

新兵(学徒出陣)行列(第9師団、第24師団、第26師団…)

渡辺中将が死ぬと、8月8日、沖縄の司令長官には牛島満中尉が任命された。サイパン、ニューギニア島の戦いで『鬼の牛島』と呼ばれていた。参謀は塚原仕官、八島軍師官は米国留学の秀才である。

軍のパレード行列。沖縄県人たちは日の丸を振って「がんばれー!」「勝てよー!」と拍手喝采である。沖縄人たちは興奮していた。牛島たちは軍議を開いた。

「沖縄には自然の地下洞窟が無数にある。これをつかって人工地下基地をつくろう」視察に見て回った。牛島は「しかし、大本営は沖縄を“飛行基地”にしようという思惑のようだ」とため息をもらした。あの巨大戦艦・大和が九州の港をたって、沖縄付近に進軍中であるというが…。二回から目薬、だ。

 1944年3月22日、大本営直属で首里に沖縄守護軍(第32師団軍)が創設された。金城直希も所属となった。大勢の兵隊たちの前で牛島満・陸軍大将(沖縄戦軍32司令官)がスピーチというか訓示を述べた。金城と比嘉もマイクの前で訓示を述べる牛島を整列してみていた。

「天皇陛下と皇国日本国のために死ぬ覚悟で戦え!」等という。

けっこう狂人的な人格だった。主賓席には鮫島鷲羽(わしゅう)大佐や部下の中村や杉山、佐古らサングラスの秘密部隊がテントの主賓席で座って、したり顔で牛島の訓示を聴いている。

あるとき、日差しがまぶしく、主賓席のテント内でも沖縄特有の暑さ、で鮫島は不快な顔をした。兵士の小間使いのような者が冷えた水をもってきたが、兵隊たちの列の横で眩暈をおこして崩れた。金城や比嘉の横だったために、

「だいじょうぶか? 坊主?」

と起こしたが、鮫島大佐は激怒して鞭を打った。「貴様! たるんどるぞ!」

「やめてください! まだ子供です!」

金城直希や比嘉吉茂が庇ったが、考えてみればその眩暈で倒れた少年がのちの護郷隊隊士の子供兵士だった訳だ。鮫島はふん、と不敵な笑みを口元に浮かべて、

「貴様ら、名は? 無冠ではあるまい。名前と兵隊の位をいえ!」

「はっ! 金城直希、位は一応少尉であります! 学徒出陣です!」

金城・比嘉は敬礼をした。「同じく、比嘉吉茂少尉であります! 学徒兵士です!」

鮫島は「ほう。学徒の大学生か?! 私は米国MIT大学卒の学徒兵士、鮫島鷲羽大佐だ!いいか、覚えておけ、米軍兵士を10人殺したら貴様らも死んでいい。私や上官からの命令は天皇陛下からの命令と心得よ!」

「…は、はっ!」

ふたりは敬礼し続けた。貴様らも…? も?

すると驚愕した。鮫島大佐は眩暈を起こして倒れていた少年兵士の頭に弾丸を撃ち込んだ。

「なっ!」ふたりは驚愕し、声を上げた。

「ふん! 虫けらめ! 少しは刃向ってくると思ったが、くだらん」

鮫島は不敵な男であった。

金城たちは手も足もだせない。鮫島大佐はいわゆる今でいうイケメンであり、痩身で、軍部の制服を着ている。若い年代だ。部下たちは意味ありげなサングラス制服部隊である。

だが、金城比嘉たちには、憎しみ、だけが残った。

天皇陛下の為に戦う、のは当たり前だが、あの鮫島大佐の為に死ぬのは御免だ。

怪しげな“闇の陰謀家”のような鮫島大佐たちは姿を消した。

沖縄ではめずらしく雨がふってきて大雨になった。金城は大声で、

「わあああぁーつ!」

と大声をあげて少年兵の遺体にすがった。

まるで天が泣いているが如し、で、あった。


1944年(昭和19年)8月22日、沖縄からの疎開船「対馬丸」が撃沈された。児童ら1400人以上が死亡した。その疎開船には比嘉吉茂の妹の篤子(8)も死んだ。

「あ、あつ…篤子!篤子―っ!」

護郷隊駐屯地に出向する前に比嘉は首里の駐屯地で崩れ落ちて泣いた。号泣だ。比嘉…比嘉…金城直希は慰めた。だが、死んだ者は帰っては来ない。

吉茂にとって篤子は可愛い妹で、金城にも懐いていた。家族同然の間柄でもあった。

哀しみを抱えたまま比嘉は出兵していった。護郷隊という少年ゲリラ部隊の副指導官という官職であったが、とうとう小学生か中学生くらいの子供まで遊撃隊で戦わせるわけだ。

上官は陸軍中野学校の学徒兵士であるという。あの陸軍中野学校か?比嘉は恐れた。

常人なら当たり前の反応ではあった。

「元気でな、比嘉。また会おうぜ」

金城直希と比嘉吉茂は握手を交わした。

これが永遠の別れになることなど夢にも思わない。

こうして比嘉は護郷隊の拠点とする沖縄県内恩納岳(おんなだけ)へ向かった。

かわりに金城直希の友となるのが年上の砂川中尉(51)だ。

「よろしくな、金城少尉!」

砂川中尉は痩身だが、髭や体毛が濃く、がっしりしている。沖縄では毛深いのも髭が濃いのも実は普通だという。ある沖縄出身のお笑いタレントの某氏が腕の毛が濃くて最近お笑いの種になったが、沖縄人なら髭とか胸毛や無駄毛が濃いのは普通だという。

金城や比嘉は体毛や髭は薄いほうだが、沖縄人なら“濃くて当たり前”だという。

アイヌ人等もそうらしいが、少数民族特有のものなのかも知れない。

嫌味なのは眼鏡ののっぽ男・小林義則(26)少尉、だ。

「面会人だってさ、金城少尉」

小林は首里の軍の駐屯地で吐き捨てるように言った。

まだ対米軍との『沖縄決戦』の前である。

結局、沖縄決戦では兵士だけでなく住民・沖縄県人も殺され人口の三分の一の20万人の戦死者を出すのだが、誰もそこまで殺られるとは思わない。

訪ねてきたのは宮城優子だった。

「優子さん、どうしたんですか?」

もんぺに防護頭巾姿の優子に、金城は訊ねた。

どうやらただならぬ様子である。

「ごめん、ここじゃちょっと…外に出よう」

金城直希は優子の手をとり外に出た。

「…金城くん……!」

外の閑散とした人気のない所で、優子は金城に抱きついて号泣した。

「どうしたんだい? 優子さん…?」

「…金城くん!……」優子は何も訳をいわず泣き崩れた。

金城直希は只、泣き崩れる宮城優子を抱擁して慰めた。只、優子が愛しかった。

「金城くん……父が…死んだ…の! お母さんがスコットランドで病死したって…電報を受け取った後……土蔵の柱で首を…」

自殺か! あの宮城教授が!? まさか! しかし……

「…しっかりするんだ優子さん。僕はいつでも君の味方だよ。そうさ、いつでも…だから」

金城は震える優子を温かく包んだ。抱擁だ。

「でも…わたし…」

「大丈夫。心配いらないよ、優子さん、いや優子。」

ふたりは初めて接吻を交わした。

しかし、謎は残る。あれだけ「命(ぬち)どぅ宝(たから)」「死んだら負け」「死ぬな。生き抜け」と熱弁していた宮城教授が自殺?奥さんが病死したから?優子をひとり残して?

何か陰謀めいた事を金城直希は感じたが、口に出さなかった。そのすべてを呑みこんだ。

何か陰に陰謀めいた何かの謀略が、教授の自殺を望んだのではないか?ミステリー小説なんかじゃないけど何かがひっかかった。単純な『後追い自殺』『殉職』ではあるまい。

だけど、優子には『両親の死』であることは確かである。

今は、何を言っても無駄であろうが、優子は頭のいい優子は薄々気づいているのではないか? だからここ(駐屯地)に来たのではないか? 金城直希はそう思って下唇を軽く噛んだ。

自分自身の無力さを思い知らされた。

 沖縄では軍事施設軍人と民間人の垣根がほとんどなかった。沖縄中が空爆にあい、沖縄県中西部海岸から上陸した米軍兵士は、沖縄中を火の海にした。家は燃やされ、防空壕や地下壕や鍾乳洞に逃げ込んだ日本兵や沖縄県人たちは火炎放射器や手りゅう弾で焼却された。沖縄守護の立場である沖縄守備軍(第32師団軍)は市民を守りながら、あるいは楯にしながら戦線を移動、戦闘行為を続ける以外の道はなかった。

沖縄県知事は当時、「大本営は十万もの兵を沖縄へ。なら県民もウチナンチュー(沖縄県人)も一緒に戦うしかない!」と言ったという。

ミニッツ幕僚長は9月25日までに沖縄を占領せよ、と。そこで攻撃(アイスバーグ作戦)。第一波は完成したばかりの飛行場を。第二波二百二十機は船舶を。第三波百四十機は港湾施設を。第四波百七十機は奇襲作戦。市内のほとんどは火の海に。めぼしい建物は県庁だけになったという。台湾やルソン島やレイテ島フィリピンもやられた。大本営のニセ勝利情報だけがむなしい。レイテ島も派手に玉砕したという。

沖縄(座間や渡嘉敷島)で特攻ボート(青ガエル)でにらむ。

そんななか沖縄軍に「台湾からレイテ島へ戦いを動かしたから、沖縄軍を台湾へ動かせ」と。わかりやすくいうと「フィリピンがそんなに大事なら台湾ごとくれてやれ」という身もふたもないことを大本営はいってきたのだ。

“沖縄への決戦より台湾へ軍を動かせ”と大本営が打電してくると牛島陸軍大将らは呆れまくった。県知事は本土へいって戦死するし…。沖縄には軍がたりない。

“守って耐える持久戦しかない”

そしてまたも訃報。1月23日の、第84師団沖縄派遣軍の派兵がなしになったのだ。

“沖縄は本土の為にある”“本土決戦がおくれている今、沖縄派遣は中止”

「勝手に戦って勝手に死ねか?!」牛島大将は激怒して、足元のゴミ箱を蹴り倒した。

やがて沖縄に米軍が上陸して沖縄決戦が開始される。

戦争のために老人女子供が租界。沖縄の中学二年生以上は“鉄血(てっけつ)勤皇隊(きんのうたい)”として戦場へ派遣された。“ひめゆり学徒隊”“護郷隊”らも同じだった。

宮城優子も金城栄らも“ひめゆり学徒隊”に参加した。

17歳から45歳までの男女が鉄血勤皇隊兵士として『沖縄決戦』を戦った。

その意味で、“空襲”という“爆撃”で“火の海”になっただけの本土のひとびとと、沖縄県人は根本的に戦争体験が異なる。沖縄県人は軍人たちと共に戦ったのだ。

沖縄では戦闘が開始された。

もはや、市民軍人と米軍など関係なく、市街地戦でも局地戦でも沖縄の第32師団軍は沖縄県人とともにである。「撃てー!」

銃撃戦である。「衛生兵! ひめゆり学徒隊は近くの鍾乳洞で怪我人の手当だ!」

「撃てー! かかれ!」

銃弾が飛び交う中、金城たちは発砲しながら銃剣で突撃していく。

ひめゆり隊の優子と妹の栄とは別行動になったが、市民を守りながらの戦争になった。

とても、市民の命どころではない。米軍は民家をすべて焼き払うし、洞窟には火炎放射器と手りゅう弾で焼却される。

「くそう! くそったれ! 撤退―っ! 撤退!」

金城たちは散りじりに鍾乳洞に逃げ込んだ。

そこにも沖縄県人の民間人が沢山いる。「くそう! アメ公め! やるな!」

大城(かいの)右衛門二等兵は裏切り行為で米軍に白旗を振るが、殺された。

“徹底抗戦”を叫ぶおじさん照屋栄作(60)とユタ(占い師)の奥さん中村みつ代(59)。照屋のおっさんにはまだ二十八歳の愛人・曽野沼子がいて、お腹がもうおおきい。もうすぐ産気づくほどだ。「奥さん、じっとしてろ! 赤ん坊があそこから出てきても知らんぞ!」

「天皇陛下ばんざーい! 天皇陛下万歳! 万歳!」

天皇教のおっさん宮里誠一は半狂乱みたいになっている。

「だまれ、おじい! 火炎放射器でやられっぞ! 糞、比嘉、お前は今どうしてる?!」

金城は銃撃戦の最中思った。

兵士たちは怪我した市民や兵士たちに自決用の手りゅう弾を配る。

怪我した砂川中尉は行方知れず。砂川中尉もやられたか。

その頃、沖縄県恩納岳では比嘉吉茂少尉と護郷隊の少年たちが米軍と戦っているところだった。少年ゲリラ部隊である。玉(たま)那覇(なは)盛一(16)、仲(なか)泊(まどり)栄吉(15)、東江平之(あがりえなりゆき)(18)、少年兵士たちは続々戦死していく。

「渡嘉敷! 偵察に行け!」

「はい!」

しかし、陣営にロケット弾が飛来。「伏せろ、馬鹿!」

着弾!「ぐああっ!」少年兵をかばって比嘉吉茂少尉は大怪我をおった。

「比嘉少尉殿! …比嘉少尉殿!」

「……くぐ。玉那覇…介錯してくれ! 俺の怪我ではもう手遅れだ…頼む!」

比嘉はピストルを玉那覇少年兵に渡し、割腹自決した。

「篤子―っ! 金城……おかあちゃん…天皇陛下…万歳!」バーン! 銃声!

みごとな最期であった。

沖縄中の町や市街地が空爆され、当時小学生低学年の玉木ちゃん(玉木(旧姓・酒井)利枝子さん)は燃える沖縄を体験し、死体の山を血だらけで彷徨ったという。もはやこれまで?

「ひめゆり学徒隊! けが人の手当てを!」

「はい!」宮城優子や金城栄らは衛生兵として、まさに立派に戦った。

比嘉や金城のおかん(母親)が戦死したが、もはや誰もかまってもられないまさに騒乱といえば聞こえはいいが、虚無が、辺りを覆った。

もはや沖縄中火の海である。

「どうなっちまうんだいったい!…」金城は銃撃戦の中で叫んだ。

誰の目にも沖縄軍の敗戦は、明らか、であった。


2 天子さまと太平洋戦争





 戦後75年経て、終戦へのプロセスは戦後最大のドキュメントである。

『降伏(敗戦・ポツダム宣言無条件受諾)』か?『本土決戦(一億総玉砕)』か?

1945年8月15日、日本のもっとも長い一日がそれで、ある。

この物語の主人公は、まず昭和天皇(裕仁)平和を追求する偉大な天皇である。

「国民は苦しんでいる。もうじゅうぶんではないか?」

そして、それを阻止し、本土決戦・一億総玉砕の道に、戦争継続を謀る陸軍少佐畑中健二「決起すれば全軍が立ち上がり本土決戦・一億総玉砕でも最後には皇国日本軍が勝つ!」、

陸軍大臣、阿南惟幾(あなみこれちか)「御聖断は下ったのである!御聖断に納得出来ないならこの阿南を斬れ!阿南の屍を越えていけ!」、

書記官長の迫水久常「最後の一兵まで戦うしかないのでしょうか?」

第二十四代内閣総理大臣鈴木貫太郎「この戦争はこの内閣で決着です」、

下村海南(号・海南(かいなん)・本名・宏)「なんとしても陛下の玉音放送しかないのではないでしょうか?」

 これは終戦までの最大のミステリーに迫る物語で、ある。


  立憲君主と大元帥……

  慈悲深い立憲君主と大元帥……                  

 これが昭和天皇・裕仁(1901~1989)の名称である。

 しかし、実のところは白馬にまたがり軍部の前であやつられるパペット(操り人形)に過ぎなかった。日本人には驚きだろうが、かの昭和天皇は、ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ第二次大戦の大悪人のひとりなのだ。                             

 しかし、崩御(死亡)のさい、日本のマスコミはこのことにまったく触れなかった。

 ……死んでしまえば「いいひと」とでもいいたげにお涙頂戴の報道に徹した。

 NHKを初めすべての報道局が昭和天皇の死を報道したが、戦争犯罪に触れたものはひとつとしてなかった。世界はこれに呆れたことだろう。

 先の戦争でも昭和天皇は「もう一度戦果をあげるのがよろしそうろう」などと沖縄戦の一ケ月前に「お言葉」を述べている。

 太平洋戦争末期に出来た近衛内閣の近衛文磨首相は「最悪なる事態は遺憾ながら早々必要なりと存候。一日も早く戦争終結を申し候」と述べた。

 しかし、神の子・天子である天皇は人間らしいことは何もいえない。只、「無駄な血が流れなければよいが…」と他人事のような「お言葉」を述べるだけだ。

なお、この作品の参考文献は、堺屋太一著作、落合信彦著作、藤子不二雄(A)著作、さいとう・たかを著作、小学館SAPIO誌などです。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作、無断転載ではなく「引用」です。

 熱しやすい軍部は暴走して、「一億総玉砕!」などと泥沼にひきずりこもうとする。

 これは太平洋戦争の二十数年前に遡らなければならない。


山本一太沖縄・北方担当大臣(当時)が「ビザなし交流」で北方領土に電撃訪問して不評を買ったがハッキリ馬鹿行為であった。今のプーチン政権は千載一遇の好機なのである。早めに日露安保条約を締結して、「50年間シベリア独占開発権」を握り100兆円出す代わりに石油・天然ガス等を日本にただ同然で50年間提供してもらう。

大体にしてロシアにとって北方領土等、9時間もの本土の時差の範囲、でしかないのだ。馬鹿の一つ覚えみたいにヒステリックに「北方領土を返せ!」と日本人が75年間も叫ぶもんだから反発しているに過ぎない。

プーチン政権は現在あまり国内人気がない。チャンスだ。国内の人気が高いうちは国民に対して、かつてのメドベージェフ大統領(当時)みたいに「ロシア人の意地」を誇示する必要があるが、今なら変な国民へのPRもいらない。

対中韓国戦略としてもロシア・モンゴル・中央アジアは抑えたい。

20世紀の古いマクロ経済理論に基づいたアベノミクスでは日本の反転攻勢のきっかけにならないことは、すでに指摘してきた。

日本の突破口として私が大いに期待しているのはロシアだ。

逆に、にっちもさっちもいかないのが中国、韓国。両国のメディアや教育システムが、あれだけ反日一色に染まると、関係改善のきっかけが見つからない。

韓国の朴槿恵政権などは(父親とは正反対で)反日的な言動を政権のエネルギーに換えている側面があるから、大統領任期の5年間は放っておいたほうがいい(現在は不正疑惑で辞任し新大統領がまた朴おばさんと同じ事を言い出している)。

中国にしても経済成長が鈍化して国内の不満が今後高まっていく中で、不満のはけ口にしてきた日本との関係が良化するとは思えない。

習近平体制が持つかどうかの問題もあるし、バブル崩壊となれば余波は日本にも及ぶ。中国、韓国にしても日本から買わざるをえない機械や部品はたくさんあるから経済的な付き合いは粛々とやっているわけで、目下、中韓との関係改善に外交的なエネルギーを注いでも、アップサイドの要因はない。

企業経営の常道を適用すれば、こうした近隣諸国とは一線を画して、大きく動く可能性が出てきたロシアに集中的なエネルギーを注ぐことで、日本経済に刺激を与えることを考えるべきだ。

日本にとって心強いのは2012年5月にプーチン大統領が戻ってきたことだ。プーチン大統領といえば柔道の有段者で週に1度は鮨屋に行くほどの鮨好きで、日本と日本文化に対して深い敬意と愛情を持っている。

前任者のメドベージェフ大統領といえば、日本を挑発するために悪天候の中、わざわざ国後島に降り立った。

彼は北方領土問題についても全く自分の意見を持っていない、情報不足のロシア人の典型的な振る舞いをした。

こんなトップとの話し合いは時間の無駄だが、日本贔屓のプーチン大統領なら話は別だ。今年4月、安倍晋三首相(当時)(当時)が日本の総理大臣として10年ぶりにロシアを公式訪問したのは、政府もプーチン大統領を停滞している日ロ関係を動かせる相手と見込んでいるからだ。

プーチン大統領の人気が、ロシアで落ち込みを見せていることも、日本にとって都合がいい。人気がある間は、国内に気兼ねして北方領土の返還交渉に応じられないが、今のプーチン大統領なら「I don't care」(気にしない)だ。

プーチン大統領が、日本との関係を正常化することがロシアのためになる、と思えば状況は一気に進展する。

そもそも極東の小島など、全土で時差が10時間もあるロシアにとっては“誤差”の範囲でしかない。しかし日本側が史実を曲げて「北方領土は日本固有の領土」などと盛んに喧伝するものだから、ロシアは態度を硬化してきたのである。

北方領土の歴史認識に関しては、日本側に問題がある。日本の教育では、日本がポツダム宣言を受諾した後に旧ソ連軍が北方領土を不法占拠したように教えているが、史実は異なる。

ヤルタ会談やカイロ会談などの戦勝権益に関する話し合いで、当時のスターリンは対日参戦の見返りとして北海道の北半分を要求した。

しかしアメリカのルーズベルト大統領はこれを認めずに、「南樺太を返還して千島列島の内南クリル(北方四島)をロシアが取る」代案を示した。

最終的に決着したのはトルーマン大統領の時代で、旧ソ連は“正式な戦利品”として北方四島を含む千島列島を得たのだ。

明治以前の帰属は双方に言い分があって不明だが、明確な事実は日露戦争以降、日本が南樺太(南サハリン)と千島列島(クリル列島)を領有していたこと。そして第2次大戦の結果、戦勝国の旧ソ連は南樺太と千島列島を奪い取ったのではなく、“戦利品”として与えられたということだ。

おかげで敗戦国の日本はドイツのような「国土の分断」を免れた。

こうした視点が日本の歴史認識に欠けている。こういった話は、尖閣問題における中国の姿勢と通じるところがある。“日ソ不可侵条約に反して宣戦布告なく北方四島を占領した”と日本では信じられているが、樺太と異なり、旧ソ連軍の侵攻・占領は終戦後である。

北方領土の四島一括返還論にしても、「北方四島は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」と外務省が言い出したのも、1956年のダレス米国務長官と重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。

当時、領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したダレスは、沖縄返還の条件として、旧ソ連に対して「(呑むはずのない)四島一括返還」を求めるように重光に迫った。

つまり、四島一括返還論は旧ソ連に対する“アメリカの嫌がらせ”から始まっているのだ。

戦争終了後、10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった。

外務省は長い間「北方四島返る日、平和の日」と書いた垂れ幕を、屋上から掲げていたが、アメリカの忠犬ポチとしての同省の性格がよく出ている。

安倍首相(当時)(当時)との首脳会談でプーチン大統領は、他国との領土問題を解決した方式として係争領土を等分する「面積等分」を紹介したという。

北方領土問題に関しても「面積等分論」を持ち出す可能性は高く、日本政府と外務省は過去のペテンを国民にきちんと説明し、これを受け入れるべきだ。

そして直ちに「日ロ平和条約」を締結すべきだ。四島の面積等分なら、歯舞、色丹、国後の3島と択捉島の一部が還ってくる。

択捉に関しては面積等分で島の3分の1程度で軍事境界線のような線引きをして中途半端に返してもらうのなら、「島全体を日ロの共同管理」にする手もある。

日ロが接近しすぎるとアメリカが妬くし、択捉上空は重要な航空路でもあるため、共同管理にアメリカを加えてもいい。

実は、北方領土問題でロシアの最大の関心は領土ではない。

そこで生活しているロシア人の処遇についてだ。旧ソ連が崩壊したとき、ウクライナやカザフスタン、ベラルーシ、バルト3国などに暮らすロシア人はロシアに引き揚げる場所も資金もなかったので、それぞれの国に残って国籍をもらった。

旧ソ連が横暴を極めていた時代の裏返しで、在留ロシア人が各国でいじめられたり、虐げられている話がロシアで伝えられている。

親戚や友人などもひどく気をもんでいて、内政上は、大切な問題なのである。北方領土に暮らすロシア人が同じ憂き目に遭うことをプーチン大統領は憂慮しているはずで、解決策を提示しなければいけない。

キーワードは「寛容」で、少なくとも3つのオプションが考えられる。第1は日本国籍を与える。

第2は、グリーンカードのような形で居住権を与えて、ロシア国籍は残す。3つ目は一時支度金のようなものを支払って、本人が希望するところに移住してもらう。

このような人道的な選択肢を与えて優遇する国はいまだかつてないから、ロシア人も感激するし、日ロ友好に前向きになってもらえるだろう。

領土問題を解決し、平和条約を締結すれば互いの行き来も投資も非常に楽になる。すでにエネルギー分野のビジネスは動き出していて、サハリンで発電した400万キロワットの電力を直流高圧送電で日本に送るプロジェクトがサハリン地方政府から出ている。

400万キロワットといえば「原発4基分」である。海底ケーブルを使えば、これを東北電力や東京電力の管内まで持ってこられる。

サハリン側は25年の実動を目標にしているが、急げば5年以内に可能だろう。

これに刺激を受けたのがウラジオストクで、バイカル湖から東のオイルやガスがパイプラインでウラジオストクに集まってくるプロジェクトが進行中だ。

これをLNG(液化天然ガス)で輸出したり、海底パイプラインを敷設して直接日本に持ってきたり、現地で発電した電力を(東電の送電網が完備している)直流高圧送電で、新潟の柏崎・刈羽などに送る案が有力である。

日本海側に受け入れ基地を造れば、福井や新潟など、退潮する原発を代替する産業拠点となり、環日本海経済圏の重要基地として期待できる。

そうすれば、新潟、富山、石川、福井などで、LNGやガスパイプラインの陸揚げ基地争奪戦となるだろう。

「日ロ経済連携」の第1ラウンドはエネルギーであり、ガスパイプラインや直流高圧送電で日本とロシアがシームレスにつながる。

この意味は非常に大きい。カタールなどからバカ高いLNGを買っている日本としては、価格交渉力がアップするだけでなく、アメリカのシェールガスに涎を垂らす必要もなくなるからだ。

第2ラウンドは、日本企業の輸出基地を極東ロシアに展開することだ。

極東ロシアに工業団地を建設し、現地で組み立てて、シベリア鉄道でサンクトペテルブルクなどの西部の主要都市、さらにヨーロッパに製品を送るのだ。

極東ロシアの生産拠点とシベリア鉄道による陸送ルートを確立すれば、対ロ輸出の枠組みが広がる。

また、先々、ロシアがEUに加入すれば日本はEUの隣国となり、産業政策上、非常に重要な基地ができる。

産業と仕事が少ない極東ロシアでの雇用創出は、願ったり叶ったりだ。さらに、日本海を挟んで、子供や学生などの人的交流も活発に進めて、両国にある警戒感や猜疑心を解きほぐしていく。

第3ラウンドは原子力。日本は核廃棄物の最終処分場を持っていないし、中間貯蔵施設すら圧倒的に不足している。

そうした施設の受け入れにロシアの広大な国土の一部を使わせてもらう。

ロシアが不得意なことを日本が補完し、日本にできないことをロシアに助けてもらうのだ。北方四島にこだわるあまり、関係の深化が手つかずだった日ロ関係には、互いの閉塞状況を打ち破って突破口となりうる経済的に魅力ある項目がいくらでもある。

政権は気合を入れて今年中に平和条約を締結し、目玉の乏しい第3の矢(成長戦略)に本稿で述べたような前向きなロシアプログラムを加えるべきではなかろうか。(大前研一レポート2013年7月31日「北方領土は日本の領土」という外務省のペテンのカラクリ)

2013年4月29日、安倍首相(当時)(当時)が訪露し、モスクワのクレムリンでプーチン大統領と首脳会談をしました。

まあ、日本人も「馬鹿の一つ覚え」みたいに「北方領土を返せ! 返せ!」ではなく、ロシアとの間でシベリア共同開発や日露間の経済交流を密にしてから「ところで北方領土ですが…」という外交センスが欲しい。

「日露安全保障条約」「まずは二島返還」で「ひきわけ」「はじめ」ということだよ。

ロシアのイシャエフ極東発展相(当時)は2013年2月27日、北方領土問題について日露がまず四島の共同開発を通じて協力関係を築き、そのうえで解決を将来の世代に委ねるべきだとの見解を表明しました。

またプーチン大統領と森喜朗元首相の会談について「首脳会談に繋がる建設的な会談だった」と評価し、首脳会談での成果に期待するという。

だが、大前先生はイシャエフ氏には申し訳ないが日露の共同開発を日本側が受け入れることはないだろうといいます。

「共同開発」となれば「帰属問題」を明確にする必要もあり、パスポートの問題など細かい点の調整も必要となる。

四島一括返還を主張しているだけでは堂々巡りになるだけなので意味がない。だから森氏とプーチン氏との間で「今年中にいくつかの策をだして、それをベースにまた話し合いましょう」と上手な言い回しをしている。

日本の北方領土の歴史認識はある意味尖閣に対する中国に似ている。中国が最近トーンダウンしているのも「歴史的には台湾の問題だ」と中国人が気付いたからです。

そもそも日本が「北方四島一括返還」を主張したのは1956年の米ダレス国務長官と重光外務大臣との会談がきっかけです。

米国は北方領土問題が解決して当時のソ連と日本が近づくのを嫌がり、「沖縄返還」の条件として、ソ連に「四島一括返還請求」することを求めたのです。

要するに米国の嫌がらせです。

森氏は正しく理解していますが、政治家やジャーナリストの中にもこの事実を知らないひとが沢山います。

またここでは「ボリショイ・サーカス事件(2012年)」についてウィキペディアです。ボリショイ・サーカスを編成するひとの中でピラミッドの頂点が18人しかいない「プリンシパル(主役)」で、次に10人のリーディングソリスト(準主役)で、次が9人の第一ソリスト、次が22人のソリスト、最後がコール・ド・バレエという149人のその他大勢役です。

事件はプリンシパルでもあり芸術監督でもあったフィーリン氏(男性)に、リーディング・ソリストのドミトリチェンコ容疑者・被告(男性)とソリストの女性容疑者・被告が外出先帰りのフィーリン氏の顔に硫酸をかけた傷害事件でした。

まあ、人気への妬みですね。

例えば日本でも歌手で故人の美空ひばりさんがやはり人気を嫉んだ女性ファンに、ステージから顔に硫酸をかけられた(処置が早く大事には至らなかったという)。

まあ、世の中には「有名人を殺してやろう」という馬鹿はいつの時代にもいる。

織田信長や坂本竜馬もまさにその犠牲であった。

日本とロシアの両政府は先ごろ、極東地域でのエネルギーや農業、インフラ開発で関係を強化することで合意した。

日本はロシアからパイプラインで天然ガスを引くだけでなく、ロシアで発電した電力を直接購入すべきだ。

日本は、ロシアとの経済関係強化は北方領土問題が解決してからだ、という態度をとってきた。

日ロ間には平和条約もないのだが、外務省は「北方領土 かえる日 平和の日」と呪文を唱えて今日まで引き延ばしてきた。

ビジネスマンにとっては信じられないくらい面倒くさいビザの取得をお互いに意地悪しているとしか思えないほど難しくしている。

しかし過去75年間、北方四島を実効支配してきたのはロシアで、このまま行けば次の75年間も膠着状態のままだろう。

つまり日本側が交渉のテーブルについてコマを一つ進めなければ、前には進まないのだ。さいわい、3.11の後にはエネルギー問題が国家の緊急課題として浮かび上がってきたし、ロシア側でも極東シベリア開発が重要な政治課題に浮き上がってきた。

お互いにじっくりと話し合う好機が到来したと言える。日ロ両政府は11月20日、貿易経済に関する日ロ政府間委員会を外務省で開いた。

両政府は、ロシアが重視する極東地域のエネルギーや農業、インフラ開発で協力する方針で合意した。日本は経済関係を強化することにより、北方領土問題の交渉を進めたい考えで、ロシアは資源分野に偏った経済構造の転換や、極東で高まる中国依存からの脱却を進める考えだ。

現在、ロシアの極東地域では、中国が存在感を強めている。

特に天然ガスなどの資源を多く買っている。またヒトについても、中国の黒竜江省などからロシアの極東地域へ、大量の労働者が出稼ぎに行っている。

ロシアはこの中国依存に危機感を強めており、このバランスを変えようとしている。そこでロシア政府は、日ロ関係を重視し、極東地域へ日本を呼び込もうとしているわけだ。

今回の日ロ政府間委員会では、ロシア側から外務、運輸などの各省次官級やカムチャツカ州の地方知事など80人が来日した。

相当、気合いを入れていることがわかる。まず、極東・シベリア地域において、エネルギー、農業、インフラ、運輸分野の共同プロジェクト実現に協力していくことで日ロ両政府の見解が一致している。

個別の分野については、医療においてロシアは日本企業の進出を歓迎する意向だ。ハイテク医療機器、医薬品普及支援も強化される。

また、都市環境においても、交通渋滞解消などインフラ整備を協議する作業部会が設置されることとなった。

日本にとって喫緊の課題であるエネルギー問題でも進展があった。

石油・天然ガスの対日供給は互恵的な条件で実施すべきとの認識で日ロ両政府が一致。「サハリン3」プロジェクト(サハリン北部沖の区域における石油・天然ガス開発事業)への日本企業の参画に対し、ロシア側が配慮する姿勢も見られた。

「サハリン3」プロジェクトに象徴されるように、従来、日本側から見た日ロ経済関係と言えば、天然ガスを調達することが主な目的とされてきた。

その際は、パイプラインの建設が大きなテーマとなる。

天然ガスをわざわざ液化してタンカーで運び、日本でまた天然ガスに戻すのは効率が悪い。そこで、サハリンから北海道(あるいはウラジオストクから新潟あたり)までパイプラインを引いて、天然ガスをそのまま送り届ける必要がある。

ロシアはヨーロッパ向けのパイプラインを何本も持っているし、最近着工された黒海を通る南ルートは2兆円のプロジェクトと言われているが、ロシアが全額負担している。

いずれも数千キロの長さだ。ウラジオストクと新潟の距離が800キロと言われているので、決して遠くはない。

サハリンからガスのまま北海道の石狩湾から内浦湾(噴火湾)へ抜けて太平洋を南下させ、茨城県鹿嶋市あたりにパイプラインを引いても1000キロくらいで決して驚くような長さではない。

ロシアにはガスプロムという世界最大の天然ガス企業があるが、アメリカのシェールガス開発によって、ガスの値段が下がり経営的に打撃を受けている。

また、ガスプロムの顧客はほとんどがヨーロッパ勢であり、アジア市場に弱いという事情も抱えている。こうした焦りがロシアにはあるので、それをうまく利用して、日本はなるべく有利な条件で天然ガスの調達を進めていくべきだろう。

いずれにせよ、多くの原発が停止し火力発電への依存度を高めている日本に天然ガスを売りたいロシアと、安定的な天然ガスを廉価に調達したい日本の利害はかなり一致していると言える。

ロシア国営最大手ロスチフチは2012年10月22日、同三位のTNK-BPの買収を決めた。欧米メジャーを抜き171億ドル(1兆3000億円)での買収となった。

2012年のウラジオストクAPECでロシア側がインフラに1兆7000億円遣った事があきらかになった。孤島に橋を架けたり、火力発電所などを造ったという。プーチン大統領と野田首相の首脳会談が実現し、2012年12月訪露で合意した。

また、LNG基地建設も提携していくという。そうだ、そうやって経済交流を密にしていけば領土問題も円滑にいくというもの。

いいぞ。それこそ「外交で勝つ」だ。2012年7月3日ロシアのメドベージェフ首相が日本の北方領土である国後島を訪問し、「ロシアの領土だ。1コイン分たりとも日本に渡さない」と発言しました。

まあ、日本の交渉の窓口はメドベージェフ首相ではなく、プーチン大統領です。

大人げない反発やデモはやめて欲しい。

(この意見はロシアのウクライナ侵攻前の意見記事です)


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