北川村弓兵部隊

 潮風の感触がとても気持ち良い。風向きが変わり南からの追い風となる。目の前を占めるのは人、人、人の山。自慢の兵達。誰もが自信に溢れた表情をし、戦に負けるとは思っていない。例え囲まれているとしても。例え背水の陣を敷いているとしても。全て跳ね除け、勝利を掴み取れると信じていた。


 あれから六日後、俺達は夜須川下流の海岸から北東に約一キロ進んだ位置に布陣を完了する。現代では夜須町出口の場所。南北に流れる夜須川が丁度蛇行して、北と西に天然の堀を築くようになっている。雲一つ無い青空がとても清々しい。こういうのを絶好の野戦日和とでも言うのだろう。


「国虎様、本当にこれで良かったのですか?」


「元明おじ……いや、元明も心配性だな。敵に『勝った』と思わせる事がまずは大事だと話しただろう」


「そうですよ、元明殿。敵を一網打尽にするにはこれ以上無い布陣です。後は兵の力次第。目に物見せてやりましょうぞ」


 心配そうな顔で俺に問い掛ける畑山 元明に、副官である杉原 石見守すぎはらいわみのかみが自信満々で諭す。彼は木沢 長政の有力家臣であった人物だ。長政が命を落とした「太平寺の戦い」での生き残りである。落ち武者となり行き場を無くしていた所を津田 算長が保護し、俺に預けてきた。経歴が仇となり仕官先に困っているとの事で二つ返事で家臣とする。木沢軍は畿内でも有数の強さを誇った軍として有名であり、その軍制その他を知る貴重な人材と言える。しかも何度も大軍を率いた経験があると言う。そんな経験を持つ人材は早々いない。


 そんなベテランが「勝てる」というこの戦だ。大船に乗った気で畑山 元明にもどっしりと構えて欲しいものである。


 ……と内向きには暢気だが、いざこの戦場を俯瞰して見ると明らかに俺達は"必敗"とも言える布陣を敷いていた。


 この度の戦、こちらの兵力は約一〇五〇。内五〇〇が根来衆の傭兵となっている。左翼に配置し、側面を衝こうとしている香宗我部軍約五〇〇を抑えてもらっている。率いる将は往来 左京ゆきさきょうという荒法師。僧には見えないガタイの良さである。服装で何とかそれと分かるが、どう見てもプロレスラーか重量挙げの選手。そんな将が率いているのだから配下も皆マッチョとなっている。馬路党よりも体格だけで言えば上であり、算長が俺に精鋭を預けてくれたというのがよく分かった。


 ここは厳しい戦線になると思われるが、両軍勢の間に流れる夜須川を上手く利用できるかが鍵となるだろう。


 右翼には馬路党二〇〇を配置。ここから一番近い敵、下夜須しもやすじょう城の軍勢を率いる夜須氏と相対している。長正自身は中央に配置されなかったと予想通りに不満を漏らしていたが、「今回は両翼が崩れると確実に負け戦だから、中央以上に大事だ」と説明すると花が咲いたように笑顔となっていた。


 最後は正面。前列は安芸 左京進率いる一五〇と後列は安岡 道清率いる一五〇。後列は得意の投石紐を使った焙烙玉の投擲部隊である。下手な弓よりも有効射程が長いので使い勝手が良い。いずれは擲弾筒を開発して「火力万歳」の部隊にするつもりだ。これらが夜須氏の兵より少し後ろに布陣している敵軍主力の夜須川連合四〇〇を相手取る。なお、正面前列は副官として木沢 中務大輔も配置している。


 オマケが本陣となる畑山 元明率いる五〇となる。ここに俺や杉原 石見守もいるが、ほぼ飾りのようなものだ。こんな所で何もせずふんぞり返っているだけというのは性に合わないが、大将というのはそういうものらしい。最前列に出たいとまでは言わないが、せめて道清の部隊に合流して焙烙玉の投擲の手伝いをしようとしたが、全員に却下される羽目となった。


 ここまでの全体像を見れば、何故"必敗"とも言える布陣となるかの理由が分かる。要するに敵に半包囲されている。いや、地形的に南は海、東は山という逃げ場の無い状況では全包囲と言っても良いかもしれない。唯一の救いは正面と左翼が夜須川を介して敵と対峙している点くらいだ。それを差し引いても夜須川連合軍はほくそ笑んでいるに違いない。


 ……俺達がそれを承知で上陸したから当たり前だがな。


 何故こんな馬鹿な真似をしたのか? 一言で言えばこの戦で敵を完膚なきまでに叩き潰すと決めたからに他ならない。それには相手に全力で出撃してもらう必要があった。


 仕掛けはこちらからの宣戦布告。香宗我部にくみする諸勢力に、この一帯は元来安芸家の土地であると主張した。即ち香宗我部は簒奪者であり、追従する領主は同罪だと勝手に決め付ける。後はお決まりの「素直に土地を明け渡して降伏するなら良し、そうでなければ戦にて決着を付けよう」というもの。これで素直に土地を明け渡す方がどうかしている。


 決戦までの時間はそう長くなかったが、必死で兵を掻き集めたのであろう。指定通りの日に敵はきちんと布陣をしてくれた。勿論、「城に篭るようなら勝手に城を落とす」という一文を添えていたので、そうせざるを得なかったという事情もあると思われる。


 こうした経緯の中で当日、下夜須城付近に展開する敵軍と決戦するべく近くの砂浜で全部隊を降ろした所、突然狼煙が上がり、伏兵である香宗我部軍が姿を現した。正面決戦の予定が、たった一軍の参戦により半包囲へと変貌する戦争芸術。誰が考えたかは分からないが、相手にも手練がいるようだ。これがここまでの流れとなる。


 多少予定が狂ったが、敵の援軍は織り込み済みだ。元々、根来衆の傭兵達には夜須川を超えて部隊を進め、須留田城からやって来る香宗我部の援軍を引き受けてもらうつもりであった。両軍を分断して連携を取らせない作戦である。だが、現実はそうそう上手くはいかない。いまだ距離こそ離れているが、香宗我部軍は夜須川連合軍と合流しつつある。


 早急に夜須川連合軍を瓦解させて、香宗我部の軍勢を引き付けている根来衆を楽にさせてやらないといけない。


「元明、胸を張れ。さあ、今週のびっくりドッキリメカ……じゃないな、秘密兵器のお披露目といこうじゃないか」


 合図と共に前列の部隊が横陣となり、武装となる弓を構える。


 先の評定で話した「戦列歩兵」の意味。本来はフリントロック銃を持つ兵を横一列に並べて行なうのだが、残念ながらこの時代はフリントロックどころか火縄銃ですら実戦配備されていない……という事で、代わりに弓を用意した。 


 可能ならもう少し隊に厚みを持たせたかったが、残念ながらまだまだ弓兵の数か揃わず、五〇ずつを二段に分けて構成する。その上で大型の盾を持たせた兵五〇が弓兵を守る。


 この弓兵を最前列に展開する暴挙を見て、何となく敵方が大笑いしているように感じた。確かに普通はこんな事はしない。何故なら通常は後方に配置するからだ。弓兵というのはエリート部隊に近く、育成に何年もの時間がかかる関係上、損耗を可能な限り減らそうとするのがその理由となる。しかし、今している事はそれの全く真逆である。少しでも戦争を知っている者なら間違いなく「あり得ない」と言う。


 それを敢えてするというのが今回の実験であった。


 切っ掛けは北川 玄蕃を下した時に遡る。食料が足りなくなって飢えで苦しんでいた村を支配下に組み込んだは良いが、当時まだまだ奈半利も発展途上であり、北川村に開発の手を回す事はできなかった。そうなると必然的に北川村の民は奈半利で生活をしてもらわなければならない。


 そこで奈半利での仕事を割り振りするべく彼等を調査した所、分かったのが弓の経験者が多かったという事だ。その時は弓部隊自体を編成していなかった事もあり、彼等を中心に弓を得意する者達で組織したのが今回の戦列弓兵。北川村弓兵部隊の誕生となる。中には北川村出身以外の者も混じっているが、名称を気にしてはいけない。


 ついにそのお披露目の日がやってきた。


 夜須川連合軍の反応はとても現金なもので、口合戦、矢合わせといった戦の前の作法は一切行なわず、雄叫びを上げて軍勢が我先にと肉薄してくる。


 弓兵は距離が離れていてこそ威力を発揮する部隊だ。故に懐に入られてしまえば役に立たない。近寄ってしまえば、逃げ惑い、陣形は崩壊し、敗北を決定付ける。そう考えての行動だろう。


 ──その常識を今日ひっくり返そう。


 さすがは我が精鋭と言える精悍な姿。押し寄せてくる人の塊にも動じた素振りなど見せず、冷静に弓に矢を番えていく。


 もう少しすれば、合図となる太鼓の音がこの辺一帯に響く。その時間まで後わずか。


「国虎様! 投擲部隊も準備完了だ!」


「よし道清、今日も美味い酒を飲むぞ! 俺は麦茶しか飲まないけどな」


「おうよ!」


「まずは投擲部隊からだ! その後に合図の太鼓を叩け!」


 持ち場に戻った道清が号令を出し、一斉に焙烙玉が夜須川連合軍の主力部隊目掛けて投げ込まれる。


 いつも通りの爆発音が各所で起こり、大きく白煙が噴き出した瞬間──


 ダンッ


 力一杯に叩いた太鼓の音が響き渡った。


 そして行なわれる弓兵部隊からの一斉発射。敵の最前列を狙った水平打ち。盾兵は矢の射線に入らないようしゃがみ込む。ドラマや映画等で見る斜め上に向けて矢を放つ必要がない事の意味。──それは命中精度の向上を意味していた。


 火薬の爆発の音に怯んだ矢先の遠距離攻撃。白煙は爆発直後こそ派手だが直ぐに流される。飛び散った陶器の破片が嫌がらせという名のアクセントとして行動を妨げ、その渦中を密度の高い射撃が襲い掛かった。まだ距離があるために被害は軽微だが、真正面から矢が迫ってくる恐怖は計り知れないものがある。音も無く放たれる姿に連合軍の兵は心胆を寒からしめただろう。


 すかさず、


 ダンッ


 今一度の太鼓の音で後列の弓兵が前列を追い越し追撃を加える。矢に射抜かれる兵の数が第一射よりも増えていた。その間に前列の弓兵は、矢筒から矢を取り出す。


 更に太鼓の音が響き、前列の弓兵が前に出て水平に矢を射掛ける。後はこれの繰り返し。時折、敵が正気に戻らないように焙烙玉の投擲を挟んでいく。


 今回俺がやりたかった戦国版「戦列歩兵」がこれだ。弓兵を最前列に配置し、連続の水平打ちで敵を蹴散らしていく。射る度に自ら距離を詰め威力と命中精度を上げる。弓兵は離れるものではなく、近付くものという逆転の発想。ゼロ距離まで近づくのが先か、それとも恐怖に震えて尻尾を巻くのが先か。


 当然、「矢が正面から来るなら盾で防げば良い」という対処法程度はすぐ思いつく。だからこそ焙烙玉の投擲部隊と混ぜ合わせた。また、距離を詰め矢の威力を上げるという意味は、漫然と構えただけの盾なら吹き飛ばしてしまう効果もある。盾は優秀な防具だが正しい使い方をしないと効果が半減する。ガードの上から殴り飛ばすのと同じだ。


 更には弓兵は密集陣形が組めるという利点もある。火縄銃には到底できない分厚い弾幕 (?)と面制圧攻撃が可能であった。


 フリントロック式ならまだしも、戦国時代に伝わるマッチロック式の火縄銃は持つ火縄の火種の関係上、事故防止の意味で射手同士の間隔をかなり開けねばならない。これには密集陣形による面制圧ができないという不利がある。実際、歴史上では火縄銃は数を揃えてナンボと言いながらも、鉄砲の名手が数多く記録されている。これは現実的に鉄砲隊は小部隊でしか運用できなかった証明と言えるだろう。もし「火力は力だ」と、火縄銃の面制圧ができていたなら名手は記録に残らない。日本の火縄銃は火力重視よりも命中精度重視に進んでいたと言える。


 そして俺は知っている。元寇で日本の武士が何をしたかを。当時の武士は元軍目掛けて突撃を敢行し、近距離で大量の矢を射て退却するというヒットアンドアウェイの戦法で壊滅的な被害を与えた。武士側も被害は多かったが、それ以上に元軍に対してその恐ろしさを刻んだという。極端な例ではあるが、密度の高い弓矢の攻撃は十分に脅威であると言える。


 だから俺は考えた。火力万歳の部隊を作ろうと。鉄砲隊に負けない射撃兵科を作ろうと。転生者だからこそ知る火縄銃の利点と弱点。それを生かした戦法、その回答が今回の実験とも言える「戦列弓兵」であった。

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