安芸毛利家の懐事情

 伊予という国は思った以上に九州の豊後国と近い。例え両国間に海が介在していても、それは大きな障害とならない場合が殆どだ。特に伊予国の西の端となれば、その近さがはっきりとした形で表れる。何故なら人は霞を食って生きている訳ではなく、生きるためには様々な物が必要となるからだ。


 ならば生きるために必要な物を調達するとして、長い距離を陸路で進むのと短い距離を船で海を渡るのと比較すれば、当然後者を選ぶ。


 具体的に言うなら、佐田岬半島に住む人々は西に進めば進むほど、生活を豊後国に依存していた。


 中でも佐田岬半島の西端である三崎みさき浦は、生活だけではなく安全保障まで豊後国に依存している。


 これがどういう意味かと言うと、


「やっぱりか。伊予国でもここから先は豊後大友領かよ!」


 と、知りたくもなかった事実を突きつけられる形となる。佐田岬半島が伊予と豊後の国境だというのを考慮して、慎重な調査をしながら進軍していたのが早期発見へと繋がった。


 佐田岬半島とは現代では伊方原子力発電所のある地域である。この時点で佐田岬半島がどういう場所か見えてくるというもの。事実、平野が少なく水資源も乏しいために、生活は漁に頼るしかないという。食糧生産は一部で段々畑が作られている程度であった。民の数も少なく、悪く言えば過疎地域であろう。


 まだ救いがあるとすれば、二間津ふたまつ三机みつくえといった港が海が荒れた時の避難港や潮待ちの港になっていたため、多少の賑わいがあった位だ。


 そこから考えれば、更に佐田岬半島を西に進んだ三崎浦は、単独で生活が成り立たないのが分かる。


 だからこそ豊後大友家は三崎浦を治める三崎家に手を伸ばした。


 元々三崎浦は歴史的にも豊後国と繋がりが深い。理由は明白で物理的な距離である。三崎浦からでは伊予国の八幡浜に行くよりも、豊後国の佐賀関さがのせきに行く方が圧倒的に近い。遠くの伊予より近くの豊後である。現代でも佐賀関─三崎を結ぶフェリーは、最短七〇分で到達する。これで繋がりが無いという方が逆におかしい。


「悔しいがここで無理をする必要は無いな。今回は二間津の港までを接収したのだから良しとしておこう。長居は三崎家に疑念を抱かせる。最低限だけ残して俺達は去るぞ。山中 直幸、この地を一時的に任せる。食料を配給して腹を満たしてやれ。この地を騒がした迷惑料のようなものだな」


「はっ。かしこまりました」


「国虎様、一つ宜しいですか?」


「どうした元明。何か気になる事があったか? 遠慮なく言ってくれよ」


「はっ。折角二間津の港まで切り取ったのです。八幡浜以西は大した抵抗もなく降したとは言え、佐田岬半島の統一直前で兵を返すのは皆口惜しく感じております。ここは三崎家に臣従を迫っては如何でしょうか? 豊後大友家と当家との両属を認めるのです。そうすれば、豊後大友家との衝突は回避される上に当家が佐田岬半島を領有した形となるのではないでしょうか?」


「あー、なるほど。三崎家を緩衝地帯とするのか。両属によって国境争いを事実上回避するんだな。よく考えたな」


 例えば美濃みの国の東部には遠山家という勢力がある。史実通りならこの家は、甲斐武田家に臣従をする上に織田弾正忠家にも臣従をする。つまり美濃遠山家は、武田 信玄の家臣でもあり織田 信長の家臣としても籍を置く形だ。


 こうした二つの主君に仕える両属というのは、実はこの時代では良くある。阿波三好家は阿波細川家に仕えながら細川京兆家にも仕えていた家であったし、木沢 相政の父親である木沢 長政も総州畠山家と細川京兆家の両家に属していた。


 今回の件もそうだが、国境の領主というのは隣国からの圧迫を受けやすい。最前線となるのだから当然とも言えよう。美濃遠山家の相手はあの甲斐の虎武田 信玄だ。武家の最大の目的が家の存続である以上、意地を張らずに素直に降るというのはそう間違いではない。


 武田 信玄にとって不幸なのは、美濃遠山家の臣従の翌年が第一次川中島の戦いであった事だと言えよう。これにより、美濃方面に手を出す余裕が無くなった。もし上杉 謙信との衝突が無ければ、美濃国への影響力をより大きく持てたかもしれない。


 話は逸れたが、国境の境目の領主に両属を迫るというのは、安全保障上でとても有効な手段となるためによく使用されていた。


 ただ、


「では。是非その交渉は某にお任せくだされ」


「とても魅力的な策だが今回は却下だ。時期が悪いな。陶 隆房の謀反が起こる前ならその後の豊後大友家との交渉でも対等に立てたと思うが、今は周防大内家に豊後大友家の者が養子入りする直前だ。周防大内家との関係を盾に当家に無理難題を吹っ掛けてくる可能性が高い。提案は両家の関係が悪くなるまで待ってくれ」


「確かに……いや、待ってくだされ。そのお言葉では、いずれ豊後大友家と周防大内家との関係が悪くなると言っているのと同じではないですか」


「今後の周防大内家は、陶 隆房の傀儡になるからな。遅かれ早かれ両家の関係は拗れると思うぞ。もしくは周防大内家自体が倒れるかもしれないな」


「それは大袈裟では」


「二階崩れの変で当主の変わった豊後大友家と大寧寺の変によって当主が変わる周防大内家だ。互いに外に権力の後ろ盾を求めた家同士になる。利害関係が損なわれてしまえば、呆気なく破綻するものだぞ」


「何と恐ろしき事を……」


「そんな時に当家が両家の均衡を崩す第三勢力になれば、どうなるか? 当然高く売りつけられるな。今回の元明の提案はその時に使う策だ。だから、今は余計な刺激をしない方が良い。これで良いか?」


「つまり某の提案した策は使う時によっては、当家に大きな利を齎すと。それまでは我慢しろと」


「そうなるな。元明の策なのだから、一番良い時に使うのが筋だと思うぞ」


「お見それしました」


 この両属という行為は、その後に従属させている家同士との交渉に発展する場合が多い。両家の仲が悪ければ、両属した領主が真っ先に攻撃の矢面に立たされてしまうのだから当然と言えよう。


 今回の場合は三崎家が間に入り、当家と豊後大友家との仲を取り持つ。最低限の不可侵を求められるだけならば何の問題も無いが、代替わりしたばかりの当主の豊後大友家が相手ではそれで終わらないのが目に見えている。また、土佐一条家の残党問題という爆弾も抱えていた。


 安全保障の交渉で、家同士の軍事力の大きさを一切無視するというのはあり得ない。豊後大友家が現状外征をしたくないとしても、土佐一条家、南予宇都宮家と友好国を軒並み潰した当家相手に何故笑顔で握手できようか。どう考えても軍事力を盾に脅してくる未来しか見えない。


 しかし、豊後大友家が外に大きな敵を抱えている場合はどうであろうか? そんな中で当家と揉めれば、後背を突かれるために過大な要求ができなくなる。現実にはそうそう上手く行かないとは分かっていても、利益をちらつかせれば妥協案が引き出せる。外交交渉というのは、ミリタリーバランスが全てと言っても良い。


 余談ではあるが、史実では美濃遠山家が武田 信玄と織田 信長との同盟を結ぶために大きく貢献をする。俗にいう「甲尾同盟」だ。甲斐国と尾張国の頭文字を取った形で永禄八年 (一五六五年)に成立したと言われている。


 武田 信玄と織田 信長が同盟するというのは俄かには信じ難いが、これは武田 信玄の四男である武田 勝頼たけだかつよりの正室が美濃遠山家一族の娘であり、尚且つ織田 信長の養女である点からも明らかだ。美濃遠山家が仲介した婚姻でなければ、このような結果とはならない。しかも、この「甲尾同盟」が武田 信玄の嫡男である武田 義信たけだよしのぶ謀反の原因とも言われているのだから、何とも皮肉なものである。


 ……要するに今ここで三崎家に両属を迫れば、和葉と離縁して豊後大友家の娘もしくは養女との婚姻を迫られるのが可能性として十分に考えられる。しかも無理矢理。それだけは嫌だ。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 佐田岬半島巡回弾丸ツアーを終えた俺達が大洲に戻ると、谷 忠澄より会わせたい人物がいると伝えられる。もしや博多の大商人かそれともキリスト教の宣教師ではと期待をしたのだが、いざやってきたのは一〇代の少年であった。


 名前を井上 利宅いのうえとしいえと名乗る。今年元服したばかりであり、その顔にはあどけなさが残っていた。


「細川 国虎だ。遠州細川家の当主をしている。今後は気軽に『国虎』と言って欲しい。それで、見た所武芸者とはほど遠い華奢な体つきだが、俺に引き合わせたのは何か理由があるのか?」


「実は……」


「谷様、理由に付いては私自身の口から話させて頂いても良いでしょうか?」


「それは構いませんが……」


「井上 利宅だったか。俺が許す。何があって当家にやって来たのか、是非自分の言葉で話して欲しい。……やはり保護を求めてか?」


「その側面は大きいと思われまする。ただ、私としては遠州細川家への仕官を考えております」


「保護なのに仕官? よく分からないな。良ければ順を追って話してくれるか? 特に何故保護を求めているのかを知りたい」


「端的に言えば私は逃亡の身です。安芸国から流れて参りました」


「安芸国? もしかして、利宅は井上党の生き残りか? 確か昨年安芸毛利家では井上党の粛清があったと聞いている。随分と横柄な振る舞いがあったらしいな」


「いえ、それは誤解かと。むしろ我等一族は被害者の立場です」


「それは面白い。是非詳細を聞かせて欲しいな。話せる範囲で良いから、洗いざらい話してくれ」


「国虎様! その話は誠ですか! それに井上殿も。我等に話した内容と全く異なっているではないですか!」


「落ち着け忠澄。粛清されたからと言って、必ずしも罪人とは限らない。政として考えれば、時にはそうしなければならない場合もある」


「それはどういった場合でしょうか?」


「簡単な所では統治上の問題だ。主家より力を持つ家臣は幾らでもいる。それを目障りと感じた場合に粛清に発展するというのは、細川京兆家内では幾らでも例があるぞ。木沢 相政の父親が分かり易い。表面に見えているものだけで善悪を判断するなよ」


「……国虎様の仰る通りです」


「その素直さが忠澄の良い所だ。それで利宅が言った『被害者』という言葉から考えるに、力を持ち過ぎたために安芸毛利家が権力の集中を行った線がありそうだな。それか単純に派閥争いか」


「……権力というよりは『銭』となりまする」


「そうそう。安芸毛利家は銭欲しさに井上党を粛せ……そういう事もあるんだな。逆にこちらが驚いた。ん? ちょっと待て。どうしてここで銭の話になるんだ? 何か変じゃないか」


「いえ。変ではありませぬ。安芸井上家は安芸毛利家の財務を長年担当しておりましたので」


「あー、なるほど。どうして俺に会って欲しかったのか理由が分かった。よし。井上 利宅は当家で召し抱える。俸禄になるが我慢しろよ。それとは別に話は聞かせてくれ」


「はっ」


 そこからの話は安芸毛利家の暗部を垣間見た気分となった。「地獄の沙汰も金次第」そんな言葉が似合いそうな気がする。


 端的に言えば安芸毛利家、いや毛利 元就もうりもとなりの躍進を支えたのは井上党と言っても良い。何せ毛利 元就が安芸毛利家の家督を継いだ際に収入の約三分の一は井上党よりの援助であったのだから。


 当たり前の話だが、これだけの金を出していて「好きなように使っても良い」という訳にはならない。現代でも出資をした株主に対して株式総会が開かれるように、井上党も安芸毛利家の財務を担当して極力無駄遣いが行われないように管理をしていた。


 安芸国が周防大内家と出雲尼子家との係争地でありながらも、安芸毛利家が突出した勢力になれたのも井上党という内助の功のお陰だろう。大きな収入源の無い領地で何度となく戦を繰り返していれば、通常なら借金まみれで首が回らなくなる。


 転機が訪れたのは安芸武田氏を滅ぼした頃になるという。安芸武田氏の本拠地である佐東銀山城さとうかなやまじょうこそ周防大内家に奪われ手にできなかったものの、その代わりとして旧安芸武田水軍と瀬戸内海に通じる川のある領地を手に入れた。


 長年安芸毛利家を裏から支えてきた井上党から見れば、この躍進でようやく肩の荷が下りた気持ちになったろう。海への道という物流を手に入れたのだ。安芸毛利家の収支も大きく改善すると。


 だからこそ支援する銭を減らした。最早これまでの安芸毛利家とは違うのだ。勢力も大きくなり、井上党の援助が無くてもやっていけると考えても何ら不思議はない。


 ただ、財務の仕事はそうそう代わりが見つかる訳ではない。引き続き財務は井上一族が担当する形となる。


「そりゃあなあ。銭は出さないけど、使い道には口を出すとなれば恨まれて当然だよなあ。それに財務担当なら商家との付き合いも多そうだし、賄賂を貰う機会も多くあったろうしな」


「……」


「けど、それが本来じゃないのか? 家臣の支援が無ければ家が成り立たないとか、そちらの方が駄目だろう。領地が無いなら分かるが、安芸毛利家はそうではないしな。それに財務担当が口うるさい上に力を持つのは世の常だ。俺も常日頃借財をどうにかするために無駄遣いを減らせと言われている。井上党が力を持つのが嫌なのであれば、自分達で財務を担当すれば良かっただけだろう」


 問題なのはこの後も続く安芸毛利家の勢力拡大であった。幾ら収入源が増えたとしても、それ以上に出ていく。頼みの綱の井上一族はもう支援はうんざりだと更に額を減らしていく。


 結果、安芸毛利家の選んだ行動は商家への借金であった。しかも最悪な事に、この借金は返せる目処の無い借金である。


 日々訪れる返済の督促。だと言うのに、赤字続きで更に銭の無心をしなければならない。その上で降って沸いてきた陶 隆房の謀反。ならば、この機に乗じて安芸国内の問題を一気に片付けてしまえと動き出す。


 「毒を喰らわば皿まで」という心境に毛利 元就が立つのはよく分かる。戦国の世は「無いならある所から奪え」が基本だ。本来ならタブーである味方からの強奪も、このどさくさなら有耶無耶にできると考えたとしてもおかしくはない。


 事実はもっと複雑な要素が絡み合っているだろう。今回はあくまでも井上一族視点による粛清劇の解釈だ。それによれば万年赤字体質の安芸毛利家が、井上一族の多額の資産目当てに罪をでっち上げて全てを奪ったという顛末であった。


 自分達は前当主 毛利 元就が家督を継ぐ前から安芸毛利家を支え続けたというのにこの仕打ち。井上 利宅はまだ幼いという事で命を奪われはしなかったが、いつ殺されるか分からないという恐怖心から伊予の地にまで逃げてきたとして話が終わる。


「なるほど。それで『保護』と言っていたのか。安心しろ。当家に仕官したからには安芸毛利家から全力で守ってやる。その分働けよ。当家でも財務部門で頑張ってくれ」


「あっ、あの……国虎様、叶うならば配属して欲しい所があるのですが……」


「どこが希望だ。変な所でなければ配属するぞ」


「はっ。馬路党を希望しておりまする。あの精強さに心打たれました。是非私も馬路党で強くなり、安芸毛利家に一泡吹かせたいと考えておりまする」


「利宅、お前馬鹿だろう。よりにもよって、どうして馬路党を希望する。あそこは得意の財務には一切関係が無いぞ。それに、その体の細さでやっていけるのか?」


「そ……それは……分かってはいるのですが、父の仇も取れずこのままひっそりと暮らしたくはないのです。何卒希望を叶えてくだされ!」


「そうか。仇討ちか。そこまで言うなら仕方ない。養成所……いや、予備隊で体作りから始めろ。どんなに辛くても絶対に逃げないと約束できるか?」


「はっ。誓えまする!」


「なら言う事は無い。強くなって再び俺の前に立つ日を楽しみにしておく。あっ、そうそう。安芸に粛清を逃れた一族は残っているか? もしいるなら、遠州細川家に仕官できたと文を書いておけよ。大事な一族なんだから安心させてやれ」


「はっ」


 それにしてもまさかの馬路党入り希望とはな。俺との面会となった理由は、井上党という経歴を鑑みた文官候補だけに残念ではある。しかも財務官僚となれば、滅多といないエリートだ。


 とは言え、無理にこちらの事情を強要するのは良くない。馬路党の水が合わなかった時にでも改めて文官を勧めよう。


 俺個人としては、それ以上に安芸毛利家の内幕が聞けたのが大きな成果である。伊予を手にして隣り合うあの毛利 元就が、実は借金に苦しんでいたとは思いもしなかった。周防大内家自体には潤沢な資金があっても、その傘下の実態はこういうものかもしれない。このままなら、やはり史実通りに陶 隆房とは喧嘩別れするだろう。その理由が「金が無いから上洛したくない」というのであれば、笑うに笑えないが。


 もう一つ分かった事がある。改めて安芸毛利家の伊予への援軍が絶対に無いというのを。その上で、当家が伊予を完全制圧しても事実上手を出す余裕が無いというのを。


 豊後大友家には土佐一条家残党という爆弾が残っているものの、しばらくはこの伊予国が外敵に悩まされる事は無いと確信する。その間に迎撃態勢を整えてしまえば、伊予は安泰となるだろう。


 ……今頃三好宗家では慌てふためいているだろうか? こういうのを自業自得と言う。これでしばらくは大人しくなって余計なちょっかいを出さなくなれば御の字である。


 後は最後の詰めだけだ。さっさと河野本宗家を叩き潰して、伊予国を制圧してしまおう。

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