閑話:石灰同盟

 天文一七年 (一五四八年) 一一月下旬 土佐国粟井城 畑山 元明


「何ゆえ、何ゆえ儂はこのような場所で留め置かれておるのだ。本来であれば儂こそが蓮池城に一番に入り、敵を迎え撃つ備えをしておる筈。だと言うのに国虎様は新参を抜擢された。一体何を考えておられるのか!」


 此度も国虎様は冴えた策を披露された。よもや三好からの使者を利用して、須崎港と総州畠山家の二つを同時に攻略するなど誰が考えつこうか。儂は小さき頃より見ておるが、国虎様以上の主君は絶対にいないと確信しておる。だからこそ常にお支えせねばならぬと忠義を尽くしてきたというのに、このような仕打ちを受けるとは。


「止むを得ませぬ。此度の蓮池城の戦は勝ってはならぬ戦。国虎様も申しておったではないですか。畑山様が加われば勝ってしまうので目的が達せられないと。国虎様は決して畑山様を侮っている訳ではありませぬぞ」


「分かっておる。国虎様のお考えは儂も分かっておるが、だからと言ってお役目も与えられず、この粟井城で何もしない日々が続くのが我慢ならぬのだ。現状は三好と停戦しておるのだぞ。儂がここにいる理由は無いであろう」


「その通りではありますが、この地は元々豊永とよなが家が治めていた土地。彼の家は北の阿波大西家と結託して度々土佐国内を荒らし回っており申した。手引きしていた豊永家は現在では本山家の家臣として働いておりますが、阿波大西家は今も健在です。この前例があればこそ、大事な戦の前に万が一があってはならぬという国虎様の考えは間違っていないと思われます」


「本山 茂定殿も心配性よな。確かに粟井城や本山城周辺は大規模な開発を行い、食うに困らなくなったし発展は続いておる。その対価が北からの賊というのも重々承知だ。だが所詮は賊ぞ」


「国虎様も申しておりますが、その賊の何割かは確実に阿波大西家の手の者です。ここで隙は見せられませぬ。何より某はここまで豊かになったこの地や本山の地を絶対に賊に荒らさせたくはありませぬので、国虎様のお考えには賛同しております」


「本山 梅慶殿の弟なればこの地を大事にするのも当然か。だがそうは言うがな、国虎様が手配してくれた大筒や火器の類はこれまでほぼ使われておらぬ。その程度の敵が相手では歯ごたえすら無い」


 「賊と言えども侮ってはならぬ」 国虎様の考えはこの一言に尽きる。阿波大西家の姑息さが原因なだけに、隙を見せれば戦に発展する可能性を常に警戒せねばならない。そうであるならば停戦の取り決めは素直に守らぬと考えた方が良いであろう。儂でなければこの地を任せられぬと判断した国虎様のお考えは痛いほど分かる。


 しかし、しかしだ。頭では理解できても、国虎様が大戦おおいくさをされようとしている時に、ただ指を咥えて見ているだけというのは我慢ならぬ。臣下としては何かお役に立ちたいと思うのが当然だ。何か良い策はないものか。


「畑山様、お気持ちは分かりますが此度はこの地の守りに徹するのが肝要かと。土佐一条家が攪乱のために、阿波大西家を焚き付ける可能性も考慮すべきです」


「むむむ……やはりそれしかないのであろうか……」


 確かに可能性は十分にある。蓮池城が重要拠点であるなら、ただの力攻めで落とすような真似はすまい。搦め手を使い、兵の分散を図るのは兵法としても常道と言える。これでは益々儂がこの地から離れられぬではないか。


「全てはご家中が国虎様の策に集中するためとお考えくださ……ん? どうした?」


「申し上げます! 馬路党隊長の馬路 長正様が面会を希望しておりま……っと、とと。馬路様! 控室で待って頂くようお願いしましたのに、何ゆえここにいるのですか!?」


「固い事言うなって。畑山様とは旧知の仲だ。この程度で怒ったりはしないよ」


「長正、何をしにこの地に来た! 馬路党は須崎港攻略組だろうに。遊んでいる暇は無いぞ。早う戻れ!」


「押忍! 畑山様、此度は悪巧みへのお誘いに参りました! 何となくそうだろうとは思っておりましたが、やはり不満を溜め込んでおるご様子。大事な戦を前にお役目とは言え、参戦できぬというのは辛いものがあるかと。悪巧みと言ってもそう大それたものではありませぬ。須崎港攻略のついでに姫野々城やその周辺を平らげてしまおうというものです。その程度でございますれば、是非承諾頂きたく存じます」


「長正、儂はお主等のように戦狂いではない。……ただ、此度は思う所がある。詳しく話せ」


 気持ちとは裏腹にこの粟井城を死守する重要さを理解し、此度は諦めるより他ないと思い始めた所で、まさかこのような出来事が起こるとは。これぞ儂の待ち望んだ言葉である。願いが神仏に通じたやもしれぬ。


 しかしながら、この話を持ち込んだのが馬路 長正というのが頂けない。平気で「悪巧み」とまで言う程だ。例えそれがどんなに待ち望んだ言葉であろうと、この話に乗れば間違いなく国虎様に迷惑を掛けてしまう。遠州細川家の重臣としてきつく叱らねばならぬであろう。


 だが重臣である以上は、叱るだけで良いものではない。しかと家臣達の話には耳を傾け、どこが間違っているかを教え導くのも務めである。


 そう、教え導くのだ。家臣の力を伸ばすのも重臣である儂は常に心掛けねばならない。


 事実、長正より話を聞くと、此度の須崎港攻めには妙な点があったのだとか。周辺の攻略は一切命じていないどころか、禁止もしていないのだという。


 この点に於いては、海部家との合同作戦が関係していると長正は見ている。新参ゆえに無理をさせたくないのだろうと。


 なるほど。確かにその通りだ。港の占拠が第一目標というのに、無理をさせて壊滅してしまえば港の維持ができない。


「いや待て。長正の疑問は理解したが、此度は馬路党を遊撃として、蓮池城攻めをしておる津野軍が退かなかった場合の戦力にするべく含みを持たせているのではないか? その際は挟み撃ちをさせようと考えているのであろう。下手に指示を出してしまえば臨機応変に対応できない。国虎様ならそう考えても不思議ではないと思うが」


「押忍! 畑山様、そこが悪巧みの肝となります。先に我等が津野家本拠地である姫野々城を落としてしまえば、敵は退かざるを得ませぬ。上手くすれば降伏にまで持ち込めます」


「なるほど。長正は姫野々城の攻略によって挟み撃ちと同じ効果を得ようと言うのだな。それも、積極的に戦の主導権を得ようという考えか。しかも海部家には無理をさせず、港の占拠に集中させて最悪の場合の備えとする。それ故、姫野々城の攻略には儂と粟井城の兵も動員しようと」


 国虎様は須崎港の陥落で敵は退却すると見ているが、実は儂もこの点は少し心許ないと考えていた部分ではある。最悪、敵が自暴自棄になって力攻めを選択しかねない。


 だが、姫野々城を失えば敵は帰るべき本拠地を無くし、兵糧の供給を絶たれる。一度畦田あぜた城や戸波城へと戻り態勢を立て直せばならぬでだろう。土佐一条家に使いを出して兵糧の援助を請う必要が生じるからだ。これで完全にこちらは津野家を追い詰められる。兵糧の確保が難しいとなれば、遠州細川家に降るという選択も見えてくるというもの。


 悪巧みと言いながら、なかなか面白い。津野軍の兵糧に着目した策だ。しかも姫野々城の攻略というのが尚良い。


「押忍! 更に姫野々城の攻略をすれば、家中にも新参との力の違いも見せつけられるかと。また、これを機会に更なる領土拡大にも繋がります!」


「長正、そうした抜け駆けは国虎様の嫌う所だ。また叱られるぞ。だが此度の悪巧みは悪くない。儂は以前に、姫野々城からそう遠くない地に石灰が採れる場所があると岡林殿より教わっておる。なら、大事な資源の確保に動くのは臣下として当然の役割と言えよう。良いか、あくまでも資源確保が目的だ。仕方なく此度だけはその悪巧みに乗ってやる」


「押忍! 石灰の話は初めて聞きましたが、さすがは畑山様! 我等はあくまで臣下としての役割を果たせば良いだけですな」


「ふっ……そういう訳だ」


「畑山様、某は初めて聞きましたが、その石灰というのは今の我等には必要な物なのでしょうか?」


「本山殿か。恥ずかしい話ではあるが、石灰の具体的な役割は儂もよう分かっておらぬ。ただ、国虎様や岡林殿は金銀よりも重要だと言っておるので、今の土佐には欠かせぬ物なのであろう。阿波国では試験採掘を始めたばかりではあるが、まだ量は少ないらしいからな。土佐でも取れるとならば、この機会を見逃す手はない」


「何と! 金銀よりも重要と! よもやそのような物が姫野々城の近くに眠っておるとは……」


 こうして話は意外な方向に転がっていく。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「ただ幾つか問題がある。儂がこの地を一時的にでも離れる事によって、阿波大西家という賊に荒らされないようにしなければならぬ点と、姫野々城や周辺の城を落とすにしても少ない兵力でどのように攻略するかだ」


 粟井城に詰めている兵が四〇〇として、動かせるのはその内の二〇〇が限度となる。馬路党は増員はしておるものの、実働可能なのは未だ四〇〇にも届かん。合計すれば何とか五〇〇を超えるという数だ。これで城を攻めれば、寄せ手側の方が全滅しかねない。必勝の策が必要と言えよう。


「押忍! 畑山様、此度馬路党が粟井城に参ったのは城攻略の秘策を求めてです! 粟井城には対三好戦を想定して大筒が置かれております。これを使って城を落とすつもりです」


「何っ! 大筒を使って攻略すると! そのような勝手な振る舞いは承諾できぬ。謀反の温床となる」


「押忍! 問題はありませぬ。あくまでも名分は大筒の動作確認です。それを偶然姫野々城や他の城の前で行うだけです。もし、三好との戦の際に大筒が使えなければ困るのではないですか? そうならぬように正しく作動するかを見るのは、城を預かる畑山様の大事なお役目です」


「ふっ、ははは……上手い事言いおって。確かに大筒の動作確認は必要だな。三好相手に使えないのは困る。分かった。此度に限り許可しよう」


 どこで知恵を付けてくるのか分からぬが、馬路 長正は年々こうした言い訳が巧みになっておる。まさか動作確認の名目で大筒を持ち出そうとしておったとは儂も思わなんだ。


 長正の言う通り、この粟井城に備えておる大筒はほぼ使っていない。使用したのはどの程度の威力があるかを確認した一度だけだ。それも一〇門ある内のたった一門だけである。ほぼ新品状態で埃を被ったまま放置されている。


 火薬自体は使用期限があるとかで、ある程度古くなれば焙烙玉にして賊退治に使用していたのがまだ救いやもしれぬ。


 よくぞこの状況を知っていたものだと、此度は完全に儂の負けだ。不本意ではあるがな。


「なら、もう一点だ。阿波大西家への対策はどうするのだ?」 


「そ、それは……」


 とは言え、この辺が長正の限界のようだ。儂としては傭兵を手配するくらいの根回しをしておいて欲しかったが、この素振りではそこまでは考えていなかったように見受けられる。攻めしか考えていない馬路党らしいと言えばそうだが、大きな視野がまだ持てぬのが弱点ではあるな。


 しかしながら、既に動き出した悪巧みだ。最早止められはしない。日数は掛かるだろうが、ここは杉谷殿に繋ぎを取って傭兵の手配をするべきか。そのように考えていた所で、本山 茂定殿が突然大声を上げて会話に割って入ってくる。


「畑山様! それに付いては腹案がございます!!」


「どうしたのだ一体? 本山殿は国虎様のお考えに賛成ではなかったのか?」


「金銀よりも重要な資源が手に入ると言うなら話は別です! 是非某並びに本山の民達に協力をさせてくだされ!! 此度は一時的に民から兵を募ります。本山の民は常より国虎様に恩返しをしたいと考えておりますれば、兵の確保は容易き事かと」


「民から兵を募るというのか……一時的とは言え、それでは民の生活を圧迫するであろう。本当にそれで良いのか?」


「むしろ願ってもない機会です。間違いなく皆がこぞって参加致しますので、是非とも本山の民の気持ちを汲んでやってくだされ。それに本山の民は強者揃いでしてな。賊など軽く捻り潰しましょうぞ。中には姫野々城攻略に参加したいと申す民もいると思われます。畑山様にはその者達を率いてくださるようお願い致す。某はこの地で賊退治に専念致します」


「なるほどのう……こうなれば儂は民の願いを聞き入れねばならぬようだな。民達が国虎様を助けたいというなら、我等に否やは無い。そうであろう長正?」


「押忍! 民の願いを聞くのは武家の務めでもあります!」


「分かった。なら馬路党は大筒を運べ。弾と火薬を忘れるなよ。儂は兵を率いて後から追いかける。合流は浦戸港で良いのか?」


「押忍! 浦戸に海部様が水軍を率いて参る段取りとなっております。話は通しておきますので、安心くだされ」


 まさに石灰が繋いだ縁と言うべきか。バラバラであった三人の心があっさりと一致団結したのは驚きでしかない。これまでこの地を守る事を大事としていた本山 茂定殿でさえ、気付けば真逆の立場となっていた。


 しかも本山の民達までをも巻き込むと言うのだから、恐れ入る。自信溢れる本山殿の顔はさっきまでとは別人と言えた。


 ありがたい事にこの本山殿の配慮は儂にとっては追い風となる。国虎様は民に甘いお方だ。抜け駆けには丁度良い言い訳となるであろう。


 そうなれば、後は是が非でもこの期待に応えるしかない。我等が津野家を壊滅に追い込んでくれよう。


 絶対に失敗のできないある意味無謀な戦と言えるが、今の儂は何故か勝ち以外の未来が見えなかった。


 それもこれも「石灰同盟」とも言える強い絆のお陰であろう。

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