トンカツ兄弟
本日は土佐のある施設の視察に和葉と共に訪れている。この施設は当家の心臓部とも言える最大級に需要なものだ。
──その名を孤児院と言う。
元々の設立の切っ掛けには深慮遠謀があった訳ではない。常に当家で不足している文官を何とかするべく、その供給に一役買えれば良いかと思い一〇年以上前に始めていた。
この時代は現代とは違い、食べるのもままならない。そうなれば子供と言えども、平気で捨てられてしまう。ましてや戦が日常茶飯事だ。家を焼かれ、親を殺され、路頭に迷う子供は掃いて捨てる程いるのが実情である。
病気も勿論そう。風邪をこじらせるだけで、死はすぐ側に訪れる。これで子供に逞しく生きろというのは、土台無理な話だ。
こうした背景があるため、孤児自体は簡単に集まる。始めは土佐国東部から。そこからは徐々に範囲を広げていった。人数も最初は一〇数人程度の小規模なものが、気が付けば五〇人を超える大所帯となる。場所は古びた寺を借りて、そこに住まわすという粗末さであった。但し食料や衣服といった生活必需品だけは、途切れる事態が起こらないようにしっかりと行う。
そんな中で読み書き計算をしっかりと教えるのが孤児院の役割であった。
転機は五年を経過した頃に訪れる。
この頃になると年長者が一人、二人と働きに出るようになるのだが、ここで思わぬ誤算が発生した。あろう事か孤児院の子供達は、皆軍へ入ると言い出したのだ。それは男も女もである。
確かに当家の軍は常備兵で構成しており、輜重部隊や救護班、食事係、被服部門等といった後方部隊も充実させていた。そのため戦場に出なくとも、軍での女性の働く場所には事欠かない。
また、この時代は読み書きができるだけでも十分貴重である。ましてや計算もできるとなれば、様々な場所から引く手数多の人材だ。ならば、男であれば立身出世の機会がゴロゴロと転がっている。それが何を思って軍所属を選んだのかが、俺には分からなかった。
だがそうした思惑とはかけ離れた結果が、思わぬ事態を招くのだから世の中というのは面白い。
結論から言うと、孤児院出身者が軍所属を希望するようになってから、当家は負け知らずの軍隊へと生まれ変わってしまったのだ。
下士官という役割がある。この役割は、将の命令を受けて末端の兵を率いるとても大事なものだ。戦場に於いて将の指揮能力はとても大事ではあるが、それと兵を繋ぐ下士官の能力は、軍の強さに直結すると言われている。
つまり孤児院出身者は良質な下士官の候補生となった。
勿論、戦場での経験も何もない者がいきなり良質な下士官になれる訳がない。しかしながら当家には、傭兵上がりの
彼等の薫陶を受けて成長しない筈がない。
始めは俺も気にはしていなかったものの、
その時には軍の下士官を孤児院出身者が大半を占めていたのだ。
そうなると様々な面で腑に落ちる。小さい頃から二四時間三六五日の集団生活を過ごし、尚且つ団体行動も学ぶ。年長者が年少者に指導をし、上意下達を身に付ける。俺に保護されたという自覚を持ち、遠州細川家に対して絶対的な忠誠心を持つ。更には同僚が同じ孤児院出身者という強み。
こうした兵が前線で戦うのだ。弱い筈がない。
思えば現代のイスラム過激派は孤児院や病院を設立・運営し、それをテロ活動に利用している。こうした点から見ても、社会福祉は特定組織への帰属意識を強める良い手段だというのが分かるだろう。
何が言いたいかというと、悪の秘密結社が幼稚園のバスをジャックして幹部候補生にするというのは、あながち間違いでもないという話だ。
そこからの俺は土佐に新たな孤児院を設立するだけではなく、阿波国にも設立を行う。費用はこれまで個人負担していた所を遠州細川家から賄う形とした。それだけではなく、国持ちの家臣にも孤児院設立を強く勧める。
お陰で現在は数としてはまだまだ少ないながらも、四国と南九州に計一〇箇所の孤児院が開設された。
勿論、全ての施設が思惑通りの結果が出せるとは思っていない。ただそれでも、この時代は子供でも労働力として駆り出されている点を踏まえれば、教育を受けた者を一人でも多く世に輩出するのは十分に意義がある。まだ給食制度を確立させるまでの資金力がない以上は、こうした形で民の底上げをするのが精一杯とも言えた。
機械化などあり得ないこの時代では、国の発展はマンパワーが全てである。
さて、これまで俺の私費で運営していた孤児院が遠州細川家の事業となれば、孤児達の暮らしが上向きになるかと言えばそうではない。何とか最低限を維持しているような状態である。こういった所の予算を渋るのはいつの時代も変わらないのだろう。二言目には「もっと生活の苦しい民がいる」と言うのが予算を配分する担当者の口癖だ。
そんな状態でも施設の子供達が、現代のように集団万引きや援助交際等で遊ぶ金を捻出するような事態になっていないのが幸いと言えよう。
だからこそ俺の訪問に結びつく。要するに孤児院の視察は、施設の子供達が不自由なく暮らしているかどうかの確認兼、頑張っている子供達に御褒美を出そうというものであった。
現代の刑務所でもクリスマスにはケーキが食べられる。なら孤児院の子供達にも多少の贅沢は許される筈だ。完全に自己満足だと分かってはいても、こういうのはどうしようもない。気分は伊達〇人である。
「こらこらお前等変な顔をするな。見た事無い食べ物だから気持ち悪いのは分かる。けどな、絶対に美味いから安心しろ。美味かったら、このトンカツを作ってくれた和葉お姉さんにお礼を言うんだぞ。騙されたと思って、まずは一口だけ食べてみろ」
という訳で今回の御褒美はトンカツだ。明との密貿易によって手に入れた豚もある程度の数となり、ようやく事業化の目処が立つ。その第一弾であった。
トンカツは明治時代に誕生した食べ物だけに、この時代に競合相手はいない。これなら物珍しさも相まって、一気に土佐の名物になるのではないか? そんな思いでこの孤児院で試食会を開催する。
但しトンカツソースは無い。今回はゆずぽん酢を使う形とした。
「うん、美味い。こんなに美味いのに温かい内に食べないのは勿体無いな。俺なら幾らでも食えるぞ。嫌なら俺と和葉お姉さんとで全部食べるからな。後で後悔しても知らないぞ」
「ちょっと国虎、その『和葉お姉さん』は止めて欲しいんだけど」
「気にするな。似合ってるぞ」
こういう時、反応の仕方は大人も子供も変わらないのだと思う。油を使った調理には精進料理が古くからあるため、それと同じようなものだと事前に話しておいたのだが、やはり先入観の問題であろう。座卓のような簡易式テーブルを繋ぎ合わせた食堂に、俺と和葉の分も含めた全員分のトンカツがずらりと並んだまま誰もが箸を付けない。初めての食べ物だけに全員が躊躇している状態だ。自分の家で家人に試食させた時と全く同じ反応なのが、笑うに笑えない。
仕方ないので俺が毒見とばかりに最初に食べて、分かり易い反応をして様子を伺う。これで駄目なら諦めるしかない。
それが功を奏したのか、はたまた油で揚げた香ばしい匂いが食欲を刺激したのかは分からない。ここにいる子供達は男女共に皆食べ盛りであるだけに、我慢できなくなった一人の子供がおっかなびっくり箸を前に出して、目を閉じながら一切れを口の中へと放り込んでいた。
最初は物凄く嫌そうな顔をしていた子供が、咀嚼を繰り返す内に段々と頬が緩み、最後には笑顔となる。ここまで来ればしめたものだ。お次はさっきの態度が嘘であったかのように、勢い良くトンカツを一切れ掴んだかと思うと躊躇無く頬張った。
「何だこれ、こんなの初めて食べた」
これを切っ掛けとして全員が箸を伸ばしたのは言うまでもない。
気付けば食堂内は笑い声で満ち溢れていた。
「国虎、もっと食べたい」
「おいおい、さっきまでと大違いじゃないか。俺のを分けてやるから、今日はこれで我慢しろ。次来る時は大目に食材を持ってくる。その時を楽しみにしてろよ」
「国虎、私の分も子供達に分けてあげて」
「悪いな。和葉も腹が減っているだろうに。仕方ない。俺達は干し芋で我慢しておくか」
こうなると子供達は現金なものである。一皿をぺろりと平らげたかと思えば、続いてお替わりの大合唱が沸き起こる。
ただ、大所帯での肉の争奪戦というのは、とてもし烈だ。俺と和葉の分のトンカツを人数分に切り分けて一人ずつの皿に置いていったというのに、食べ損ねる子が必ずいる。誰かが隣の子の分を掠め取ったのだろう。
食べられずに泣きそうになっている小さな子供には、慌てて駆け付けた和葉が懐から飴玉を出して何とか宥めてくれた。念のためにと思い準備しておいたのが、こんな所で役立つ。
それにしても、まさかここまでの反響があるとはな。肉食が忌避される時代のために、中には食べない子も出るのではと考えていたのが完全に間違いであった。
この分なら、商いとしても十分に通用するだろう。
懸念となる肉食への禁忌はキリスト教を利用するつもりだ。
キリスト教はとても珍しい側面を持つ。それは食物に関しての禁忌がほぼ無い点だ。例えばイスラム教では豚肉が、例えばヒンドゥー教では牛肉が禁忌になっている。他の宗教も似たり寄ったりで何らかの制限を受けているというのに、キリスト教ではそれが無い。
なら、肉食を伝えるのにこれほど都合良いものはない。食堂を教会と兼ねさせ、簡易的にキリスト教の信者になれるようにする。そうすれば戒律的に肉食できない者も、一時的にトンカツが食べられるという寸法だ。食堂を出た後は信者を止めれば良いだけである。
どうにも俺にはキリスト教に帰依するという考えは芽生えないらしい。
「ん? どうした? 何か俺に用でもあるのか?」
飴玉を持つ和葉に子供達の興味が集まっている中、じっと俺を見つめる一〇歳くらいの男の子の視線に気付く。
「なあアンタ、この国で一番偉い人なんだろ?」
「残念ながらそう偉くはない。国主なんてしていても、できない事の方が多いものだ。それはそれとして話は聞くぞ。俺にできる事なら気軽に言ってくれ」
「……弟にこのトンカツを食べさせてやりたかった。なあ、どうしてオイラだけがここにいて、弟がいないんだ? アンタの力で弟をここに連れてくる事はできないのか?」
「……名前は?」
「佐吉だ。弟は大吾って言う」
「出身は土佐か
土佐国や阿波国では、当家の改革によって民の生活は底上げができている。と言っても、それは全員が対象という訳ではない。
例えば親の病や怪我、死亡といった不運によって、路頭に迷う子供は必ず出る。また、育児放棄もあるだろう。親が子供を捨てるというのは、時代を問わず起きてしまうものだ。それに農業は、不作が二年続けば一家離散の危険すらある。
こうした点を踏まえれば、俺のお膝元と言えどもいつ孤児が生まれてもおかしくはない。
ただその場合なら、俺の力で何とかなる筈だ。
「
「豊後か。それは厳しいかもしれないな。奴隷商にはできるだけ親子や兄弟姉妹は纏めるように言っていたんだが……守ろうともしねぇ。弟の名前は大吾だな? 九州の奴隷商にその名前の子供がいれば、優先的にこちらに回すようには伝えておく。今はそれが精一杯だ」
今回の場合は、俺の手の届かない九州での話であった。佐吉は奴隷として売られて、孤児院入りしているのだろう。大方、豊後国での内乱に巻き込まれて親を殺され、子供達は売り飛ばされた。そんな所だと思われる。
「そんな! どうしてだよ!」
「悪いな。俺の手はそこまで長くはない。理解しているかは分からないが、佐吉は売られてここに来た。大吾は……多分、別の場所に売られたんだろうな。せめて良い所で奉公しているのを願うよ」
「じゃあオイラはどうすれば良いんだよ」
「強くなれ。それも日の本全てに名が轟く程にだ。そうすれば会える。俺が今言えるのはそれだけだ」
「そんなの、いつ会えるか分からないだろ」
「それでもだ。いつか会えると信じて、絶対に諦めるな」
ともあれ弟であれば、まだ再会できる可能性はある。確か海外への奴隷販売は、女性比率が高かった筈だ。大吾の売られた先は国内であると思いたい。
それにしてもままならないものだな。思惑は別にあるにしろ、良かれと思って始めた事業で悲劇が生まれるというのは心が痛む。例え佐吉のような話はこの時代のありふれた出来事であり、特別な話ではないと頭では分かってはいても。
本当、国主をしていても、できない事の方が多いというのが良く分かる一件であった。
どうにもならない現実に打ちひしがれながらも、ぐっと涙をこらえて歯を食いしばる佐吉の姿を俺はずっと忘れないだろう。
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