閑話:三好 政長の罪と罰

 天文一七年 (一五四八年) 摂津国越水城内 石成 友通


 池田 信正殿へ沙汰が下されてより摂津国には激しい動揺が襲い掛かっている。


 幾ら先の戦で細川京兆家に反旗を翻したとは言え、当主の切腹まで命じるのはやり過ぎだ。出家や隠居といったもう少し穏便な形で決着ができなかったものか。これでは京兆家内に新たな波紋を投じたのと何ら変わりない。


 何故なら、この切腹を京兆家当主 細川 晴元様に提案したのが、側近の三好 宗三みよしそうざ (三好 政長の現在の名)殿だとまことしやかに囁かれているからである。それも悪意を込めて。


 無論確証は無い。しかし、一度は罪を許した摂津池田家へ一転して厳しい沙汰を下す理由があるとするなら、三好 宗三殿の面子以外は心当たりが無いというものだ。黄泉の国へと旅立った先代摂津池田家当主の池田 信正殿は三好 宗三殿の娘婿であるが故、京兆家内では三好 宗三殿の監督責任が追求された過去がある。きっと自らに恥を掻かせた娘婿を許せなかったのだろうと。


 とは言え此度の沙汰に連座して、義理の父である三好 宗三殿にも何らかのお咎めがあったならまだ皆も納得する。摂津池田家の謀反を重く受け止めたのだと周囲も理解しよう。


 だが実際はどうだ。


 三好 宗三殿に罰は何も与えられない。そればかりか三好 宗三殿の外孫である池田 長正いけだながまさ殿を新たな摂津池田家の当主に据えた上で、自らの息の掛かった家臣を通じて摂津池田家内に干渉し始めたというではないか。まるで摂津池田家は我が物かのような振る舞いである。


 これでは三好 宗三殿の権勢に勢いが付くだけだ。功労者である三好宗家への扱いとは大きく異なる。


 何のために今から五年前の天文一一年 (一五四三年)に出家して政長から宗三へと名を変えたのか? 榎並えなみ三好家の家督は嫡男の政勝まさかつ殿に譲ったのではないのか? 出家隠居は細川京兆家を壟断するための手段にしか見えない。


 これが許されるようでは、次はいつ自分達が三好 宗三殿に目を付けられて破滅の憂き目に合うか分からない。いやそれ以前に、我等は京兆家当主 細川 晴元様の命には従わなければならないが、三好 宗三殿の命に従う理由は無いという前提が忘れ去られているようにすら感じる。


 それ故であろう、渦中の摂津池田家の御家来衆が三好宗家に助けを求める事態にまで発展した。


 ──このままでは摂津池田家が三好 宗三殿に乗っ取られてしまうと。


 その証拠に三好 宗三殿は摂津池田家の財産を一部、管理名目で差し押さえる。こうしてしまえば兵を集められず、邪な感情を抱く事もないという配慮なのだとか。実際は単なる横領だというのに呆れ返る言い草である。


 それは三好宗家の家中も同じ思いであった。皆が騒然とし、その日を境に越水城では毎日のように舌戦が繰り広げられるようになる。


「だからこれまで何度も言っておろう。『憎き宗三を討つ』これ以外の方法はあるまい!」


「何度でも同じ事を言わせて頂きます。そんな事をすれば京兆家への謀反人として三好宗家が処罰されます。それこそ本末転倒というものです。三好宗家を断絶させるおつもりですか?」


「ならあ奴をこのままのさばらせておくつもりか。君側の奸を排除するのは譜代家臣としての大事なお役目ぞ」


「そうは言っておりませぬ。長逸様は急いておられます。まずは京兆家家中に根回しをして、少しずつ範長様のお味方を増やしていくのが今やるべき事です」


「松永の策では時が掛かり過ぎる。こちらが根回しをしている最中に摂津池田家が完全に宗三の傀儡になってしまえば、取り返しが付かぬのだぞ。分かっていないのはお主の方だ」


「そうなれば範長様の義理の父である遊佐 長教殿と協力して宗三殿を討ち果たせば良いではないですか。一時的に氏綱派に転向するのです。これは大休寺様 (室町幕府初代将軍足利 尊氏の弟である 足利 直義あしかがただよしの法号)が君側の奸であった高 師直こうのもろなお師泰もろやす兄弟を排除するのに使われた策と何ら変わりませぬ。事を成した後は細川 晴元様に頭を下げて京兆家に戻れば良いのです。宗三殿がいなくなった細川京兆家では範長様以外に頼れる者はおりませぬので、これまで以上に重用されるのが必定かと」


「氏綱派に転向などというそんな恥知らずな真似ができるか」


「遠州細川の当主に何を言われようと使える物を使わなければ、三好宗家を危うくしてしまうと何故分かってくれぬのですか」


「…………止めよ二人共」


 急進派である三好 長逸 (当時の名は三好 長縁。本作は三好 長逸で統一)様と穏健派である松永 久秀様は互いに譲らない。二人共が「三好 宗三殿の失脚」という同じ目的地だというのに、そのやり方の違いで顔を合わせる度このようになっていた。


 それを三好宗家御当主の三好 範長様が言い争いを預かるという所までが一連の流れである。


「摂津池田家への対応を決める前に三好宗家の今後の方針を決めてからだと考えていたが、これでは結論が出そうにないな。大まかな方針は二人共同じなのだから、先に摂津池田家をどうするか決めておくか。長逸はどう考えておる?」


「はっ。厳しいようですが、今の三好宗家に摂津池田家に介入する余裕はありませぬ。宗三殿の武力排除に集中するためにもそのままで良いと考えております。どの道宗三派の家臣が池田家中で専横しようにもすぐにという訳ではございませぬ。時間的に猶予があります。その隙に宗三殿という本陣を落としてしまえば全てが解決すると考えておりまする」


「長逸様お待ちくだされ。宗三殿ならその動きはお見通しではないでしょうか? 逆手に取って摂津池田家には『三好宗家は見捨てた』と吹き込む可能性がございます。そのような事態を防ぐためにも、まずは摂津池田家から宗三派を一掃させるべきかと。責任は三好宗家が持つとして、摂津池田家をお味方に引き込むのが先決です」


「松永、それでは遅いと何度も言っておろう。摂津池田家だけを味方にしても勝てぬのだ。それをすれば今度は細川 晴元様の名を使って摂津各所に圧力を掛けてくるのが目に見えておる。三好宗家の立場を悪くするだけになるのが何故分からぬ」


 そうしてまた二人の言い争いが再開する。


 どちらの考えにも利があり難点があった。結果として方針が決まらない。下手をすれば三好宗家の滅亡へと発展しかねない危うさゆえに慎重になるのは当然とも言えるが、ここで手をこまねいてはいられない。今の内にどうにかしなければならないという焦りがこの場に漂っていた。


「……大丈夫ですか範長様? お顔が優れませんが」


「ああ、大事無い。……いや待て、良い機会だ。このままでは儂も決断が難しい。参考程度に友通の考えをここで披露してくれぬか? 無理に良い考えを出そうとしなくとも良い。友通ならどうするかを皆に話して欲しい」


「私のような新参がここでお話させて頂いて宜しいのですか……」


 藁にも縋る思いというのはこういう時を言うのかもしれない。日々やつれていく三好 範長様にお声掛けした所、まさかのお役目が回ってきた。どちらの意見にも今ひとつ納得ができず、決めるに決められない思いがこの発言に繋がったのだと思われる。


 改めて場を見渡すと、皆が私に注目している。新参者がしゃしゃり出るなという雰囲気など一切無い。誰でも良いからこの出口の見えない議論に一石を投じて欲しいと思っているかのように見えた。


 それは松永 久秀様や三好 長逸様も同じくである。まるでこの平行線の議論を私の意見で終わらせて欲しいかのような目をしていた。

 

「では僭越ですが……」 


 此度の摂津池田家の事件は切っ掛けこそ違うものの、天文八年 (一五三九年)に三好 連盛みよしつらもり様 (三好 長慶の後見人)が兵を率いて京に入った事件と似ている。


 その切っ掛けとなったのもやはり三好 宗三殿であった。当時京の都を治めていた高畠 長信たかばたけながのぶ様や柳本 元俊やなぎもともととし様 (柳本家の当主代理。柳本 賢治の子供ではない)を宗三殿が追放して、自らが下山城守護代として専横を始める。追放された二人は、摂津国の領主も味方するので一緒に宗三殿を打倒して欲しいと三好 範長様に頼み込んだという。


 だがこの事件は小競り合いこそ発生したものの大規模な戦とならず和睦が結ばれる。その立役者が前公方である足利 義晴様であった。攝津国の領主に働きかけを行ない、木沢 長正様に仲介をさせ争いを未然に防ぐ。その後、三好 範長様は越水城を手にし、後見人である三好 連盛様は失脚する。


 ここで気付くのは、もし三好 宗三殿を打倒しようとするならば前回とは違い、和睦の斡旋者がいないという点だ。足利 義晴様は先の舎利寺の戦いで細川 晴元様の管理下に入ったために独自の動きは不可能である。更には細川京兆家内で中立的な立場を取っていた木沢 長正様は既に太平寺の戦いで討ち死にをしている。


 つまり事を起こせば、決着が付くまで止まらない。細川 晴元様は三好 宗三殿がお気に入り故、三好宗家にまず味方はしない。丹波波多野家も同様だろう。三好宗家との縁は切れたのだ。和睦の仲介は期待できない。同じく近江六角家も舎利寺の戦いでの経緯から考えれば三好宗家に肩入れはしないと言える。


 そうなるなら……


「長逸様、念のためにお聞き致しますが、例えば縁組などをして宗三殿と和睦するという選択肢はあり得ませんか?」


「お主は新参だから分からぬであろうが、それだけはあり得ぬ。何故なら、宗三殿は三好の分家の出だからだ。宗家が分家の風下に立つというのは起きてはならない。それにあ奴は三好宗家先代である三好 元長様が自害された後にその財産を横領した。直属の家臣も幾人か強引に傘下に組み込む真似もした。そして最も許せぬのが、あ奴は大永七年 (一五二七年)に起こった桂川合戦の前までは高国派に属しておったのだ。この意味が分かるか? 三好 宗三は三好宗家に弓を引いた逆賊でありながら、形勢が不利と見るやあっさりとこちら側に寝返り、あまつさえ譜代である三好宗家を顎で使うのだ。このような理不尽が許される筈がない」


 三好宗家は細川 晴元様の父上である細川 澄元ほそかわすみもと様の代から仕える譜代家臣である。序列は最も上でなければならない。だと言うのに現状では常に新参の三好 宗三殿の下となる。それがまだ細川 晴元様に見出され抜擢されたとなればまだ救いもあろう。だが実際には、三好宗家に一度は敵対した人物だった。三好 範長様をこの屈辱にこれ以上晒し続ける訳にいかないというのが家中の統一意見となる。


 この因縁はどちらかの死でしか終わらせられない、そのような気がした。


「ありがとうございます。考えが纏まりました。……範長様、様々に熟慮致しましたが、事を起こすならお覚悟を決めなければならないかと考えまする。和睦を仲介する勢力が出てこないのがその理由です」


「……続きを申せ」


「天文八年の時も細川 晴元様は三好 宗三殿を擁護されました。此度も同じくとなるのが必定です。しかし天文八年の時と違い、此度は公方様を頼れないばかりか、中立となる派閥が存在しません。結果、ご主君である細川 晴元様との敵対にまで発展する可能性が大いにあります」


「そうならぬよう、援軍が到着する前にあ奴を討ち取れば良いではないか!」


「止めよ。まずは最後まで聞こうではないか。友通、続きを申せ」


「かしこまりました。事ここに至っては挙兵しての武力討伐以外の道は無いかと考えます。失脚させる手立てなど見当たりませぬので。ですが、安易に挙兵すれば勝てるとは言いません。宗三殿の榎並城は堅城ゆえ落とせぬ場合を考慮すべきです。そうなればお味方が必要ですが、摂津国の領主はいつ裏切るやも分からぬ者ばかりです。個別に根回しするよりは書状を一斉に送り、決起を促す程度で良いかと思われます」


「確かにその通りだ」


「ただ、これだけではお味方が少な過ぎます。相手は最終的に近江六角家も動員すると想定された方が良いかと。ですので、こちらは遊佐 長教様をお味方に引き込みます」


「それは氏綱派に転向しろという意味か?」


「はっ。最早手段を選んでいられませぬ。宗三殿の打倒を最優先と考えました。とは言え、これだけでは確実に勝てるとは申せませぬ。四国からの兵が動員できれば良いのですが、現状は難しいでしょう。そのため、次善の策を提案します」


「次善の策というのは何だ?」


「遠州細川家に兵を出してもらうのです。これで我等の勝ちは間違いないかと。私が現地に赴き、説得をしてまいります」


 松永様の仰る通り、本気で宗三殿を倒すつもりなら氏綱派へ転向するしかない。だが三好 長逸様の仰る通り、松永様の案では遅過ぎる。間違いなくこちらが根回しをしている最中に、相手がそれを上回る動きを見せるだろう。私が宗三殿の立場なら、これを良い口実として三好宗家に圧力を掛ける。


 それ故、時間の掛かる根回しはせずに決起を促す書状を晴元様の側近達や摂津国中にばら撒く。それと同時に摂津池田家からは宗三派の家臣を放逐させ、代わりに三好宗家に好意的な人物を送り込む。池田家中への介入はさせるつもりはないが、それでも此度は摂津池田家から持ち込んだ相談だ。兵を挙げるとなった時に臆病風に吹かれては困る。必ずこちら側に引き込まなければならない。


 後はどれだけお味方を増やせるかだ。遊佐様は舎利寺の戦いから範長様と水面下のやり取りを行っていた形跡がある。これは以前より範長様への氏綱派転向への誘いを掛けていたと見るべきだろう。なら、氏綱派に転向するとなれば兵を出してくれるのはほぼ確実と言える。


 そして最後が遠州細川家への援軍の依頼。これが実現すれば勝ちは揺るがない。当主の国虎には因縁があるが、むしろ私ならその因縁を逆手に取る事も可能であろう。そこがこの提案へと繋がった。


 しかし場を見渡せば、皆が静まり返っている。それ程私が出した提案は意外だったのであろうか? 


 そんな私の疑問に答えるように範長様が溜息混じりに呟く。


「…………友通、それだけは無理だ」


「な、何ゆえですか?」


「つい先日、そこの長逸が遠州細川家当主を怒らせたばかりだからな」

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