閑話:田窪の戦い
天文二〇年 (一五五一年) 伊予国 山之内 公文 重忠
五日後、ようやく平岡 房実殿と和田 通興殿との戦が始まる。もっと早くに始まるものだと思っていたら、まさかこれほどの時間が掛かろうとは拍子抜けであった。その間、だらだらと過ごすのも無意味だという話となり、見張りを残して皆が獣狩りなり野営の本格設営を行うなり、はたまた自己の鍛錬に励むなりと皆が思い思いに過ごしていた。
俺は馬路党ではまだ予備隊から上がって正式に配属されたばかりというのもあり、先輩の指導を仰ぎながら野営の設営を手伝う。
馬路党という隊はとても変わった所で、一人一人の武芸の鍛錬をしっかりと行いながらも、今俺が行っている屋外での住環境の整備や食料の確保、それに料理といった武芸以外の面にも力を入れていた。予備隊では体作りを主として座学や技の鍛錬ばかりしていたために、この大きな変化にはなかなか慣れない。
この辺は国虎様の方針だという。何でも本当に強い兵というのは、純粋な戦闘力よりも生き残る力の方が大事なのだとか。特に日の本は山の多い国だけに、山中でも自活できる生活力を重視されていた。
最初はこれに何の意味があるのか分からなかったが、なるほど今回の山中での待機と言い、鞍瀬大熊城の攻略と言い、山に慣れ親しんでいるからこそ他の隊にはできぬ独自の行動が可能となったのは大きい。
当然武芸の鍛錬は怠らぬ。予備隊時代から続けている身だ。俺にとってはこれが日常と言えるだろう。独自の鍛錬法のお陰で、予備隊入隊以前と比較すれば数倍は強くなった自負がある。
こうした日々を過ごしている内に戦は始まった。作業についつい夢中になっていたため、その始まりを見逃してしまったのは残念ではある。
とは言え、初手は伊予平岡家による岩伽羅城への強襲だ。支城である
戦の本番は、この強襲部隊が山を降りてからとなるであろう。仕掛けたのは一〇〇にも満たない数だったと教えてもらったが、その内どれ程の数が山を下りてくるか。その上で和田 通興殿の軍をしっかり引き付けられるか。この点が大きな岐路となる。
「さあて、俺達も戦支度を始めるか。幾ら此度の戦には関わるつもりが無いとは言え、巻き込まれないとも限らないからな。万が一に備えて態勢を整えておいた方が良い。まだ猶予はあるから腹が減っている者は今の内にしっかりと食べておけよ。小便も行っておけ。漏らすと恥ずかしいからな」
「押忍! そんな事を言って、本当は乱入するつもりじゃないんですか?」
「その気持ちはある。状況次第と考えておけ。和田・平岡の両軍が共倒れとなったなら乱入は間違いない。一網打尽にできるからな。乱入したいのはお前等もそうじゃないのか?」
『押忍!』
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「隊長、どうしますか? 和田 通興殿の軍がこちらに向かって逃げてきます。平岡 房実殿も追手を放ち、同じくこちらに向かってきております」
隊長の見立て通り、勝負は一方的であった。正しくは平岡 房実殿が一枚も二枚も上手だったと言わざるを得ない。それ程見事な用兵であったと言えよう。
全ては岩伽羅城への強襲に集約されていた。
平岡隊の岩伽羅城への接近は山中からであったが、ここに一つの仕掛けがある。逃走経路の確保であった。
つまり、平岡 房実殿は和田 通興殿の追手から逃れる道筋を予め知った上で城攻めを行い逃げる。和田 通興殿はそうとは知らずに山中に逃げる平岡 房実殿の部隊に追手を差し向けた。この時点で平岡 房実殿を仕留めるのがほぼ不可能というのが分かる。戦では追手の方が有利だとしても、全てに於いてではない。此度のように道も凸凹で障害物の多い山中では、道を知っている方が圧倒的有利になるというもの。
事実、山から抜け出した平岡 房実殿の部隊は後ろをチラチラと気にしながら、きちんと追手が迫っているのを確認する余裕があったほどだ。
こうなれば後は仕上げとなる。追手を兵の伏せている林の北側へと誘導し、隊列が長く伸び切った所で伏兵が一斉に側面を突く。当然この時点で、逃走していた平岡 房実殿も踵を返して逆撃を行う。隊が分断され、半包囲された和田 通興殿に残った道は、抵抗空しくすり潰される以外に無い。もしくは、敢えて逃げ道として残された山之内の山中への逃走くらいであろうか。
だがこれは明らかな罠だ。山中に紛れるというのは追っ手を撒くのに丁度良いとは言っても、その実自らも危険に晒す。後ろを気にしながら道無き道を進むというのが如何に大変かは、経験した者でなければ分からぬであろう。此度の場合は、降伏して命乞いをするのが最も賢明な判断となる。
そんな思いで下で繰り広げられる戦を見ていた所、何とも幸運な事に我等の野営地に逃れようとしていた者がいた。しかもその身なりを見れば、明らかに名のある武士だと分かる甲冑を着込んでいる。手柄首とするには又とない機会だ。もしくは捕縛して平岡 房実殿や河野本宗家に対する交渉材料とするのにも都合が良い。
──だがそんな真似をすれば、誉れ高き馬路党の名折れとなる。
馬路隊長が選択したのはこれ以外無いという一手。それは、
「馬路党推参! 義によって和田殿にお味方致す! お前等、俺に続け!」
という掛け声と共に、平岡 房実殿がいる田窪の地へ駆け降りるという行動であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「邪魔だどけ!」
最早和田隊には何が起こっているのか理解できまい。命からがら逃げ伸びた先に味方が突然現れたかと思ったら、それが鬼気迫る勢いで一気に駆け降りてくる。山道だというのに減速がされないのは、馬路隊長の鍛え抜かれた下半身の賜物であった。
だからこそ走り出したならば止まらない。進路上にいる者達は、哀れ隊長の蹴りの餌食となって吹き飛ばされる。それは平岡殿の部隊だけではなく、和田殿の部隊も同様だ。遮る者は十把一絡げの扱いであった。
続く隊員達は隊長の作った道を通過し、新参である俺が後始末の役割となる。隊の皆が戦に集中できるように不安要素を残さない。気絶している者達には、猿轡を噛まして両手両足を丁寧に縛り動けないようにするという持て成しを施した。
遅れて山を駆け下りた俺の目の前では、既に至る所で派手な宴が始まっている。金砕棒の一振りで確実に三人は吹き飛ぶ。直撃した兵の体がくの字に折り曲がる。鉄の兜が真っ二つに割れ、その下にある頭が陥没する。目に入る者達全てが敵の状態。我等がこの時をどれだけ待っていたか。皆の気持ちが昂ぶり、歓喜の声が上がるのは必然であろう。
本来ならばこのような行いは行き過ぎである。味方だというなら、我等の役割は総崩れとなった和田隊の救助、もしくは間に割って入るべきだ。だと言うのに、誰もがその役割には目もくれない。
何故なら隊長の発した言葉はあくまでも「和田殿へのお味方」であり、即ち平岡軍への敵対を意味する。誰も助けるとは言っていない。我等の足を引っ張る者は敵対行為と等しくなる。纏めて金砕棒の餌食となっても文句は言えまい。
要は「怪我したくなければ引っ込んでいろ」となる。
このような素晴らしい宴に乗り遅れたのは大きな失態だ。先輩達だけに美味しい思いはさせられない。参加するにはどうすれば良いか? 外から回り込んで敵の背後を取るべきか、それとも隙間から割り込んで無理矢理参戦するか。
そんな考えをしている所で、ドカンと派手な爆発音が鳴り響く。
「オラッ、前を開けろ! 三、二、一、ヒャッハー!!」
敵陣で焙烙玉が弾け、続いて両脇に大筒を抱えた魚梁瀬副隊長が、計二発の砲撃を放つ。白煙が広がる中で手に持つ得物は丸太へと変わり、そのまま混乱する敵の中へと飛び込んだ。
この緊張感が堪らない。例え乱戦に発展していようと、平気で火器による支援が入るのが馬路党の特徴だ。味方の支援で怪我をするようなら、それは鍛え方が足りない。戦場は水物。刻一刻と状況が変わる。戦う時は常に周囲に気を配りながらではならぬという、教えの一つだ。
「しめた!」
副隊長が大筒による支援を行った結果、ぽっかりと空間が広がる。突撃を敢行した副隊長が、丸太を縦横無尽に振り回して衆目を集めながら前へと進んで行く。ならば、この機に乗じて俺も続けば手柄もあげられるというもの。新参だからと遠慮をする必要は無い。
気付けば両手に持った金砕棒を大きく振りかぶり、足が前へと進んでいた。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 馬路党特攻隊長 公文 重忠様がお前等の親分の首を取りにやって来た。死にたい奴から掛かって来い!」
体重を前足に乗せて一気に駆け出す。
手始めは間抜け面を晒す雑兵だ。開いた空間を埋めにやって来たのだろう。木製の盾を突き出し押し返そうとした所を、構わず金砕棒を斜めに振り下ろして、盾と共に粉砕をする。
お次は俺と目が合った男。先程の一撃を目撃したのであろう。呆然と立ち尽くしたまま、腰が引けて後ずさりをしようとしていた。ならばそのまま戦場から退場しろとばかりに、横凪にぶっ叩いて弾き飛ばす。
三人、四人、五人と支援攻撃によって浮足立っていた敵兵を順に叩き潰していく。新たな餌を求めて更に前へと進んだ。金砕棒を一振りする度、返り血が鎧をどす黒く染めていくのが堪らない。これが鍛錬とは違う本物の戦場の証であろう。
ふと目の前に男が立ち塞がった。鎧を見ればそこいらの雑兵とは違う。名のある将であろう。槍ではなく太刀を上段に構えているのは、取り回しを意識したものだというのが分かる。どうやら俺との一騎打ちを望んでいるようだ。何とも清々しい気分にさせてくれる。
「ほぉ、そんなに俺の手柄になりたいのか。折角だ。名乗るくらいはさせてやろう」
「小僧が粋がるな! 儂は河野本宗家家臣、平岡 房実。この戦は負けだ。だが、このままやられっぱなしにはならん! せめて貴様を道ずれとする。覚悟しろ!」
「はっ。やれるものならやってみな」
そう言いながら、無造作に歩を進めつつだらりと垂れ下がった金砕棒を下から上へと掬い上げる。
得物が当たらない距離で敢えて攻撃を空振りさせて、手首を返しながら距離を詰め、本命の一撃を叩き込むのは国虎様の得意技だ。初見ではその意図が分からず、空振りに安心して反撃を行おうとする者が殆どである。あの方は強さでは我等には劣るというのに、汚い戦い方が得意で模擬戦では俺も何度も負けを喫した。模擬戦では散々に悪口を言ったが、ここが本物の戦場である以上はその汚さを真似させてもらう。
──案の定、初撃の空振りを見て、平岡殿が距離を詰めてきた。
「何っ!」
思い掛けず金属同士が打ち合わさる不快な音が響く。手首には押し戻されるような強い力が掛かり、振り下ろそうとした金砕棒の動きが半ばで止まった。
「やはり小僧だな。無駄な動きが多いゆえ、何をするかが手に取るように分かる」
その正体は平岡殿が手に持つ太刀。それが金砕棒の軌道に割って入り、振り下ろしを妨げる。幾ら重量のある金砕棒と言えど、速度が出る前に遮られてしまえば威力を存分に発揮できない。普通なら激突した際の刃こぼれを気にして回避に回る所を、一切構わずぶち当ててくる所が歴戦の強者ならではの判断という所か。まさかこんな手に出てくるとは思わなかった。
「次に儂に挑む際はもう少し鍛錬して参れ。だが、それはもう叶わぬと思うがな」
そう言い放った途端、足を払われて尻もちを付く。こちらの意識が上に向いている間に距離を詰め、迷わず足を使う。足癖の悪さは我等馬路党の得意とする所なだけに、してやられたという気持ちが湧き出していた。
平岡殿が太刀を中腰に構え、切っ先をこちらへ向ける。右足を後ろに引き、体全体を捻じるかのような姿勢となった。すぐさまその右足を前に出す。腰だめとなった太刀が、獰猛な牙を剥いて襲い掛かってくる未来が目の前に迫っていた。
「伏せろ」
──そんな時、背中側から声がする。
言うが早いか瞬き一つした瞬間、風切り音と共に平岡殿の腹には丸太が激突していた。
「耐えろよ」
突然右肩に重さと痛みが訪れる。何が起こったのか分からぬが、倒れそうになるのを堪えて精一杯踏ん張る。次の瞬間、右肩の黄色い鎧武者が宙を舞い、平岡殿の顔面に飛び蹴りを当てていた。
「ふん。あれを避けられぬようでは貴様こそ鍛錬が足りんな」
「た、隊長ぉー!」
「新入りが無茶をするな。次はこうならぬよう、しっかりと鍛錬を積めよ」
「押忍!」
「敵将平岡 房実はこの馬路 長正が討ち取った! この戦、俺達馬路党の勝ちだ!!」
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