閑話:のれんの城

 天文一三年(一五四四年) 楠目城内 福留 房吉ふくどめふさよし


「福留様、ついに安芸の軍勢がこの"のれん城"に攻め寄せてまいりました。その数約五〇〇」


「そうか。分かった」


 ここ数年の土佐は本当に騒がしい。それというのも全てはあの忌まわしい安芸の小倅のせいだ。


 切っ掛けはよく覚えていない。気が付けば奈半利の地には紀伊雑賀衆の船がやって来るようになっていた。殿である長宗我部 国親様はそれを最初は喜んでいた。きっともう直ぐ雑賀の交易船が浦戸の港にもやって来ると。土佐の産物を求めて来たのだと。事実、土佐は木材を中心とした産物や俵物と呼ばれる海産物の取引を畿内と行なっている 。食料の乏しい土佐にとって交易の拡大は歓迎すべき出来事であった。


 だが、待てど暮らせど雑賀の船は浦戸に商機を求めて寄港する素振りは無い。たまに立ち寄っても水の補給が精一杯。そのついでとばかりに傭兵の売り込みをする程度であった。そんな雑賀衆の態度を見たからかどうかは分からないが、これまで長宗我部領に立ち寄っていた行商が一人減り、二人減りという事態となり、多くが奈半利を目指す。その煽りを受け、日々の生活物資の確保でさえ困窮する状況に陥ろうとしていた。


 日々の食事のおかずが一品減った時は安芸を本気で恨んだ。長宗我部家が力を付けたその暁には安芸家の財を根こそぎ奪ってやると誓ったものだ。


 そう思った矢先、不意に生活が楽になり始める。原因は長宗我部領の穀物を商人が求めるようになったからだ。それも相場よりも高い価格で買ってくれる。お陰で少しずつではあるが暮らしが上向きとなり、領内でも口減らしの話が減るようになる。それに加えて田村荘を獲得した事で忘れていた酒の味をもう一度味わえるようにさえなった。


 このまま殿に付いていけば儂達はもっと良い暮らしができる。そう思い始めた頃である。あの憎き安芸家が西へと勢力を拡大し始めたのだ。


 安芸家は昔から戦に強い家ではない。むしろ強いのは銭勘定だけだ。米の取れない地では屈強な兵など賄いようがなく、和食家を降したのはあくまでも偶然と言えよう。近い将来大きく負けて、また領土をすり減らすだろうと皆とよく話していた。


 しかし、一向に負けない。相手が統制の取れていない小領主の寄せ集めだったというのもあるが、それを簡単に打ち破る。しかも一日も掛けずに複数の城をあっさりと落としていく。一体何なのだ。こ奴らは。


 そう思った時はもう後の祭り。安芸家は長宗我部家の本拠地である岡豊城に約三里近くまで迫っていた。


 こうして脅威に晒されるのは我等が安芸家を侮っていたのが理由だという事は分かっている。早い段階で伸張の邪魔をするべく援軍を出していればこうはならなかったろう。


 だからこの機会に逆転の一手を仕掛けた。策を練ったのは吉田殿であるが、上手くすれば逆進行を行なって安芸領の切り取りができる。そうでなくともこれ以上の安芸家の勢力拡大を止められる筈だ。そう思っていた。


 けれどもその目論見は霧散する。あっさりと楠目城を長宗我部家に明け渡した事には驚かされたが、受け取った瞬間それがまやかしであると分かった。安芸は長宗我部とやり合うつもりである。挑発のあくどさに頭から血が出るのではないかと思うほど怒り狂った。


 受け取った楠目城に武器や食料が残っていなかった点は想定内である。換金可能な貴重品も根こそぎ持っていかれたのも……これも想定内であった。この程度なら我等も怒り心頭とならない。


 想定外だったのはここからだ。


「福留様、第一ののれんが突破されました」


「そうか分かった。儂も出る。皆の者も付いてまいれ。最後の奉公だ!!」


 そう、この楠目城は「のれん」に覆われた城へと生まれ変わっていた。


 生まれ変わったとは言え、城自体が大きく変化した訳ではない。城の各部が壊され、それを隠すように御丁寧に「のれん」が垂れ下がっていた。しかも、遠目では分からないように色合わせまでしていた拘りである。


 のれんの土塀、のれんの門、のれんの壁。堀は埋めた後、水を模した色ののれんが敷き詰められていた。この徹底振り。気が付けば儂は刀を抜き、所構わず切りつけまくっていた。


 そして気付いた。安芸の小倅は長宗我部家など何とも思っていないという事に。吉田殿が仕掛けたはかりごとなど取るに足らない些事であったという事に。


 あ奴らは長宗我部家をこの「のれんの城」と同じと言いたいのであろう。管領である細川殿の意向を受けてこの土佐の地に秩序を取り戻さんと奮闘する我等をあざ笑っているのだ (国親の父親の代からの流れで長宗我部家は中央とのパイプを持っており、守護代のいない土佐でその役割を求められていた模様です)。一見外見は立派に見えるが、内実はぼろぼろなのだと。


 そんな事は百も承知だ。現当主である国親様のお父上が非業の死を遂げてから、我等は爪に火を点すような苦労を続けてきた。田村荘を手に入れた現状でさえ、本山家には膝を屈するような立場でしか同盟が認められない。対等と言うにはまだ及ばないと分かっている。


 だからこそ儂はこの城に残った。このような城ではまともな防衛など無理だと分かった上でだ。共に城を接収した吉田殿は儂に何度も撤退を勧めてきたが、頑として首を縦に振らなかった。


 誰かが安芸に対して意地を見せなければあの小倅は益々増長する。例え負けると分かっていても。なら、その役目は老い先短い儂にしかできまい。そうした思いで吉田殿を岡豊城へ帰し、儂は老兵三〇〇と共にこの「のれん城」へと残る。


 老将の最期の花道とさせてもらう。もう息子も良い年だ。儂がいなくとも独り立ちには問題無かろう。


「早いな。もう近くまで迫っておるのか。やはり『のれん』は役に立たないか」


「福留様、安芸の軍は火薬を使っているらしく、我等があの音と煙に算を乱した隙を突いて押し込んでくるとの事です」


「ああ、あの音はやはり火薬の爆発音か」


 何やら大きな音が近付いてくるのでずっと気にはなっていたが、どうやらそれは火薬を使用した音だったようだ。


 火薬と言えば村上水軍が焙烙玉を使う事で有名である。村上水軍は土佐の浦戸にも出張所を作っており、時折この地を訪れる。その伝手で儂も一度国親様から焙烙玉を使っている所を見せてもらった経験があるが、思った以上に使い勝手が悪かったと覚えている。爆心地でなければ大きな被害は与えられず、ある程度の距離を取れば被害を無視できるという代物であった。


 船という大きな標的には有効かもしれないが、こと陸では簡単に対処されると言って良い。音や煙で少しの間兵がたじろぎはするだろうが、そう長くは続かない。そして何より価格が高い。


 そうした事情で長宗我部家では配備できなかった兵器を安芸家では湯水の如く使うのか。本当に安芸の小倅にははらわたが煮えくり返る思いとなる。


「その身なり、名のある将とお見受け致す! 是非私と勝負して頂けぬか!!」


「そなた名を何と言う!」


「安芸家家臣、木沢 長政が嫡男、二代目勇者木沢 相政!!」 


「おおっ、そなたがあの木沢殿の御子息か! 相手にとって不足無し。儂は長宗我部家家臣、福留 房吉! いざ尋常に勝負!」


 そうこうする内、突き当りから白煙が流れてきたと思うとそこから華美な鎧を纏った将がぬっと現れる。通路を守っていた兵は吹き飛ばされ、腹から血を流していた。


 木沢の名には聞き覚えがある。太平寺の戦いで死亡した木沢 長政殿の跡取りか。木沢殿は一時期は畿内にその人ありと言われていた。たった一度の戦いで全てを失くして没落したと聞いてはいたが、まさかこの土佐に流れて来ていようとはな。なるほど畿内でも一、二を争う強さだと言われた木沢家の兵か。それならこの侵攻の早さも頷ける。老兵には荷が重かったか。


「はぁああっ!!」


 大太刀を大上段に構えた木沢殿が、気合の声と共に儂目掛けて迷い無く距離を詰めてくる。良い動きだ。こういう場では相手の出方を窺っていれば不利な状況へと追い込まれる。そうなる前に先手を取り敵に選択の余地を与えない。自らの得意な間合いにて勝負を決める。若いのに随分戦い慣れているな。


「お前等、手出しするなよ。これは儂と木沢殿の一騎打ちだ」


「はっ!」


 だが甘い。動きに無駄が多過ぎる。それに肩に力が入り過ぎだ。それでは力が完全には乗らない。可哀想だが儂の技量には及ばないな。相手が悪かったと諦めてもらおう。


「なっ、何!」


 振り下ろされる木沢殿の大太刀を愛用の打刀で受け、そのままいなそうとしたが……何だこの一撃の重さは。一瞬手首を持っていかれそうになったわ。受けるのが精一杯だ。


「さすがは福留殿。一筋縄ではいきませぬな」


「ふん。お主こそやるではないか」


 交差した刃から木沢殿の物凄い圧を感じる。なるほど、技量は未熟なれど力で補っているのか。相当体を鍛えているのだろうな。


「ならばこれでどうだ」


 そう言うや否や木沢殿が一度距離を取り、またしても大上段に構える。


 今度は力を込めず、速さを優先した袈裟と逆袈裟の連撃。しかし、鋭さはあるものの全体的には大振りとなっているので対処はそう難しくない。ここを凌げばこちらに勝機がやってくる。その思いで焦らず一撃一撃を確実に受けていく。


「これで終わりだ!」


 ついに待ち望んだ機会がやって来る。儂の手にもう攻撃を受けるだけの力は残っていないと見たのか、木沢殿が一際大きく振りかぶりトドメの一撃を入れようとした。刀の上から押し込んで、切ると言うよりは叩きつける打撃を行なおうとしているだろう。随分と力任せだ。


「甘いわ!!」


 瞬間右膝を引き寄せ、つま先を木沢殿のどてっ腹に突き刺すように弾き出す。前蹴りの攻撃。自身の力で儂を圧倒していると勘違いしていたのだろう。振りかぶった際、木沢殿は儂の得物しか見ていなかった。足など蚊帳の外だ。更には勝利を確信していたからか、下半身は隙だらけとなっていた。上品な刀捌きだけでは絶対に戦場では生き残れない。それを身をもって知ってもらおう。 


 儂の足蹴りで木沢殿がよろよろと後ろに下がる。今度はこちらの番だ。踏ん張り利かない今の状態ではこの一撃は受け切れまい。ましてや足を使って攻撃をかわすなどできようもない。最後の手柄とさせてもらうぞ。


 渾身の一撃を繰り出さんと大きく振りかぶりながら一気に距離を詰める。踏ん張った右足に全ての体重を乗せ、力を解き放つ。振り下ろされた刃が悪鬼羅刹をも切り裂く……筈だった。


「ま……まさか」


 激しい金属音が周囲に響く。今まさに儂の打刀の刃が当たっているのは木沢殿の鎧ではなく兜であった。もっと正確に言えば、木沢殿はよろけながらも無理に足を踏ん張り、何を思ったのか強烈な頭突きを儂の刀へと放ってきた。正気の沙汰とは思えない。


 だが、それが功を奏す。完全に振り切る前の刀は力が半減する。兜こそ砕けはしたが、その奥の頭までは届かない。打撃の衝撃が木沢殿の頭に伝わるが、あの首の太さなら耐え切れるだろう。……やられた。


「お見事!」


 そのまま顔面を力一杯殴られ床に倒される。したたかに背中を打ち、息が詰まる。甘かったのは儂の方だった。


 国親様、安芸の小倅は強敵です。決して油断なさらず心して戦ってください。


 今わの際、声にならない声で儂は最期の奉公を終えた。

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