風が吹いたら桶屋が儲かる

 年が明け天文一八年 (一五四九年)となった。


 時は金なり。年末に起こったぶぶ漬け会談の結果を経て、すぐさま窪川くぼかわ城及びその周辺を落とすべく行動を起こす。この窪川城は土佐一条家の本拠地である中村御所を直接狙える拠点の一つである。大軍で進むには不向きな道の険しさとなるが、それでも前線基地としてはまたとない立地と言えよう。


 今回選抜したのは安芸 左京進、松山 重治、安岡 虎頼の三名。相手は土佐佐竹氏と仁井田五人衆となる。名前だけは立派だが、実際には弱小の集まりであった。


 しかもこの一帯は山間部でもあり、大軍の展開には向いていない。野戦はほぼ無いと考えられる。現実的には山城という利点を生かして、各自城に籠るのが想定される。


 そうなれば馬路 長正や畑山 元明が使用していた大筒があれば難しい作戦ではない。火力による各個撃破、それも短時間での制圧も可能となる。気を付けるのは伏兵による襲撃のみだと思われるので、三人には入念な斥候を指示しておいた。


 例え土佐一条家の援軍があろうとも、こちらが手間取らない限りは援軍到着前に決着が付いているだろう。


 これで土佐一条家には余命宣告を下した形となる。期日は畿内遠征組が戻るまでの間となるが、それまでは好きなだけ小田原評定が楽しめるというもの。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 年明け早々風雲急を告げる土佐に影響されたのか、畿内でもこの年大きな出来事が起こる。


 それは近江国の国友村での種子島銃の製造開始であった。軍事利用目的なのが特筆すべき点と言えよう。未だ畿内で続く三好 長慶と三好 政長の争いを些事だと言うつもりはないが、俺はそれ以上にこの国友村での製造が大事だと考えている。


 これまでの日本で作られていた種子島銃は、実の所贈答用の意味が大きい。良くて狩猟に使う程度だろう。国友村での製造は、その意識が変わる切っ掛けになったと思われる。


 始まりは細川 晴元による種子島銃の入手からだ。堺の法華宗寺院からの献上となる。これだけなら大きな出来事と言うには語弊があるだろう。


 ここからがとんでもない。実は献上された種子島銃の製造元は本家本元の種子島であった。種子島製種子島銃が海を越えて畿内、いや京へとやって来た。


 通常ならこういった場合は販売促進のための見本品と考えるのが最も妥当である。


 しかし細川 晴元は種子島銃の発注を行わなかった。あろう事か国友村の鍛冶師に複製を依頼する。それも公方からの命令を受けたという形で。


 それだけではない。公方は、細川 晴元が種子島銃を手に入れる一月前には種子島家より火薬の調合法を手に入れている。この流れを見れば、

秘密裏に兵器工場を設立したとも捉えられなくもない。秘密裏と言うよりは、軍事利用目的であるために、堺や根来衆の鉄砲鍛冶とは違う別手段での鉄砲入手を確立したと言った方が良いだろう。かくして種子島銃がこの時代の表舞台に立つ環境が整った。


 火器自体は応仁の乱から使用されている上、俺達も新居猛太を畿内の戦で使用した。それを鑑みれば、種子島銃を軍事利用しようという考えは自然な流れでもある。事実、津田 算長は鉄砲隊を組織して種子島銃の軍事転用をいち早く行った。公方の考えは、そこからもう一歩先に進んだ形とも言える。


 さすがに俺達が作った工廠まで進めるのは無理であったとしても、時代の転換点とも言える出来事なのは間違いない。これがなければ織田 信長による五〇〇丁もの種子島銃の発注は間違いなく起こらなかったからだ。つまり、大量の種子島銃による運用である。


 このように多くの人や組織が関わって行われた一大プロジェクトは、この時代では破格の規模だと思われる。単に見本となる種子島銃さえ手に入れれば大量生産が可能だというのが夢物語だという実例とも言えよう。例え見本があったとしても、部品の意味やその作り方は見本だけでは全て読み取れないからだ。


 ただ、俺の中ではこのプロジェクトが成立する過程で最も重要なのは、種子島で作られた製品が当たり前のように堺で手に入る点だと考えている。


 何故このような事が起こるのか? 武家である種子島家が堺に出張して営業を行ったのか? 堺には種子島家のアンテナショップがあるのか?


 真面目に考えれば、物流の発展していない時代に遠く九州は種子島で作られた生産品が堺で手に入るのは考え難い。


 しかし、それに宗教が関わってくるなら話は別となる。いや、寺同士のネットワークとでも言うべきか。日本全国に張り巡らされた寺という基地は物流の拠点ともなり、物が中央に集まる仕組みに重要な役割を果たす。寺は門前町という商売の行われる場所だけではない。中央と地方とを結ぶ携帯電話の基地局のような存在でもある。


 事実俺が吸江庵を手厚く保護したのも京との繋がりを意識した形だ。そのお陰か現在も良好な関係は続けている。


 とは言えその中で一つ忘れていた点があった。寺が地方と中央を繋ぐなら逆もまた真。寺は中央と地方をも繋ぐ。要は中央を介して地方同士を結び付けるという図式だ。


 何が言いたいかというと、俺は今現在、寺同士のネットワークの強固さを身に染みて感じている所である。こんな筈ではなかったと。


「まさか今朶思 大王とも呼ばれる細川様が拙僧の名を存じているとは思いませんでしたぞ。それにしても今朶思 大王というのは長くて呼び辛いですな。これを機に今文約ぶんやくと改めるのは如何か。細川様の四国の地から中央に対するその姿勢は、まさに三国志の韓遂かんすいそのものかと」


「土佐は南国ですので涼州りょうしゅうのように寒くはないのですが……。それに韓遂には馬騰ばとうという盟友がいます。どちらを取っても私には不似合いな名だと思いますよ」


「なるほど。これはしたり。では、僭越ながら遠州細川家の馬騰役は駿河今川家が引き受けるというのはどうでありましょう」


「……それは商いでの繋がりという意味でしょうか? それとも戦においてもという意味でしょうか?」


「贅沢を言えば是非遠州細川家とは戦でも協力関係にありたい所ですが、如何せん両家の距離が離れているのが残念な点ですな。それに戦場で背中を預けるには互いの信頼関係が必要です。例え両家が足利に連なる家だとしても、まずは信頼関係を深めるべく商いから始めるというのは間違ってはおりますまい。それもあって、本日は友野屋も連れております」


「駿河今川家は足利一門でも別格の家ではないですか。当家は細川の分家です。盟友などとてもとても。立場は弁えております。ですが、商いは是非私からもお願いしたいです。名門駿河今川家との取引となればこれ以上に安心できる家はありません。それにしてもさすがは世に聞く太原 崇孚たいげんそうふ様ですね。話に全くの淀みが無く驚いております」


 太原 崇孚、言わずと知れた駿河今川家の名宰相である。そんな彼が俺を訪ねてやって来た。ほぼ騙し討ちに近い形で。


 発端は吸江庵を通じて京の妙心寺へ茶の栽培技術者の派遣を依頼した所から始まる。昨年の内に併呑した高岡郡は山間という事もあり、大規模な米や大麦の栽培には向いていない土地だ。産業の一つに茶を選ぶのは妥当であろう。


 そうしてやって来た技術者達は、何故か駿河国から派遣された。てっきり俺は京から派遣されると思っていただけに肩透かしを食らった形となる。


 確かに駿河国は茶の栽培が盛んな地だ。現代でも静岡茶と言えば日本の三大茶に数え上げられる程有名である。その起源も古く鎌倉時代より続いているとなれば、技術者の腕も間違いないだろう。この部分に何ら不満は無い。


 とは言え、何故京の妙心寺に依頼したというのに駿河国から人がやって来たのか? もっと言えば、京からどういった経緯で駿河国に話が伝わったのか?


 それが寺のネットワークに関係する。


 実は駿河今川家の菩提寺は「臨済寺」であり、住職が太原 崇孚であった。「臨済寺」はその名の通り、臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺と深く繋がりを持つ。加えて太原 崇孚自身も妙心寺との関わりがあるとなれば、俺の出した依頼を繋ぐのも訳ない。事前に要望を出していた場合となるが。


 しかもしかもだ。遠州細川家は以前駿河今川家に友好の印として改良型弓胎弓を献上している。そうなれば、献上に対する礼やそれを皮切りとした商談があったとしてもおかしくはない。今川家の商人頭である友野屋が技術者達の引率役を引き受けるのは妥当であろう。


 多少の違和感はあったものの、そんな歓迎ムードを全てぶち壊したのが一行の中に紛れていた太原 崇孚であった。友野屋との話の最中にふと目に留まった人物に自己紹介を求めた所、何ら悪びれる事無く堂々と名乗るふてぶてしさであった。


 当の本人である太原 崇孚は、俺がその名を知っていると感心するような素振りを見せながらも終始機嫌が良い……ように見える。そう、見えるだけだ。かくして和やかな雰囲気は終わりを告げた。


「それにしても以前に細川様より頂きました弓胎弓……ですかな。あれはとても良い物ですな。御屋形様も大変喜ばれておりました。その節は誠にありがとうございます」


「喜んで頂きとても嬉しく思います。今川様は『海道一の弓取り』とも評されるお方。ならば当家自慢の弓が似合うのは間違いありません。まさに鬼に金棒と言った所でしょう」


「それは表向きの話ではないですかな? 拙僧が考えるにあの献上品は細川様に何か理由があっての事かと。その真意を知りたくて此度は土佐まで参りました」


「それは深読みし過ぎですね。確かに今川様の関心を得るために当家自慢の弓を献上したのは間違いありませんが、こちらの意図は駿河今川家との交易が主な目的です。ただ、私の求めている物が少し特殊というだけですよ」


「……今は細川様のお言葉を信じましょう。それで『少し特殊』とはどういった物ですかな?」


 本当に淀み無く会話を回してくる。この頭の回転の速さが真骨頂であろう。こうした相手に軽々しく嘘をつくと簡単に見破られて全てが台無しとなるのは間違いない。ここは正直に話して出方を伺うのが無難だ。


「『臭水』という物を聞いた事はありますでしょうか? 風の噂で遠江国にはそれが眠っていると聞きまして、是非入手したく考えております」


「拙僧も『臭水』の名は知っておりますが、それは越後国での話ではございませぬか? 遠江でそれが出るとは聞いた事がありませぬな。きっと何かの間違いかと」


「あくまでも旅の者の風の噂ですから、その可能性は十分に考えられます。ですが、そうだとしても今の当家には必要な物ですので、今川家の許しを得てでも採掘調査をさせて頂ければと考えております。勿論出ない場合は素直に諦めて越後国との交易を模索する予定です」


「そこまでして『臭水』を求める理由を伺っても良いでしょうか?」


「大きな理由は製鉄ですね。当家は造船に塩作り、製鉄等々と木材を必要とする産物を多数扱っております。幾ら土佐には木材が豊富にあると言っても、その数には限界があります。いずれ頭打ちとなりかねません。燃える水である『臭水』を燃料として確保できれば、木材の消費が抑えられます。そうなれば、より製鉄事業も拡大可能となるのです」


「ほぉ、製鉄とは良い話を聞きましたな。遠州細川家は産物製作に力を入れていると聞いておりましたが、製鉄にまで手を出しているのは初めて知りましたぞ。ううむ、これは悩み所ですな」


 なるほど。太原 崇孚が当家との商いを求めているのは間違いないようだ。製鉄の言葉を聞いた途端に眉がピクリと動いたのを確認する。東日本、それも太平洋側であれば鉄の入手に苦労しているだろうと考え、敢えて伝えたのが功を奏した。それが原油の利用目的となれば尚更であろう。


 勿論、俺の言い分が全て正しい訳ではないと理解した上での話だ。


 それでも俺の言葉を信用する事で、将来的には鉄が確実に手に入るというなら敢えて騙されるのも悪くない、そんな所だろう。前提とするのは当家との取引が駿河今川家にとって利があるか、ただその一点だと思われる。


「勿論余計な真似をするつもりはありません。今川家家臣の立ち合いの元、調査させて頂ければと考えております。全ての費用はこちらが負担しますし、出てきた臭水には対価を支払います。是非とも御検討頂けないでしょうか?」


「ようやく合点がいきましたぞ。今川の領内で他家の者が下手な行いをすれば、領内を荒らしに来たと思われてもおかしくはありませぬ。だからこそ今川家の管理の下で調査を行いたいと。そして、そのような特殊な事情を認めてもらうには御屋形様の関心を買わなければならない、そう言いたいのですな」


「まさにその通りです」


 どうやら結論が出たようだ。後は流れるように話が進む。俺の言葉に悪意は無いと考え見逃してくれたらしい。もしくは、鉄だけではなくどうしても当家から購入したい物があるか、そのどちらかだろう。どちらにしろこれでこちらの要望が通った。


 次は向こうからどんな無茶な条件を突き付けてくるか。手加減してくれる事を祈るばかりである。


「しかも対価として弓胎弓を販売して頂けると。燃料を得るだけではなく、利益まで得ようとする細川様の深いお考えには拙僧も感服致しました。さすがは商いで財を成したと言われる遠州細川家ですな」


「……いえ、弓胎弓の販売までは考えていないのですが」


「それはどういった意味でしょうか? あの弓があれば駿河今川家はより強力となります。それを見越して献上されたのではないのですかな?」


「意味はその通りです。違いは販売目的ではない事ですよ。どうぞあの弓胎弓を分解して複製してください。それが採掘許可を頂く対価と考えています」


「……まさか、誠にそうお考えなのですか? それはどういった理由ですかな?」


「今川領でも弓製作を生業としている者もいるでしょう。その者に命じれば良いだけではないでしょうか。理由しては当家の臭水獲得への本気度の高さとお考えください」


「細川様からそこまで言われては、何も言えませぬな。分かりました。拙僧が責任を持って御屋形様に話を通しておきます。ですが、改めて弓胎弓は当家に販売くだされ。細川様より複製しても良いと言われてもそう簡単に複製できませぬし、仮に複製できたとして数は揃えられませぬので」


「……それは少し意外ですね。分かりました。それでは駿河今川家との友好のためにも、価格を抑えてお売り致しましょう」


 そういう事か。先ほど言った馬騰云々の話もここに繋がるのだと理解する。今回の太原 崇孚の目的は改良型弓胎弓の購入が主な目的なのだろう。


 考えてみれば新兵器をみすみす他家に売るような馬鹿はいない。それが巡り巡って敵対勢力に渡る可能性が十分に考えられるからだ。そうならないように自分達で独占するのが通常であろう。そこから考えれば、太原 崇孚の言い分は無理難題も良い所だ。


 しかし現状の遠州細川家においては、既に上位互換の新土佐弓がある。これもあって、俺は好きに複製しても良いと言った。


 ただここで盲点が一つある。他家には新兵器が手に入ったからと、それを簡単に大量生産に回す体制が無いという現実だ。素材の獲得、設備投資、人材の育成等々、生産以前に乗り越えなければならない壁が幾つもある。特にそれを民間に発注するとなれば、資金も含めて簡単に用意できる所はかなり少ない。


 しかも下手に発注を止めると兵器の領外への流出の危険まである。そうなれば、買った方が早いと判断するのも頷ける。駿河国は焼津やいずが弓の生産が盛んだと聞いていたが、規模は思ったより大きくはないといった所か。


 改良型弓胎弓は元々が販売に回そうと考えていた商品だ。そうなれば、こちらとしては渡りに船の提案とも言える。


「それは喜ばしいですな。細かい所は後で友野屋とお決めくだされ。後は……捕鯨船でしたかな。これも販売して頂ければと考えております」


「……そこに目を付けられますか。さすがは太原 崇孚様としか言いようがありません」


「細川様は何か勘違いされているようですが、拙僧は駿河今川家が今より力を持つために捕鯨を活用するだけですな」


「そういう事にしておきましょう」


 しかも捕鯨船は納品に時間が掛かっても良いとまで言われる。先に海部家からの発注を受けているので、実際に渡せるのは最低でも一年は必要な状況だ。それを平気で笑い飛ばすのだから、これは断れない。


 弓の購入を持ち掛けた上で捕鯨船まで欲しがる。これを軍事目的と言わず何目的と言うのか。何となく目を見るが、そこに笑みが浮かんでいなかった。


 だが、これも狐と狸の化かし合い。俺も俺で軍事目的で臭水を手に入れようとしているのだから、お互い様である。太原 崇孚は俺の嘘を見逃したからこそ、こうして踏み込んできたと考えた方が良い。


 ある意味、俺達は似た者同士なのだろう。


 ふと二人の目が合った瞬間に笑い合う。最初に言った通り、商いを通じた信頼関係が転じて軍事的な繋がりへと変化する。全てが既定路線だったかのような鮮やかな手並みとしか言いようがない。


 今日のこの会談が、茶の技術者派遣を切っ掛けとしたものだったとはとても考えられなかった。

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