舎利寺の戦いへの道

 現代人なら生活に欠かせないタオルの起源は意外に新しい。一般的には一八一一年のフランスで考案されたと言われている。しかし、その量産化に弾みをつけたのは日本人であるとの事。何でも横糸と共に篠竹を打ち込み、完成後にその篠竹を引き抜けばパイル生地になる手法を生み出したのだという。


 パイルというのは糸が浮き出た状態の生地を指す。悪い言い方をすれば、正しく糸が張れていない状態だ。要はその不完全な形を意図的に作り出している。そう考えれば、予め抵抗となる物を組み込めば、容易にそれが再現可能だと発想できる者がいてもおかしくはない。前世で何となくタオルの作り方を調べていた時、発想一つで新技術はできるのだと感心させられたのを思い出す。俺には真似できそうにないが。


 また、この原理が分かれば、何故タオルの吸水性が高いかは簡単に説明がつく。単純に手拭いよりも生地の表面積が大きいのだ。分かってみると答えは呆気ない。


「そういった訳で、タオルは織り出しが全てだからな。慣れない作業だとは思うが、原理自体は簡単だ。機織が得意な者と一緒にすればそう難しくはないと思うぞ。焦らなくて良いから、ゆっくりやってくれ」


「ねぇ国虎。それなら、おみつさんと一緒にしても良い? おみつさんは奈半利で機織の仕事をしていたそうよ」


「それは構わないんだが……何だか手品の種明かしをしているような感覚だな。自分が織ったタオルをもらって嬉しいものなのだろうか? それに子供を産んだばかりなんだから、ゆっくりした方が良いと思うんだが……」


「大丈夫じゃない。完成品第一号を手にする訳だから、名誉だと受け取るんじゃないかな。作業も最初は少しの時間から始めるつもりだから。それに国虎も言ってたじゃない。『何か仕事が無いと居心地が悪いだろうし』って。無理はさせないから安心して」


 和葉からおみつさんを誘うと聞いた時は「何とブラックな」と思ったりもしたが、よくよく聞けば子守の気分転換を兼ねてだそうだ。一日中子供の面倒を見ていると気が滅入ってしまうらしく、何か別の事をして気を紛らわせた方が良いのだとか。


 それに、そもそもがタオル作りを和葉とおみつさんの二人でするとは一言も言っていないと、説明を受ける。どうやら和葉の侍女達も巻き込んだ五人程での開発を考えているらしく、その中におみつさんを加えるつもりだとか。早とちりをした俺が馬鹿だったようだ。


 そうと決まればタオル作りの方法を箇条書きして渡しておく。後は試行錯誤しながらのんびりと完成に漕ぎつけてもらえばと思っている。領内での綿花製造も少しずつ量を増やしているので、素材確保に困るような事態にはならない筈だ。


 これから夏がより過ごし易くなるのかと思うと、今から完成が楽しみである。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 畿内では順調に晴元派の巻き返しが進んでいる。二月下旬には摂津国における氏綱派の城が二つ陥落した。


 だというのに、翌月の三月末には足利 義晴・義藤親子が近江国を出て山城国愛宕郡やましろこくあいこうぐん将軍山しょうぐんやま城へと入り、氏綱派を支持すると旗幟を鮮明にする。正式に細川 晴元へ敵対する形となった。


 何故こんな時期に敵対するのか? このまま行けば晴元派が戦局をひっくり返すのは目に見えているというのに。それが分からない公方陣営はボンクラ揃いなのかと思ったりもしたが、これには事情があった。


 何とこれまで阿波国で飼い殺しにしていた、もう一人の公方候補である足利 義維あしかがよしつな (この当時は改名して義冬と名乗っているが一般的な義維で統一)を細川 晴元が擁立するという暴挙に打って出たというのだ。これまで二人三脚で政権を運営してきたのは何だったのかと問いかけたくなるような行動である。晴元の「晴」の字は、足利 義晴からの偏諱だというのを忘れたのかとさえ思ってしまった。


 ただ、よくよく考えてみれば、この時の晴元の気持ちが何となく見えてくる。武士という種族は面子を重要視するために、自分という存在を蔑ろにして加冠の儀で管領代を立てるという行為が許せなかったのだと思う。だからこその報復行為であり、甘い顔をしないという公方陣営へ対する強い意思の表れでもあった。


 ここで問題となるのが「管領代」に指名された六角 定頼の存在である。義晴・義藤親子が細川 晴元に敵対すれば、六角 定頼も同じく氏綱陣営へと鞍替えしてくれるという打算があった筈だ。そうでなければ「管領代」に指名をしたりはしないだろう。現状氏綱陣営は少しずつ追い詰められてはいるが、六角家が仲間入りすれば逆転の一手となる上、その功績を齎した義晴・義藤親子は氏綱陣営の中で強い発言権を得られると考えたのだろう。それは良く分かる。


 しかし、現実はそうはならない。何故なら、細川 晴元は六角 定頼の娘 (猶子ゆうし:養子と似ているが相続権が無い)を娶っており、六角家とは縁続きであるからだ。両者は大永七年 (一五二七年)の桂川かつらがわの戦い以来 (実際に婚姻したのは一五三七年。その間は畿内情勢が不安定なために延期されていた)の仲である。つまり晴元とは袂を分かつ理由がない。


 何が言いたいかというと、公方陣営が氏綱方に付こうと晴元派とのパワーバランスは何も変わらないという残念なお知らせである。例え六角家が積極的に氏綱派の討伐に動こうとしなくても、大領である六角家が晴元派のままでは、晴元派有利と見て風見鶏の中小の豪族は氏綱陣営に味方すると名乗り出なかったという話である。救いがあるとすれば、大義名分が氏綱方にも付く事であろうか? だからと言って、晴元派に反逆者という汚名は着せられない。これが足利 義維を擁立する理由の一つでもあった。


 目論見通りと言わんばかりに四月に入ると、晴元派の軍勢は早速足利 義晴・義藤親子が篭る将軍山城を攻撃し始める。ついでとばかりに周辺を焼き払い、慈照寺を破却するという脅しも行なった。命までを取るつもりはないが、相手を屈服させて自己の管理化に置きたいと考えた行動である。


 傍から見れば茶番のようにも感じるが、細川 晴元からすれば義晴・義藤親子にはまだまだ使い道があるという意味だと思われる。この示威的な行動は六角 定頼への配慮も含まれているのだろう。もし本気で攻撃すれば、六角 定頼が激怒して氏綱派に鞍替えする危険を孕んでいるからだ。


 そうなると可哀想なのが、当て馬として擁立された足利 義維その人である。用済みとなればまたも阿波国で飼い殺しされるのが目に見えているというのに、阿波国から動かない。いや、動けないと言うべきか。「畿内は危険だから」と家臣に止められたと想像する。辛うじて重臣を堺へ派遣する動きを見せるが、所詮はそれまで。無理にでも軍を率いて京の都に入れば、「義晴・義藤親子を殺せ」と号令する事も叶っただろうに惜しい事をしたものだ。但し、それをすると六角家を敵に回す覚悟が必要となるので、どの道公方になれるという保証は無い。


 さて置き、京で義晴・義藤親子が苦境に立たされているのを見て、六月には摂津国の芥川山あくたがわやま城と池田いけだ城が開城する。芥川山城の攻防には義父の細川 国慶殿も駆け付けたが、衆寡敵せずあっさりと惨敗した。


 この流れを見て義晴・義藤親子も心が折れてしまったのだろう。七月中旬には近江国へと逃亡する。これにて畿内の大半から氏綱派を駆逐した細川 晴元は、最後に残った氏綱派の中心人物である遊佐 長教殿を打倒するべく高屋たかや城へと進撃を開始した。


 蛇足ではあるが、実は京の高尾城では義父の国慶殿がまだ篭っている。しかし、兵が少数なので抑えだけを残して無視されていた。遊佐 長教殿との決戦が終わるまで黙ってそこで見ていろという意図であろう。これまで約一年ほど京支配を続けていたというのに、何と存在感の薄い事か。


「ふぅう。そして舎利寺しゃりじの戦いへと続く、という流れか。これはどう考えても氏綱派に勝ち目は無いな。四国からの援軍を見て勝てないと思ったのは分かるが、もう少し摂津衆は踏ん張れよ」


 誰が絵を描いたのかは分からないが、よくぞこれだけ遊佐殿の思惑を外して追い詰めたと手放しで褒めざるを得ない軍事行動だ。普通なら援軍が到着した時点で決戦に挑む所を、それを我慢して確実な勝ちへと導く。なかなかできるものではない。


 昨年の一一月に援軍が到着してからの約八ヶ月間、兵糧を切らす事なく脱落者も出ない。しっかりと遊佐軍を牽制して動きを封じながらの作戦だ。この用意周到さと鉄の統率が阿波三好軍の強さなのだろうと感心する。


 杉谷家からの報告書を読めば読むほど、これが身内同士で争って凋落した阿波三好家なのかと信じられなくなる。それだけ三好 長慶が優秀だったのだろう。


 そんな時、報告書を読み終わったのか馬路 長正からこんな質問が飛び出した。


「押忍国虎様、氏綱派からの援軍要請は来ていないのですか?」


「長正か。今回は無理だな。氏綱陣営に援軍の要請を出す余裕は無かった筈だ。報告書には書いてないが、これまでの間ずっと公方親子を味方に引き入れようと水面下で動いていたと思うぞ。多分、親子が鞍替えした時に六角家も一緒に味方になってくれると踏んでたんだろうな。けど当てが外れた。もし仮に援軍要請が来るとすれば、両陣営の決戦が終わった後だろうな。多分氏綱派が負けて篭城戦になるだろうから、その時に後背を突いて欲しいと言ってくるんじゃないか?」


「押忍……分かりました。それに向けて準備しておきます」


「そう悲しむな。俺達遠州細川家はぽっと出だからな。勘定に入れようがないと思うぞ。それか、既に元氏の隊を派遣してあるから、過剰な負担を掛けたくないという配慮かもな」


 氏綱派の初期の動きを見ると、必勝の構えで入念に準備していたのが良く分かる。誤算は六角家だけだったのだろう。これさえ上手くいっていれば氏綱派は勝っていた。


 ただ、今回は負けたとは言え、これまでの戦いを見ていると自暴自棄になって突撃を行い壊滅するというのは考え難い。損害の小さな負け方をするのではないかと思う。だからこそ、決戦の後に援軍要請が来る可能性が高い。後背を突くだけなら、大軍でなくとも役目は果たせるからだ。その時が俺達の出番だろう。これでも土佐の高国派だからな。協力するのもやぶさかではない。


「国虎様、もし仮にですが、援軍要請が来た場合は誰を派遣する予定でしょうか?」


「……相政、もしかして行きたいのか? 氏綱派とは言っているが、残りは実質遊佐軍だぞ。それを救援するのに抵抗はないのか?」


「何も思っていないとなれば嘘となりますが、それよりも畿内にまだ木沢家が健在であると知らしめたく思います。是非一手に加えてください」


 木沢 相政にとって遊佐 長教殿は親の仇である。それを考えると救援要請が来ても留守番にするつもりであったが……なるほど、そういう考えもあるのか。ならその思いを実現するのも上司の役割と言える。これは参加決定だ。


「分かった。次は俺自身が軍を率いる予定だ。戦場以外で大人しくできると約束できるなら連れて行ってやる。但し、救援要請が来なくても恨むなよ。それでも良ければ準備しておけ。後、その時は相政に任せている蒲庵古渓ほあんこけい……じゃなく今は安岡 虎頼やすおかとらよりだな。アイツも一緒に連れて行くから、初陣で死なないように教育を頼む」


「はっ。かしこまりました。感謝します」


 蒲庵古渓というのは以前朝倉 景高に招聘を依頼した一族の者である。出家して足利学校で修学していたが、まだ若いからか武家への未練が捨てきれずに今年土佐入りをしてくれた。そこで早速安岡家を継がせて安岡 虎頼やすおかとらよりと改名させる。当然、この「虎」の字は俺の偏諱だ。期待を込めて与えた。


 ただ、幾ら足利学校出のエリートとは言え、安岡 虎頼はここでは何の実績もない新人である。それでいきなり俺の直属部隊を任せるとなれば、他の家臣から良くは思われない。下手をするとイジメを受け、ここでの生活が苦になる可能性がある。故に対策をとった。それが、木沢 相政の教育係への任命である。実質的には後見と呼ぶ方が正しい。


 良いか悪いか分からないが、気が付けば木沢 相政は細川家中で馬路 長正と並ぶ武闘派の一翼を担う存在へと成長していた。そんな人物が背後にいるとなれば、表立って虎頼への嫌がらせは行なえなくなる。もし嫌がらせが発覚すれば、面目を潰された相政を怒らせるからだ。これにて身の安全を確保する。


 一つ問題があるとすれば、それと引き換えにして安岡 虎頼が相政のシゴキに耐えなければいけない事だろうか。


 とは言え、虎頼は軍を率いる立場である以上は体力の増強は必要である。俺がその辺をきちんと言い含めたというのもあるが、納得して肉体改造に取り組んでくれていた。毎日ボロボロになりながら。


 体育会系は意外と単純なもので、こうして根性を見せる者には素直に努力を認める傾向がある。流した汗の分、近い将来には皆も虎頼を認めるようになるだろう。


 足利学校関係者は他にも白鴎玄修はくおうげんしゅう玉仲宗琇ぎょくちゅうそうしゅうを筆頭とした数名が土佐へとやって来てくれた。これもたっぷりと寄付金を積んだ恩恵と言えよう。彼らには現在安田 益信の下で領内の統治を学んでもらっている。いずれはより専門性の高い場所に配属する予定だ。


「国虎様、是非儂も加えてくだされ。若い者にはまだまだ負けませんぞ」


「いや、梅慶は最初から参加決定だぞ。若い家臣の目付け役だがな。遠州細川は戦の経験が浅い家臣が多い。様々な心得を教えてやってくれ。元々の元凶は梅慶なんだから、責任はしっかり取れよ」


「かしこまっております」


 国境線を元明に任せた結果、遠州細川の家臣団は今や頼れるベテランが本山 梅慶のみとなっているという悲しい状況であった。本来なら教育係として杉原 石見守を転属させたい所だが、それをしてしまうと今度は木沢隊の戦力が落ちてしまうという危惧から動かせないでいた。こういう時、安岡 道清の討ち死にの影響が大きいと痛感するが、悔やんでも生き返りはしない。


 実は救援要請が来た場合に応える理由は、この家臣の経験不足の問題もあった。来るべき土佐一条家との戦いに向けて少しでも戦に慣らしておかなければ、思わぬ負けを喫する可能性すらあるからだ。刻々と変化する事態に対応するには最終的には経験が物を言う。


「忠澄、いつ援軍要請が来ても大丈夫なように食料や硝石や硫黄、武具等がしっかりと備蓄されているか確認しておいてくれ。足りない場合は手配を頼む。余らせるくらいで丁度良いからな。ギリギリで見積もるなよ」 


「かしこまりました」


「これまでの土佐での戦いと違って、次は遠征となる。皆が存分に戦えるように準備しておくから安心しろ。お前達は敵を倒す事だけ考えていれば良い」


『応ぅ!』


 畿内の争いには深入りする気はないが、今回ばかりはそうも言ってられない。例え相手が全盛期の阿波三好軍だとしても、背後から奇襲するだけなら何とかなるのではないかと思っている。


 とは言え、全ては救援要請が来てからの話だ。もし来ない場合は……笑って諦めよう。

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