安芸毛利家の功績

「さすがは宇喜多うきた殿ですね。楽な戦いでほっとしてますよ」


「細……いえ、国虎様。今後は直家なおいえとお呼びください。此度は私の願いを聞き届けてくださり、感謝の念に堪えません」


 天文二三年 (一五五四年)八月中旬、俺達は宇喜多 直家の求めに応じて備前びぜん乙子おとご城に入っていた。但し現在の備前国は落ち着きを取り戻しており、出雲尼子いずもあまご家の軍はおろか安芸毛利あきもうり家の軍もいないという有様である。


 備前国では浦上 宗景うらがみむねかげ殿が謀反を起こし、尚且つ安芸毛利家に援軍を頼んだというのに何故こういった事態になっているかと言えば、答えは一つ。既に浦上 宗景殿が浦上 政宗うらがみまさむねと出雲尼子家の両軍を撃退し、戦が終わっているからに他ならない。


 なら今度は、浦上 宗景殿が援軍としてやって来た安芸毛利軍と共に反攻を行っても良さそうなものだが、それも起こってはいない。安芸毛利軍は戦が終わるや否やすぐに領国に帰ったそうだ。


 これには理由がある。天文二三年 (一五五四年)五月、安芸毛利家は「防芸引分ぼうげいひきわけ」と呼ばれる周防大内すおうおおうち家と決裂し、厳島いつくしま佐東銀山さとうかなやま城を含む安芸国西部の要衝を制圧していた。要は周防大内家から独立を果たしたのだ。続く六月には周防大内家、いや実権を握る陶 晴賢すえはるかたの軍と武力衝突が勃発している。備前国事情に兵を割く余裕が無いのは当然と言えよう。

 

 逆に言えば、このような重大事にも関わらずよくぞ援軍を出したものだ。


 とは言え安芸毛利家の取った行動は、備前国の最有力勢力の備前松田まつだ家の支城を落として本拠地となる城を包囲する程度に留まったらしい。備前松田家の行動を封じ込めた形となる。間接的な支援としてはかなり有効な手段ではあるが、さすがに主戦場であった天神山てんじんやま城の攻防戦には兵を送り込む余裕は無かったようだ。


 そうした両浦上・出雲尼子・安芸毛利の動きを高みの見物をしながら機会を窺っていた宇喜多 直家は、全てが終わったと同時に当家に連絡をしたという流れとなる。


 当初臣従の書状が到着した際には最悪全勢力との対決を覚悟したものだが、いざ具体的な話に進めば、一度戦が起きて周辺勢力が疲弊した頃合いで備前国入りをして欲しいという見事な策略であった。やり口は俺の得意な火事場泥棒とそう変わりはしない。


 今回の備前国入りでも兵力は一万を軽く超える。主力は土佐とさ阿波あわの両国から掻き集めた五〇〇〇に皆勤賞とも言える阿波海部かいふ家からの三〇〇〇。それに根来ねごろ衆と雑賀さいか衆が各二〇〇〇ずつを出してきた。加えて、伊予いよ国と讃岐さぬき国からの一〇〇〇ずつとなる。


 雑賀衆は昨年に内乱があったばかりである。にも関わらず参戦したのは、二年前での南九州遠征での汚名を挽回するためであった。率いる木沢 相政きざわすけまさは今回の遠征を新たに生まれ変わった雑賀衆の力を計る良い機会だと捉えているらしく、鼻息はとても荒い。


 ただ予想通りかなり無理をした参加らしく、何としてでも手柄を立てて褒美を得なければ借金を背負う羽目になるという。地道な領地経営よりも、戦で一獲千金を狙う辺りに武闘派の相政らしさを感じてしまう。


 根来衆の出す兵が少な目なのは和泉いずみ国の情勢変化が影響していた。根来寺が持つ和泉国南部の領地の近くには下克上を成し遂げた和泉上守護代家の松浦まつら氏がいるのだが、そこに三好 長慶みよしながよしの弟である十河 一存そごうかずまさの息子が養子に入ったという。更にはその息子は生まれてすぐの幼少のために、実父である十河 一存が後見に入ったのだとか。


 つまり、三好宗家が和泉国への本格介入を始めた形となる。これにより、和泉国では根来衆との武力衝突の可能性が出てきた。それに備えるために、今後は根来衆の傭兵を数多く出せなくなったという話である。


 和泉国は当家の畿内販売拠点の一つでもある本願寺貝塚かいづか道場のある地だ。この話を知ったからには、和泉松浦家の勢力拡大を牽制するためにも後日根来衆へ支援物資を送るつもりではいる。


 こうして見ると、様々な状況からこの備前国侵攻には時間を掛けられないのが分かる。ならば侵攻は重要拠点の占有や有力豪族の打倒を優先して、残りは宇喜多 直家に任せてしまうのが妥当だ。


 備前国はある意味とても分かり易い国である。乙子城から吉井よしい川沿いに上流に向かった先にある福岡ふくおかの町にほぼ集約されていると言って良い。


 この当時の福岡の町は、西国一とまで言われるほどの賑わいだと言われているのがその理由となる。そのためこの町を押さえてしまうのは、備前国の物流を握るのと同義だ。結果として敵対勢力が組織的な抵抗を続けるのも難しくなる。特に浦上 宗景殿が現在本拠地とする天神山城はどんなに強固と言えど山城だ。物資の供給がままならなければ確実に干上がるというもの。


 その上で西部の有力豪族である穝所さいしょ家と松田家の二家を倒してしまえば、隣国である備中びっちゅう国との分断ができる。これにより安芸毛利家の介入ができなくなるという寸法だ。出雲尼子家には天神山城という邪魔な存在がある。浦上 宗景殿は防衛で手一杯。これだけの条件が揃うのだ。後は時間を掛けて一つ一つ城を潰していけば、備前国を統一できるだろう。


 ただ、そんな方針に待ったを掛ける者がいた。当家の誰かが「この機会にいっそ天神山城も落としましょう」とでも言うのかと思ったが、そうではない。俺に備前侵攻の誘いをしてきた宇喜多 直家である。


「国虎様、此度の方針はまさに理に適ったものだと思われますが、一点のみ我儘を言わせてください。福岡の町を押さえる前に何卒砥石といし城の攻略をお願い致します」


「直家、砥石城というのはそれ程重要な城なのか?」


「福岡の町を守るための重要な城と言えばそうなのですが……万の大軍を支え切れる程の規模ではございません」


「何だか歯切れが悪いな。怒りはしないから事情を話してくれないか?」


「それではお恥ずかしい話ですが……」

 

 こうして語られる宇喜多 直家の話は、この時代にありがちな本家と庶流の立場の違いであった。端的に言うなら、一族に見放されて惨めな幼少期を送ってきた復讐をしたいというものである。砥石城は現浮田うきた (宇喜多)家の本拠地であるため、何としても手にしたいという。


 家の存続という生存戦略によって本家が全ての資産を相続した結果、庶流が割を食うというのは古今東西どこにでもある。中には生活に窮する程に落ちぶれる者もいよう。だが当事者にはそれを良くある話だとは割り切れない。自分達が不幸な目に遭ったのは、本家の無能さが原因だという考えになるのも仕方ないと言えよう。現代でも理不尽な解雇をされた者が元職場の不正告発をして復讐をするという事例があるが、その感覚に近いのではないだろうか。


「なるほどね。良いんじゃないか。援軍を付けてやるから、小細工せずに直家が砥石城を落として、正々堂々と惣領の地位を奪い取れ。別動隊として行動して良いぞ。その代わりに宇喜多の本家を引き継いだなら、今度は直家がきちんと一族の面倒を見てやれよ。決して自分自身と同じような脱落者を作るな」


 本来であれば宇喜多 直家の提案は私的な理由であり、却下するのが筋である。軍事行動に私情を持ち込めば規律が乱れる上に、勝てる戦いにも勝てなくなる。


 それでも今回は別行動を許した。


 人は理屈だけでは生きられない。他人には理解できない拘りが時としてある。それを乗り越えなければ前に進めないというのであれば、特例として認めよう。


 但し俺達はあくまでも協力者であり、因縁のケリをつけるのは宇喜多 直家本人がするべきとする。これが最大の譲歩であった。


「はっ! 国虎様、ありがとうございます! 必ず朗報をお伝えさせて頂きます!」

 

 晴れやかな顔で準備へと向かう宇喜多 直家の背を見送り、近くにいた木沢 相政を呼んで「義兄が無茶をしないように助けてやれ」と一言言って送り出す。宇喜多 直家の妹を正室としている木沢 相政なら、信頼関係を築き易いだろうと判断だ。


 砥石城さえ落としてしまえば備前国南部に有力者はいない。本隊と合流しなくとも、二人の力を合わせればそのまま蹂躙も可能であろう。木沢 相政には好きなだけ暴れてこいと指示を出しておいた。


 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 大した抵抗もないまま福岡の町を無事占拠する。途中の城は力士隊の持つ抱え大筒で軽く捻り潰した。


 その後は備前国西部へと軍を進めたが、ここでもまた楽勝である。当然の結果だ。この地域は先月まで安芸毛利軍が居座っていたために、一度露払いがされていた。これで苦労する方がおかしい。


 厄介な安芸毛利軍がようやく去ったと思えば、今度はもっと厄介な当家がやって来る。野戦を挑もうにも、まだ立て直しの最中のために満足に兵や武具が揃っていない。かと言って城に籠れば、今度は大筒の良い的になる。和睦を試みようとも、力の差があり過ぎて相手にもされない。


 先の戦からもう少し時を経ていたならば、地域の力を結集して決戦を挑めただろう。しかし根回しの時さえなかったとなれば、個別で動くしかない。そうなれば各個撃破され、徒に命を浪費するより方法は無かった。


 中には戦う前に城を捨てて逃げてしまう者もいる始末。備前国西部最大の堅城とも言える金川かながわ城に迫るのは一〇日後の出来事であった。


「いやー、毛利様々だよな。楽勝過ぎる。後はこの金川城を攻略してしまえば、残る城も少ない。帰る日も近いな」


 派手な撃発音を響かせてくるりと後ろへ転がる。大道芸にしか見えないが、これは抱え大筒の撃った衝撃を逃がすための行動である。


 銃というのは射出する弾の威力が強ければ強いほど、反作用として射手に伝わる衝撃が大きい。ましてや種子島銃にはこの衝撃を軽減する機構は入っていない。


 例えば現代のライフルはストックを肩口に当てるのだが、運が悪い場合は発砲によって鎖骨にひびが入ったり折れたりする。ショットガンはとても分かり易い。何発か連続で撃てば、簡単に肩口にストックの痕が残る。それくらい発砲の衝撃は大きいものだ。この部分だけ見ても、銃なら女性や子供でも簡単に扱えると考えるのが幻想だというのが分かる。


 なら一貫目 (八四ミリ)口径の抱え大筒を撃った場合の衝撃はどうなるか? 何も対策をしていなければ、骨折や脱臼一直線となるのが確実と言えよう。


 そのため、後ろに転がる。力に逆らわない。力士隊の中でもこの技術をきちんと身に着けた者だけが抱え大筒の射手に選ばれていた。


 とは言え射手の必死さとは裏腹に、この動作を見る皆は盛り上がる。綺麗な後転をしないと平気でケチをつける。これが大道芸と評した理由だ。不謹慎極まりないが、後転を終え綺麗に立ち上がると歓声が沸き起こるのが当家の平常運転である。


「頃合いか。突入して手柄を立ててこい。但し、絶対に無理はするな。虎口では素直に火器を使って対抗しろよ。支援砲撃も絶やすな。では行け」


 ここからは完全に作業となる。城門を破壊し、石積みを崩し、城内の各所で火の手が上がる。最早士気を維持するのは無理というもの。敵方は本来の力を発揮できなくなっている。後は時間の問題でしかない。


 別動隊となる宇喜多 直家も、順調に備前国南部の城を落としていた。砥石城攻略に手間取らなかったのがその要因となる。援軍を付けた恩恵か出城が簡単に落ちたらしく、それを皮切りとして本城から火の手が上がったのだとか。後は混乱に乗じて本丸を落とす。見事な手並みである。


 砥石城主であった浮田 国定うきたくにさだは討ち死にしたものの、一族の命は助けたそうだ。とは言え宇喜多家の惣領は直家に移ったのだから、これまでのような態度はできない。早速馬車馬のようにこき使う辺り直家も大概である。


 俺との約束はあくまで一族の面倒を見るだけだ。そこに甘えは許されないという話なのだろう。

 

 本隊が備前国西部を攻略するまでに、宇喜多 直家がどれ程の城を落とせるのか今から楽しみである。


 ただ一つ俺には忘れていた点があった。現在攻略しているのは備前国西部であり、そのすぐ西隣には備中びっちゅう国があるという事を。


「国虎様、申し上げます。備中国の石川いしかわ家より使者が参りました」


「備中国の石川家? どこかで聞いたような気が。……って、伊予いよで謀反を起こした石川 通昌いしかわみちまさの家じゃないか! 後始末をした当家に対してこれまで詫びの一つも寄越さなかったのに、今更何の用だ?」


「そ、それが、当家に臣従したいという話でして……」


「はぁ? 臣従? 散々迷惑を掛けておいて、今度は当家に守ってくれと言い出すのか! 馬鹿も休み休み……悪い。八つ当たりしてしまったな。許してくれ」


「今なら手が離せないとして、一度お帰り頂くのもできるかと思いますが……」

 

「いや、会おう。思い出した。細川 通董ほそかわみちただ殿の備中国復帰の件があった。備中石川家の使者はその足掛かりになる」


 今回の遠征は備前国での戦いであり、それ以外の国が絡むという可能性を一切考えていなかった。厳密には他国事情は防衛のみである。だからこそ全てを楽観的に考えていたのだと思う。


 だが現実はそうではない。備前国で起きた出来事は他の国にも影響を及ぼし、情勢を変化させる。当家の軍事行動によって他国の人々も判断を迫られる。


 何が言いたいかと言えば、備前国での勢力図の塗り替えは中国地方全体にも波及するという話だ。その第一弾として、隣国備中国事情が早速絡んでくる。この時点で分かる。物見遊山の戦いはもう終わりだという事が。


 どうやら俺は泥沼に嵌まり込んだらしい。

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