閑話:三好三人衆
「……まさか今の京の都がこのような事態になっておったとは……」
国虎様の相変わらずの気紛れには困ったもので、儂は京の洛中から少し外れた葉室様の荘園内でお役目に携わっていた。
お役目というのは、一〇年以上前に
このお役目が
しかもだ。儂のお役目自体は既に半ば以上終えている。というよりも、黄巾賊の残党が自主的に再結成を始めていた。儂がしたのは、
つまりは残党達の間では、長く黄巾賊の再結成が望まれていたのだろう。大将不在ゆえ活動ができなかった。そんな所だと思われる。
加えて国虎様が「数年先」と言った米・塩の安売りの話に魅かれ、会員が新たな会員を連れてくる。数年先と言わず今からでも安売りをしてくれと懇願される。その声の数が無視できなくなったために前倒しを要望する書状を出せば、許可の返書と共に大量の米と塩が送られてくる。
これにより、最近では同じく京入りした
これでは儂は京へ商いをしにきたのと変わらない。そう考えていた所、自らの短慮に気付かされる。
今の生活を始めて一月を過ぎた頃、儂は京でのある出来事を黄巾賊会員から聞かされた。
起きている出来事自体は、京ではそう珍しいものではない。京は日の本各地から多くの民が集まる地だからこそ、流民や罪を犯して逃げて来た者も多く集まる。それを狙って人攫いが起こるのも日常の光景と言えるだろう。
そう、奴隷狩りが今の京の都では頻繁に起きていた。それも京を治める
それ自体の意味は分かる。流民達を放置しておけば、いつ何時盗みや人殺しが起こるとも限らない。それでは折角静謐を取り戻した京の都がまた荒れると言いたいのだろう。
問題となるのはその中身である。取り締まった流民達を奴隷商へと売るのは、まだ百歩譲って認めよう。国虎様なら「取り締まりを行うには活動費が必要になるのだから、どこかで利益を出せなければいけない」と言う筈だ。それに流民達を京の都から追い出した所で、隙を見て懲りずに入り込んでくるのは分かっている。そこから考えれば、奴隷狩りの行為自体は致し方ない面もあろう。
許せぬのは、売る相手が南蛮の奴隷商だからだ。
儂は国虎様より
思えば国虎様は南九州へ遠征した際、奴隷商と接触をして全て当家で相場よりも高く買い取ると触れ回っていた。これも全ては日の本の民が外の国で悲惨な目に合わぬためであろう。国虎様くらいだ。買い取った幼子の奴隷を孤児院へ入れて養育するような酔狂な方は。本人は「幹部候補生」という訳の分からぬ事を言うが、その根底にあるのは慈悲の心だというのは間違いない。
つまり今の京では、国虎様の行いを鼻で笑うような蛮行が横行している。これは由々しき事態だ。
しかも、しかもである。この蛮行には、一〇年以上前に取り逃がした
もう儂には分かる。何ゆえ三好三人衆がこうまで力を持つのかが。
また長宗我部 元親には、もう一つの顔がある。それは洗礼名ジョアンという基督教信者の顔だ。南蛮人への奴隷販売、基督教信者と続けば、残っているのは南蛮人との交易による荒稼ぎしかない。
国虎様は基督教の寺を土佐に誘致する形で南蛮との交易を始めたが、三好三人衆では一人が洗礼まで受けるという徹底ぶりである。これなら京の町での南蛮との交易は、三好三人衆が窓口となっていたとしてもおかしくはない。
その上で公家を巻き込み、商家を巻き込み利権を増やす。昨年には
京の都は五山を始めとした由緒ある寺社の力が強く、安易に基督教の寺は作れない。何も考えずに寺を建てれば、たちまち打ち壊されてしまうであろう。だからこそ食うや食わずの公家を使い、南蛮との商いを餌にして少しずつ商家に信者を増やす。このような策が水面下で進行していると黄巾賊会員から聞かされた時は、まさかと感じた。
国虎様は南九州を押さえ、明国との独自の交易手段を手にしている。その恩恵は、畿内では本願寺の
つまりはそれが裏目に出た形だ。遠州細川家に意地でも頭を下げたくない連中は、三好三人衆の口車に乗るしかない。そうしなければ、これまで倭寇から手に入れていた品々が手に入らなくなり、商いができなくなってしまう。勿論、王直殿の身に危険が迫らなければこの流れも大きなうねりとはならぬであろう。しかしそれが現実のものとなれば、三好三人衆の力は今より強大となるのが確実である。
……確かに長年国虎様にお仕えした儂でなければ、この変化の兆しを理解できなかったであろう。本当にあの方の慧眼には恐れ入る。
「
「はっ。只今」
国虎様、京の魑魅魍魎は相変わらず健在ですぞ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「有沢殿、ご懸念は分かり申すが心配し過ぎではないですかな?」
「いやいや土居殿、基督教の危険さは警戒せねばなりますまい」
「そうは言っても寺の一つもまだ無いようでは、そこまで広がる事も無かろうに。今は奴隷狩りが精一杯かと考えまする。それに長宗我部殿でしたな。洗礼もその一人のみなら、大きな事態には成りようもないかと」
「狩りの対象が流民だけなら、そこまで問題にならぬのはその通りかと。ただそれが拡大して解釈されるようになれば、そして基督教と結託すれば、三好三人衆が基督教の尖兵となる可能性が十分に考えられまする。基督教の目的が日の本の征服だというのを忘れてはなりませぬぞ」
「まさか。有沢殿、それは考え過ぎでは?」
「そうならぬとは断言できますまい」
「確かに……。万が一の状況も考えねばならぬのでしょうな」
土居殿を交え話をしたものの、やはりというか京の現状をこの程度にしか認識していない。頻繁に奴隷狩りが行われていると言っても、狩る数が一度に数名から多くて一〇名程度という少なさも影響しているのが危機感を感じない理由であろう。
流民達も馬鹿ではない。そう易々とは捕まらぬ。捕縛されまいと必死で抵抗する。分散して逃走する。罠で奴隷狩りを妨害するなどの対抗策を講じるためだ。それが逆に、奴隷狩りを頻繁に行う理由にもなっているのが何とも言えぬ。
もし今後流民達が建物を占拠して武装蜂起でもしようものなら、対抗するために三好三人衆は尚の事力を持とうとするのではなかろうか。そんな悪い予感が今の儂の中にある。そうすれば頼りとするのは南蛮人の力である。結果として益々基督教が日の本で力を持つのは確実だ。
何とかこの悪い流れをどこかで断ち切りたい。
しかしながらここで、流民達を全員土佐に呼ぶというのは短絡的な考えとなる。
流民は全員が善良ではない。悪人も多くいる。誰彼構わず流民を土佐に移住させれば、今度は土佐が荒れ果ててしまうであろう。
当家の移民事業が長く続いているのは、西岡衆の革島家がしっかりと本人の素養を審査した上で行っているためだ。この審査で手を抜いていれば、とっくの昔に問題となって移民事業自体が無くなっている。
そういった意味で考えれば、善良な者も捕まえてしまう場合もあるが、その分悪人も多く取り締まっている三好三人衆の行い自体は悪いものではない。総合的に見れば、むしろ京の町に住む人々の役に立っていると言えるだろう。それだけに性質が悪い。
「何か、何か良い策は無いものであろうか。……と、そこの少年、儂等に用でもあるのか?」
幾ら最後は国虎様に指示を仰ぐにしても、何らかの方向性を我等が示さねば指示も出しようがない。これでは何のために儂が京入りしたのかが分からぬ。そんな思いが考えを堂々巡りにし、焦りを呼び、より考えが纏まらぬ悪い方向へと向かわせてしまう。
そしてそんな時ほど、ついつい余計な所に気が逸れてしまうものだ。普段なら意に介さぬであろう少し開いた襖が妙に気になり、奥にいた少年に何とはなしに声を掛けてしまった。
「有沢殿どうされた? ……虎松よ、お主はそこで何をしておる?」
襖の影からこちらを覗いていた少年はどうやら土居殿の御子息であるらしい。土居殿の京入りに伴いその息子達も一緒に来たのは知っていたが、見習いの三男虎松殿と会うのは此度が初めてであった。虎松殿はまだ元服していないため、普段は勉学に勤しんでいる。見習いの名の通り、土居殿のお役目を手伝うのは毎日ではない。
部屋の外に控えていたというのは、今日がその手伝いをする日なのであろう。だが儂が土居殿を呼んだために、手持無沙汰となっている。そんな所か。
……いや待て。儂の小さい頃なら、今の状況をこれ幸いにと遊びに出る口実にする。大人しく待っているのは考えられない。それよりも、儂等の話を盗み聞きしていたと考えた方が腑に落ちる。
そう考えた儂は、興が乗り虎松殿を試したくなった。運が良ければ、儂の気付かない部分の指摘があるだろうと。
「虎松殿と言うたか。まだ若いが、土居殿のご子息なれば見所があるに違いない。儂等を悩ます基督教の問題で思う所があれば、存念を聞かせてくれぬか」
「有沢殿!」
「まあまあ土居殿。我等年長者は、若い者を教え導かねばなりませぬ。そのためには時として話に耳を傾ける姿勢も示さねばならぬものです。それに儂は国虎様のご嫡男の傅役をしなければならぬ身ですからな。これはその鍛錬みたいなものと考えてくだされ。という訳で虎松殿、笑わぬから話してみよ」
「では僭越ですが、現時点では基督教への対応は五山や末端の寺の力を借りるのが良いかと思われます。あくまでも流民達が奴隷狩りから逃れるための一時的な避難所としての役割ですが」
「……それは基督教の目的を五山に報せるのと同義となるが、理解しておるか? 基督教は日の本の支配を目論んでおる。そのような邪悪な宗教から民を守るために協力してくれという意味ぞ。結果として間違いなく京の都で基督教の排斥運動が起き、荒れる。喜ぶのは
「有沢様、その心配は杞憂かと」
「何ゆえそう言い切れる」
「基督教の扱いは、土佐と同じようにすれば良いだけです。排斥ではなく優劣を付ける。仏教が基督教より上と示す方が有効だと五山の僧に伝えれば良いのです」
「なるほど! 確かにその通りだ! 土佐を真似るよう五山の僧に説けば良いのか。何ゆえ儂はそこに気付かなんだ。基督教の危険性ばかり考えておったわ。土居殿、これは御子息の将来が楽しみですな。そうと決まれば、早速国虎様に書状を書いて指示を仰ごう」
そうだ。国虎様も基督教の危険性を知りながら、敢えて取り込んで利用している。おかげで土佐の基督教は、とんかつ屋風情に成り下がった。今の土佐の民なら、基督教が日の本の侵略を目的としていると言っても誰もが信じぬであろう。
ここまで極端な成果を出そうとせずとも、ここ京では基督教を弱い民を救おうとはしない下賤な宗教だと喧伝する事はできる。その証が奴隷狩りからの流民の一時避難所だ。これにより五山は、弱い立場の民をも守る崇高な理念を持つと喧伝できるようになるであろう。
基督教を利用して五山の価値を上げる。儂が五山の僧なら間違いなく飛び付く策だ。
「有沢殿、倅の話には一つ穴がございまする」
「どうしました土居殿?」
「……今の五山は銭が無くて落ちぶれておりますからな。多分ですが有沢殿がその説得を行えば、流民を匿うからと当家に銭の無心をしてきますぞ」
「なっ……」
「虎松よ、お主はそういう所が未熟なのだ。こ、これ逃げるな。説教はこれからだ。有沢殿、申し訳ござらぬが今より虎松に拳骨を落として参ります。それでは御免」
「……」
銭……か。その点は気付かなんだ。とは言え例え銭が掛かるとしても、此度の策は十分検討に値する。書状に書いておいて損はないであろう。後は国虎様に判断を委ねれば良い。
それにしても土居 虎松という若者、なかなか面白いな。儂には子がいないだけに、羨ましく感じる。
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