二代目の役割

 永禄えいろく二年 (一五五九年)も半ばを過ぎると、各地から報告が続々と届いてくる。この年東国では大規模な飢饉が起きているようだが、西国に於いては対岸の火事であった。


 その理由は、何と言っても領国の安定化にある。当家の勢力圏に組み込まれた国は戦で荒らされなくなっているのだ。これにより治水や開発が進み、食料生産量が増大するのは当然とも言える。多少の飢饉ではびくともしない。


 結果として穀物価格の急騰する世間様を尻目に、当家は今年も物資の大量消費という名の戦を派手に行えていた。


 まず中国地方に於いては、因幡いなば国を危なげなく併呑する。一部で多少梃子摺ったと報告書に書かれていたが、尼子 経貞あまご つねさだの活躍によって事無きを得ていた。


 これは因幡国の地形が大いに関係している。鳥取砂丘を抱える国が、実は山地ばかりであったからだ。印象と実態が違うのが特徴と言えよう。


 平野の少ない国は進軍一つで困難を極めるものだ。その上敵には地の利もある。見知らぬ地での山岳戦は大軍になる程不利となり、攻略は容易ではない。


 だがここで、それをひっくり返す事実がある。


 土佐国と阿波あわ国は因幡国を超える山ばかりの国だ。その割合は土佐国で約九割、阿波国が八割となる。加えて尼子 経貞の家臣は、阿波国の秘境とも言える祖谷いや育ちや山育ちの者が多い。


 つまりは山岳戦を仕掛ける敵にとって、当家の軍、特に尼子 経貞の部隊は相性が最悪となる。

 

 山育ちには秘境育ちを。間道での戦いなどお手のものだ。また尼子 経貞は、長く諜報部隊の鉢屋衆はちやしゅうを管理していた経緯もある。これを生かせば伏兵の発見も容易い。因幡国での戦いはまさに水を得た魚であったろう。


 世の中というのは、些細な事が突然役立つから面白い。


 結果として、尼子 経貞は因幡国中に武名を轟かせて押しも押されぬ名将の評価を得た。そんな名将がそのまま国主の座に就いたのだから、因幡尼子家は今後一枚岩の強力な組織になるのではないかと期待が持てる。


「領地を奪われて土佐に出奔してきた、あの尼子 経貞がこうなるとはな。人の評価というのはこういう時、無責任さを感じてしまうよ」


「そんな事を言いながら、本音では嬉しいんでしょう?」


「ああ嬉しいさ。期待を込めて尼子の惣領にした俺の目に狂いがなかった訳だからな」


「そうなると此度の因幡国での戦は、尼子関係者にとっても誇らしく思えたでしょう」


「そうであって欲しいな」


 反面可哀想なのが責任者の吉川 元春きっかわ もとはるかもしれない。勢い込んで因幡国の攻略に名乗り出たのは良いが、功績は全て尼子 経貞のものとなる。この分では「次こそは」と、本命となる但馬たじま国の攻略も任せて欲しいと嘆願してきそうだ。


 とは言え但馬国は三好との最前線でもあり、京にも近く、尚且つ日の本でも有数の産出量を誇る生野いくの銀山を抱える国でもある。この重要な地の攻略を、そのまま吉川 元春に任せて良いかは思案のしどころであった。


「まあ但馬攻略は課題としておくか。忠澄ただすみ、次の報告書はどうなっている」


「次は播磨はりま国となります。……島津様からの報告書には、火の鳥を至急追加で送って欲しいとの要望が書かれております」


「なっ、播磨中部の赤松あかまつ宗家はそんなに手強いのか?」


「いえ、播磨中部は無事平定し、赤松宗家もしっかりと降したと書かれております。国虎様が要望を出していた小寺 政職こでら まさもと殿も殺さずに降したそうです。ただ……」


「……ただ?」


「赤松宗家との戦の際、大量の火の鳥を一つに纏めて炸裂させる阿呆な真似をしたらしく、蓄えが尽きたと」

 

「やるな。元気玉を使ったのか。これだから島津は面白い」


 それもまさかの現地改修である。これぞ戦争の醍醐味の一つだ。現場への最適化という名目で違法改造をする。これに心躍らない男はいない。


 基本的に兵器の動作確認は施設内で行うものである。そのため最前線では、その性能を十分に発揮できない。使い勝手が悪い。性能に不満が出る。最悪の場合は動作しないというのは良くある話だ。ベトナム戦争時のM16は数多くの逸話がある。


 だからこそ現場で勝手に改修をする。軽量化や短縮化は基本中の基本と言えよう。例えば戦国時代でもストックの長い火縄銃はあったが、鎧着用時は邪魔になるために切り落とされていたというのは有名な話だ。


 「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」 そんな言葉が聞こえてきそうだ。


「国虎様、不謹慎ですよ。火の鳥は単体でも十分な威力を持っています。それを纏めて炸裂させるなど正気の沙汰ではありません」


「味方の犠牲を考えていないんだろうな。肉を切らせて骨を断つ。さすがは島津だ」


 前回の特攻もそうだが、平気で味方の命を捨てられるのが島津の恐ろしい所である。本来なら「正しい使い方をしろ」と叱らなければならないのだが、この効率良い戦果を知るとついつい「いいぞもっとやれ」と思ってしまう俺がいた。


 島津が播磨国室山むろやま城入りしたのが弘治こうじ二年 (一五五六年)。当家からの支援があったとしても、たった三年で播磨国随一の勢力にまで成り上がったのだから、期待以上の働きと言える。


 こうなると、島津の次の動きが尚更楽しみで仕方ない。


「忠澄の気持ちは分かるが、約束があるからな。要望通り追加の火の鳥を送ってやれ。島津の件はこの辺で良いだろう。他はあるか?」


「中国地方に付いては、後は西美作みまさか足利 義栄あしかが よしひで様が危なげなく鎮圧して終わりとなります」


「おっ、やったな。これで義栄の名も高まったんじゃないか。事実上三好に降伏した足利 義輝あしかが よしてるとの良い対比になる」


「それでですね国虎様。足利 義栄様より此度鎮圧した西美作みまさかの地を、弟である山名 義助やまな よしすけ様に任せたいとの要望です」


「えっ、西美作をか? それをして人手不足にならないのか? あー、なるほど。備後びんご国内の地盤固めだな。良いぞ。要望通り西美作は山名 義助に任せるよう返事を出しておいてくれ」


「かしこまりました」


「それと宇喜多 直家うきた なおいえが変な行動を取れば、容赦なく東美作を掠め取って良いとも書いておいてくれ」


 所詮西美作は、美作三浦みうら家と出雲尼子いずもあまご家の残党が運良く吉良 義安きら よしやす他を討ち取ったに過ぎない。息つく間もない備後足利家の侵攻には為す術もなかった筈だ。勝って当たり前の戦と言える。


 だが今はそれで良い。勝てる戦に確実に勝つ。この積み重ねが武功となり、足利 義栄の求心力となろう。


 今回の面白い所は、鎮圧した西美作に自身の弟を配置する決断をした所だ。


 備後入りした当初は、地域の豪族の力を借りるために弟を備後山名家に養子入りさせたそうだが、三年経ち統治も安定したのだろう。今度はその豪族を国外移転させて、備後国内の支配力をより強固にしようと考えているのが分かる。ここが足利 義栄の非凡な点ではなかろうか。


 意外なようだが、実はこの時代になっても山名やまな家の影響力は中国地方の各地に残っている。


 何せ四職ししき家の一つである山名家は、かつて一一カ国の守護となり「六分一殿」と呼ばれた程だ。これだけで当時の山名家が絶大な力を持っていたのが分かる。


 当然ながら、備後国にもその影響力は残っていた。だからこそ弟の義助を山名 理興やまな ただおき殿に養子入りさせて、備後国内の山名家の力を掌握させようとしたのだろう。


 それが完了したからこその西美作移転だ。俺のような乱暴な手段は使わない。段階を踏んで影響力を広げていくこの手法は、理想的とも言える。地に足がついているとはまさにこの事だ。


「それにしても義理とは言え、俺の息子とは思えないような優秀さだな」


 加えてこの判断は、俺が但馬山名家を滅ぼすのも想定していると考えた方が良い。つまりは、但馬山名家残党の受け皿を西美作とするつもりなのだろう。当家が鞭となり、美作山名家が飴となる。これで但馬山名家残党には恩が売れる。一体誰が考えたんだと言いたくなるような見事な一手だ。


「そうですね。国虎様は民からの支持は絶大ですが、その分武家からは嫌われてますおりますので」


「俺の場合は民の生活の方が優先だからな。仕方ないさ。忠澄、次は九州の報告を頼む」


「かしこまりました。九州地方に於いては、良い報せと悪い報せがあります」


「良い報せから頼む」


「こちらは無事筑前ちくぜん国の制圧に完了したとの報告です。豊後大友ぶんごおおとも家の名のある将も数名討ち取ったとか。見事な戦果です」


「なら、悪い報せの方はどうなっている」


豊前ぶぜん国での敗戦です。松山まつやま城が落城しました。何とか門司もじ城で踏ん張り、豊前国からの完全撤退は避けられたと書かれております。それと、守将の肝付 兼続きもつき かねつぐ様と仁木 高将にっき たかまさ様が討ち死にしました」  


「……そうか。討ち死にか。敵も必死なのだろうな」


 豊後国、筑前国、そして南豊前の二カ国半となった豊後大友家への攻勢は、二正面作戦を強いるというとても理に叶った作戦であった。具体的には九州勢が筑前国へ、もう一つは周防仁木すおうにっき家との共同で肝付 兼続と仁木 高将が松山城から南下する形となる。その上で肥後津野ひごつの家と筑後京極ちくごきょうごく家が、豊後国の国境線に兵を出して牽制をする徹底ぶりだ。


 真綿を締め上げるようなこの絵図なら、本来こちら側が派手に負けるのはあり得ない。


 しかしながら、豊後大友家はここで切り札を使う。そう、行方をくらませていた大内 輝弘おおうちてるひろ武弘たけひろ親子が、このどさくさに紛れて周防国入りを果たして現地の不満分子と共に武装蜂起をしたというのだ。


 そこで仁木 友光にっき ともみつ殿が泣く泣く周防国での反乱鎮圧を優先したため、豊前国では敗北。戦線を後退させる羽目になったという。肝付 兼続と仁木 高将の二人は味方を逃がす殿に名乗り出て、見事にその役割を全うした。


 門司城が落城しなかったのは、二人の命を賭した奮戦の賜物である。


 この戦いに伊予安芸いよあき家や安芸吉良あききら家が参戦していたなら、結果は変わっていただろう。ただこの両家は、先の出雲尼子家との戦いで多くの将兵を失いボロボロとなっている。軍は再編中であった。老黄忠こと大野 利直おおの としなおも先の出雲尼子戦で討ち死にしており、如何に激戦であったかが分かる。


 豊後大友家は、伊予安芸家と安芸吉良が援軍を出せないと知っていたと見るべきだ。だからこそ勝負に出た。そう思うと豊後大友家は、門司城も落として関門海峡の制海権を手に入れるのを目的としていたのではなかろうか。周防国や伊予国からの干渉を排除するために。


 そうなると今回の結果は、痛み分けと評した方が良いかもしれない。犠牲を払ったにせよ、こちらは門司城を守っただけではなく、筑前国までをも手に入れたのだ。戦略の大幅な変更に至らなかったこの事実が大きい。


 こう考えると、肝付 兼続と仁木 高将が九州戦線での最大の功労者だったというのが分かる。本当、惜しい人物を亡くしてしまった。  


「……国虎様?」


「悪いな。もう大丈夫だ。二人の討ち死にを無駄にしないためにも、豊後大友家にはきっちりと引導を渡してやろう。それが俺達の役目だ。忠澄、毛利 元就もうり もとなり隆元たかもとの二人を……いや、公文 重忠くもん しげただも加えて三人だな。俺の元に来るように伝えてくれるか?」



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「三人共、忙しい所悪いな。手短に済ませるから、少しの間だけ我慢してくれ」


 しばらくの時を経て、三人が俺の執務室へと集まった。書類が散らばり足の踏み場もない状態ではあるものの、身内相手には気にしない。各々が書類を隅に追いやり腰を下ろす場所を作ると、どっかと胡坐を組んで座る。


 こういう場でもきちんと平伏するのが毛利親子の生真面目さだ。もう一人の公文 重忠は、ふてぶてしい面構えでただまっすぐ俺を見つめている。初めて会った頃の面影をどこか残しながらも、今では体も大きくなって頼もしい姿だ。


「まず毛利 元就・隆元の親子には門司城を任せる。こちらの攻勢が始まるまで死守をしてくれ。それと毛利 隆元には、豊後大友家を倒した暁には豊前国と豊後国の二カ国の国主に任命するつもりだ。だから絶対に死ぬな」


「……」


「聞こえなかったか?」


「いいえ、聞こえました。それより何ゆえですかな? 我等は当家の中では新参です。国主への任命は時期尚早と愚考しますが」


「元就、今回はそういうのは無しだ。強敵豊後大友家打倒のためには四の五の言ってられない。あの陶 晴賢すえ はるかたと正面から殴り合おうとした毛利の全力を見せてくれ。それが理由だ」


 目には目を。歯には歯を。大友には毛利を。今回俺が毛利親子を呼んだのは、この一言に尽きる。


 討ち死にした二人は決して無能な将ではなかった。むしろ歴戦の勇士と言って良いほどの優秀な指揮官と評した方が正しい。そんな二人が不運があったとは言え、豊後大友家に負けたのだ。下手な後任を派遣すれば、虎の子の門司城は支えきれない。そう考えるのが妥当であろう。


 そのため、新参であろうと毛利親子を抜擢する。先の神西じんざい城の戦いでも毛利 元就はしっかりと耐え凌いだのだから、実績としても申し分ないというのが俺の中での結論であった。


 また順番から言えば、門司城へは重臣の松山 重治まつやま しげはるを派遣するのが筋ではある。だがここで松山 重治を派遣してしまえば、四国方面での有事があった際に後手に回ってしまう恐れがあるのもまた事実だ。三好宗家みよしそうけは、当家の豊前国での敗戦は掴んでいると考えた方が良い。


 実態はさて置き、表面上は何ともないと見せる。重臣が動くような緊急事態ではないと装う。これが毛利親子を抜擢するもう一つの理由と言えるだろう。


「もしや、我等に肝付殿と仁木殿の仇討ちをせよと」


「そう捉えてもらって構わない。だが、まずは門司城の死守が最優先となる。二人の思いを引き継いでくれよ」


「……はっ」


「国虎様、何ゆえ儂が国主なのでしょうか? それも二カ国もの。相応しいのは我が父かと思いまするが……」


 ただそうは言っても、この考えに納得できない者もいる。それが息子の毛利 隆元であった。父親の方は相変わらずの勘の良さというか、俺が暗に「国主に相応しい手柄を立てろ」と言ったのに気付いたのに対してこの消極さ。これが毛利 隆元の可能性を阻害している箇所であろう。


「隆元、控えよ!」


「元就、大丈夫だ。隆元、良く聞け。当家の中では隆元は評価が高い。それも父親の元就よりもな。だから空手形とはなるが、国主に任命する。これで理解したか?」


 だからこそその殻を破ってもらうためにも、俺がはっきりと伝える必要があった。


「それだけ財務を理解できる者が貴重だという意味だ。その能力を国の運営でしっかり生かせ。正直な所、元就は戦には強いが、優秀な補佐無しに国は任せられない」


「ま、まさか」


「ここで嘘を言っても仕方ない。大友との戦に勝って父を超えろ。隆元ならそれができる」


 この辺りは環境の違いというより他ない。安芸毛利家の時代は、常に大国の圧を受けながら立ち回らなければならなかった。その中で当主に求められる役割は、戦の強さとなる。安芸国内での盟主という立場上、仲間の豪族を守れる力。それが何よりも大切であった。


 しかしながら、当家の中ではその価値観は大きく変わる。土佐という喧嘩上等のお国柄、常備軍の制度、貧困で苦しんでいた過去。ここから武家の当主に求められるのは、経営能力となる。平たく言えば、皆を食わせられるかどうかだ。この価値観は、ほぼ俺が植え付けたと言って良い。


 当家では武勇が多少人より優れていたとしても評価はされない。逆に経営能力のある毛利 隆元の方が評価される。俺も含めて報告書一枚書くのですら嫌がる者にとって、毛利 隆元の能力は眩しく見えるものだ。俺も借財の全てを押し付け、土佐と阿波の経営を任せたい程である。


「せ、精一杯励みます」


 とはいえ、今の毛利 隆元にはこれが限界だろう。長年染みついた価値観が俺の言葉だけでそう変わるものではない。これまでと対極となる評価のされ方に戸惑っている。そう感じさせる反応であった。


 今はそうでも、これから当家の考え方の理解を深めてもらえばそれで良いと思う。


「隆元、人の評価は環境によって変わる。それを深く胸に刻んでくれ」


「……はい」


「最後は公文 重忠だな。毛利親子と同じく門司城入りをしてもらうんだが、役割は城の守りではなく遊撃を命じる。豊後大友家に散々に嫌がらせをしてやれ。やり方は任せる」


「押忍! お任せください」


「それとな……名称はどうする? 新たな隊長は重忠なのだから、馬路うまじ党から公文党や石谷いしがい党に名を変えても良いぞ?」


「押忍! 名は馬路党を引き継がせてください。俺がこれまで以上に馬路党の名を高めてみせます!」


 馬路 長正うまじ ながまさは良い後継者に恵まれた。これが偽りない本音となる。馬路 長正や幹部の討ち死にによって馬路党は解体の危機に直面したものの、公文 重忠、下田 頼隆しもだ よりたか横山 友隆よこやま ともたかの石谷三兄弟が中心となって存続に動いたのだ。


 これにより公文 重忠を新たな隊長とした新生馬路党が誕生する。隊員も含め中身自体は何も変わってはいないのだが、あの一癖も二癖もある個人集団をよく纏め上げたものだと感心する。簡単に言えば、隊員全員を殴って従わせた。今の公文 重忠にはそれだけの力量があるという意味だ。


 徳善とくぜ城で会ったあの頃は馬路党の隊員に散々に痛めつけられたというのに、それが今度は逆の立場になったかと思うと感慨深い。一〇年以上もの間、ひたすら努力を重ねたのだろう。


「良く言った! 馬路党は死なずと九州の地で見せてやれ! 畿内にいる三好の肝を冷やさせろ! 活躍を楽しみにしているぞ!」


「押忍!!」


 京の地で散った馬路党は仮の姿。そうなる日も近いと信じている。

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