父と子と
年が明け
元号が
お陰で年末は散々であった。特に文書関係では元号の記載間違いが頻発したのは言うまでもない。
元来怠け者の性格である俺が、それなりに書類仕事をこなしていたのには理由がある。それは事前に定型文だけ書いておいた書類を作っていたからに他ならない。後は案件に対して特記事項と名前、日付だけを入れれば良い仕様としている。勿論元号も記載済みとしていた。それが災いして全てが紙くずとなるのだから笑うに笑えない。
次作る時は、元号は未記載にしようと固く心に決める。
それはさて置き、この元号の変更によって今は猫の手も借りたい程の修羅場となっている。概ね俺の自業自得ではあるのだが、当家が多くの直轄事業を抱えているのが仇となった。
事業関連の書類のみであればまだ良い。証文 (手形)においても全て更新しなければならないという最悪の事態に陥る。これだけは家臣の誰かに丸投げできない以上、俺が処理をする羽目となった。
毎日のように寺社の担当者や商家と証文再発行の打ち合わせをする。これだけでもかなり面倒なのだが、それで無事手続き完了とはならない。こんな時ほど良い機会だとばかりに、年利や償還期間を変えてきたり追加貸付の案内をされたりと面倒事が増えてしまう。堪ったものではない。
中でも年利は重要だ。担当者の言われるままに署名をしてしまうと大変な目に合うのが分かっているため、目を皿のようにして一文一句間違いが無いのを確認する。これだけで相当な負担であった。
結果として、今年の遠征は俺の不参加となる。それ所ではないというのが正直な気持ちだ。
幸いなのは、今年は
「という訳で二人を呼び出したのは、こちらの事情による予定の前倒しだ。本来なら先に反乱分子の掃討を終えてから任命するのが筋なんだが、そうも言っていられない状況でな。各々が大将となって、自力で統一を果たしてくれ。
瞬間、二人は石のように固まってしまう。いや、俺の発言が予想外過ぎて、どう反応して良いか分からないというのが正しいのだろう。それもその筈。二人には未だ大きな役目に抜擢された実績が無い。足利 義栄は言うに及ばず、吉良 茂辰でさえも一部隊長止まりの状態である。それをいきなり国主にしようというのだから、普通なら無謀も良い所だ。だからこそ二人の態度からは、この抜擢に対する不安が垣間見えた。
当然ながらそんな事情にはお構いなく話を進めさせてもらう。
「まずは義栄、待たせたな。土佐に来る前の約束をようやく果たす時が来た。全てはこれまでの精進の成果と考えてくれ。胸を張って良いぞ。備後国は室町幕府初代
「義父上、それなら鞆の地だけで事足りる。備後国一国は幾ら何でもやり過ぎだ。これだけの大領、一体どうすれば良いんだよ」
「心配するな。義栄には頼りになる家臣がきちんといる。特に
「……確かに。義父上の言う通りだ。俺には頼りになる家臣がいる。自分一人だけで何とかしようと考えていたのがそもそもの間違いだった。よし、決めたぞ。ここで引き下がっているようでは絶対に公方にはなれない。やってやるよ!」
「その意気だ。失敗しても次の機会をやるから、気楽にやれよ」
「おうよ!」
足利 義栄に関しては元々心配はしていない。何より元
それよりも問題はやはり、
「……」
「茂辰、そんなに不安か?」
「亡くなった父なら国主となるのは分かります。それだけの実績がありましたので。ですが、某は何もかもが父には及ばないのです。国虎様、此度の国主の件、辞退させて頂きとうございまする」
直近で父親の
偉大な父親が討ち死にした喪失感によって、前向きな気持ちになれないのだろう。今後は何をするにも自分一人の責任で決断しなければならないという不安も、そこにはあるのではないか。俺が安芸家当主となった時も似たような経緯だったからか、その気持ちは分かる。
今回の国主任命は、だからこそであった。
悲しみを乗り越えてもらう……というよりは、悲しむ暇さえ無くすほど目の前の出来事に忙殺させる。かつての俺自身がそうであったように、忙しいと意外に気が紛れるものだ。思ったよりもこういうのは大きい。
お節介かもしれないがな。
本山 梅慶の死が俺や他の家臣のように
「良いから貰っとけ。そうして梅慶の幻影を追っていると、一生越えられないぞ。今回の国主の件は、梅慶の功績を息子の茂辰に引き継がせたというのは当然ある。本来は
「なれば某も、父上と同じく武に生きとうございます!」
「それは違うぞ。茂辰だって黄泉にいる父親を不安にさせたくないだろう? 梅慶が当家に降ったのは、領地経営に失敗した側面があったというのは覚えているか? 安心させたいなら、父親が失敗した分野で越えてみせろ。人の才能は誰しも違う。茂辰は茂辰なりの才能を磨けば良いんじゃないか? その手始めが領国経営への挑戦と考えて欲しい。なあに、失敗しても気にするな。いつでも土佐に戻ってきても良いからな。それ位の軽い気持ちでやってみろ」
「……国虎様は、某には父が持っていない才があると言いたいのですか?」
「さあな。それはやってみないと分からない。今言える事はただ一つ。茂辰は梅慶と違う。そんな当たり前の話だ」
「こういう時、義父上は本当に口が上手い。武家をするよりも詐欺師の方が似合うな」
「義栄、茶化すな」
確かに義栄の言う通り、詭弁だとは思う。だがそれでも、こんな口先で物事が前に進むなら十分に意味はある。今の吉良 茂辰に必要なのは、父の死を悲しむのではない。それが分かってくれればしめたものだ。
「念のため、与力に
「はっ。この吉良 茂辰、父が成し遂げなかった領国統治にて成果をお出し致しまする。国虎様、見ててくだされ」
「よく言った。いずれは墓前で茂辰の成果を報告して、梅慶を安心させてやれよ」
「……承知致しました」
近しい者の死というのはとても悲しいものである。俺自身は祖父の死から始まり、兄の死、父の死、親友の死、重臣の死という、数多くの死と悲しみに遭遇してきた。そんな俺だからこそ分かる。彼らは俺に未来を託したと。
それはきっと本山 梅慶も同じだ。吉良 茂辰という次代へ望みを繋いでいる。なら、立ち止まるのは一時だけで良い。それだけではない。悲しいかな今の俺達は、近しい者の死を乗り越えなければ即死が待っているという、そんな不条理と戦う必要がある。
菩提を弔うのは、全てが終わってからでも遅くはないだろう。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
対象が変われば人の死が、今度は喜びへと変わる。これもまた人の世における不条理の一つなのだろう。
今回の外征の成立は、薩摩国・大隅国の国内不安が払しょくされたのを意味している。薩摩斯波家の創設から約二年でそれが行えたのだから、まさに三管領家筆頭の面目躍如ではないだろうか。
勿論、斯波 元氏もただ権威を振りかざして、高圧的に民に服属を迫った訳ではない。懐柔策を行ったのが大きく作用する。
具体的には分家を興した
それにかこつけて、集まった民達に酒やお菓子を配るという大盤振る舞いも忘れない。やり口は当家が四国統一時に行った、領民への還元策とほぼ同じだ。
違いがあるとすれば、斯波 義虎殿の訪問は薩摩斯波家の支配を受け入れる地に限定される。税の滞納を繰り返す地域は素通りとした。
そうするとあら不思議。反抗的だった村々の殆どが、突然掌を返して斯波 義虎殿の訪問を切望するようになったというのだから、笑うしかない。
この時代は武家も僧も民も関係なく面子に拘る。そこから考えれば、視界にも入れてもらえないというのは怒りを通り越してみじめとなったのだろう。潰された面子への態度を示すために、武装蜂起をする手も勿論ある。しかしながら、連携の取れない一揆など各個撃破の良い的だ。意地を張った所で、得られる物は何も無いという結論が出たのだと思われる。
ともあれ、ついに斯波 元氏は領国の統治を安定させる。そんな中、天文二四年 (一五五五年)の八月に
これを好機として兵を北上させた斯波 元氏の判断は、流石と言うしかない。肥後相良家が代替わりした直後に大量の贈り物と共に再度の停戦を薩摩斯波家に求めて来るも、当然ながらあっさりと拒否。その返礼として、殺戮を肥後相良家に届けたという話である。
ただでさえ当主交代直後は家臣団に動揺が走るものだ。その上で新たな当主がまだ子供となれば更に拍車が掛かる。これではどんなに肥後相良家の家臣団がしっかりしていようと、満足に抵抗などできない。薩摩斯波家が城を落とす度に裏切りが横行して、進退窮まった末に本拠地の城を明け渡して降伏するという呆気ない幕切れであったと報告書には記されていた。まだせめて新当主が成人していたなら、また違った結末となっていたかもしれない。
なお、敵本拠地の受け取りから南肥後の制圧までに時間が掛かったのは、肥後相良家を裏切った家臣達を始末していたからだ。真面目な性格の斯波 元氏にとっては、主家を裏切る行為そのものが許せなかったのだと思われる。
何より旗色が悪くなれば平気で主家を裏切るような者は、味方として迎えても次いつ裏切るか分からない。そのような不安を抱える位なら、初めから無かったものと割り切ってしまう方が精神安定的にも良いというのは俺も理解ができる。
ただ、こうした行動が思わぬ余波を生む。
「参ったな。これだけ戦果を誇っておいて、行き着く先が人を寄越せかよ。そんな所まで俺を真似しなくて良いと思うんだがな」
斯波 元氏から送られてきた報告書は、元肥後相良家領を統治する人員を派遣して欲しいという言葉で締め括られていた。しかも薩摩斯波家への与力ではなく、南肥後を統治する責任者を望んでいる。これでは一体何のために南肥後を手に入れたのか分からない。
とは言え斯波 元氏の言い分としては、領地自体は薩摩・大隅の二国があれば十分であり、それ以上は必要無いそうだ。今回の外征は、遠州細川家の子会社を増やすのが目的……もとい遠州細川家勢力圏の拡大だと書かれていた。
要約すると、戦はしたいが統治はまっぴら御免。面倒事は誰かに丸投げしたいという意味となる。
「南肥後の統治か……隣り合うのが斯波 元氏だと考えれば、同じく真面目な性格の家臣が良いだろうな。忠澄、南肥後の統治には京にいる
「良い判断ではないでしょうか。津野様は斯波様と同じく早くから国虎様の家臣になっていた方ですので、気心も知れているでしょう。今後の九州での戦いを考えれば、斯波様のお力になってくれる方と考えます」
「同意してくれるか。安心したよ。なら問題は京での治安維持を誰に任せるかだな」
「それならば
「なるほどな。確かに
「かしこまりました」
思えば斯波 元氏の御近所付き合いは、食わせ者の
つまり津野 越前が南肥後の領主となれば、斯波 元氏の良き同僚となる。もしかしたら、家臣には話し辛い内容も互いに相談できるかもしれない。国主や領主というのは意外と孤独なもので、俺のように何でも話せる相手がいるのは稀である。
何となく決めてしまった領主人事も、そう的外れではないようでほっとした。後は津野 越前が南肥後を上手く経営できるかどうかとなるが……肥後国は日の本でも有数の農業国である。
とは言え、津野 越前も突然の領主就任に戸惑いもしよう。その辺は斯波 元氏に相談に乗るよう書状を書いておいた方が良さそうだ。
これで次は
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