目には目を

 たった五〇の兵で敵を打ち破った犬寄峠の戦いには一つの誤算があった。いや、逆にその誤算があったからこそ、この結果を得られたと言って良いだろう。


 どんなに大野 直昌が強くとも、通常の戦いならばこうはならない。間違いなく数の暴力に負けて全滅になっていた筈だ。そうはならなかったのは、河野本宗家側の士気が地に落ちるほど低かったからに他ならない。


 伝令から聞いた「村上 通康を捕らえた」という言葉がその理由となる。


 聞いた当初こそ大野 直昌の手腕に驚いたものの、後になればそれは違和感へと変わった。何故捕らえたのが村上 通康なのかと。大一番の戦ならば、通常は河野本宗家の現当主が出てくるのではないかと。


 こちらは餌として当主の俺自身が参加しているのだ。首を取れば大逆転となる。ならば最大戦力で挑むのが筋であろう。特に兵の士気を考えれば、自ずと総大将は当主が務めるのが当然であった。


 しかし現実には、敵の大将は重臣の村上 通康となる。何故これで勝てると思うのか。これでこちらの士気を上回ろうとするのは、土台無理な話となる。


 勿論、大野 直昌の活躍を否定するつもりはない。これも勝利の一因だ。ただ、それに加えて敵側が大きな悪手を打ったのがこの戦での勝利の分かれ目であった。


 そうなれば今度は次の疑問が出てくる。犬寄峠の戦いで村上 通康が奮戦していた最中に、河野本宗家当主 河野 通宣は何をしていたか?


「はぁ? 逃げただと」


「そうだ。前当主であり父でもあるこの儂を置き去りにしてな。当の本人は『周防大内家に援軍を出してもらうように直接掛け合う』と言っておったが、それを鵜呑みにするほど阿呆ではない」


 湯築城の攻略を終え、捕虜の河野 通直からこの衝撃の事実を聞かされて全てが繋がった。


 周防大内家に何度となく援軍の要請をしても、首を縦に振らない。ならば当主である河野 通宣が直接出向いて援軍を催促をするというのは、あながち間違った行動ではないだろう。但し、主要な側近達まで引き連れて乗り込むのは、明らかなやり過ぎであった。


 これでは残された家臣や兵達が「見捨てられた」と感じても、誰も文句は言えない。


 また、この時点で犬寄峠の戦いの指揮を執る者が限られてしまう。ここで前当主のお気に入りである村上 通康に白羽の矢が立ったのは、残された者の中での適任者に過ぎなかった。


 更にはどんなに隠し通そうとしても、当主不在という事実は兵達に知れ渡る。


 この時点で現場の者はこう思う筈だ。何故降伏をしないのか。この戦自体に命を張る価値があるのか。既に見捨てられているのだから、活躍しても恩賞が出ないのではないかと。


 最早厭戦気分が蔓延するのを止めようがない。そうなれば戦自体が馬鹿馬鹿しくなり、積極的に勝ちにいく姿勢は姿を消してしまう。


 湯築城攻めもその延長線上にある。どんなに前当主が徹底抗戦を叫ぼうと、それに賛同する者はいない。多くがやる気を無くして士気はガタ落ちとなる。逃亡する者も続出しただろう。まさに笛吹けど踊らずの状態だ。城が落ち、置き去りにされた河野 通直が捕虜となるのは必然であった。


 何が言いたいかというと、河野本宗家当主が自らの保身を優先する余り、結果的に当家に伊予国を譲り渡す形となる。犬寄峠の戦い、湯築城攻略戦は勝つべくして勝った戦であったというだけだ。


 このような顛末になったのも、根底には河野本宗家現当主と前当主の親子間の対立が関係しているのではないかと考える。前当主 河野 通直と現当主 河野 通宣は公方が仲裁に入るほど仲が悪い。それが最後まで尾を引いたのだろう。


 河野本宗家は周防大内家の影響が大きく、それは家中に深く浸透していた。そんな中、前当主の河野 通直は反周防大内の行動を起こしたがために、家臣達に嫡男を擁立されて謀反を起こされた過去がある。その後和睦はしたものの、それは表面だけの話であり溝は広がったままであった。


 だからこそ河野 通直が当主を退いたとしても、後見となり権力を手放さないという選択をする。一度は謀反を起こされた身だ。もし後見を止めてしまえば全ての力を失ってしまう。そうなれば命の危険すらあると考えていたのではないかと思う。


 そんな権力争いが平常運転の環境の中に、外敵である当家が攻め込んだならどうなるか? 内部対立、いや足の引っ張り合いとなるのは予想される出来事である。人というのは悲しい生物で、良い時は行き違いがあっても互いに歩み寄れるというのに、状況が悪くなればなるほど内向きに攻撃的になる。間違っても困難に対して一致団結して乗り越えようなどとは決して考えない。


 つまり、都合の悪い全てを前当主に押し付けて置き去りにする。現当主は仲間と共に周防大内家という親分を頼る。現在の全ての責任は前当主 河野 通直にあり、他の者達は被害者だ。ならば責任を取って戦えという論法だろう。俺からは単なる責任放棄にしか見えないが、自分達は悪くないという自己弁護を成立させようとするのは良くある光景である。


 勿論、河野 通直も全てを放り出して逃げるという選択はあった筈だ。しかし、それは実現できず終いとなる。何故なら河野 通直と友好的な勢力の豊後大友家が、大寧寺の変を機に大きく方針を変えたというのが大きい。昨日の敵は今日の友と言わんばかりに、友好勢力となった周防大内家に敵対行動を取った人物を受け入れる事は無かった。


 結果、負けると分かり切っている籠城戦を行い、意地さえも見せられずに落城する。


 だからなのだろう。河野 通直は俺の前で不貞腐れた表情のまま、何もかもを諦めたかのように「殺せ」と吐き捨てる。自暴自棄という言葉が良く似合う姿であった。


 その気持ちは分かる。同じ裏切りにしてもこれはない。いっそ武士の情けで、その要望に応えるのが救いになるのではないかと思ったほどだ。


 しかし、個人の感情と為政者としての判断は別となる。ここで河野 通直を殺しては今後の伊予国統治が困難となるのが見えていた。


 理由は逃亡した現当主の河野 通宣の存在だ。このまま逃亡先の周防大内家で静かに余生を送るとは考え難い。まず間違いなく旧領を取り戻そうと動くだろう。差し当たって、置き去りにした家臣達に調略の手を伸ばす所から始めるのが妥当な所だ。


 そのため、この調略に対抗する人物が当家には必要となる。適任なのは前当主である河野 通直となろう。彼なら残された家臣達を取り纏める役割が期待できる上、寺社や商家に顔が利くのも大きい。調略を未然に防ぐ事も可能だ。


 先の書状で書いた河野本宗家の族滅は、逃げた河野 通宣に責任を擦り付ければ良い。当の本人が父親に当家との戦の責任を全て押し付けたのだ。それが自分に返ってきた所で文句は言えないだろう。


「悪いが殺すのは無しだ。生きて当家のために働いてもらう。当家が細川である以上、河野家の本流が予州家になるのは諦めてくれよ。代わりと言ってはなんだが、家を村上 通康に継がせてはどうだ。確か以前にその話で家中を巻き込んだ騒ぎになったと聞いているぞ。幸いにも村上 通康は当家で預かっている。殺してはいないから安心しろ」


「儂は既に当主を退いた身だぞ。河野本宗家を誰かに譲るような真似は今更できまい。あの時は少しでも周防大内の影響下から逃れたくて画策したのだかな。儂の考えていた以上に影響力が大きかったと分からされただけであったわ。過ぎた話だ」


「そう言うな。まだ伊予国に残された家臣がいるのを忘れた訳ではないだろう。誰がその面倒を見るんだ? 申し訳ないが、今のままでは当家で雇うのは難しい。間者を雇うようなものだからな。いつ裏切られるか堪ったものではない。だが、河野 通直がその者達の纏め役になってくれるなら、受け入れても良いと考えている」


「儂にそれが務まると思うてか」


「仮にも河野本宗家の当主をしていたんだ。十分に務まると思っているぞ。このままでは家臣達が路頭に迷う。そうならないように面倒を見てやれ。しっかりと取り纏めしてくれるなら、全員の生活の保障はする。役目も与えるので働きによっては出世させるぞ。そう悪い条件だとは思わないがな」


「……しばらく考えさせてくれ」


「物は考えようだ。前当主には何の権限も無いと言うならば、新たな分家を興せば良い。これで丸く収まる。良い返事を待っているぞ。縄は解くので以後は自由にしてくれて構わない」


 今回は土佐一条家のように家臣全員を追放して終わらすという荒業は使えない。あの時は、偶然にも多くの条件が重なったからこそできた特殊な事例てあった。


 また伊予国は大国に挟まれた係争地でもある。もしここで取り残された河野宗本家家臣を見捨てれば、それは大国の付け入る隙となり、自らの首を絞めてしまう。許す限り穏便な形で収拾させるのが望ましい。まったく河野 通宣は随分と面倒な置き土産をしてくれたものだ。


 とは言え河野 通宣の行動によって、結果的に伊予国から周防大内家の影響を排除してくれたのもまた事実である。これはかなり大きいのではないか。


 後は、河野 通直の協力次第である。伊予国を喰らい尽くすまで残り僅か。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 やはり俺の判断は間違っていなかった。寝返りの打診を無視して怒らせた者達も、河野 通直の説得によって次々に降ってくる。中には所領安堵という過剰な要求を出す者もいたが、見せしめとばかりに松山 重治や畑山 元明が八つ裂きにしていった。海部殿の別動隊の働きもあってか、中予平定は思った以上に呆気なく終わる。


 殊勲者となる河野 通直が当家に協力してくれるようになったのは、村上 通康の説得の賜物だろう。犬寄峠の戦いを経験した身だからこそ、河野 通宣の無責任な行動が許せなかったのだと思われる。当家を利用してでも河野 通宣に一泡吹かせたい。そんな感情が生まれたとしても、誰もが不思議に思わないだろう。


 そのお陰か懸念である越智郡も無傷で手に入れる形となった。これは村上 通康の河野 通直への養子入りが大きな理由となる。


 当主不在となる越智郡は、村上 通康の子供が継ぐのが本来の姿だ。けれどもここで村上 通康の娘と柳生 宗直改め村上 宗直との婚姻が成立し、能島村上家と来島村上家が統合される。その上で村上 宗直が領地を返上したために、越智郡が転がり込んできた。


 これにて長かった伊予平定の作戦も完了する。一部手付かずの地域は今後の課題とした。


「ようやく終わったな。皆良く頑張ってくれた。改めて礼を言う。準備が整い次第宴を始めるから、しばらく待ってくれ。それと安芸 左京進は前に出てくれ」


「はっ」


「今回の戦では急造部隊で本当頑張ってくれた。ここまでの成果を出すとは思っていなかったぞ。褒美として以後は伊予国の統治を任せる。俺の実家の安芸家だ。盛り立ててくれよ。あっ、それと面倒がらずに正式に養子の手続きをしておけ。一国持ちが安芸家当主ではないというのもおかしな話だからな」


「……国虎様、今『一国持ち』と言われませんでしたか?」


「ああ、言った。間違いない。勿論後から撤回するつもりもない。本日から伊予国は左京進の物だ。今回見送った芸予叢島も既に当家の支配下に置く目処が付いているから、もう俺の出番は無いさ。伊予一国統治の肩書が無いのは我慢してくれよ。実効支配でなんとかするしかないな」


「お、お待ちくだされ! これまで通り、伊予は遠州細川家の直轄地にされないのですか? 確かに以前『伊予半国を欲しい』と言いましたが、それは戯言ですぞ。何ゆえ突然の方針変更をされるのかお答えくだされ」


「ん? 伊予国を欲しくないのか? まあ、いらないと言っても無理矢理押し付けるが。俺は土佐国と阿波国があれば十分でな。それ以上は手に余るのが実情だ。方針変更ではなく、限界を超えたと考えてくれ。それに土佐から指示を出すのでは、何かあった時に対応が遅くなる。なら、統治を誰かに任せるのが合理的だとは思わないか?」


「それならば東予・中予・南予の三つの地域にそれぞれ任せるのが良いかと思われまする」


「駄目だ。有事の際に誰が指揮をするかで問題が発生する。南予に置くのはあくまで領地開発の代官だ。道筋が決まれば引継ぎをさせる。左京進、分かっていると思うが敵は周防大内家だぞ。伊予一国で纏まらなければ対抗はできない。土佐から援軍を派遣するにしても、到着するまでの間持ちこたえてもらわなければならないからな。この大役は左京進でなければ務まらない。諦めて伊予国を受け取れ」


「そこまで言って頂けるなら、喜んで拝領致しまする。ただ、これからは国虎様と共に戦場を駆け巡れないかと思うと残念です」


「悪いが四、五年は辛抱してくれよ。その間に強固な国造りをして足元を固めれば、また一緒に戦をできるようになるさ。左京進なら、俺が奈半利でどんな事をしたか覚えているだろう。人も派遣するから、協力して上手くやってくれ。あっ、そうそう。まず最初に流下式塩田による塩事業を始めてくれ」


「何ゆえ塩なのでしょう? まずは周防大内家に攻められぬよう、軍備の増強からではないのですか? 河野 通宣がいつ兵を率いて舞い戻ってくるか分かりませぬぞ」


「その塩が周防大内家対策になる。どうやら芸予叢島の主要産物が塩らしくてな。それを伊予国から排除する所から始めてくれ。意味は分かるな?」


「はっ。芸予叢島に流れる資金を断って、力を削ぎ落せば良いのですな」


「そうだ。しかも塩の利益で領地開発もできるし、軍備の増強もできる。言う事ないだろ。こちらからも手を回しておくから、弱った所をどうするかは左京進に任せる」


「さすがは国虎様。いつもながらお見事です」


 芸予叢島の塩というのは実はかなりの曲者だった。主要販売先が畿内という時点で多額の利益を上げているのが分かる。これだけでも十分な脅威なのだが、塩の販売先は畿内だけに留まらない。瀬戸内海に面する各地域への販売は元より、阿波国や土佐国にまで販路が広がっていた。


 この時点で村上水軍が何故強かったのかが理解できる。芸予叢島の塩の運搬が力の源泉と言えよう。その中でも能島村上家は、最も塩の製造が盛んな弓削島ゆげしまと密接な関わりを持っていた。周防大内家が能島村上家を傘下に置いたのも、この弓削島の塩が大きな理由であろう。加えて芸予叢島自体を勢力下に加えたのも、塩の利権そのものを求めたのだと考えられる。


 だからこそ目には目を、塩には塩を。芸予叢島の塩利権の全てを奪うのは難しいにしろ、伊予国を含めた遠州細川家支配下からは駆逐できる。また、塩の売り上げを減らせば、周防大内家の上洛への牽制ともなる。奇しくも俺の初期の金策がこのような形で生かされるとは思いもしなかった。


 今思えば堺で塩の締め出しを喰らったのも、芸予叢島の塩が原因かもしれない。あの当時は能島村上家は細川 晴元と明確に協力関係があった頃だろうか。ならば畿内での塩利権の維持のためにも、競合他社製品の排除を依頼するのも頷ける。まさか塩一つでこうも因縁が巡るとは思いもしない。どうやら俺はかなり早い段階から、知らず知らずの内に細川 晴元や能島村上家と敵対関係にあったようだ。そうなれば、村上 義益が俺を頼ってやって来たのも当家の塩が発端なのだろう。敵対勢力に身を寄せるとは、随分と良い性格をしている。


 ともかくこれで芸予叢島の連中を追い詰めた。今回の遠征で攻め滅ぼす所まで行けなかったのは残念ではあるが、これなら焦る必要は無い。既に勝ち筋は見えている。後は安芸 左京進に任せておけば良いだろう。


 こうなれば土佐に戻る日が楽しみでならない。戻ったら何をしようか。まずは和葉の膝枕でゴロゴロする。それしかないだろう。仕事は後回しにして、しばらくはのんびりしたいものだ。

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