風前の灯

 今日も元気な兵達の掛け声が響き渡る。ここは須留田城下の演習場。香宗こうそう川の西に位置している。とは言え、元は田畑だという事もあり設備が整っている訳ではない。本気でただ広いだけで何もない。そこで兵科毎に分かれて各々の鍛錬を行なっていた……行進という名の鍛錬を。新規採用組が大きく増えたのでまずは地道に身体作りからとなる。


 根来衆の傭兵が須留田城を接収して以降、この地は安芸家常備兵の訓練の場所となっている。さすがに全部隊を集結させる訳にはいかず、一部は上夜須城の守備 (責任者:畑山元明)や他地域の治安維持に回した。馬路党は北川村で別メニュー。水軍も室津でしごかれている。現在集結している数は約七〇〇。これに木沢家の私兵約一〇〇が加わり、計八〇〇にまで膨れ上がっていた。


 この須留田城、約一キロ北には香宗我部家の本拠地である香宗城があり、物部川を介した約五キロ西には田村城 (館)を睨むとても重要な位置の城だ。田村城は長宗我部氏が攻め落とした細川 益氏様の元本拠地である。よく言えば両陣営を分断する役割を果たしているが、悪く言えば両者から同時に攻められてもおかしくない危険な位置とも言える。特に香宗城は目と鼻の先にある。


 今の俺達にとって須留田城は絶対に落とされてはいけない城だ。だからこそ北にも西にも防衛用の柵や逆茂木を張り巡らせてある。城の規模が小さいため篭城には不向きという点からしっかりと野戦築城を行なった。


 その上で日々の鍛錬。いや、「軍事演習」という別の言い方がしっくりくるか。


 これは一見敵を刺激するような行動にしか見えないが、最初からそのつもりだから何の問題もない。敵方から見れば俺達の行動は不気味にしか映らないだろう。


 しかし、どのような意図であろうと本拠地の目の前で八〇〇の兵に日々軍事行動をされると香宗我部家にとってはたまったものではない。「もし」や「万が一」を考えると城に兵を招集し、防衛体制を整える必要がある。のんびり農作業を行なう余裕など無い筈だ。毎日が戦と言えよう。その疲労たるやどれ程になるだろうか?


 だが人は慣れるものだ。「今日も攻められなかった」という日々が続くと緊張感を保てない。下手をすると兵を解散させるわ、調子に乗って農作業まで行い出す可能性は十分にある……が、俺達も馬鹿ではないので適度に香宗城に向けて木砲の一斉発射を行ない、油と炎で周辺を焼く。これだけで良い。


 ──こんな状況には耐えられない。そっちがその気ならこちらから攻めてやる。


 こういった考えを持つ者も香宗我部陣営にはいるだろう。けれどもそれは現実化しない。ここで俺が何年も前から仕込んでいたトラップの発動する時が来た。


 そう、兵力を揃えて長期間戦を行なうだけの兵糧が香宗我部家には残っていないのだ。少数部隊の奇襲なら可能かもしれないが、夜襲警戒用の鍛錬もきちんと行なっているので現実性は乏しい。相手もそれは分かっているので確実な負け戦は仕掛けてこない。


 元々この地での「食糧買取」は、対香宗我部戦を想定して篭城をさせないために行なっていた。史実の豊臣 秀吉とよとみひでよしも多用していた計略である。だがここに来てその使い方を変更、敢えて篭城させる間接的な兵糧攻めに舵を切る。向こうも向こうで食料を売るにしても、余剰分だけ売ればこうはならなかった。なのに目先の金欲しさに最低限の備蓄以外は全て売りに出すものだから「馬鹿じゃないか」とずっと思っていた。相手が安芸家ではなく即金で支払う商人だったのがその理由だと思うが、それにしたって迂闊としか言いようがない。


 正直な所、今現在でも相当苦しいだろうし、何も考えずに食料を売った事を激しく後悔しているだろう。戦わずして香宗我部を風前の灯に追い込む。これが以前俺が言った「香宗我部家と全面的に争わない」という意味であり、仕掛けであった。後は敵が降伏するのを待つだけというシナリオだ。


 残念なのはこのトラップの効果が長宗我部家に対しては一時的でしかない点である。田村城は穀倉地帯という重要な場所だが、本拠地でない以上は絶対に死守しなければならない場所ではない。ずっと篭城をして穀倉地帯の役割を果たせなくなるくらいならその地は捨て、残った兵力を用いて他の土地を奪った方が断然お得になる。


 なお、香宗我部と長宗我部が同時に攻めてくる可能性は既に無くなった。俺達が野戦築城をしていなかったなら話は別だが、負けると分かっている戦を手伝う馬鹿はいないからだ。助けを求められてもまず突っぱねる。理由は長宗我部兵の兵糧を香宗我部家が準備できないからである。兵糧が乏しい時に手弁当で手伝い戦をする馬鹿はいない。労多くして益少なしとなる。


 問題は北西に位置する山田家の参戦が考えられる事だが……現在当主の山田 元義やまだもとよしが茶道や猿楽に嵌って政務さえも疎かにしているらしいので大丈夫だと信じたい。せいぜいが香宗我部家に食料を高く売りつけるくらいだと思うが、長年安芸家が各地から食料買取を続けている事を考えると、今後の取引のために商人達も協力的にはなれない筈。延命措置程度にしかならない。

 

 こうして俺は攻めと守り、この二つで須留田城以東の安全を十分に確保した。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 夜須川流域の開発、この中での一番の目玉は港の建設となる。


 土佐は海を利用するかしないかでその価値はがらりと変わる。だからこそ港は必須と言えた。なのに……何故か奈半利から西は浦戸まで有力な港が無い。安芸城や芸西村は漁村に毛が生えた程度であった。戦の無い平和な時代ならそれでも良いだろう。しかし今は戦国の世。物資輸送の面において、陸運と海運では雲泥の差がある。そういった意味で、戦略上重要とも言える須留田城の近くには港が必須とも言えた。


 そこで夜須川下流の地域に着目する。


 現代ならこの地には手結てい港があるのだが、まだこの時代は開港されていない。手結港は江戸時代に入って作られた日本最初の本格的な掘込港湾と言われている。それを俺達が先駆けて作ろうというのが今回の計画であった。


「しかし、よくここに港を作ろうと思ったな。先人の変態っぷりが恐ろしい」


「そういう意味不明の発言は誰もいない時にしてください。私や和葉はもう慣れましたが、他の者が聞きますと国虎様を変な目で見るようになりますから」


「おっ、ありがとうな。次からは気を付ける」


 切り立った岩礁の上で予定地を眺めているとついつい余計な一言が出てしまう。こういう時、一羽がしっかりと俺をたしなめてくれるのがありがたい。


「国虎様が考えるほど難しい工事ではありません。簡単に言えば『入り江』の拡張と埋め立てです。問題は堤防となる石の確保ですね」


「石か……」


 港を作ると言ってもする事自体はとても単純である。「掘って石を積む」ただこれだけ。その規模がひたすらに大きい事が問題と言えた。一羽としては、これまで行なってきた奈半利川の浚渫と堤防工事の応用程度らしい。


 史実ではたった三年間でここが南北一一〇メートル、東西五〇メートル、干潮時の水深三メートルを持つ港に変わったという。しかも当時では最大級の大きさであったとの事だ。


「石は親信と相談する。最悪コンクリートを試作するというのも手だからな。まずは入江の掘削からか……夜須川の浚渫もあるし大変だな。悪いが器材の手配を頼むぞ」


「かしこまりました」 


 早速、芸西村、夜須、須留田の民を動員しての工事が決定する。芸西村に続き夜須、須留田も土地がボロボロとなり、生活ができなくなった民達を一時的に軍属として保護 (?)し、工作兵として利用する。


 自分達で散々荒らし回っておいて今度は掌を返すように保護というのは罪滅ぼしにもならないような気がするが、止むを得なかった形だ。敵の残党を徹底的に始末するのを優先するとこうなってしまった。戦というのは一度で敵を完全に滅ぼせる訳ではない。例え城を奪ったとしてもこちらが隙を見せれば、残党に突然武装蜂起される事もある。まだ俺達の足腰は弱く、ちょっとした事で足元から崩れてしまう。だからこそ敵には容赦しないという毅然とした態度を見せ、その分従う者には利を与える。こうした措置が必要だと考えた。完全にヤクザの手法とも言える。


 須留田は最前線のために現状では開発に着手する事はできないが、夜須川流域の再開発は楽しみだ。早い段階で作物の獲れる地になる。安芸城下では全く進んでいなかった正条植えがようやく試せる上に、肥料や自然農薬 (木酢酸等)も使用できる。深堀による土作りも実験可能となる。回り道をしたが、ようやく農業改革に着手できるようになった。


 夜須地域は朝倉 景高を責任者に据える。この地は仕事が多岐に渡っている事でベテランに任せた方が良いという判断だ。木沢一族や杉原 石見守は安岡 道清と共に須留田を任せているため、適任者が景高のみという実情である。本当は木沢 中務大輔を補佐として木沢 相政に経験を積ませたかったのだが、本人が一般兵に混じっての鍛錬を望んだ。俺が木沢 長政を「勇者」と評した事に感激し、自身もその称号を引き継ぎたいと張り切っている。そうして木沢一族は全力で相政を応援する形となった。俺が余計な事を言わなければ……。相変わらず人手が足りないのは解消されそうにない。


 それでも小さな進展はあった。まだ禄の低い者ばかりではあるが、本家の家臣が俺に忠誠を誓ってくれた。武芸自慢の脳筋ばかりだがそれでもありがたい。早速、畠山 晴満や朝倉 景高、安岡 道清等に寄子として付ける。彼等には可能なら被官化 (家臣にする)するように言っておいた。


 凄くどうでも良い事だが、安芸郡十二人衆を筆頭とした禄の低い者達に畠山 晴満や朝倉 景高が寄親人気として高かった事を追記しておく。当然だが俺よりも人気が上。田舎者らしいと言うか、この時代から名家に憧れる者は多いようだ。


 このように様々な手配を終え、物資の不足やその他の問題が起きていないか日々現場を回りながら過ごしていると、予想通りとも言える歴史的イベントに遭遇する事になる。


 ひょっこり津田 算長が現在の俺の活動拠点でもある下夜須城にやって来たのだ。何の予告もない突然の訪問である。


「よっ! ボウズ元気か。種子島で手に入れた最新型の鉄砲をボウズ達に見せびらかそうと思ってやって来たぞ」


「……やっぱり」


 天文一二年 (一五四三年)は鉄砲伝来の年。ガンマニアの算長なら絶対に手に入れた種子島銃の素体を自慢しにやって来るだろうと思っていたが、それが現実となった。

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