長府の戦い
「さあ、ついに
「……」
「何だお前等、気合が入っていないんじゃないのか? そんなんじゃ戦に勝てないぞ」
「国虎様、今我等は
明けて
敵がいるのは海を挟んだ門司城の周辺だ。ここでは
つまりは俺達は何もしていない単なる遊兵という立場であった。いや、一応は本陣兼後詰の役割もあるため、現時点での役割が全く無い訳ではない。
それでも海を隔てているだけで、妙な疎外感が兵達の間に漂っているのはどうしたものか。これにより、俺が率いる直属部隊一〇〇〇と
こうなったのには訳がある。一番の理由は、
前回の豊後大友家との戦いでは、別動隊に背後の周防国
本来なら目の前に敵がいながら撤退した仁木 友光殿の行動は非難されるものである。しかしながら、別動隊を率いていたのが
大内の名は未だ周防国・
とは言え、この行動によって戦に負けたのは事実である。これが仁木 友光殿には悔しくて堪らなかったようだ。
要するに俺達が今長門国長府の港に陣を敷いているのは、豊後大友家の別動隊に対しての備えの側面がある。これにより仁木 友光殿は全力で豊後大友軍と殴り合えるようになった。
前回別動隊が襲ったのは
なら何故今回は、長府の港を選んで陣を敷いたのか?
これは豊後大友家攻略の全体像を見れば簡単に分かる。
「いや、分かりませんって」
「何でだよ。本命は
「それで説明できるのは国虎様だけです」
これにも理由がある。端的に言えば、俺不在の阿波国を襲撃するであろう
この布陣なら三好宗家が攻めてきても、撃退は可能と見ている。先の
今回阿波国から連れてきたのが、
但しこの大新宮精鋭部隊には、別の意味がある。
「忠澄、要するに今回の戦は三方面からの同時侵攻となる。主力は豊後国の方だ。
「なら門司城での戦いにはどういった意味があるのでしょうか?」
「敵戦力を分散させる役割だな。豊後国に戦力を集中させないためのものだ。例え豊後国が危険に晒されていても、俺達に背を見せないよう踏み止まるしかない訳だ」
「……やはり長府に陣を張る理由が分かりません。本陣ですからこれで正しいのでしょうが、国虎様の普段を知っていると、今頃は豊前国に上陸している筈です」
右筆の谷 忠澄の言葉から思い出す。そう言えば大規模な戦の場合、大将の身の安全を考えて本陣は離れて配置する場合が多いと。危険に晒される最前線に近い場所に本陣を敷こうとする俺は間違っている。
これがあるから毛利 元就に度々説教を喰らうのだろう。だとしても止める気は無いが。
「そうだな。普段の俺なら『間近で観戦させろ』と言って豊前国入りしている。そうしないのには訳があってな。忠澄、『窮鼠猫を噛む』という言葉を知っているか?」
「はい。『弱い者も追いつめられると、強い者に反撃することがある』という意味ですね。それが何か?」
「豊後大友家を弱い者と言うつもりはないが、それでも負けが確実な状況で逃げ場も無くなると敵は死兵化するものさ。死兵を相手にするのはちと骨が折れる。こちらも犠牲が増えるからな」
「確かにそうですね」
「ただな、ここで海を挟んだ先に大将首が転がっていると思うと、敵はどうすると思う? 同じ負けるなら賭けに出てみようとは考えないか?」
「もしや!」
「ご名答。ここ長府に陣を敷いたのは、敵に決死隊を組織させるためだ。分かり易く旗指物を掲げて居場所を示しているのだからな。精鋭でやって来るぞ」
「な、何ゆえご自身を囮に使うような真似をするのですか?」
「さっきも言ったろう。死兵と戦うと犠牲が増える。なら逆転の希望を与えて且つ粉砕する。これで敵の心が折れて、負けを認めるという寸法さ。二回くらいは襲撃があるかもしれないがな」
「か、勝てるのですか?」
「おいおい、何のための直属部隊と大新宮の精鋭だよ。こんな時に使うためだろ? 戦の絵図としては豊後国の戦が最も重要だ。ただな、勝敗を決定付けるのは、俺達となる」
戦はどんなに大規模となろうとも、人と人との争いだ。そうすると、最終的には心を攻めた者が勝つ。どんなに兵力を揃えようと、どんなに最新兵器を揃えようと、主体となる人がやる気を失ってしまえば戦にはならない。
逆に言えば、気持ち一つで人は強力な戦士となる。それが死兵化だ。傷を負おうとも命を無くそうとも意に介しない。こうした相手に正気で挑むのはかなり難しく、結果として多くの犠牲を伴う。
なら俺の立場としては、敵の死兵化を防がなければならない。方法としては逃げ道を残して逃亡させるのが定石だろうが、今回はそれでは弱いと感じて一歩踏み込んだ形とした。要するに精鋭を俺達が引き受けて主戦場から引き剥がす。この策は敵戦力の分断、士気の低下を促す意味が強い。
但し勝つのが前提ではある。
「こうしてはいられません。急いで安岡殿や大新宮の
「焦らなくて良いぞ。敵が船を出したら水軍衆を率いる国長が使いを寄越すように手配はしてある。それまでは待機だ。ゆっくりしておけ」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
数日後の雨の日。
「予想通りだな。敵さん雨に紛れて特攻してきやがった。
「はっ、こちらに」
「待たせたな。大新宮抜刀隊を率いて皆殺しにしてこい! 敵は強敵だからな。全力を出し切れよ」
「お任せくだされ」
「もう一つ。取りこぼしてもすり抜けられても、絶対に追うな、気にするな。前だけを見ていろ。その分はこっちで何とかする。分かったら行って来い」
「はっ」
「安岡 虎頼!」
「ここに!」
「直属部隊の役目はすり抜けてきた敵を確実に始末する事だ。但し、決して前に出るな! 前方にいる大新宮の邪魔はするなよ。役割分担をきっちりすれば、俺達が必ず勝つ。乱戦に引き込まれた時は、俺が死ぬ時だと思え!」
「肝に銘じます!」
俺は最初から敵が襲撃するなら雨の日以外あり得ないと考えていた。勿論、夜襲や早朝の襲撃の警戒を怠っていた訳ではない。船での強襲を想定した場合、夜襲や早朝の襲撃では目的地への到着に確実性が低いと考えたからである。
強襲を行う将兵は水軍所属ではない。陸での戦いに長けた選抜部隊となる。これが前提だ。
もし船の扱いに慣れた水軍の強襲なら、夜襲や早朝の襲撃もできもしよう。だがそれでは、直属部隊を突破して俺の命を奪うという目的が達せられない。そのため、船の扱いに長けていない者でも海峡を渡れる時間帯を選ぶしかない制約がある。
とは言え、何の工夫も無ければ強襲も意味は無くなる。成功させるには奇襲を演出する策が敵には必要だった。
それが雨中の強襲となる訳だ。これには当家が使用する火器への対策も含まれていると思われる。
「三〇はあるか。随分と気合を入れたものだな」
小雨の降る中、押し寄せるように小早船が上陸してくる。港と言ってもこの時代は桟橋さえもない粗末なものだ。砂浜に乗り上げてくるという表現の方が正しいだろう。
雫が垂れて見え辛い望遠鏡で確認すると、襲来したのは速度を重視したガレー船の小早のみで三〇艘。漕ぎ手も含めれば一艘辺り三〇人となるため、単純計算で九〇〇程の兵が乗り込んできた形となる。周防灘に陣取る惟宗 国長率いる水軍を振り切った上で、よくぞここまでの数を上陸まで漕ぎ着けたものだ。
どうやらこの戦い、兵だけではなく率いる将もまた歴戦の勇士と見た方が良い。
「それでも俺達が勝つけどな」
「く、国虎様!」
「どうした忠澄?」
「あの旗指物、大友抱き
「なら相手にとって不足無しだな」
「国虎様!!」
「忠澄、大丈夫だ。皆を信じろ。この戦、相手が何者であろうと俺達が勝つ。見てみろ、大新宮の活躍ぶりを」
鬼神の如くという表現は今の大新宮に相応しい。先手必勝とばかりに、船から降りたばかりの豊後大友兵を躊躇なく襲い次から次へと屠っていく。敵に息つく暇も与えないこの素早い行動は見事の一言である。白刃が宙を舞うかのように変幻自在に切り刻んでいく様は、見ていて爽快な気分にさせてくれる。
ただ、この程度は敵将も想定済みだと思われる。俺が戸次 鑑連でも序盤の犠牲は止む無しと考えるからだ。豊後大友勢は雨の中、周防灘を抜けてきた。現在の戦いは言わば連戦を行っているようなものだ。これで全力を出せと言うのがまず無理である。
だから俺は、この戦は中盤以降にどう動くかが全てだと考える。攻め疲れが見え始めた大新宮と息が整い始めた豊後大友兵とでどちらが優勢となるか。小雨とは言え雨の中での戦いは、通常の戦よりも体力の消耗が激しい。
「国虎様、敵が大新宮の側面をすり抜けて一人、また一人とこちらに向かってきております」
「大丈夫だ。虎頼が何とかする」
俺が清水 宗知に出した指示は、この中盤以降を想定したものとなる。戸次 鑑連が名将であるなら、大新宮を崩すのは力押しではないと気付く。最も効果的なのは、大新宮をの横をすり抜けて後方の直属部隊、ひいては直接俺を狙った攻撃だと気付くであろうと。
だからこそ事前にそんな事で動揺するな、前だけ見ていろと言っておいた。
安岡 虎頼に出した指示も同様である。敵の目的はあくまでも俺の首だ。こちらの兵を減らすのを目的としている訳ではない。敵が優秀であればある程、目的達成のために行動する。こちらはその阻止に集中する。これにより俺達が絶対に勝つと言えた。
もしかすると戸次 鑑連なら、こちらの動きを見て目的を大新宮の殲滅に切り替えるかもしれない。そうなった場合は全滅も覚悟しなければならないが、その先には俺の直属部隊が待っている。幾ら敵が決死隊とは言え、人の体力は無尽蔵ではない。大新宮との戦闘後の疲れた中でほぼ無傷の一〇〇〇を相手にするのは、逆立ちしても不可能である。
「大新宮が一員
「なるほど、そう来たか。虎頼、気を抜くな! ここからが正念場だ! 最後に玉砕上等の波状攻撃がくるぞ! 気合を入れてこれを防げ! そうすればこちらの勝ちだ!!」
「国虎様、そういう事でしたら、我等
「おっ、
言うが早いか三〇〇を超える敵兵が大新宮をすり抜けて直属部隊へと突撃してくる。意図はお見通しだ。最後の突撃を敢行するべく、将の戸次 鑑連自身が犠牲となり注意をそちらに向けさせたに過ぎない。ここで温存していた虎の子の投入であろう。
さあ、ここが勝負の分かれ目だ。
敵が皆殺しとなるか、俺が死ぬかの二つに一つ。
当然ながら、俺の勝ちに全ベットである。
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