和睦交渉開始
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最早追い込まれた幕府の残す手はこれしかなかったと言うべきか。
本来改元は幕府との協議を経て朝廷が実施するものだ。だというのに今回に限っては、朝廷は三好 長慶にのみ相談をしたという話である。
理由は室町幕府が
当然ながら朝廷に袖にされてしまった足利 義輝は大激怒した。だが悲しいかな、今の室町幕府に武力で京を取り戻す力は残っていない。何より現状の三好宗家には、
それだけではない。室町幕府は逆に挟み撃ちされかねない状況にも陥っていた。永禄へと元号が変わる直前の二月末、三好 長慶の斡旋によって
この任官が従来通り室町幕府を通したものであれば、美濃斎藤家は足利 義輝の味方となっていた。だが現実は違う。そうなれば、対価は室町幕府に味方しないという条件になる。そこから一歩進めば、今度は三好宗家の味方だ。これでは室町幕府は挙兵などと悠長な事は言ってられない。逆に滅亡を心配をする状況が間近に迫っていると考えるのが妥当だ。
加えてまごまごしていれば、三好宗家が
ともあれ、鞆の浦幕府という対抗馬の出現により、室町幕府は現実を見なければならなくなった。朝廷からも見放され、立場さえも失っている事実に気付いたという訳である。
後は室町幕府がどこまで妥協できるか。そして三好 長慶がどこまで幕府を骨抜きにするか。そんな鍔迫り合いが予想される難しい交渉となるだろう。
「三好宗家の思い通りにはさせない。俺達は今年中に
『応ぅ!!』
この動きを受けて五月に入ると、当家は出雲尼子家の無力化を目的に
足利 義輝と三好 長慶の和睦交渉は、俺個人としては成立しないのではないかと考えている。理由は三好宗家側に室町幕府と和睦する利が無いからだ。室町幕府という獅子身中の虫を内に抱え込むよりも、
そのため、俺が三好 長慶の立場なら交渉を決裂させる道を選ぶ。
だが京の都は今も伏魔殿だ。多種多様な思惑や利権が渦巻く中で上手く立ち回るには、室町幕府を手札として活用する考えに至るかも知れない。例えば測定不能の数値を叩き出す
そうなった時、当家と三好宗家との軍事的緊張は一気に跳ね上がるのが確実であった。
勿論それだけで終わる筈がない。三好宗家と室町幕府が和睦をすれば、
待っているのは九州の
だからこそ事前にこの目論見を潰して、中国地方をがっちりと固めておくのが今回の出兵理由である。
残るのが豊後大友家だけなら、距離もあり両家は連携を取れない。西国の制海権もこちらにあれば、三好宗家は支援を諦めざるを得なくなるという寸法だ。
「中でも重要なのが、
「大将、今からでも遅くない。
「却下だ。
今回備中国からの侵攻を選んだのは、米子の地を重要視したからに他ならない。
出雲尼子家の本拠地月山富田城は難攻不落であるものの、山城であるため内陸に位置している。これが弱点の一つであった。
つまりは海に面していない。港とは距離が離れている。結果して港と本拠地との中間地点を封鎖してしまえば、他家からの支援が得られない立地であった。
そのため、三好宗家との連携を断つという意味でなら、米子の地を制圧した時点で目的は達成できる。それも備中国
ならばダラダラとは進軍したくはない。街道近くの城は火器ですかさず無力化して、短時間で目的地への到達・制圧を目指す。
そうするには、出雲尼子家の主力を引き付ける囮が必要不可欠と言えよう。
なあに、神西城は「
さあ、俺達のためにキリキリ働け。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
備中国は大半が標高の高い山地で占めているというのに、道がしっかりしているのには訳がある。備中
こんな時、土佐が陸の孤島と呼ばれる訳が良く分かる。
新見地区を北上すればそこからは美作国で敵地となる。それまではのんびりと雑談や作戦の確認しながら進ませてもらおう。幾ら行軍を急ぐとは言え、ずっと緊張状態を続けていては本番の戦で実力を出し切れない。
「大将、そうすると後は米子での戦の時に、
「これは俺も読めん。
遠征軍の兵力は、いつもながらの主力五〇〇〇に加えて
こうなると、伯耆国の東に領地を持つ但馬山名家が出す援軍の数で攻略の難度が大きく変わる。出雲尼子家も馬鹿ではないのだから、何の対策もせずに神西城を取り返しに向かう筈はない。米子への備えと但馬山名家に援軍依頼をするくらいはしてくるだろう。例え出雲尼子家と但馬山名家が犬猿の仲と言えども、この期に及んで面子に拘るのは考えられない。
だからこそこんな時は
但馬山名家にとって今回は手伝い戦である。勿論当家との緩衝地帯として出雲尼子家を使いたいという意図はあろう。だがそれも水軍による領国への強行上陸の可能性を示されれば、自領を危険に晒してまで出雲尼子家に肩入れするとは思えない。戦から手を引くのが合理的な判断となる。
具体的な周防仁木家の使い道は、島根半島の北に位置する
要するにこの地を制圧すれば、隠岐水軍の力が低下する。それは但馬山名家に対して、「いつでも沿岸部を荒らしに行けるぞ」という脅しをしているに等しい。
それ程重要な地ならさぞや大規模な水軍があるかと思いきや、そうでもないというのが実情だ。島だけに総人口も限られている。一万人を下回るのは確実と言えよう。それだけに戦闘要員となる水軍の規模は大きくない。事実、天文一二年 (一五四二年)に起きた月山富田城の戦いでは、出雲尼子家の水軍と共に鎧袖一触で蹴散らされている。
実際は、旧
そんな旧大内水軍を引き継いだのが周防仁木家だ。それだけに但馬山名家対策は任せておいて問題は無いだろう。当然ながら留守を狙って内乱を起こされても問題無いよう、雑賀衆と讃岐国の水軍を後詰で入れさせて警戒に当たるよう手配しておいた。
「それで、実際仁木水軍は使い物になるのか?」
「これが驚く事に、旧大内家臣は一部を除きかなり従順らしい。そりゃ非公式とは言え、守護職に中国探題職だからな。それに何より今後は朝廷との関係改善が見込めるようになったのが大きい。鞆の浦幕府様々だろうよ」
旧家臣の誰もが語りたくはないようだが、やはり
それによる朝廷との決裂は、周防大内家臣の誇りを大きく傷つける。
周防大内家は長く特殊な位置付けにいた。武家でありながら、幕府の枠から外れた存在である。その根拠は朝廷や帝との直接的な結び付きであり、例えば
また、周防大内家当主が四代続けて従三位以上に任官していたのも見逃せない。それに伴い、旧大内家臣も任官の恩恵を受けていた。
この図式が大きく崩れたのだ。大寧寺の変以降、周防大内家は武家公卿が単なる武家に転落する。今後
「こんな筈ではなかった」と多くの者が落胆しただろう。
だからこそ国主が変わったのは、旧大内家臣にとって罪を清算したような気持ちにさせたのではないかと考える。全ての罪は
そしてここからが
これを聞くだけで、俺は周防国と
「そりゃすげぇな。なら俺達は尼子との戦だけに集中できるという訳か。腕が鳴るぜ」
「俺としては、旧大内家臣が張り切り過ぎないか心配しているがな」
「確かにそれは言えてる」
鞆の浦幕府という新たな旗頭、未来への展望と今の周防仁木家には家臣団が一致団結する要素が揃っている。例え内部に様々な問題を抱えていようと、こういった高い目的意識を持つ組織は強い。それを今回の戦で目の当たりにできるのが楽しみだ。
「国虎様! もうすぐ出雲街道との合流地点の
「聞いたかお前等! 他の奴等ばかりに手柄をあげさせるな! 土佐で一番強いのは俺達だというのを、今回の戦いで日の本中に轟かせるぞ!」
『応ぅ!!』
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